第7章  譲れない想い

 蘭佳は塔の中の光り輝く石版にそっと触れて目を閉じた。
 塔の外では東桜が鬼月と戦っている。
 東桜ならば、やられることはないだろう。
 蘭佳は東桜の強さだけは信頼していた。
 鬼月がこの地を譲らないのであれば、後から来るであろう璃央のためにも排除せざるをえない。

 やむをえないのだ。
 光を発し、白く輝く結晶を作り始める石壇。
 あの結晶が一体何なのか?

 璃央はこの地が欲しいと言っていた。
 確かに空気が良く澄み、見渡す限り山と緑が広がっている。
 御影の体にもいいだろうし、人が訪れることもそんなになさそうだ。

 オーラを石版の中へと流し込み、一体何をしているものなのかの確認を取る。
「魔力が……エネルギーの結晶に?そんなことが……」
 蘭佳はスッと目を開け、出来上がって転がっている結晶に目をやった。

 白い結晶がキラリキラリ……と蘭佳を誘うように輝く。

 この場所さえあれば、この装置さえあれば……もう、香里の力を使わずに済む。
 香里がギリギリまで無理して、エネルギーを搾り出す必要がなくなる。
 足りない分を璃央が補う必要も……誰かが無理をし、誰かが苦しむ必要もなくなる。
 全て……全ての連鎖を、この装置が止めてくれる……。
 蘭佳はそう思った瞬間、ハラリと涙が零れた。
 自分でも驚くくらい、自然に涙が零れた……。
 喜んでいいのか、悲しんでいいのか、自分はわからない。
 これによって、蘭佳の想いは決して叶わなくなる。
 叶わなくなるのに、叶わなくなるのに……どうして、嬉しいと思ってしまうのだろう……。

 早く。そうだ、早く東桜を止めなくては。
 この装置さえあれば、なんとかなるかもしれないのだ。
 璃央にもこのことを報せなくては。
 場所を奪う必要などない……。
 そうすれば、もう、香里に余計な負担などかかることもないのだ。

 蘭佳は涙を拭って、部屋を出ようと振り返った。
 そこで、何者かが階段を上ってくる慌しい足音を聞いて、蘭佳は表情を厳しくする。

 東桜ではない。
 東桜はこんな慌しい足音を立てることがないから。
 蘭佳は警戒しつつ、その人が扉を開けてこちらの部屋へ来るのを待った。





「オマエタチ、何者ダ?」
 鬼月は警戒しながら突然の来訪者に対し、そう尋ねる。
 少女と青年はそんな鬼月を見上げて、少々戸惑ったように目を丸くしていた。

 魂の輝きが濁っている……そんな表現でいいかはわからないが、多くの人間を殺してきた……そんな様子を金髪の男・東桜から感じ取った。

 本当に曇りのない魂の輝きを持つ者は稀だ。
 けれど、それぞれがそれぞれ、美しい輝きを放っている。
 東桜の魂は紅玉のような輝きの中に、微かにどす黒い血の輝きを見せていた。
 その輝きを美しい、美しくないと判断するのは人の好みだろう。

 鬼月はそっと塔に立てかけてある斧に手を伸ばし、ぐっと握り締める。

 東桜よりも手前に立って、鬼月を見上げている桜色の髪の少女・蘭佳。
 彼女の魂には穢れはない。
 痛みを知って、それでも尚、人を思いやることのできる……そんなピュアで柔らかな輝きだ。
 色に例えるなら、彼女の髪の色と同じ……桜色。
 花びらがチラチラと舞い、花霞に包まれた彼女の心は、美しいのに全てを見通させない。頑なな壁を持っている。

「不思議な人?ですね……。この国には、他にもこのように変わった方がいらっしゃるのでしょうか?」
 蘭佳はそう東桜に問う。

 東桜ははぁ……とため息を吐き、すぐにそれに答える。
「コイツは人じゃねぇよ。カラクリだ、カラクリ」
「カラクリ?」
「ああ、歯車やらなんやら組み合わせるとこういう動く鉄くずを作ることができんだよ。ただ、喋るカラクリなんて聞いたこともないが」
「…………。詳しいですね」
「俺の国の秘密兵器だもんよ。まぁ……ずいぶん昔に廃れて、今は作れる技術者もいねぇって話だが。……こんなところで、動いてるのを生で見られるとはね」
「葵の国にそんな技術が……」
「ん?違う違う。葵の国は俺の国じゃねぇ。しばらく、居座っただけ」
「え……じゃ、その格好は……」
「着てみたら結構サマになったからよ、そのままかぶれただけよ」
「はぁ……」
 葵の国を思い出して楽しそうにあっけらかんと話す東桜。

