第8章  求めるものは僅かな希望で……

 緑の輝きが……仰向けに倒れている鬼月の体を包んだ。

 地面に突き刺さった斧。

 風が草を薙いで、ほのかに赤い実をつけた花を揺らす。

「……手こずらせやがって」
 東桜が鬼月を覗き込み、息を切らせながらそう呟いた。

 見える。
 まだ……視界だけはしっかりとしている。
 オレンジ色になり始めた空も、自分をこんな風にした男の顔も見える。
 だが、腕も足も動かない。
 確認を取るようにシューンシューン……と音を立てる鬼月。

 右足・左足・右腕・左腕……全てのワイヤーが切れている。
 運が悪いことに、エネルギーをストックするためのタンクとなっている箇所も損傷してしまった。

 もう動くことはできないようだ。
 じきに、鬼月は意識も失ってしまうだろう。

 ランプが紫色に染まった。
 それは決して鬼月のランプにはあるはずのない色。

 悔しくて怒りが込み上げるのに、それと一緒に悲しみが溢れてくる。
 そんな状態だった。

 自分を作ってくれたガミレラが与えてくれたのは……仮想の感情。
 けれど、主であるキリィが知らず知らずのうちに与えてくれたのは、

 人間の持つ……感情に近いもの。

 せめて、道連れに……この男だけでも、倒したかったのに。
 なぜ、主は鬼月の体に最終手段を搭載してくれなかったのだろう。

 それさえあれば、東桜ごと吹き飛ばしてしまうことも可能だっただろうに。

 東桜が顔についた油を拭い、刀を鞘に納める。
 鬼月の攻撃を受けて、わき腹を痛めたのか、苦痛に顔を歪ませている。

 ゆらりと、東桜の魂がゆらいだ。
 紅い光がゆったりと東桜の体を包むと、東桜自身も楽になったように息を吐き出す。
 そして、次の瞬間、小川がある岩場のほうを見据え、緑の輝きが閃いたかと思ったら一瞬で姿を消した。


「風ノ……力……」
 東桜の胸元で微かに輝く光が、風の持つ魂の色と同質だと感じ取った。

 鬼月の体をいとおしむように緑の輝きが寄り添う。
「大丈夫……オマエタチハ此処ヲ見守ッテクレ」
 抑揚のない声でその輝きに応えると、徐々にランプの光が弱まってゆく。

 エネルギーが損傷した箇所から漏れ出しているのがわかった。
 空が薄いオレンジ色と薄い水色を混ぜた、透明に近い色に変わっていた。

 鬼月はこの草原の空しかしっかりと見たことがない。
 けれど、この空はどこで見る空よりも、綺麗だと思う。

 きっと、そうだと思うのだ。
 キリィの愛したこの大地は、どこよりも美しく、どこよりも尊い。


 あかりも死に際に……鬼月に言ってくれた。
 『ここはとても澄んだ場所だ』と。

 小さな体。
 純粋だけれど、その分繊細で傷つきやすい心を持った、あの少女は、……天然の性格に恐怖や寂しさを隠して、戦い続けた。
 キリィの墓標の前で、誓った言葉を果たすように……、彼女は2年の時をかけて、全ての穢れを祓ったのだ。

 あの戦争は、穢れのせいだったのか……?

 そんなのはわからない。
 けれど、彼女が穢れを清め終え、その命を散らしてすぐに、戦争は終結を迎えた。

 キリィの言った言葉は実現した。
 あかりは……世界を救ったのだ。


「あかり……モウ1度、会イタカッタ……ナ」
 鬼月は小さな声でそう呟く。
 そして、すぐに続ける。

 緑の輝きがフワリと舞った。

「キリィ……コンナ形デ、スマナイ。鬼月、モウ駄目ナ……」
 その声が空気を震わせた瞬間、鬼月の傍に誰かが膝をついた。

 鬼月は驚いて、言い掛けていた言葉を止める。

「鬼月さ……っ、鬼月!どうしたんだ?!」
 優しい響きの声が、鬼月の意識を揺さぶった。

 もう、途絶えてしまいそうだったのに……。
 ああ……望みが叶った……。

 もしも、1つだけ望みを叶えてくれる者がいるのなら、それは……彼しかいない。

 澄んだ、紫色の輝き。
 その高貴なようで、赤に近くなったり、青に近くなったりするバランスの悪い魂の輝きは……キリィの頃から変わっていないのだ。

 彼は知らないだろう。
 魂の輝きが全く変わっていなかったことを、鬼月がどんなに喜んだのか。
 だから、キリィでなくてもいいと言えたのだ。
 思い出すことがなくてもいいと言えたのだ。
 何も変わることなく、再び会えたコトが、鬼月はどんなに嬉しかっただろう。

