第4章  全てはあなたのために

 蘭佳は昔から頭もよく、テキパキとしており、ピアノを弾くのがとても上手だった。
 少々愛想がなかったが、彼女の美しさはそれによって逆に映え、周囲の人々は羨望の眼差しでそれを見つめていた。
 ある時、国の上流家庭の子がこぞって参加するピアノの演奏会で、蘭佳は最優秀賞という栄誉を王より直々に戴いた。
 蘭佳は会が終わって家へと帰り、父親にこのことを告げようと流行る気持ちを抑えながら、部屋の前まで歩いていく。
 愛想のない彼女が、嬉しそうに顔をほころばせて、ドアをノックしようとしたその時、部屋から会話が聞えてきて、ふと手を止める。

「いや〜……本当に、蘭佳様には驚かされますね。今回の演奏会、参加メンバーの中で最年少だそうですよ。そんな中で最優秀賞。しかも、王直々に戴くことなど、そうそうないことですよ。素晴らしい娘さんをお持ちで羨ましい」
「いやいや。そんなことはありません。どうも、あれには愛想が欠けておるから」
「落ち着きがあっていいじゃないですか。聡明でしっかりされている」
 父親ともう1人……いつも、父の腰巾着のようにくっついて回っている男の声。

 トクントクン……と胸が鳴る。

 父でも、自分のことを誉めるような言葉を口にしてくれるのだろうか?

 そんなことを考えながら、そっとドアに耳を当てる。
「まぁ……あなたのような家庭であれば、これで優秀なんでしょうな」
「……と言いますと?」
「我が一族は頭が良いよりも、ピアノが弾けるよりも、オーラを操る力に秀でてなくてはならないのです。その点で言わせてもらうと、蘭佳は『落ちこぼれ』なんですよ」
「おち……」
「ええ。オーラの色は薄いし、力の加減も不安定。本当に欲しいものを持たぬ長女など……」

 蘭佳はそこでドアから耳を離した。
 いつも厳格で、蘭佳のことを誉めることもない。
 その父の……本音を聞いてしまった。

 蘭佳は握り締めていたトロフィーを更に強く握り締めて、蘭佳はドアから離れる。

 涙がツー……と頬を伝って、ゆっくりと自室への廊下を歩く。

「お姉様?おかえりになったのですね?ききましたよ!王様から賞をいただいたって」
「鈴佳(すずか)……」
「やっぱり、すごいです♪また、お姉様のこと、ジマンできるわ」

 目の前で朗らかに笑う妹。
 眠いのを我慢して姉の帰りを待っていたのか、寝巻き姿でペタペタとこちらに歩み寄ってきた。
 蘭佳は持っていたトロフィーを鈴佳に手渡して、トロフィーをマジマジと見つめて喜んでいる妹の頭を優しく撫でた。

 蘭佳と同じ桜色の髪。
 表情は蘭佳と違ってあどけなく、賢いとは言えないが、愛嬌のある朗らかさが……妹の魅力だった。

「お姉様?泣いてるの?」
「いいえ、なんでもないわ」
 蘭佳は穏やかな声で答えて、妹を部屋まで送る。

 ベッドに横になった妹に布団を掛けてやり、もう1度妹の髪を撫でて、
「おやすみ」
 と声を掛け、部屋の外へと出た。

 妹はいつも姉の後ろをパタパタとついてくる……そんな子。
 けれど、妹には才能があった。
 一族の中で求められる、蘭佳が欲してやまないオーラを操る力が……。





 璃央の秘書として仕え始めてすぐに、璃央が興味深そうに蘭佳の能力について尋ねてきた。
「蘭の力は、この国ではとても貴重なものだと聞く。その力は、他の者には扱えないのかい?」

 優しい笑顔に寂しげな眼差し。
 それは彼に初めて会った時と同じ目。
 蘭佳を呼びながらも、蘭佳を捉えていないようなそんな目。

 蘭佳は璃央の問いに、首を横に振ってみせる。
「いいえ。この力は、誰にでも備わっているものです。ただ、気が付かないだけで。私の一族は、その感覚を生まれながらに持っている……それだけのことですよ」
 物静かな口調でそう言い、ぼんやりと手の平からオーラを出す。

 不安定だけれど、淡くて綺麗な光。

 璃央はその輝きを見つめて、何か考え込むように目を細める。

「オーラというのは……」
「はい?」
「香里が集める生体エネルギーと、違うのかな?」
「…………。持論で構わなければ、お話し申し上げますが……」
 蘭佳はそっと前髪をかきあげて、ゆっくりと璃央に歩み寄り、椅子に掛けている璃央の肩に触れた。

