第3章  次の任務です

 部屋に戻ると、葉歌が薬を飲んだのか、苦々しい臭いが室内に広がっていた。

 キッチンには月歌の姿。

 すぐに葉歌に歩み寄って、顔を覗き込んだ。
「具合悪くなったの?」
「いいえ。兄ぃに無理矢理飲まされただけ」
「無理矢理って……」
「なんか、不機嫌なの。全く。一応、病人なのに」
 葉歌は月歌の背中にベーッと舌を出してやり、ふぅ……とため息を吐く。

 そして、すぐに真城の目が赤いのに気がついて、首を傾げた。
「どうしたの?まさか、兄ぃに襲われた……?!」
 葉歌は月歌に聞えないようにすごい小声で驚いてみせる。

 大慌てで真城はブンブンと首を横に振った。
「それは絶っっ対にないよ!!」
 葉歌は小声だったのに、真城は思い切り大声で否定する。
 葉歌は素早く耳を押さえて、真城の顔を悪戯っぽく見上げた。

 月歌が洗うのをやめてクルリと振り返った。
「どうかしましたか?」
「や、なんでも」
 真城は素早く月歌に対して首を振ってみせた。

「そうですか。あ、今日はミネストローネでいいですか?トマトの艶が何とも言えないのくらい素晴らしいので。それに、戒くんもようやく目を覚ましたようですから、いっぱい食べてもらいましょうね」

 葉歌が言ったような不機嫌さなどどこ吹く風、月歌は穏やかに微笑んで、洗ったばかりのトマトを顔の横まで上げて見せてきた。
 その表情はとても素敵だったのだが、真城は『戒』という単語が出てきて、目を伏せる。

 そして、口を開こうとしたその時……
「大変だよぉぉぉ。戒がシオちゃんに連れてかれたぁぁぁっっ!!」
 と、龍世が叫びながら部屋の中に駆け込んできた。

 相当急いで戻ってきたのか、ゼェゼェと肩で息を切らして、ドアにもたれかかってズルズルと座り込んでゆく。
 真城は唇を噛み締めて、その姿を見つめた。
 月歌が驚いたように眼鏡を掛け直すのが見えた。
 けれど、特に動じた様子はない。
 どちらかと言うと、動揺を見せたのは葉歌だった。

「え?どういうこと?たっくん。というより、なんで、こんな所に紫音くんがいるの?彼は国境警備でしょう?」
「知らないよ、そんなこと!オレが見たのは戒がシオちゃんと一緒に歩いてくとこだけだもん!!つーか、葉歌はたっくんって呼ぶなぁぁ!!」
 ゼェゼェ言ってるうえに、全ての質問に答えるように思い切り叫んだので、龍世は必死で酸素を肺に供給している。

 真城は唇を噛み締めて、どう言おう……と心の中で呟く。

 すると、葉歌がその様子を目ざとく察して、真城の服をちょいちょいと引っ張った。
 真城はすぐに葉歌を見下ろす。

「ご高説願いましょうか?」
 ニコリとスマイルプラス。

「あ……あの……」
 真城はどもりながらも口を開く。

 月歌も龍世も葉歌のベッドまで歩いてきて腰掛けた。
 なので、真城も自分のベッドに腰掛け、戒の決断を分かる範囲で話した。



 紫音が夜になってもう1度村を訪ねてきた。
 少々気まずそうな顔をして、月歌が作ったミネストローネを口に含む。
 あまりに気まずそうなので、月歌が優しく笑いかけて、カップに牛乳を注いだ。
「まぁ、そんなに堅くならないでください。ほら、せっかく久しぶりに会ったんだし、積もる話もあるでしょう?私は兵士の仕事ってどんなものがあるのか、結構興味がありますね」
「へぇ、あんた、兵士さんなのかい?大変だろうねぇ、この辺りの警備は」
 宿屋の主人もミネストローネを美味い美味いと食べながら、紫音に話しかけた。

 月歌が来てから宿屋の主人にもご飯を振舞うようになって、食べる場所はフロントの前に置かれているテーブルだった。
 葉歌はまだ歩くほどの力はなかったが、椅子に座って食事を取ることはできるほどまで回復していたので、上品に食べながら、紫音を見つめている。
 龍世はあれだけ大騒ぎしておいて、真城の話でほぼ納得したのか、すごい勢いでバクバクとミネストローネを口に運んでいた。
 龍世は子供ながらに人は人、自分は自分……という考え方がしっかりしている。

