第6章  辛いのは、心があるから……

 建物の中に霧が立ち込め、香里の意識が遠のいてゆく。

 発端は、式が終わり智歳が王妃とともに建物を出て行った後、璃央が香里の肩をポンと叩いて耳元で囁いた言葉……。

『エネルギー、貯めておいで?』

 その言葉を残して璃央は建物を出て行き、香里だけが立ち止まった。
 璃央の声が耳に残る。

 トクントクン……と鼓動が速まり、自分自身が消えてゆくのが分かる。

 知っている。
 この感覚を知っている。
 これは……香里が人からエネルギーを搾取する時に覚える感覚。
 自分の意思など関係ない。
 我に返った時にはいつも遅く、自分の周囲には事切れた人間が倒れている。

 そして、何故そうなるのかも……香里は知っている。
 知っているのだ。
 璃央が炎に包まれた城の中から2人を助け出してくれた時のことを思い出して、香里はきゅっと唇を噛み締めた。

 知っていても従うのは……香里の心の中の、一番片隅にある想いのため……。

 璃央には笑っていて欲しい。

 笑っていて欲しいから……絶対に御影を死なせてはならない。

 そのために、自分が出来ることはこれだけだから。
 これだけだから……。

 ……でも、いつも、いつもいつも、自分は人を殺してしまったことを知って、震える体を抑えられない。

 葉歌に見られてしまった……あの夜。
 あの時の葉歌の表情を見て、やはり自分は犯してはならない罪を犯しているのだと気がついた。
 いや、本当は知っていた。けれど、それは考えないようにしていた。
 大切な人を護るための行為だと、自分を誤魔化していた。
 でも、あれ以来、香里は人からエネルギーを搾取する霧を出すことが出来なかった。

 近くに璃央がいなかった……そのせいもあるのだと思う。
 けれど、それでも、御影のためにエネルギーを集めるというのは、自分の頭の中に刷り込まれた指令のはずだった。
 その指令が……発動しなかった。
 自分が嫌がったからかもしれない。

 葉歌に次に会った時、エネルギーを分け与えられるようにと、葉歌と指切りしたのに。
『こーちゃんが、お姫様護ってあげる。約束』
 そう……約束したのに。
 自分は、出来なかった。
 御影を護るために。葉歌を護るために。
 なのに、出来なかった。
 それは、自分がやりたくなかったからだ。

 やりたくない?
 それをしなければ、死んでしまうのに。
 大好きな人が死んでしまうかもしれないのに。

 両親の顔が頭を過ぎった。

 建物内に、男達の苦しげなうめき声が響く。
 バタバタと……人が倒れる音がした。
 こんな簡単に、人は死ぬ。
 死相なんて、見えもしていなかったのに。

 理屈なんか要らない。
 こんな力、役に立たないのなら要らないと、幼い頃、自分は心の中で叫んだ。
 兵士達に襲われ、苦しそうな声が聞こえてきたあの隠し部屋で、自分はそう叫んだ。
 死ぬのを知っているのに、何にもできない力など意味がない。
 大切な人の死を止められなかったら、何の意味もない。
 何の……意味もない……。

 香里はそっと一歩を踏み出した。
 建物の中にいる人間全て、もう死んでいるかを確認するために周囲を見回す。
 霧に包まれる建物の中に、人の相を示す光がまだ微かに残っていた。

 璃央の言葉でこの力が発動している時、香里にはほとんど感情がない。
 だから、薄れてゆく光を見ても何も感じなかった。

 霧のせいで見えなかった椅子にガツンとぶつかって、香里は痛みを覚えた足を押さえた。
 屈みこんだ拍子に、喪服のポケットの中に入れてあったバッジが、カツンカツン……と軽い音を立てて床に転がる。

 香里はそれに目をやった。
 猫の……バッジ……。
 関所通行証発行の町で出会った少年が作ってくれたバッジ。

『ああ、なるほどね。この町の子?』
『いいえ、違います』
『そっか。オレね、龍世っていうの。君は?』
『私は香里と申します。龍世様』
『え?う、うーん……様ってガラじゃないよ。もっとフランクなのがいいなぁ』
『フランク?』
 様付けをされて照れたように鼻の頭を掻いた赤毛の少年。
 無邪気な表情で、自分のことを喜ばせようと器用に木片を彫っていった。

『そうなんですか?じゃ、もしよかったら、ちーちゃんともお友達になってください』
『ちーちゃんね。うん、いいよ。オレ、今まで友達、年上ばっかだったから嬉しい♪』
『あ、私もそうですよ?たっくんさんは私の初めてのお友達です』
『たっくんさん……』
『あ、た、たっくんは……です』
 初めて出来たお友達。
 彼も、同じ年くらいの友達は初めてだから嬉しいと、そう言って口角をむにゅんと上げて嬉しそうに笑ってくれた。