 璃央はただそれを見つめている。
 ドキドキと自分の胸は脈打つが、そんなことに璃央が気が付くわけもない。

 ぼんやりとした輝きを、手の平から発して、璃央の体へ注ぎ込むようなイメージを浮かべる。

「……わかりますか?」
「え?」
「体に、何かが流れ込んでくるような感覚です。感じませんか?」
「あ、ああ……そういえば、少し体が楽に……」
 璃央が確かめるように目を閉じてそう言ったので、そこで蘭佳はすぐにオーラを切った。

「そうです。生体エネルギーとオーラは、扱いが違うだけで同質でございます。オーラは、生体エネルギーを実用的なものに練り上げたもの……と考えていただければ。戦闘に長けた方も、無意識の内にオーラを内に練り上げている場合が多いです」

「なるほど……。では、香里のようにエネルギーを分け与えることも、オーラさえ扱えればできるようになるだろうか?」
 スラスラと自説の理論を述べていく蘭佳に感心しながら、璃央はずっと考えていたことなのか、すぐにそう尋ねてきた。

 その問いに蘭佳はにわかに眉をひそめる。
「…………。出来ないことではありませんが、もしかして、御影様に?私はそういうことでしたら、賛同しかねます。自分の体のエネルギーを相手に与えるのは、香里を見ていても分かるとおり、あまりいいことではありません。あの子の体は、そういうことにもある程度耐えうる仕組みになっているようですが、璃央様はそのような体ではありません」

「…………。仮に……の話さ。ありがとう」

 璃央は誤魔化すように笑みを浮かべて、そっと机に肘をつく。

 蘭佳はその横顔をただ静かに見つめていた。

 その眼差しには「仮に……」という言葉など吹き飛ばしてしまうほどの真剣さがある。

 きっと、そのうち自分は彼にオーラの扱い方を教えることになるだろう。
 願わくば、彼にその素養がありませんように……。
 蘭佳はそんな願いを胸に抱いたまま、きゅっと唇を噛み締めた。

 程なくして……璃央は蘭佳の予想通りにオーラの扱い方を教えてくれないかと言ってきた。
 悲しいことに、彼はオーラの素養に恵まれており、蘭佳に教えられることならばすぐに吸収してしまった。

 そして、蘭佳は知っていた。
 ほんの、本当にごくごくたまにだが、璃央が御影にオーラとして練成したエネルギーを分け与えていることを……。
 また、香里や智歳に催眠術を掛けるために笛を吹いてオーラを浴びせかけていることを……。





 従者が開けた扉から軽やかに馬車の外へと踏み出し、璃央は久しぶりに蒼緑の国の土を踏んだ。
 大した思い入れがある国ではないが、御影が暮らすには十分すぎる澄んだ空気とのどかな環境がどこまでも広がっている。

 見上げれば抜けるような青い空。

 見渡せばどこまでも青々とした緑が広がる。

 緋橙の国では溜まりやすい熱気も、この国では吹き抜けてゆく風が上手いこと誤魔化してくれる。

 蒼緑の国とは……上手い名をつけたものだと、璃央は目を細めて感心した。
 ここを戦地にしようという思いは全くない。
 ここに……彼女を住まわせたいのだ。
 また、国内では賄いきれない兵士達の食糧補給の拠点としても、この地が欲しい。

 緋橙の国は年中暑く食糧を育てるのにはあまり向いていない。
 特に最近は雨が降らず、戦地に赴いている兵士達への食糧が不足していた。
 璃央がこの国に目をつけた理由は、その2つだったのだ。

 食糧的な面では、どこの国もこの国を欲しがっているだろう。
 けれど、理由なく、この国へ入ることも、どのように交渉に導くかも、他の国には算段がなかった。

 そんな時、戒がこの国に逃げ込んだ。
 国内へ入る理由が、璃央に巡ってきた。
 璃央はその事実を知った時、この戦い、勝ったと……心の中で呟いた。
 戒などはどうでもいい。
 それを理由にして、国内に潜入し、上手いことやって、国王に取り入る。
 運のいいことに、王妃が病床に臥せっており、璃央には香里という手駒があった。
 王妃はそのおかげで助かり、緋橙の国には蒼緑の国と交渉する機会が与えられた。
 全て、水面下で……璃央はきちんと手を回していたのだ。

 香里が見た死相。
 そして、国王が死ぬ前に書いていた手紙も少し前に受け取っていた。
 手紙にはこうあった。
『自分が死んだら、蒼緑はそちらの国の後ろ盾を受けずには立っていられないと思う。私には子もおらず、しばらくの間、国内は次期国王のことで揉めるだろう。その間を縫って、他国が我が国を狙ってくるのではないかという不安がある。そんなことになるくらいならば、信頼してもいいと考えた璃央殿に一任したい。私が死んだら……我が国と緋橙の国の同盟を成立させてくれて構わない』