 紫音が心配するように鬼月を覗き込んでいる。
 どうすればいいのか分からないように唇を噛み締めて、何も出来ない自分を歯痒く感じているような表情だった。

「紫音……本当ニマタ来テクレタノダナ?歓迎……スルゾ」
「誰にやられたんだ?……こんな、むごい……」
 そっと鬼月の体に触れて、鬼月に尋ねてくる。

 けれど、鬼月はそんなことには構わなかった。

 エネルギーが切れる。
 伝えなければ。伝えたかったコトを、伝えなければ。
 ずっとずっと、本人に言いたかったのだ。
 言いたかったけど、目の前にあるのは墓標で……応えてくれなどしないから、ずっと言えなかった。

「紫音……オマエガマタ来ルト言ッテクレタコト、トテモ嬉シカッタ」
「そんなことはいい。誰にやられた?!」
 首をブンブン振ってやりきれない怒りを露わにする紫音。

 それでも、鬼月は続ける。
「来タラ、言オウト思ッテイタンダ。鬼月、キリィ、大好キダッタ。キリィノ魂ノ輝キ。不器用ナ優シサ。大好キダッタ。我ガ主、後ニモ先ニモ、キリィダケ」
「…………」
 紫音は奥歯を噛み締めて鬼月の言葉に耳を傾けている。

 ポタリと鬼月の体に雫が落ちた。

「永遠ノ忠誠、誓ッタ時ニハ、キリィ、死ンデシマッテイタ。ダカラ、マタ生マレ変ワルノ、ズット願ッテイタ。良イ器デヨカッタ。紫音……一目デ気ニ入ッタ。鬼月、紫音モ好キダ」

 鬼月は自分の体が熱を発しているようなおかしな感覚に捕らわれた。

 風が2人を包むようにフワリフワリと漂う。

 紫音が鬼月の頬に手を伸ばして、そっと頭を抱え込む。
「鬼月……」
「アリガトウ。キリィトガミレラノ『身勝手』ノ……オカゲデ、鬼月、生マレル……コト、デキタ。ソレハ……トテモス……ゴイ…………コト、ダ……。アリガ……」
 そこでキューン……と音を立てて、鬼月の体は思考を停止した。

 紫音が声が途絶えたことで全てを悟ったのか、ぎゅっと鬼月を抱き締める。

 キリィが死んだ時とは逆だった。

 キリィは……鬼月の胸の中で死にゆく時、こんな暖かさを感じてくれただろうか……?