 初めての……おともだち……。

 香里は猫のバッジを拾おうと体勢を戻して、転がっていくバッジを追いかけた。
 霧が徐々に薄らいでゆく。
 まだ、全てのエネルギーを吸収し終えていないのに。

 何故……?
 心の中にそんな疑問が浮かんだ。

 転がるのをやめて止まったバッジに手を伸ばすと、すぐそこに倒れている男がいた。
 バッジの近くにゴツゴツした手が力なく横たわっており、香里はバッジを拾いながら、その手を見つめた。

 手の甲に、木こりを示す……赤い印。
 香里は驚いて目を見開いた。

 それを見た瞬間、自分の意識が戻ってきた。
 葉歌に呼びかけられて我に返った時のように、あっという間に……。

 ポロリと涙が零れた。

 王妃の古い知り合い。
 ……いや、それよりも、龍世に似た……雰囲気のある人。

 霧が自分の体へと戻ってくる。
 建物内を覆っていた霧が、あっという間に消えた。
 各国の喪服を纏った男達が倒れて、ほとんどの人間がピクリとも動かない。

 ひどい惨状だった。
 血も何も出てはいないのに、あっという間に、彼らの体は命を失ったのだ。

 赤毛の男の右手が微かにピクリピクリ……と動いた。

 まだ、生きている。
 ほっと胸を撫で下ろした途端、香里はカクリと意識を失い、膝から床へと崩れ落ちる。
 猫のバッジだけはしっかりと握り締めて、香里の体は床に勢いよく倒れこんだ。





 智歳は、嬉しそうに微笑んでケーキを勧めてくる王妃を見つめて、そっと目を細めた。
 厳しかった母もおやつの時間だけは、こんな風に優しく笑ってお手製のホットケーキを振舞ってくれた。

 ホットケーキはいつもまん丸で、そのホットケーキにかけられるはちみつは黄金色に輝いているような気がした。

 ホットケーキの形。はちみつの色。
 それは智歳の幸せの形。幸せの色。

 職務に追われる父も時々はおやつの時間に部屋に駆け込んできて、母にホットケーキの追加を無心していた。

 幼い頃上手くナイフを使えなかった智歳を見かねて、不器用な香里が一生懸命にホットケーキを切って、『はい、智歳』とホットケーキにフォークを刺して差し出してきて、母が『なんてはしたない』と叱るのがいつもの風景。

 怒られた香里は膨れることもなく、ペロッと可愛く舌を出して、『また怒られちゃいました〜』という顔をするだけ。


「智歳くんはどんなお菓子が好きなのかしら?私、お菓子作りだけは得意だからなんでも言ってちょうだいね?」
「そうなんですか」
「ほら、お城の中で私がしてもいいことって少なくって……。あ、あとね、智歳くん、もっと普通に話してくれていいのよ?香里ちゃんからやんちゃさんって聞いてたから、もっと元気な感じの子だと思ってたし」
 目尻にシワを作ってにこぉ……と笑う王妃。

 智歳も釣られて白い歯を見せて笑った。

「うん、じゃ、普通に話す」
「ええ」
 智歳の言葉に王妃は嬉しそうに笑った。

 すぐに智歳は王妃に出されたケーキを手掴みでガブリと頬張り、美味い美味い……と口に物を入れた状態で言う。

 オレンジがたっぷり使われたスポンジは甘く爽やかな味がして、幸せな気持ちになった。

 椅子に腰掛け、足をブラブラさせて、智歳は少しだけ両親が生きていた頃を思い出す。

「俺ね」
「?」
「ホットケーキが好き。はちみつがいっぱいかかったホットケーキ」
 そう言って、自分でも驚くくらい無邪気に笑いかけた。

 王妃はその笑顔を見て、優しく目を細める。

「そう。じゃ、次はホットケーキも用意しておくわね。私も隠居生活になるだろうから、あなたたちが遊びに来てくれたらすごく嬉しい。あ……そういえば、香里ちゃん……?」
「…………。見てくる」
 ふと思い出したようにキョロキョロと見回す王妃。
 智歳は手についたクリームを舐めながら、椅子から飛び降り駆け出す。

 なんとなくわかっていた。
 けれど、そんなことを王妃に言う必要なんてない。
 ドアを開けようとした時、向こう側から誰かにカチャリと開けられる。

 顔を上げるとそこには璃央が香里を抱き上げた状態で立っていた。

 息を切らせて、王妃に言う。
「告別式の会場の様子が……おかしいです。香里がいつまで経っても出てこないので、戻ったのですけど、参列されてた方々が倒れていて……香里もその中に。とりあえずは香里だけ連れてここまで来たのですが」

 智歳は璃央を見上げて、ぎゅっと右手を握り締める。
 いけしゃーしゃーとよく口が回るものだ。
 璃央のことを睨み付けているが、背を向けているから王妃には見えない。

 王妃は慌てたように立ち上がって、こちらに歩み寄ってきた。
 すぐに智歳は俯く。

「警備の人には言いました?」
「はい。すぐに息のある方だけ運び出していたようです」
「そう……あの2人大丈夫かしら……」
 王妃がポソリとそんなことを呟く。

「すいません、香里を診てもらいたいのですが……医者はおりますか?」
「……はい、私専属で常駐している者がいます。すぐ呼ばせましょう」

 王妃が部屋の隅に待機していた給仕に目をやると、すぐに給仕は部屋を出て行った。
 王妃が隣が寝室だからそこに寝かせるといいですよと優しい声で言い、心配そうに香里の顔を覗き込んだ。

