第1章  策士の弱点

「すごい……。ねぇ、璃央。街って色々あるのね?」
 緋橙(ひとう)の国の都市部に位置する波琉(はる)の都のショッピング街で 御影は上機嫌でそう言って振り返った。
 一応目立たないようにという配慮で、璃央も御影も、この国の中流家庭と呼ばれている者たちの服装に合わせてみたのだが、御影の美しさはそれでは隠しきれないようで、すれ違う男達は振り返ってまで、御影の姿に見惚れていた。
 璃央はやれやれ……と声を漏らし、すぐに御影の隣に並び、手を取る。
 触れた手がビクリと反応して、璃央を見上げてくる御影。
 璃央は自分で顔が赤くなっているのが分かって、伏目がちで告げる。
「……ここは、人が多いので」
「え、あ……あ、はい」
 なぜか、御影も恥ずかしそうに俯く。
 けれど、きゅっと手を握り返してきてくれた。
 おかしな話だ。
 それ以上のことなら、いくらでもしているのに。
 こうして、手を繋いで歩くことが初めてだなんて……。

 御影は昔から体が弱かったせいか、街に出たことがないと言う。
 ただ、いつも見る夢の中でキミカゲが買い出しに行っていたから、物は買って手に入れるという知識だけはあったのだそうだ。
 タータンチェックのプリーツスカートをヒラヒラと揺らしながら歩く御影。
 璃央はその姿に優しく目を細めながら尋ねた。
「気に入った店はありますか?」
「店……。えぇと、それが物を売っている所?」
「はい、そうです。ほら、それぞれ趣向が違うのがわかりますか?あそこは子供服のお店で、あそこはケーキの専門店です。それで……おそらくはあそこが婦人服のお店で……こっちが紳士服ですね」
「紳士服……璃央がいつも着ているような服を売っているの?」
「うぅん……少々趣味に違いはありますが、間違いではありませんね」
「そう。ああ、そうね。きっと、璃央が着たら似合わないわ。デザインが渋すぎるものね」
 じーっとお店のショーウィンドウを見つめていたが、納得したように頷いて御影は歩き始める。
 声は本当に柔らかく、今にも笑みがこぼれそうな印象さえ感じさせるのに、御影の顔に笑顔はなかった。

「璃央」

「はい?」

「楽しいわ」
 そう言いながらも御影の顔はほころぶことがなく、璃央は微かに目を細めた。

「そうですか」

「璃央はどう?」

「楽しいですよ」
 ニコリと笑って、御影の頭を撫でる。

 御影はまたもや顔を赤らめて俯く。
 視線を外すように璃央は周囲を見回し、ふと目に留まった店を指差した。
 御影が不思議そうにそちらに目をやったので、すぐに優しい声で言った。
「あの服、きっと、御影様に似合います」
「……璃央って、ヒラヒラした服が好きなのですね?」
 璃央の示す服を確認して、御影は困ったような声を上げた。

 フリルのついた服がたくさん並ぶショーウィンドウ。
 御影が臥せっている間着ていた服も、黒のフリル服だった。
 だからか、御影は余計に勘ぐるように言ってきた。
 欲しがる服を言われるままに揃えたのがはじまりだが、そのうちに璃央は御影にはそういう服が似合うと感じるようになった。
 それだけのことなのに。

「い、いけませんか?」
「いいえ。着てみましょう。その代わり、絶対にきちんと感想を聞かせてくださいね?」
「そ、それは勿論です」
 笑顔を浮かべる代わりに握った手を持ち上げて、きゅっと手を握ってくる御影。
 笑えない代わりに、彼女は懸命に璃央に感情表現をしようとしていた。
 それを感じ取れるから、璃央の胸は切なさで張り裂けそうになる。
 神はどうしてこうも残酷なのだろう?
 御影は……世間知らずだけれど、純粋で思いやりのある、ただの少女なのに。
 どうして、そんな彼女を連れて行こうとするのだろう?
 絶対に死なせない。
 死なせてなるものか……。
 試着しては着替え、試着しては着替えを繰り返す御影の姿を見守りながら、璃央はぎゅっと唇を噛み締めた。




 買い物を終えて屋敷に戻ると、他国からの伝令の兵士2人が璃央を待っていた。
 璃央は御影を部屋まで連れて行くように給仕に言い、すぐに執務を行う自分の部屋に戻る。
 カチャリとドアを開けると、あまり見ない変わった装束を纏った男と、蒼緑の国で見かけた兵士の格好をした男が深く礼をして立っていた。

「……私服で申し訳ないが……急ぎですか?」
「は。私、蒼緑国からの使者として参りました。この手紙を、璃央殿本人にお届けするように……とのことでしたので、お待ちしておりました」
 先に口を開いたのは蒼緑の国の者だった。
 素早く、璃央の元に跪き、仰々しく書筒を差し出してくる。
 璃央は丁寧にそれを受け取った。
「ご苦労様です。それで、返事などは……」
「それは全て手紙の中にあるそうですので」
「……そうですか。わかりました」
「は。それでは、私はこれで」
 深く頭を下げ、素早く立ち上がると、丁寧にドアを開け、部屋の外へと出て行った。

 璃央は書筒を開けもせずに机の上に置き、もう1人の男に視線をやる。
「その姿……東国の方ですか?」
「はい。少々、あなたにお尋ねしたいことがございまして」
 男はスラリと背筋を伸ばし、璃央のことを真っ直ぐ見据えてくる。
 璃央は椅子に腰掛け、穏やかに微笑んだ。
「なんですか?」
「こちらの屋敷に東桜という男がいるという情報を入手いたしまして」
「東桜?その方が何か?」
「傭兵として雇っているのかどうかを教えていただきたいのですが」
「さぁ……屋敷の警備兵などの採用は、僕は関与しておりませんので、そのようなことを言われてもよく分かりませんね。なんなら、今、執事に持たせますが」
「……私はあなたに訊いているのです」
「僕は存じ上げません」
「答え方には気を配ったほうが良いですよ?私は、一瞬であなたのことを殺せる」
 ふっと姿を消したかと思ったら、璃央の首元に小刀を突きつけて、男の声が後ろからした。