 紫音は鬼月の頭を抱き締めて、静かに嗚咽を漏らす。
「鬼月……」

 泣いているのは自分か?
 自分であり、自分じゃない。
 鬼月の惨状を見て、愕然として怒りも込み上げたが、この涙は……自分の涙じゃない気がした。

 紫音は唇を噛み締めると、鬼月の頭を撫で立ち上がった。

 風が銀の髪をサラサラとなびかせる。

 塔の扉が風でガンと壁にぶつかり跳ね返り、閉じようとしていた。

 紫音は剣を抜き、すぐに駆け出す。
 塔の中へと入り、この前は1階しか入らなかったのに、まるで構造を知っているように目指すべき場所が分かっていた。

 この塔で重要な場所は、1つ。
 すぐに階段を駆け上がる。
 いつもは軽やかに運ばれる足が、怒りのためかバタバタと鳴った。

 2階、3階、4階……。

 はぁはぁ……と息を切らせながら、風車をコントロールしている結晶精製室の前に立つ。

 中に人がいる気配……。
 紫音は神経を研ぎ澄ませて、扉を押し開けた。

 桜色の髪を丁寧に結い上げた髪型の少女が、鋭い目でこちらを見据えて立っていた。

「あなたは……誰……ですか?」
 凛とした声。

 紫音は少女を睨みつける。

「鬼月の……主だ」
「……まさか、鬼月さん……」
「君がやったのか?!鬼月を」
「……間に、合わなかった……?」
 少女が悲しそうに声を震わせる。

 けれど、紫音はそんなことに構う余裕などない。

 部屋へと入り、ジリジリと少女へと歩み寄ってゆく。

 少女も紫音の放つ殺気を感じ取ったのだろう。
 躊躇うように目を細めていたが、ようやく構えを取った。

 ぼんやりと手の平から光を発し、鞭を象る。
 その変わった能力に、紫音は警戒して足を止めた。

 否定も肯定もせずに、武器を取り出した少女。

 それは……今の紫音からしたら肯定を意味する。

「……場所を、変えませんか?この装置が壊れては元も子もないのです」
 少女がそう言って、紫音から気を逸らした刹那、紫音は床を蹴って素早く袈裟斬りにした。

 剣を振り切って、彼女の脇をすり抜け、装置にぶつかりそうになるギリギリのところで止まった。

 斬った際に噴出した血が頬についた。

 神速の剣。
 それが、彼の真骨頂だった。

「場所を変える必要なんてありませんよ。どんな狭い場所でも、僕を制限できません」
 紫音の声が静かな空間に響き渡った。

 少女が苦しげな声を発して、膝をつく。
 紫音は剣を納めてクルリと振り返る。

「っ……はぁはぁ……」
 少女も膝をつきながらも振り返り、必死に体全体から先程と同じように光を発した。

 光が少女の体を包んで、眩く輝く。
 苦しげな表情は変わらないが、ドクドクと噴出してきていた血の勢いが若干弱まったのがわかった。
「死ぬ訳には……いか……ない……」
 紫音を見据えて、なんとか距離を取ろうと後ずさり始める。

 紫音はその様子を見つめて、すぐに気がついた。
 鬼月をやったのは彼女じゃない。
 こんなに弱いはずがないのだ。
 鬼月の強さは……紫音も知っている。
 この程度の強さで、鬼月をあんな状態に出来るわけがなかった。
 この少女は、鬼月を破壊した人間の……仲間……?
 いや、そうだとしても、同じことだ。

 紫音は目を細め、尋ねる。
「最期に言いたいことはありますか?」
「私は、死ぬ訳には、いかないのです……。璃央様に……伝えなくては……」
「リオウ?」
 息を切らしながら必死に紫音から距離を取る少女。

 切なげな声が紫音の耳にも届いた。
 紫音は剣に手を添えた状態で、少女に近づこうとしたが、突然目の前に金髪の男が現れたので素早く後ずさった。

「なっ……?!」
 気配を全く感じていなかったために動揺を隠せずに男を見つめることしか出来なかった。

 男は鋭い眼差しで紫音を見据えたまま、ゆっくりと少女の元まで歩いてゆく。
 邪悪な殺気が体を圧迫しているような感覚に捕らわれて動けなかった。

 禍々しかった。
 こんな殺気を漂わせた戦士を、紫音は見たことがなかった。

「ランカ、立てるか……?」
「東桜……」
 苦しそうに両腕で体を抱き締めるような体勢を取っている蘭佳に手を差し出したが、蘭佳は東桜の手を取る素振りさえ見られなかった。
 そのためか、東桜が膝をつき、蘭佳の状態を確認するように蘭佳の体を抱き寄せる。

 息も絶え絶えな状態で蘭佳が声を漏らす。
「伝えないと……」
「喋るな。オーラで血止めしてんだろ。集中しろ」
「璃央様に伝えないと……。この装置なら……みんな助かるんです」
 意識を繋ぎとめるように、懸命にそう言う蘭佳。

 東桜は蘭佳の脈を確認し、塩梅がよくなかったのか、ちっと舌打ちをした。
「悪かったな、1人にして。これは俺の責任だ。お前を護るのが仕事だったってのに」
 悔しそうにそんな声を漏らし、ゴソゴソと胸元から鉱石のような物を取り出す。

 そして、それを床に叩きつけ、2つに割ると大きく割れたほうを蘭佳に握らせた。

「これ……は?」
「風跳びが簡単に出来る葵の国の秘宝だ。魔力の代わりにオーラを利用する……。オーラの扱いが上手なお前なら、長距離でも飛べるはずだ」
「え……?」
「イメージしろ」
「東桜……?」
「璃央の屋敷をイメージしろ」
「何を言って……」
「お前が助かる道はこれしかねぇんだよ!早くしろ!!」
 弱りきった声で腑に落ちないように首を傾げる蘭佳に、東桜はイライラを隠せないようにそう叫んだ。

 蘭佳がビクリと体を震わせ、すぐに自分の体を覆っていた光を、その鉱石へと集中させてゆく。

「死ぬな。絶対だ」
 その言葉の時だけは、荒げた声を発していた東桜の声がはっきりとした真摯なものに変わっていた。

 紫音はゴクリと……喉を鳴らす。

 東桜の殺気が更に高まっているのを感じる。

 ドクンドクンと脈が速まってゆく。

「東桜……あなたはどうす……」
 蘭佳が何か言い掛けたが、その言葉を言い切る前にフッと姿を消した。

 緑色の光が部屋を包み、ふわりと紫音の頬を風が撫でた。
 紫音はそれを見つめて、呆気に取られる。

 東桜が刀をチャキッと音を立てて抜き、ゆっくりと立ち上がった。
 鋭い眼差しが紫音を捕らえている。

 紫音も剣を抜き、睨みつけた。

「鬼月を壊したのはお前か?」
「ああ、そうだ。だったら、どうする?」
「斬る」
「奇遇だな。俺もその言葉、言いたかったところだ」
 東桜は大きい声でそう言い切り、更に表情を険しくさせた。