 蘭佳が呆れたようにそんな東桜を見つめる。

 しばらく、
「久々にスシが食いたいなぁ……馬刺しでもいいが。なんで、葵の国以外は生でそういうのを食うのを嫌うかねぇ……。一回食ったらヤミツキだってのによ。刺身が食えそうだったのに、璃央ちゃんが嫌がったせいで、その話もぽしゃったしよぉ」
 とブツブツ呟き続ける。

 蘭佳は聞いたこともない食べ物の名前に首を傾げる。

 ブツブツ言いながらも、東桜は懐に入れていた右手を出して、刀の柄を握った。
「良い国だぜぇ、葵の国は。いつか、ランカも行くといい。お前の髪と同じ色の花をつける木があるんだ。きっと、お前も気に入る。俺は気に入ったから、その木の名をもらったくらいだ……。お前は、たぶん葵の国の服が似合うぜ。気質があの国の女に似てるからな」

 スラリと刀身を抜き、ゆっくりと構える東桜。

 鬼月は敵対の意思ありと判断して、斧を高々と持ち上げた。
 けれど、すぐに蘭佳がそっと左手を東桜の前に出し、しっかりした声で言う。

「東桜、まだ手を出してはいけませんよ」
「あ?なんで?」
「無闇な争いは、私が好まないからです」
 そっと目を細めてそう呟き、クルリと鬼月のほうに体を向けてくる。

 東桜はチッと舌打ちをして、肩の上でポンポンと刃を弄び始めた。
「璃央ちゃんといいコンビだよ、優等生さん。ま、璃央ちゃんのはご都合主義な優等生だが」
「……璃央様を愚弄するような発言は、私が許しませんよ」
「あいあい、わかってますよ」
 面倒くさそうに深くため息を吐き、東桜は鬼月を鋭い眼差しで見据えてくる。
 広い顎を撫でながら、つまらなそうに。

 蘭佳が一歩踏み出し、鬼月に向かって礼をした。
「突然押しかけて申し訳ありません。私は蘭佳、こちらの男は東桜と申します。もしよろしければ、名をお聞かせ願えませんでしょうか?」
「鬼月。オマエタチ、何シニ此処ニ来タ?コノ地ハ鬼月ノ大事ナ地。出来レバ、アマリ足ヲ踏ミ入レテ欲シクナイ」
「……そう、なのですか……。それでは、私がこれから申し上げることは……受け入れていただけないでしょうね」
 少し躊躇うように目を細める蘭佳。

 鬼月は斧を下ろしながら尋ねる。
「何ダ?」
 蘭佳はふぅ……と息を吐き出し、決意したように鋭い眼差しで口を開く。
「この地を欲している方がいます。譲ってください。これが……私たちの用向きです。勿論、それに見合う土地や……あなたが望むもの、全て、私たちが用意いたします。メリットのない話はいたしません」
 丁寧な口調。強い語気。決して曲げない信念に基づく声。

 鬼月は斧を再び持ち上げる。
 彼にとって、それは交渉にも何にもならない。
 この地は誰にも譲れないのだ。
 この地に代わるものなど、どこにもない。
 主に寄り添って、ただ永い時を。
 いつか、この体が動きを止めるその時まで、主の愛したこの地を護り続ける。
 それは事切れた主を目の前にして、自分が口にした誓い。
 今、こうして鬼月が動いていられる、たったひとつの理由。

「悪イナ、ワカルダロウガ、鬼月、コノ地、譲レナイ。例エ、戦ッテデモ」
「…………。そうでしょうね……私でも、そう言うと思います。けれど、私にも譲れないものがあるのです。これを譲ってしまったら、私も生きる意味がなくなってしまう」
「無駄な話し合いは終わりか?ランカ」
「……無駄……」
 東桜の言葉に悲しそうに蘭佳が目を細める。

