第2章 さようなら。会えてよかった 山村の宿屋の一室で、真城が村の人と一緒に畑仕事に行ってしまったので、葉歌はぼんやりと天井を見つめていた。 すると、カチャリ……とドアが開く音がして、葉歌はすぐにそちらに目をやる。 そこには、戒が立っていた。 部屋の中をキョロキョロと見回し、何も言わずに出て行こうとするので、葉歌はそれを呼び止める。 「仏頂面……少しは変わったのかと思ったのに。何の用?」 「マシロは?」 彼特有のアクセントの違う呼び方に葉歌は目を細めて、すぐにため息を吐く。 「畑仕事に行ったわよ。食材がタダになるって喜んでたわ……」 「そうか」 葉歌の言葉に頷いて、すぐに戒は部屋を出て行こうとする。 感謝するの一言もないことに、葉歌は少しむかっとして、また呼び止めた。 「ちょっと待ちなさい」 「なんだ?」 「暇よ。相手しなさい」 ゆっくりと起き上がって、戒に手招きをする。 戒はそれを見て困ったように目を細める。 けれど、挫けずに葉歌が手招きをしているので、戒はこちらへと歩み寄ってきた。 葉歌はよいしょと声に出して壁にもたれかかると、戒を見つめる。 「暇と言っても、僕はお前の相手を出来るような人間じゃないが」 「お礼くらい、言わせてもらおうかと」 「礼?」 「薬草、採りに行ったらしいじゃない。持って帰ってきたのは意味不明なものだったけど」 「あれは……湯に溶かして飲むんだ」 「あんな得体の知れないもの、飲めるか……っけほ……」 「大丈夫か?」 「ええ、平気。あなた、休みも取らずにご飯も食べてなかったみたいだって真城が言ってたけど、本当?」 それでここ2日ほど眠りから覚めなかったと聞いて、葉歌は葉歌で一応心配していたのだ。 それなのに、目の前の男は何ともないようにしれっとした顔。 「別に必要に迫られなければ、睡眠も食事も要らないんだ、僕は。前も言っただろう?摂れる時に摂る……と」 「ほんっとうに生活感のない男ね……」 葉歌は呆れて、はぁ……とため息を吐く。 戒がカシカシと頭を掻き、窓の外に目をやった。 そこで葉歌の目がある箇所に向いたまま止まった。 戒の頬を血が伝っている。 戒は気がついていないのだろうか……? 葉歌はすぐに口を開く。 「血、出てるわよ」 その言葉に、戒は全く頓着しないようにグイと袖で頬を伝う血を拭い、 「気にするな。そのうち、塞がる」 とぼそりと言った。葉歌はヒクヒクと口元を歪ませて、すぐに自分のバッグを指差す。 「救急セット。その中だから取って来て」 「?」 「手当てしてあげるから。血流しながら歩いてたら怪しいでしょ。全く……真城も、あなたも……」 1人イライラしてぼやく葉歌。 戒は言われるままにバッグを持ち、こちらへやってきた。 少々訝しげに葉歌のことを見つめている。 「なに?」 刺々しい声。 戒は困ったように目を細めて、髪をカシカシと掻く。 「イライラすると疲れるぞ」 「してないわよ、イライラなんて」 いや、イライラしていると言いたげな顔で手渡してくるバッグを葉歌は乱暴に受け取って、ボタンを外し、中から救急セットを取り出す。 「ほら、座って」 「…………」 葉歌がポンポンとベッドの端を叩くと、戒は何も言わずに背を向けて腰掛ける。 葉歌は体をしっかりと起こして、戒の頭に触れる。 傷がどこにあるのか、分かりづらい。 「あなた、なんで怪我したの?」 「……山賊に襲われただけだ……」 「え……?」 葉歌はその言葉にやっと見つけた傷に触れたまま、手を止める。 痛かったのか、戒がそっと体を動かす。 「早くしてくれ。僕は、手当ては苦手だ」 「え、ええ」 葉歌はすぐに綿に消毒液を染み込ませて、傷口に押し当てる。 沁みたのか、ピクリと体が動いたのがわかった。 葉歌は何も言わずに、手だけを動かす。 他に怪我がないか、確認してみる。 戒は放っておくと何も言わなそうだからだった。 全く、どちらが病人か分からない。 「怖いんじゃなかったか?」 戒が唐突にそんなことを言った。 葉歌は意味が分からずに首を傾げる。 