第10章  誰そ彼……?

「ジャジャジャジャ〜ン♪」
 真城は朗らかな笑顔を浮かべて、お盆の上に乗ったスープ皿を自慢げに見せてきた。

 もう、外はとっぷり暮れて、おそらく2時間ほど真城は悪戦苦闘していた。
 葉歌はだるかったけれど、一生懸命慣れない料理をしている真城が可愛らしくて、ずっとその背中を見つめていた。
 シチューのいい匂いが葉歌の鼻をくすぐる。

「すごいわ、真城。やればできるのね」
「一応刃物の扱いには自信があるから怪我もしてないよ」
 白い歯を覗かせてニカリと笑う真城に葉歌は目を細めて、お盆を受け取ろうと手を差し出した。

 真城は椅子をベッドに寄せてから腰掛け、お盆をベッドの上に置く。
 そして、スプーンを手に取って、シチューにタポンと突っ込んだ。
 出来るだけ小さく切ったニンジンを取って、湯気を立てているスプーンにフゥフゥ……と息を吹きかける。

「……真城?」
「はい、あーん……」
「え?」
 スプーンに手を添えて、差し出してくる真城。

 あまりに無邪気なその笑顔が逆に葉歌の心に波を立てる。
 昨日はこんなことしなかったのに。

 少々腑に落ちない葉歌は、顔をしかめて、真城を見据えた。

「……自分で食べる?」
 真城はすぐに困ったように笑って訊いてくる。

「一昨日もボクの手振り払うしなぁ……。そんなに病人扱いされるのイヤ?」
「……そうじゃないけど……」

 なんというか、子ども扱いされているような気がしてしまう。

「たまには逆もいいかなぁって思っただけだよ?」
 おかしそうに笑って真城はパクリとシチューを口に放り込む。
「うん、美味い美味い」
 自分が作ったシチューに納得するように頷いている。

 逆もいいかなぁというのは、いつも、葉歌が世話を焼く……ということを言ってるのだろうか?

 葉歌は目を細めて真城の様子を窺う。

 あんなことがあったせいだ。
 自分で距離の取り方に迷っている。
 こんなことは、初めてだ……。

 目を伏せ、もう1度真城に視線を戻す。

 真城はシチューにスプーンを突っ込んで葉歌の答えを待っている。

「こんな時くらい甘えてみませんか、姫?」
 穏やかに笑ってふざけたことを言う真城。

 葉歌は唇をすぼめて、次の瞬間、ポソリと言う。
「きょ、今日だけ……だから」
 葉歌は自分で言って顔が熱くなるのを感じた。
 何を馬鹿なことをしているのだろう。

 これでは、まるで……。
「バカップルごっこみたい」
 真城はそう言いながら、葉歌にシチューを取ったスプーンを差し出してくる。

 心の声が聞き取られたようなタイミングの言葉に、葉歌は驚きながらもパクリとスプーンにかぶりついた。

 シチューのほんわか甘い風味が口いっぱいに広がる。
 確かに、初めてにしてはだいぶ美味しかった。
 肉を噛みほぐしてゴクリと飲み込む。

「美味しい……」
「やたっ!褒められた♪」
 本当に嬉しそうにガッツポーズする真城に、つい葉歌は笑みがこぼれた。

 真城はノリノリで次の一口を差し出してくる。
 葉歌はパクリと頬張り、モグモグと口を動かす。
 だるさで食べられないかと思っていたが、これならば大丈夫そうだ。

「真城の意外な才能、発見?」
「本当だよねぇ。ボク、絶対、料理できなそうに見えるもん」
 自分であっけらかんとそう言う真城に葉歌はあからさまに吹き出した。

「ちょっと、傷ついた……」
 真城はそんな言葉にして、眉をへの字にする。
 それに対して、葉歌はすぐにごめんごめんと付け加える。

 葉歌も真城もそれぞれの皿を空にして、一通り洗い物を終えると、真城は空いているベッドにボンと音を立てて腰掛け、倒れこむ。

「家事もいいかもねぇ……」
 そんな呟きをポツリと漏らす。
 葉歌はおなかが膨れて、少々目がとろんとしてきた。
 コシコシと目をこすって、壁にもたれかかったまま、真城の横顔を見つめる。
「変な感じ」
「何が?」
 突然の真城の言葉に、葉歌はすぐに首を傾げてみせる。