 そっと鬼月を見上げ、もう1度尋ねてくる。
「どうしても、譲れませんか?この……そう。この地の、どこか一画だけでも……譲っていただければ」
「ランカ、それは、璃央ちゃんの望みとは似て非なるものだ。そういう勝手は、あとで璃央ちゃんのお怒りを買うぞ」
「璃央様なら、わかってくださいます。信念を持った方のお気持ちを、一番分かっていらっしゃるのは、あの方です」
「ふっ……」
 自分の言葉を本当におかしそうに笑い飛ばす東桜に、すぐに蘭佳は眉をひそめた。
「なんです?」
「お前は、アイツの何もわかっちゃいないな」
「……東桜はわかるというのですか?」
「ああ、わかる。ああいうヤツを国でたくさん見てきたからな」
 刀を構えることもせずに悠長に話す東桜。

 少しだけ目を細めて、嫌なことを思い出したとでも言わんばかりに苦虫を噛み潰したような顔をする。
 蘭佳はそっと目を細めて、不機嫌そうに首を横に振った。
「璃央様は貴く、ご自分に厳しく、他人(ひと)に優しい方です」
「ああ、そう思ってるならそう思ってればいい。とにかく、俺はやらせてもらう。お前が璃央ちゃんに叱られるところなんざ、見たくないからな」
 蘭佳よりも前に出ると、再び東桜は刀を構えた。

 それを見てすぐに鬼月も斧を構え直す。
「オマエタチ、侵入者ト見做ス。鬼月、コノ地ノドコモ譲レナイ。保障ノナイ交渉ナド、論外」
 抑揚のない声で言い切り、すぐに斧を振り上げて地面を蹴る。

 東桜が後ろ髪を揺らめかせて、それをかわし、器用に蘭佳の体を押し飛ばす。
 蘭佳はフラフラしながら、2人がぶつかりあう場所から離れていった。

 ガキン……と金属のぶつかりあう重い音。

 1.5倍はあるんじゃないかと思われる体格差など、問題にしないように東桜はギリギリと鎬を削って、鬼月に顔を近づけてくる。
 東桜は楽しそうに目を輝かせて鬼月を睨みつけている。

 魂の輝きが更に黒く輝く。
 不気味な輝きだった。
 戦い慣れているうえに、死をなんとも思っていない……そういう人間なのがよく分かった。

 この様な狂気は持っていなかったが、1人だけ鬼月は知っていた。
 戦う時、こんな風に不気味な光を漂わせる人間を。
 別に、この男がそうという訳ではないが。

 蘭佳が呆然と2人の戦いを見つめている。

 それに気がついてすぐに東桜が叫んだ。
「何やってやがる!さっさと塔に入れ!開いてんだろうが!コイツが此処に固執するってことはそれらしいなんかがあるってこったろ!!」
「え……あ……」
 我を失っていたのか、東桜の声に戸惑うように目を泳がせる蘭佳。
 けれど、塔のドアが微かに開いているのを見て、タタタッと駆けていった。

 鬼月はそちらに目をやったが、すぐに東桜がガシンと蹴りを入れてきたので、体勢を立て直して斧を横に薙ぎ払う。

 上体を逸らしてその斧をかわし、ニィッと笑みを浮かべる東桜。
「この、馬鹿力人形が」
 言葉とは裏腹に楽しそうに表情が踊っていた。
「動きは遅いが、その分余りある攻撃力ってか?だが、バランスが悪すぎだな。俺には勝てないぜ」
 そう言い終え、東桜の胸元で何かが緑色に輝いた。

 目の前から東桜の姿が消える。

 鬼月は慌てることなく、気配を捕捉してすぐにブンッと後ろに斧を振り回した。

 東桜はそれを飛び上がってかわす。

 驚いたようにひゅ〜……と口笛1つ。

「こりゃ、嘗めてたな。ただの鉄くず人形じゃないらしい。解体するのが楽しくなってきたぜ」
「オマエ、何持ッテル?」
「企業秘密だ」
 東桜はおちゃらけた声でそう言うと、タンタンとバックステップを踏み、刀を顔の位置まで持ち上げ横にした。