「どういう意味?」 「僕の、力だ」 「……ああ、あれか。怖いわよ」 葉歌は熱のせいでうっすらとしか覚えていない、記憶を引き寄せて目を細めて答える。 「怖いけど、別にそれだけ。恩があるから、その分を返すわ。これは……村まで運んでくれた分……ね」 「僕はあまり喜んでないが」 そうボソリと言う戒の頭をガシンと叩く葉歌。 戒は痛かったのか、ビクリと体を弾ませた。 「……全く。ガーゼを当てて、包帯巻いとくけど、解かないでよ?」 「……マシロの時とは偉い違いだな」 「なに?もう……お願いだから、こんな怪我はしないで?とでも言って欲しい?」 戒の指摘に、葉歌は真城に語りかけるような優しい声を発してみせた。 戒がこちらを向いておかしそうに鼻で笑った。 「やめろ」 「でしょ?」 葉歌はその戒の声に、満面の笑顔を返す。 すぐに戒の顔の向きを変えて、包帯をグルグルと頭に巻き始める。 頭に包帯を巻くのはあまり慣れていなくて、少々悩みながら手を動かす葉歌。 なんとか形になって、最後にキュッとこめかみのあたりで結び目を作った。 「はぁ……終わり。やっぱり、ずっと動かないうえに、本も無くて暇なせいね」 「何がだ?」 「イライラすんのよ」 「やっぱり、そうなんじゃないか」 戒は首をコキコキと動かしながら、ベッドから腰を上げると、おかしそうに口元を吊り上げていた。 葉歌はそれを見上げて、うぅん……と唸る。 「やっぱり、あなた、何かあった?」 それが不意に出た言葉。 「別に」 戒はいつも通りの仏頂面でそう言い、後ろ手を振りながら、部屋を出て行く。 葉歌はゆっくりとドアが閉まるのを見送って、それからすぐにはっとする。 「お礼……言ってないし……」 自分で自分に呆れるように笑いをこぼし、そのままゆっくりと布団に体を埋めた。 この時、葉歌は気付かなかった。 戒の心の中に、決意があったことを。 真城にさよならを言いにきたのだということを。 畑からナスやトマトを収穫して、頭にタオルを巻いた真城がニコニコと笑みを浮かべる。 トマトは嫌い。 でも、これがミートソースやナポリタン、ミネストローネの元になる。 それを考えると、この赤い輝きも、それほど嫌ではない。 顔に土がこびりついていることなんて気がつきもせずに、手伝った村の人からたくさんの野菜を貰い受けて、真城は朗らかな表情で深く礼をした。 「兄ちゃん、うちの娘の婿になんねぇかい?これだけ稼ぐんなら、働き手にこまらねぇしよぉ。しっかも、男前だし」 村人の1人が冗談交じりの口調でそんなことを言うので、真城はあはははと笑い声を返す。 完全に少年だと思われているが、まぁ、別にいいやと話を合わせる。 すると、別の畑で手伝いをしていた月歌がコホンと咳払いをした。 さすがにダブルスーツで畑仕事ともいかないので、町で買っていたYシャツとブラックジーンズ姿でキュウリととうもろこしを籠に入れている。 手伝いが終わったのか、その籠を村人に手渡し、こちらへと歩いてきた。 「申し訳ありませんが、この方は女性です」 「つっくん、いいよ、そんなことは……」 「ああ、女の子かい?ああ、そうか。道理で肌のキメが細かいと思ったよぉ。だっはっはっはっは」 月歌の指摘も特に気に留める様子も見せずに豪快に笑い飛ばすと、今度は 「じゃ、息子の嫁に来てくれや。うちの息子、性格だけはいいぞぉ」 と楽しそうに言った。 真城はそのおじさんの笑顔に、白い歯を見せて笑い返すが、月歌は冗談が通じにくいタイプなため、明らかに気分を害した顔で、真城の手を引いて歩き出した。 真城は落ちそうになる野菜を器用にバランスを取って支え、すぐに月歌を注意する。 「ちょっと、つっくん、失礼だよ」 「お嬢様は、これから先、汚名を返上して、もっと高貴な方の元にお嫁に行くのです。何を馬鹿なことを……」 月歌の言葉に若干目を細めて、やっぱり、あれはただの心配かぁ……と心の中で呟く真城。 2日前の晩、いきなり抱き締められて固まってしまい、その後も、それらしく尋ねる機会を逸してしまっていたが、もう尋ねる必要もなくなってしまった。 