 真城はまだ割り切れていないため、少々食が進まなかった。

「真城様、お口に合いませんか?」
「え?ううん、美味しいよ。ボク、ミネストローネ、大好きだし……」
 月歌の問いに笑顔を返して、懸命に一口一口平らげていく。

「紫音くん、この村のパンね、美味しいのよ?たぶん、このミネストローネにもよく合うと思うわ」
 葉歌がニコリと笑って、パンの入った籠を紫音のほうへ差し出した。

 紫音はその笑顔でようやく気が楽になったのか、コクリと頷いて、パンに手を伸ばし、ミネストローネをパンにつけて食べ始めた。

「……あの、たぶん、戒さんの送還が済み次第、真城くんの指名手配も……解かれると思うので、もう少しだけ……我慢してくださいね」
 いつもは歯切れのいい紫音がどもりながら話している。

 それが妙におかしいのだが、正直、真城はこういう形で指名手配が解かれるという状況を望んでいたとも言い難いので、うまく笑えない。
 月歌は一通り行き渡ったのを確認してから、ゆっくりと椅子に腰掛け、パンに手を伸ばした。

 隣に座っている真城の皿に2個パンを乗せ、
「葉歌に回してもらえますか?」
 と優しく言った。
 おそらく、彼なりに気遣ってくれているのだと思う。

 真城は葉歌に1個パンを渡し、自分もパンにかぶりついた。
「みなさん、おなかはいっぱいにしてくださいね。空腹は……気持ちを暗くしますから」
「そうそう。腹いっぱいだと余計なこと考えないもんねぇ♪戒はさ、物食わないから、あんないっつもボソボソ喋りだったんだよ」
 龍世が月歌の言葉に同調して朗らかにそんな言葉を付け足す。

 宿屋の主人もうんうん……と頷く。
「そうそう、飢えは怖いよ。今年は豊作で、村のみんなもほっとしとる」
「そうですね。この国は周囲の国より豊かだと聞きます。難民の方々を養うことができるのも、そういった豊かな大地と農地を耕す国民がいるからですし」
 紫音もうんうんと頷き、ミネストローネを口に運ぶ。
「こうして食べられることを……ありがたいと思わなくてはいけないんです」
 紫音のその呟きはしっかりと食卓の中でも残った。

 葉歌がそこで静かに呟く。
「遠瀬くんは……カヌイの民だから、きっと食べずに過ごすことが多かったのね」
「葉歌……」
「だって、そうでしょう?流浪の民で、迫害されてたから、きっと食糧だって手に入れるの大変だったわ」
「葉歌、いつも、そのこと気にしてた?」
「……だって、美味しいとも言わない、不味いとも言わない。それなのにたくさん食べてくれるから、作り甲斐があるんだかないんだかわからないご飯は初めてだったんだもの」
「そっか、やっぱり葉歌は凄いなぁ……」
「彼、あなたに感謝してたんでしょう?それなら、あまり暗い顔はしなくていいと思う」
 葉歌はミネストローネを口に運び、横目で真城を見ながら、そう言ってくれた。

 真城はそれにコクリと頷いて、空になった皿を月歌に差し出す。
「つっくん、おかわり」
「え?あ、はい。どんどん食べてくださいね」
 皿を受け取って、ニコリと笑う月歌。

 嬉しそうに立ち上がって鍋を置いている部屋へと歩いていった。

 葉歌がおかしそうに笑う。

「全く、両極端なんだから……」
「ごめん……。でも、今日、寝ないでやりたいこと出来たからさ」
「え?」
「忘れないうちに……戒の顔でも描いておこうかなって思って」
「あ、真城くんお得意の絵ですか?僕は明朝発つつもりでいましたけど、それまでにできるかな?」
 紫音が穏やかに笑って期待しているような顔をする。

 真城は自信なく首を傾げながら、宿の主人に尋ねる。
「うぅん……たぶん。おじさん、紙と絵の具、ありますか?」
「ん?ああ、息子が使ってたのが、どこかにあったはずだ。あげるよ」
「え?いえ、貸してもらえれば……」
「いや、いいんだ。もう……使う人がいないから、貰っておくれ」
 宿の主人は寂しげに目を細めて笑うので、真城はなんとなく察して何も聞かずに頷く。

 月歌が戻ってきて、真城の前に湯気の立ったスープ皿を置き、すぐに龍世に尋ねる。
「たっくん、おかわりは?」
「モチ、いる!!」
 問いかけと同じくらいのタイミングで、バッと皿を手渡され、月歌はおかしそうに笑いながら、また部屋へと戻っていった。

 夕食後、真城は葉歌をベッドに横たわらせてすぐに、フロントのテーブルを借りて絵を描き始めた。
 はじめのうちは興味深そうに見つめていた龍世はすぐに飽きたのか、寝ると言って部屋へと戻り、紫音も明日早いからと部屋へと戻っていった。