 突きの構え。
 けれど、突きをするにも距離がありすぎる。

 鬼月は距離を縮めようとドスドスと地響きを鳴らして走る。
 鬼月の体の装甲はそれなりに厚い。
 刀の一撃で破壊されるようなやわな造りはしていないから、こんな無茶も出来る。

 東桜がジリ……と腰を落とし、唇を噛み締めた瞬間、またもや緑色の光が閃き、姿が消えた。
 今度は走っていたのもあってか、捕捉仕切れずに立ち止まる。
「俺に必要なのは一瞬の隙だ」
 そんな声が右側でしたかと思うと、鬼月の腕と体の接合部分に空いている微かな隙間に、東桜の勢いのよい突きが入った。
 痛みはないが、ブチブチッと人間で言うところの関節を繋ぐ役割を果たしているワイヤーが千切れる音がした。

 斧の重みで腕がガクリと落ちる。
 右腕の反応が極端に悪くなってしまった。

「いい出来だよ、ホント。国でもこんなに精巧なカラクリは見たことがなかった。そのうえ、こんなにも動き回れるなんてな」
 感心したように呟く東桜。

 鬼月は斧を急いで左で持ち直す。
 右手を補助に回し、なんとか持ちこたえた。

 負けるわけにはいかない。
 負けるわけにはいかないのだ。
 この地は……誰にもやらない。
 主のものだ。……キリィのものだ。
 鬼月の……ものだ。





『鬼月、装甲板を強化させてやろう。すれば、もう穴も空かぬぞ?ぬ……どこに行くのじゃ』
『キリィノ改造嫌イ。改造イラナイ』
 嬉しそうに青い金属板を持ってきたキリィを見て、鬼月はすぐに踵を返した。
 けれど、鬼月の早さではキリィにすぐに追いつかれてしまう。

 キリィは自慢げに金属板を見せて笑う。
『この装甲板は重さも2分の1じゃぞ。おぬしの動きが少しは速くなるぞ』
『イラナイ。無クテモ平気』
『何を言うか!ウスノロの分際で!!』
『ウスノロナノハ、ガミレラノ設定ノセイ。鬼月、悪クナイ』
『しょうがなかろう、おぬしは試作機だったんじゃから……』
 鬼月がウスノロと言われて、少々気分を害したような言い分をすると、悲しそうにキリィは眉をへの字にしてそう言った。

『それに……話せるように作ったために、他の基本設計が劣っておるのじゃ。本当は、もっともっとパワフルでスピーディーですごいヤツなのじゃ、おぬしは。まぁ、今のままでも十分強いがのぅ。この金属板はな、サビに強いのじゃ。ワシが死んでも、整備入らずになるようにな。おぬしが満足するまで動き続けられるように。ワシらの身勝手で作ってしまったのじゃから、せめてこれが罪滅ぼしじゃ』
『キリィ、マダ子供ナノニ、ソンナコト言ウナ』

 キリィが死んだ後のことまで、鬼月は考えてなどいない。
 キリィが死んだら、自分はすぐにエネルギーの供給を絶つだろう。

 意味がないからだ。主のためのカラクリ人形は、主を失ったら動いている意味がない。

 それなのに、まだ12になったばかりのキリィがそんなことを言う。

 ランプが青く光った。

 悲しい。そういう意味だと、ガミレラが言っていた。
 青は悲しみや不安を表すと。
 赤は怒りや歓びだと……。

 今のこの状態が、悲しいということ。
 あるはずもない心が、痛いような気がした。





「オマエタチニ何ガワカル」
「ん?」
「コノ地ノ……何ガワカル?理由ナンテ知ラナイ。此処、ドンナトコロカ知リモシナイヤツラニ、穢スカモシレナイヤツラニ、渡セト言ワレテ渡セルワケガナイ」

 鬼月は左手で斧を振り上げ、地面に叩きつけた。

 東桜が若干反応が遅れて、土煙を浴びる。

 動力を失ったはずのランプが、赤く光った。

「壊レテモ構ワナイ。デモ、オマエラモ道連レ。鬼月ダケデハ死ナナイ」
「人形が死ぬとかほざきやがった。面白ぇ……やれるもんならやってみやがれ」
 東桜は至近距離で刀を構え直し、ニィッと口元を吊り上げた。

 風が草原を吹き抜けてゆく。
 緑の輝きが心配するように鬼月の周囲を漂っていた。


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