真城はすぐに月歌の進んで行くのを止めて、ドウドウと馴らすように笑いかける。 「冗談じゃないか。気の良いおじさんの冗談」 その真城の笑顔を見て、月歌はふぅ……とため息を吐く。 いつもオールバックにしている髪が今日は全く固められておらず、前髪がフワリフワリと風になびいた。 真城の頬についた土をパッパッと優しく払い、持っていた野菜を奪い取るように持ってすぐに歩いていってしまった。 「ちょ……月歌〜……」 真城は戸惑ってそんな声を上げたが、月歌は振り返ってはくれない。 「なんなんだよ……。全く、頭堅いんだから」 でも、そんな彼が好きなのだろう?とでも訊くように、風がフワリフワリと真城の髪を撫でていく。 「そんなんじゃないよ……もう……」 唇を尖らせて、誰に言うのかひとりごちる。 そして、1人でとぼとぼ……と歩いていると突然大きな声で呼び止められた。 「ちょっと、君!待ちなさい!!」 あんまり大きい声だったものだから、真城はビクリと肩を跳ねさせて、クルリと振り返る。 村の入り口に、紫音が立っていた。 村にいた時とほとんど同じ格好。 驚いて呆然としていると、紫音のほうから駆け寄ってきた。 「こんなところで何やってるんだい?……真城くん……」 村の人のことを気にしてか、名前を呼ぶときだけ小声だった。 真城はそれがおかしくて笑う。 「この村では真城で通してますから平気ですよ」 そう答えると、紫音はそうなんだと笑い、すぐに真城が歩いていこうとしていたほうを指し示し、歩き始める。 「元気そうでよかったよ」 「ははは。それはこっちの台詞ですよぉ。手紙が3ヶ月経ってやっと来たので、しごかれてるのかと思いました」 「うぅん……まぁ、はじめの1ヶ月はハードだったよ。無事に会えて嬉しいな」 真城の言葉に、紫音は苦笑しながらそんな言葉を口にし、握手を求めてきたので、すぐに真城は紫音の手を握る。 線の細い顔とは違い、手は大きく、指も長かった。 「それよりも、なんでこんなところに?」 「あ、葉歌の具合が良くなくって……ここで養生中なんです」 「ああ……葉歌さんもいるんだ?体が弱いのに平気?」 「なんとか……」 真城は紫音の言葉に目を伏せて、心配そうに眉をひそませる。 けれど、すぐに気を取り直して尋ねる。 「紫音先輩は、どうしてここに?」 「ん?ちょっと、知り合った人と会う約束をしていてね」 「会う……約束?」 「うん、来栖さんっていうんだけど」 紫音の口から飛び出すとは思っていなかった名前に、真城は目を白黒させて聞き直す。 「来栖?」 「うん。知ってる?」 紫音は朗らかに笑って、真城の顔を覗き込んでくる。 真城は知っているには知っているけど……と言葉を濁したが、宿の前に立っている戒を見て、なんとなく、嫌な予感が胸を締め付けた。 風緑の村に訪れた時の服を着て、頭には包帯を巻いている。 手には少ないながらも彼の荷物があって、その中には葉歌のために取ってきた魔力の結晶が入った布袋もあった。 「来栖さん!」 紫音は溌剌とした声で戒に手を振る。 戒は待ちわびていたかのように、こちらへと歩み寄ってきた。 真城は2人の顔を見比べる。 「マシロ、魔力の結晶……ハウタは飲みたがらないが、5粒ほど置いていく。何かあったら飲んでくれ」 「う、うん……。ど、どこかに行くの?」 真城はもうわかったような気もしたけれど、一応尋ねる。 戒は優しい顔で笑い、 「国に帰るよ」 と静かに言った。 ドクンドクン……と胸が騒ぐ。 その心臓の音に対して、うるさいな……と心の中で呟く。 突然のことで、状況を整理しきれない。 「シオン」 「はい?」 「僕の本当の名は、戒だ。緋橙の国から指名手配を受けている」 「え……」 ニコニコと笑っていた紫音がその言葉に表情を曇らせる。 クシャッと前髪をかき上げ、冷静になろうとしているのか、うぅん……と唸った。 「見逃しても……いいんですけど……」 真城がとても不安そうな顔をしていたのだろう。 紫音は優しく笑ってそんなことを言った。 