 蘭佳は石版の光に照らされた部屋から薄暗い部屋へと移動して、視界が遮られたような感覚に捕らわれた。

 オーラを全て鉱石に集中させたために、斬られた箇所からどんどん血が噴出してきている。

 ここがどこなのかを必死に確認しようと、うつ伏せで倒れた状態から必死に上体を起こす。

「あら……?蘭?どうやって、この部屋に?どこかに出掛けていたのではなくて?」
 少女の声が蘭佳の耳を震わせ、蘭佳はなんとなく部屋の場所を察した。

 蘭佳は彼女の声を聞いたことが少なかったが、1人しかいない。

 蘭佳は息を切らせながら、必死に声を発する。
「みかげ……さま……お願いです……医者を……」
「残念ねぇ、わたし、だるくて動けないのよ」
 声はハキハキしているくせに、そんなことを言う御影。

 蘭佳は懸命に立ち上がろうとするが、出血が多いためか、足に力が入らない。

「璃央さま……でも、給仕でも……かまわないので……。お願い……します……。呼んで……いただけませんか……?」
「キミカゲ……?あらあら、何の用?」
「このままだと、出血多量で……。なので、治療を……」

 初めて会話したと思ったら、御影はにべもない対応だった。
 口調はきついような柔らかいような微妙さ。
 けれど、分かりきっていることを、わざと分からないとでも言うように首を傾げてこちらを見ている。

 目が慣れてきて、見据えた御影の眼差しはゾクッとするほど不気味なものだった。

 闇の中に金の目が輝いている。

 先程だるくて動けないと言ったのに、スタスタと歩いてきて、蘭佳の顎を掴んでクイッと自分のほうへと向ける。

「死にそうなの?可哀想ねぇ。でも、別にわたしには関係ないわ。だって、あなた、邪魔なんだもの。キミカゲの婚約者なんでしょう?あの子はわたしのものなのに」

「……あなた……」
 蘭佳はそんな御影の言葉に奥歯を噛み締めた。

 血が脳に行かなくて、どんどん呼吸が早くなってゆく。
 視界がぼんやりとし始めて、意識が遠のく。

 このままだとマズイ。

 脳裏をそんな言葉が掠めた。

 すぐに御影を突き飛ばし、床を這いながら廊下へのドアを目指す。
「大変そうねぇ。いっそ、このまま死んじゃう?手助けしてあげてもいいわ……っ……」
 蘭佳を踏みつけようと足を上げたかと思ったら、突然苦しげに頭を抱え込む御影。

 蘭佳は何が起こったのか分からないが、ただドアへと這ってゆく。
 この部屋を出ても、誰も廊下にいなかったら……自分は死んでしまうだろう。
 東桜が逃がしてくれたというのに……。

 東桜が握らせてくれた鉱石を握り締めて、必死に前進する。

 ドアノブを回そうと、上体を起こす。

 呼吸だけが速かった。
 脈の音が遠い……。
 怖かった。
 自分の体があまりにも冷たくて、怖かった。

 ドアノブを決死の思いで回し、ドアを引き開ける。
 開いた隙間から部屋を出ようとした時、御影が何かをブツブツ言っているのが聞えた。

「邪魔をするな……。蘭は死なせないわ!……お前は邪魔だ……」

 交互に別の人格が話しているような……そんな感じだった。

 部屋を這い出たところで、蘭佳の体から力が抜ける。
 意識だけを必死に繋ぎ止めた。

 すると、突然御影の部屋から叫び声が上がる。
「誰か……!璃央!!来てちょうだい!!!」
 その叫び声の後、すぐにドアがバタンと閉まった。

 蘭佳は先程『死ねばいい』と言っていた御影が、突然、大声で人を呼んだことに違和感を覚えずにいられなかった。

 けれど、そんなことを考えている余裕などない。

 鉱石を握り締めてなんとか意識を保つ。

 床が血で汚れてゆく。

 赤絨毯の上だが、赤黒い血が段々広がって染みを作ってゆくのを見ると、自分はこのまま死ぬな……なんて言葉がつい浮かんでしまう。

 そんな時、タタタッと誰かが駆けてくる音が聞えた。
 消えかけた意識の中、蘭佳は目線を上げる。

 璃央が蘭佳の惨状に目を見開き、すぐに膝をついて抱き寄せてくれた。
「どうした?蘭……」
 戸惑うように蘭佳の顔を覗き込んでくる。

 優しい眼差しが、蘭佳を捉えていた。

 いつも、誰を見ているのかわからないような眼差しの彼が、今だけは蘭佳を見つめている。
 安心したためか、そんなことを思いながら、蘭佳の意識はそこで途絶えてしまった。


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