 智歳の背では香里の様子が窺えないが、王妃は本当に心配そうに見つめている。

「青い顔……大丈夫かしら……」
 そう言いながら、隣の部屋へと璃央を導く。
 智歳がそれよりも早く部屋へと入り、布団を除けて香里を横たわらせやすいようにした。
 璃央が優しくベッドに香里を寝かせ、智歳に見える位置でふっと笑みを浮かべた。
 智歳はそれを見て、イライラがこみ上げてきたが、すぐに王妃がベッドに腰掛けて香里の様子を見つめるので、何も言わずに香里へ視線を向けた。

 青い顔で、呼吸も荒い。
 様子がおかしい。
 ただ……エネルギー搾取を行っただけじゃなかったのだろうか。
 猫のバッジをギュッと握り締めて、ハァハァ……と苦しそうに息をしている。

「う……」
 苦しそうに声を上げて、うっすらと目を開ける香里。

「香里ちゃん、大丈夫?」
 王妃がすぐに香里にそう問いかけた。

 智歳も香里の手を握る。

 璃央は医者が来るのを待つように壁にもたれているだけ。

「私……本当は……」

「すぐにお医者様が来るから大丈夫よ?」

「……やりたくなんて……」

 小さな声で、一番近くにいた智歳にだけ聞えた。


 『やりたくなんてないんです、たっくん』と。


 うっすらと開かれた目から涙が零れた。

 智歳はそれを見て、顔をしかめる。

 ようやく医者を給仕が連れてきて、香里の様子を診るために3人は部屋を出された。
 お菓子で甘い香りいっぱいの部屋で医者の結果を待つ。
 おそらくは疲労か何かだとは思うが、今まであれをやったことであそこまで体調をおかしくすることなどなかった。
 様子が違っていたことに不安を覚える。

 璃央は給仕に出されたカモミールティーを上品に飲みながら、時折心配そうに隣の部屋に視線を動かす。
 これが全て演技だったら……本当にこの男はよく出来た男だと思う。

 王妃が何か頼んだのか、医者を連れてきてすぐに飛び出していった給仕が息を切らせながら戻ってきて、王妃の耳元でヒソヒソ……と何か伝えた。
 王妃はそれを聞いて安堵したように胸を撫で下ろした。

「どうか……した?」
 智歳はすぐにそう尋ねる。

 すると王妃はそっと目尻を拭って答えてくれた。
「先程、私と話していたおじさんがいたでしょう?あの2人が無事かを確認しに行ってもらったのよ」
「……で、平気だったの?」
「ええ、なんとかね。まぁ、昔から殺しても死なないような2人だったから」
「はは……殺しても死なない、か」
「ええ、本当にそうなのよ。子供の頃の私から見たら、あの2人は……ヒーローだったの」
「ふぅん……」
 思い返すように遠い目をして話す王妃を見つめて、智歳は目を細める。

 そして、ちょうどのタイミングで医者が部屋から出てきた。
 璃央が素早く立ち上がって医者へと歩み寄る。
「ちょっとしたショック状態に陥って、呼吸困難……ってところですかね。落ち着けばすぐに元気になりますよ」
「ショック状態?」
「はい……まあ、目の前で人がどんどん倒れていけば、子供にはショックが大きいでしょうね」
「なるほど……」

 会場にはこの国の権力者も多くいた。
 後継者問題などもこれで停滞するんだろうな……と智歳は心の中で呟く。

 こういった事件が起こると大体は霊的な現象として捉えられて終わる。
 以前香里がエネルギーを搾取した町でも、大騒ぎにはなっていたけれど、結局犯人探しも何もならなかった。
 原因を知っている人間からすれば、なんとも浅はかに感じるけれど、これが一般的な考え方だ。
 下手をしたら、今回の事件は王の呪い……とでも影で言われることだろう。

「ただ……ひとつ気になったんですが……」
「はい?」
「あの子、いくつですか?」
「12ですが、なにか?」
「少々……発達が遅れているようにも見受けられたので。別に栄養状態が悪いとかそういうのではないようなので、特に問題はないのでしょうけど」
「…………」
 璃央がその言葉で珍しく口を噤んだ。

 智歳は医者を見つめて、唇を噛む。
 王妃がもう下がっていいですよと言うと、医者は丁寧に礼をして部屋を出て行った。

 王妃が紅茶をコクリと飲んで、はぁ……とため息を吐いたのでそちらに目をやる。

 すると、王妃は困ったように目を泳がせていた。
 自国で各国の代表が亡くなったとなると、少々面倒なことになるとでも思ったのだろう。
 王妃として、王不在の今、分からなくても務めなくてはならない仕事があることを、王妃なりに覚悟を決めているようだった。


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