 璃央は全く表情を崩さないで笑ってみせた。

「やれるものならやってみなさい。ただし、緋橙の国を敵に回すことを……覚悟しているのならですが」
「…………」
「面倒ごとは好きじゃありません。問題のある男を抱え込むようなことはしませんよ」
「大した男だな」
「生に頓着がないだけですよ」
 璃央は穏やかに言葉を返し、素早く男の体を吹き飛ばして組み伏せようとしたが、逆に璃央のほうが殴られて吹き飛んだ。

 机にぶつかって、笛が転がり落ちる。
 頭が白くなるのを感じて、慌ててフルフルと頭を振った。
 組み伏せるくらいならできるかと思ったが、思っていた以上に身のこなしが速い。
 これは困った……と心の中で呟き、転がってきた笛にそっと手を伸ばした。

 璃央は蘭佳からオーラの見方を教わった。
 それとともに、多少の操り方もだ。
 璃央はオーラを笛を通して発生させるという、応用技を会得していた。
 これによって、香里と智歳にも暗示を掛け、逆らうことがないようにしている。
 催眠術的な力しか使えないかもしれないが、この場を切り抜けるにはそれしかない。

 笛を拾い上げ、口元に持っていく。

 男も素早くこちらへと詰め寄ってきた。

 笛を吹こうと息を吐き出したその瞬間、音が鳴る前に男の体を何かが横から貫いていった。
 璃央は何が起こったのか分からずに目を見開いて、その場に倒れてゆく男を見つめるだけ。

 黒い風がシュ〜……と音を立てて消えるのが見えた。

「璃央……大丈夫?」
 か細い御影の声にはっとして、璃央はすぐにドアのほうへ視線を向けた。
 御影が自分の指先を不思議そうに見つめて立っていた。
「御影様、どうして、ここに?」
「……あなたにスカーフを買ったのに、渡すのを忘れたから……届けにきたの」
 後ろに隠すようにしていた左手に持った包みをちょこんと出して、フラフラとこちらに歩み寄ってくる。

 璃央は男を見つめて唇を噛み締める。
 東桜に何の用があるのか、分からずじまいで殺してしまった。
 まぁいい。東桜はよく働く。
 人を喰ったような態度は気に喰わないが、泳がせておくほうが得策だ。

 御影がすっと璃央の頬に触れ、心配そうに首を傾げる。
「痛そう……平気?」
「ええ、このくらい、なんでも……」
 すぐに笑いかける璃央。

 次の瞬間、血の出ている唇の端を御影が服の袖で拭ってくれた。
「御影様、汚れます」
「大丈夫」
 御影は優しい声でそう言って、スカーフの入った包みを璃央に手渡してくる。
 璃央は体勢を直して、それを受け取り、立ち上がった。

 問題にならないように、この男の体を処分しなくてはならない。
 しかし、その前に、何か情報を手に入れなくては……。

「御影様……外して……」
「っ……!あ、わ、わたし、部屋に戻ります」
 璃央が言おうとした言葉を遮って、御影は口元を押さえ、タタタッと走って部屋を出て行ってしまった。
 璃央はそれが不自然に感じたが、目の前で死んでいる男のことが先だと考え、うつ伏せで倒れている男をひっくり返した。

 装束の胸元を探ってみるが、情報になりそうなものは何一つ入っていない。
 はじめから、こういう状況も見越していたのかもしれない。

 璃央は舌打ちをして、表情を歪める。

 あんな辺境にある東の国を敵に回したところで、大した害はないだろうが、東桜の何についての情報を知りたがったのか、多少は興味があった。
 場合によっては扱いやすくなるかもしれなかったし。
 目を細めて立ち上がり、スカーフの入った包みを机に置き、蒼緑の刻印の入った書筒に手を伸ばす。
 キュポンと蓋を開け、書面を斜め読みするように目を動かした。
 一瞬戸惑うように眉を吊り上げたが、もう1度入念に読み直し、今度はおかしそうに笑い声を漏らす。
「ククク……そうか、死んだか」
 バンッと書状を机に叩きつけ、璃央は企んだような笑みを浮かべて、しばらくの間笑い続けていた。




 御影は部屋に戻り、カーテンをシャッと閉めた。
 体をふらつかせて、バタリとベッドに倒れこむ。
「っけほ……こほ、ごほごほ……!」
 口元を押さえて、咳の声を覆い隠すようにしながら、何度も咳き込む御影。
 何度も何度も苦しげに咳を漏らして、苦しさの余りポロリと涙がこぼれた。
 布団をぎゅっと握り締めて、歯を食いしばる。
「り……お……ごほっ」
 必死に璃央の名を呼び、涙を拭うと、ゴロリと仰向けになって天蓋を見つめる。
 涙がまたこぼれた。
 咳で体が弾む。
「お願い、神様……。わたし、わたしに戻りたい……。わたし……璃央様と、一緒にいられれば、それでいいから……。お願いだから…………」
 か細い声で呟いて、天に手を伸ばす。
 窓も開いていないのに、黒い風が御影を包み始めた。
 苦しそうな息遣いが部屋の中に響く。
「い……や……。わたしはあなたじゃない。あなたじゃないの……!」
 御影の悲痛な叫びは、黒い風に飲み込まれ、決して、璃央の耳に届くことはなかった。


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