 真城は天井を見上げたままで口を開く。
「追われる身で、仲間とははぐれて、葉歌の薬が大変だぁ……とか言ってるのに、そんな危機感、全くなしにこんな馬鹿やっちゃって……いいのかなぁって」
「真城……」
「不安なんだよ?」
 そっと横目で葉歌に視線を寄越す真城。

 目を細めて、真面目な顔で続ける。
「本当に不安。葉歌がね、いなくなっちゃったらどうなるんだろう?って考えると、一番寒気がするんだ」
「…………」
「一生懸命、馬鹿やってみました……。少しは……元気出たかな?精神的に……さ」
「え?」
「……昨日から少し、様子がおかしいような気がして……」
 真城が葉歌を見透かすようにそう言った。

 葉歌は真城の目を見て、すぐに目を逸らす。

「…………ごめん」
「え?」
「なんでもないのよ。心配かけちゃってごめんね。わたしの修行が足りないだけだから」
 静かに微笑み、葉歌は茶目っ気たっぷりにそう返した。
 真城が意味が分からないように唇を尖らせるのが見えた。

 あの時の言葉を言ったのは真城ではないのに、あの行動で自分を見失うところだった。
 自分できちんとラインを引いたのに。

 ふぅ……と息を漏らし、コシコシ……と目をこする。
 真城が天井を見上げた状態で、息遣いが途絶えた。

 葉歌は敏感にそれに反応する。
 この村は静か過ぎて……部屋の中にいる相手の息遣いさえ、注意すれば感じ取れてしまう。

 また……。
「ハウタ……さん……」
 『彼』だ。

 ムクリと起き上がる真城。

 しっかりと葉歌のことを見据える眼差しは、真城よりも少し鋭くて、ピクリと体が反応する。

「あなた、誰なの?」
 葉歌は眠気が覚めてゆくのを感じながら尋ねる。
 真城はゆっくりと立ち上がり、葉歌のベッドに腰掛けた。

 少し怯えながらも葉歌はたじろがずに真城の向こうにいる『彼』を見つめようとした。
 自分の中に答えがあるのだ……。
 でも、誰だかわからない。

「ぼくは……」
 そっと伸びてくる手。

 葉歌の頬を優しく撫でる。
 体をすくませて、その優しい愛撫を受けた。
 トクントクン……と鼓動が鳴る。

 風が吹いたのか、窓が音を立てる。

「よかった……」
 葉歌の頬を撫で続けていた真城が、ほっとしたような声を発する。

「え?」
 葉歌はビクビクしながら、真城の顔を上目遣いで見た。

 優しい笑顔を浮かべて、真城は葉歌の頭を撫でる。
「薬、間に合いました」
 そう言った途端、真城の体から力が抜けて、葉歌の膝にトサッと倒れこんできた。

 ……本当に……何者なのか?
 まさか、真城が霊媒体質者……というわけでもないだろうに。

 真城の髪をそっと撫でると、すぐに真城がふっと息を漏らす。
 ゆっくりと目を開け、すぐにガバリと起き上がった。
「え?あれ?」
 真城は葉歌の顔、膝元、自分のベッドを順に見る。

 その慌しさに思わず笑いがこぼれてしまった。
「……ボク、いつの間にこっちに?」
「寝惚けてわたしの膝枕が恋しくなったのかしら?」
 葉歌はふざけ口調でそう言った。

 誰なのかは気にかかるが、こればかりはどうしようもない。
 それに、今回の『彼』は優しい思いやりを感じさせるような、そんな印象だった。
 もうしばらくの間なら、大丈夫だろうと……自分に言い聞かせる。

 葉歌の言葉に顔を赤らめる真城。
 葉歌はそれがおかしくて、さらにふふ……と笑う。


 そんなことをしていると、突然、フロントが騒がしくなった。
「す、すいません!こちらに、少女2人と少年1人、宿泊してませんか?!」
「ちょ……つぐたん、落ち着けよぉ。他にもお客さんいたら迷惑だろ?」
 聞き覚えのある声が、ドアを通しているのにはっきりと聞えた。

 葉歌が真城を見ると、真城も同じタイミングでこちらを見た。
 目が合って、一緒に笑う。

 真城はすぐに立ち上がって、部屋のドアを開けに行く。

 葉歌はとりあえず、これで一安心できるなぁ……と壁に立てかけてある枕に体を預ける。

 カチャリ……とドアを開けて、真城が少々怒ったような声を上げる。
「2人とも、うるさぁい!」
 しかし、あちらのほうも宿の主人に教えられて、部屋の前まで来ていたので、その声に驚いたようにきょとんとしていた。