 月歌だけ、ずっと欠伸ひとつせずに、真城が絵を描いている姿を眺めていた。
 窓の外が白み始めて、宿の主人が起きてくる頃に、ようやく真城の絵は完成した。
 それは旅の途中に決してなかった、みんなと過ごす食卓を楽しんでいる戒の笑顔だった。




 戒は輸送用の馬車に揺られて眠りについていた。
 腕も足も暴れられないように鎖で留められ、少々窮屈だったが、彼にとっては眠りを妨げるほどのものにはなっていなかった。

 眠っている戒の意識を誰かが揺り起こす。
 目をこすることも出来ない戒は何度も瞬きを繰り返して、ようやくクリアになった視界に立っている小柄な少女を見て驚いた。

 青い髪の……年の割にあどけない顔の少女。

 ぼんやりと柔らかい光を発して、戒の頬を撫でるような仕種をする。

『キミカゲ』
「あかり……様?」
『キミカゲ……ごめんなさい』
「え?」
『目覚めることも出来ずに……あなたに押し付けてしまってごめんなさい』
 悲しそうに目を細めて、戒の頭を愛しそうに抱き寄せる仕種。

 戒は少し頭が柔らかい感触に包まれたような錯覚を覚える。
『もう少し、待ってちょうだい』
「何をです?」
『あの子は……自我が強すぎて、今、わたしは目覚めることが出来ない』
「…………」
『もう少し……もう少し、時間が必要なの……。わたしも……頑張るから……も……す……ま……』
「あかり様?」

 口は動いているのに、声が聞えなくなった。
 戒は首を傾げる。

 すると、見る見るうちにあかりの体を覆っていた柔らかな光に、黒い光が混じり始めた。

 戒は目を見開く。

 あかりはその光に怯えるように体を強張らせて、ふっと消えていった。
 今まで傍にいたあかりのことを考えながら、戒はため息を吐く。

「あかり様、目覚めなくていい。あんな悲しみを、思い出さなくていい」
 鎖で繋がれた腕を頭に引き寄せて、誰にも聞えないほどの呟きで戒はそう言った。

 戒の中には出来上がっていた。
 死んででも、御影の中の『御影』を止める覚悟が……。




 町の宿の一室で東桜はグルグルと腕を回し始めた。
「ぼちぼち行くぜぇ」
 にぃっと不敵に笑い、首をコキコキと鳴らす。
 東桜の傷の回復力は通常よりも早く、蘭佳も昨日は驚いていたが、別に東桜はなんとも思いはしない。
 鍛え方が違うのだ、彼にとっては当然のことだ。

 そこに蘭佳がカチャリとドアを開けて入って来た。
 智歳は相変わらず香里を寝付かせて、そのまま、あちらの部屋で眠ってしまったようで戻ってこなかった。

「よぉ、ランカ。早ぇな」
「戒が捕まったそうです」
 大きな声で挨拶をする東桜に蘭佳は顔色1つ変えずにそう言った。

 東桜はヒュ〜……と口笛を鳴らして驚いたように目を泳がせる。

「へぇぇ……マシロちゃんの情にでもほだされたかねぇ」
「よくはわかりませんが、これで1つ任務が減りました」
「ああ、だいぶ遅れちまったが、どこに行くんだっけ?」
「関所を抜けた、山の中にある風車に囲まれた塔です」
「へいへい」
 スラスラと述べる蘭佳に東桜は思い出したように広い顎を撫でて頷く。

 蘭佳はそこでようやく少しだけ表情を柔らかくした。
「それと、璃央様から緊急で連絡が入りました」
「なんだ?」
「智歳と香里とは別行動になります」
「お子ちゃま2人でどうするんだ?」
 東桜は腑に落ちなくて、思ったままに尋ねる。

 蘭佳は少々心配そうに目を泳がせたが、すぐに付け足す。
「王の葬儀に参列する用向きができました」
「王?」
「この国の王が亡くなったようです。それで、智歳と香里に、国の代表として参列するようにと」
「おいおい、王様の葬儀に、あんなお子ちゃま2人なんて、舐めるにも程が……」

「璃央様も来られます。問題はないかと。次期軍司令官候補、次期国王候補ですから」
 誇らしげに蘭佳は言い、東桜はその様子を見て面白くなさそうに目を細める。

「ふぅん……ま、俺は別に知ったことじゃないが」
「これによって、我が国の戦局は大きく変わります」
「国の利益の問題はよくわからんが、面倒ごとが好きだねぇ、璃央ちゃんは」
 東桜は顎を撫でながら、窓の外に目をやった。
 日が昇り、爽やかな青空がそこには広がっていた。


≪ 第6部 第2章 第6部 第4章 ≫
トップページへ戻る


inserted by FC2 system