戒が目を細めて首を振る。 「お前はそんなヤツじゃない。いつでも、物事を冷静に判断できる男だと……僕は踏んだ。捕らえてくれ。これが、一番早く緋橙に……いや、御影の元に戻れる方法だ」 また、『みかげ』……? 東桜との会話で出てきた『みかげ』という名。 それを、戒がまた発した。 真城の中で何かが引っかかる。 行かないでと言えばいいのだろうか? でも、戒は答えが出せたと言っていた。 それが……これならば、真城は止めてはいけない……。 紫音がゆっくりと戒の腕を掴む。 「指名手配犯・戒を捕縛……。今より、近くの輸送施設まで送り届けます」 冷静な声で紫音は言い、すぐにクルリと振り返った。 「世話になった。今まで旅を楽しいと思ったことはなかったが、お前たちとの旅は、楽しかった。他のヤツらにも……よろしく言っておいてくれ。あと……ハウタに、手当て、感謝すると」 そっと手を差し出してくる戒。 初めて言葉を交わした時は、目さえ合わせてくれなかった彼が、自分から握手を求めてきた。 それだけで……涙が溢れてくる。 真城はグシッと涙を拭って、戒の手を握る。 戒の手は大きくて、指の節がしっかりとした……男の手だった。 「バカ、泣くな」 「だって……」 真城は止められない涙を隠そうと俯くが、余計にポタポタと涙が落ちてしまう。 戒が困ったようにため息を吐く。 「僕が帰れば、お前の汚名も晴れる。ハウタを村でしっかり養生させてやってくれ。……あと、いい騎士になれ。人を殺せないお前だからこそ、護れるものがあると思う」 優しい声でそう言って、紫音が離してくれた手で、優しく真城の頭を撫でる。 真城はいつもは必死に溢れてくる涙を止めて、戒の顔を見た。 刻み込まなければ。 この顔を……刻み込まなければ。 忘れないために。 そのためには、曇った目では何も見えない。 ぐっと奥歯を噛み締める。 それを見て、戒が優しく笑った。 「僕は、僕として生きるために、しっかりしないとならないことがあるんだ。真城、お前に言うことはないが、絶対に……戦場で命を落とさないでくれ。それが、僕の希望だ」 いつもくぐもった声で話す彼が、こんな時だけハキハキ話すから、余計に泣けてきた。 真城は一生懸命、首を縦に振る。 ニコリと……笑みを浮かべて、真城も伝える。 「また……また会おう?約束。約束だよ、戒」 戒の手をギュッと握り締めて、真城はそう告げた。 風がフワリフワリ……と周囲を漂う。 その風に戒は目を細める。 「この国の風は……聖なる輝きに満ちている。そんな国だからこそ、築けるものがある……」 戒のほほを涙が伝った。 真城は驚いて目を見開いて、それを見守った。 「救世主は、最期に何を願ったろう?僕は……僕の魂は、ずっとずっとそれを考えていた。ずっとずっと考えても分からなかった……。あかり様は、優しい方だったけれど、世界の平和を願えるほど、大きなものを見られる方じゃなかった。本当は、辛かったはずだ。本当はとても繊細な方だったから。けれど……いつも満たされたように笑うから、僕はそれに気がついてあげられなかった。傍に……大切な人が2人もいたのに。どちらの不安にも、気がついてあげられなかったんだ。そのくせ、僕は人に救いを求めてばかりで……それは甘えでしかないのに。それをどこかで許されると思っていた自分がいた。自分は関係ないと、言うのはやめにする。目の前に困っている者がいたら見過ごせない……お前の真骨頂を見習うことにしたんだ。さようなら、会えてよかった」 優しく笑い、そっと真城の手から戒は手を離す。 紫音を見上げて、ゆっくりと歩き出す。 だから、真城は2人が見えなくなるまでそれを見送った。 風が戒を追うように駆け抜けていく。 真城は……涙で火照った頬を、自分の手で包み込んで冷やした。 このことをみんなにどう伝えればいいのか。 少しだけ悩みながら、真城は宿へと一歩を踏み入れた。 |
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