 少々よれよれになった月歌の姿が、葉歌の位置からでも確認できる。

 姿は見えないが、龍世が愚痴を言い出した。
「つぐたん、無茶するんだもん。疲れたよぉ……普通、こんな強行軍で山歩かないよ。しかも、荷物!真城の分に葉歌の分……戒に持たせてたのもあったし。5人分を2人で持った上に、このペースって……本当にありえないから!」
「お疲れ様」
 真城がそれを労うように、2人に笑いかけたその時、ドサドサッと荷物が床に落ちる音がして、月歌が真城の体を抱き寄せ、ぎゅっと包み込んだ。

 龍世の愚痴が止まったのは言うまでもない。
 真城は真城で驚いて固まってしまっている。
 葉歌も……微かに口を開いた状態で、その光景を呆然と見つめることしかできなかった。
 たとえ、体が本調子でも、たぶん、同じ。

「痛い……つっくん」
 なんとか、真城がそんな言葉を漏らして、ははは……と笑いをこぼす。

 場の空気を和らげようと……しているのだと感じた。
 けれど、月歌は安心したように息を漏らして、抱き締めたまま真城の頭を優しく撫でるだけで離しはしなかった。

「よかった……ご無事で。血のついたお守りを見た時は、本当に心臓が止まるかと思いました。お願いですから、無理はなさらないでください」

「つっくん……」

「本当にお願いします。ま、しろ………………様」

 真城は分かったろうか?
 呼び捨てにしようとして、結局呼び捨てに出来なかった兄の精一杯の勇気を。

 葉歌は目を細める。
 ここで咳でもしてみようか?
 不自然じゃない咳ぐらい、自分ならいくらでもできる。
 けれど、それはやめた。
 あまりにも、嫌な小細工だったからだ。

「そうだ、葉歌は?」
 ようやく気が落ち着いたのか、すぐに真城から体を離して、こちらに目を向けてくる月歌。

 葉歌は穏やかに笑みを浮かべて、ヒラヒラと手を振ってみせた。
「なんとか無事でぇす」
 ふんわりとそう言うと、月歌がすぐに部屋の中に入ってきて、背負っていたリュックを下ろし、葉歌の顔を覗き込んでくる。
 顔を見て、ほっと安心したように優しく目を細める月歌。
「よかった……思ってたよりは顔色が良い……」
 はぁぁ……と深く息を吐き出す兄。
 だいぶ張り詰めていたのだろう。
 その嘆息が全てを物語っていた。

 龍世が部屋に入ってきて、真城のベッドに腰掛ける。
「うぁぁぁ……つ〜か〜れ〜た〜……。つぐたんの人でなしぃ。オレだって人間なんだ。休憩無しなんてありえない〜……」
 不満ブーブーなようで、何度もそんなことを言い続ける。
 その様子に葉歌はぷっと吹き出した。
「たっくん、可愛い」
「あ!葉歌はオレのことたっくんって呼ばない約束したのにぃ。たっくんって言うなぁっ!!」
 ビシっと指差し、そんなことを言う龍世。

 静かだった部屋が一気にうるさくなった。

 真城はまだ固まったままでドアのところに突っ立っている。

「こんなところで何をしているんだ?マシロ」
 不思議そうな戒の声。

 葉歌ははっとして、ドアのほうに目をやる。
 真城の横をすり抜け、部屋に入ってくる戒。
 町で着ていた服ではない、真城が着ている民族衣装に似た形式の服を着ていた。
「間に合ったんだな」
 月歌と龍世の姿を確認したのか、ふっと顔をほころばせた。

 優しい目で葉歌のことを一瞥し、手に持っていた布袋を真城に手渡す。

 真城はようやく頭が働きだしたのか、戒から布袋を受け取って、中身を確認する。

「お疲れ様。用事は済んだ?」
「ああ。なんとなくだが、答えが出せた気がした」
「そっか。ねぇ、これ、何?」
「ああ、それは魔力の結晶だ。生命エネルギーの代わりに出来るらしい」
 真城の問いに答え、柔らかい表情を見せる戒。

 その変化に、葉歌だけでなく真城も気がついたようだった。

 戒はカシカシと頭を掻き、部屋を出て行く。
「あれ?戒……」
「部屋を取ってくる。さすがに1部屋に5人は泊まれないだろう」
 穏やかな声だった。

 そのあまりの穏やかさに、熱を確認してくれている月歌の肩越しに、つい葉歌は戒の背中を見据えた。


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