 中立国の狸も……弱った目では見抜けなかったらしい。
 璃央は従者に目配せをして馬車を移動させ、ゆっくりと歩き始めた。
 王都の街並は発達しているとは言い難かったが、すれ違う者たちはみな笑顔で、見ているこちらがイライラしてくるくらいだった。

 一番空気が澄んでいると言われている、あの山の上の風車に囲まれた塔の建つ草原が欲しいのだ。
 御影をそこに住まわせたい。
 あそこならば、御影の体を蝕む病も、御影の体の中にいる『御影』も浄化できるのではないかと……そう思い描かずにはいられない。
 御影のことだけはリアルに物事を判断できないのが、彼の欠点だ。
 医者にも身近な者にも見放された御影を、決して離すことができない。
 それは時として非情な判断を下すことも厭わない彼としては、非常に珍しいこと。


「りょー!」
 璃央は久々に聞いた鈴が鳴るような可愛らしい声に呼び止められて、はっと我に返った。

 通りに面したお店の中からパタパタと紫色の髪の女の子が飛び出してくる。
 あどけない顔が落ち着いた笑顔に包まれていた。
 嬉しそうに香里が璃央の傍まで駆け寄ってくる。

 璃央は穏やかに笑って、香里の頭を優しく撫でてやった。

「蘭からの手紙で分かっていたけれど、変わりなくて何よりだよ、香里」
「ええ。りょーも元気そうでよかった……。あ、あのね、りょーからもらった匂い袋、もうほとんど香りがしなくなってしまったの。そろそろ替えないといけないんじゃないかと思って」
「そうかい?じゃ、また別のものをプレゼントしよう」
「え?本当ですか?」
 璃央の言葉に香里は顔をほわんと赤らめて嬉しそうに笑みを浮かべる。

 璃央は優しく笑いかけて頷いてみせた。
「ああ」
「そう?嬉しいです。りょーがまた私に何かをくれるなんて……」
 小首を傾げて頭二つ分大きい璃央を見上げてくる香里に、璃央は微かに目を細めた。

 この少女は、騙されていることも利用されていることも、わかっていない。
 それに対して、罪悪感はないか?
 尋ねられたら璃央は笑顔で答えるだろう。『ああ、ない』と。

「…………。葬儀が終わったら、国に1度戻るかい?」
「え?あ、はい。御影様にもお会いしたいし、帰っていいなら帰りたいです」
 香里は少々躊躇うように言葉を濁らせたが、すぐにそう言って頷いた。

 璃央は香里を促して歩き出す。
「智歳は?」
「ちーちゃんは……」

 璃央の問いに答えようとした香里がふわぁぁ……と欠伸をした。
 一応口元は押さえていたけれど、すぐにとろんと目を細め、璃央のほうへと体が傾いだ。
 璃央は咄嗟に体を動かして、倒れこみそうになった香里の体をキュッと抱き上げる。

「ご、ごめんなさい……りょー」
「眠いのかい?」
「ごめんなさい……前は眠れなかったのに、最近はすごく眠くって」
 本当に眠いようで、舌が回りきっていないような話し方で答えてくる。
 小さな体は璃央には軽すぎて簡単に持ち上がった。

「宿はどこだい?すぐに戻ろう。智歳は……一緒じゃなかったんだね?」
「ええ。ちーちゃんは読みたい本があるからと。私、あそこのお店で髪飾りを見ていたんです。……もっと可愛い髪飾りがいいなぁって思いまして」
「そうか。じゃ、次にプレゼントするのは髪飾りにしようか?」
「本当?嬉しい……。あ、宿はあそこの角を曲がって……すぐに……」
 まだ話している途中なのに、香里はそのまますぅ……と寝息を立てて、眠りについてしまった。

 璃央はそのあどけない寝顔を見つめて、ぐっと唇を噛み締める。

「香里……働いてもらわなくては困るんだよ……お前には」
 ポソリとそんなことを呟いて、璃央は王都の中心に堂々と建っている王城を見上げた。

 王城の屋根のてっぺんにはいつもは国旗が掲げられているのに、王不在のためか、国旗は降ろされたままだった。

 葬儀は明日。
 それまでは……あそこに旗がひらめくことはない。
 そう。明日……。
 明日、香里に全てが託される。
 国王の死は……他国の重鎮を招くのに一番いい餌だ。
 戦いは……将を討てば終わる。
 終わらないまでも、大きな痛手になるのは確実だ。
 そして、そのエネルギーが……御影を生かす。

 この世界の命は全て、御影の命を続かせるためにある。
 それ以外の価値など、どこにある?


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