第9章  怒りと風の力

 真城は容態が突然悪化した葉歌の手を握り締めて祈るように泣いていた。
 昨日、ようやく歩くほどまで回復したのに、朝起きたら苦しそうに咳き込んでいて、何度呼びかけても真城の声に応えてはくれなかった。
 いつもなら、どんなにしんどくても真城に笑顔を返してくれるのに。

 青い顔で目を閉じたままの彼女を見るのは辛すぎて、どんなに堪えようとしても涙が込み上げてくる。

 泣いてもどうにもならないのに。
 自分はそんなにやわじゃないはずなのに。

 ずっと葉歌の傍を離れようとしない真城に、月歌が何度か『ご飯食べませんか?』と優しく声を掛けてくれたけれど、真城はその都度、フルフルと力なく首を横に振った。

「葉歌……」
 真城は涙を拭って、優しい声で呼びかける。

 けれど、葉歌ははぁはぁ……と呼吸を弾ませるだけで、真城の声は聞えていないようだった。

「……真城様、何かありましたら呼んでください。フロントに待機してますので」
 月歌はそう言い、真城の頬を伝う涙をそっと拭って、部屋の外へと出て行った。

 時だけが……流れてゆく。

 オレンジ色だった窓の外が、段々暗くなっていく。

 葉歌の呼吸が段々弱くなっているような気もして、怖くて怖くて仕方がない。

「どうして……こんないきなり……」

 開いている窓から風がそよそよと入ってきて、真城と葉歌の周囲を漂う。
 夏だけれど、山の中腹部にあたるこの村の風はとても涼しくて心地よい。
 泣いてばかりで火照ってしまっていた真城の頭を少しだけ落ち着かせてくれた。

 棚の上に置いてあった白い結晶に目が行く。
 戒が置いていった『生体エネルギーの塊』。
 葉歌は得体が知れないから絶対に飲みたくないと言っていたが、戒が持ってきたものだ。
 よっぽどじゃなければ間違った作用をするとは思えない。

 月歌が先程お湯を沸かしていたので、すぐにキッチンに入り、残っていたお湯をティーポッドに注いで、藁にもすがる思いで白い結晶をポチャンと投げ入れた。

 すると、ぽぅっと不思議な輝きを放って、煙のようなものがぼわっと噴きあがった。
 それに驚いて、びくっと肩を震わせたが、気を取り直してすぐにティースプーンでかき混ぜる。

 意識がないから、ティーポッドで口に流し込むしかないと思ったのだ。

 ある程度冷めるまで待とうと、ぼーっとかき回してできた渦を見つめる。

 温度を確認するようにティーポッドを持ち上げ、はぁ……とため息を吐いた時、シュルッと衣が擦れるような音が後ろでした。

 真城は振り返って目を見開く。
 そこには先程まで苦しそうに眠っていた葉歌の背中があった。

 外を見つめて、誰かと会話するようにブツブツ……と何かを呟いている。

「葉歌……?」
 真城はポツリと名を呼んで、葉歌に歩み寄ろうと1歩踏み出す。

 葉歌がその声に反応するようにゆらりと体を揺らして振り返る。

 生気のない目だった。
 エメラルドのような輝きを見せる彼女の瞳に光がなかった。

 ドキリと胸が鳴る。

「真城、ちょっと行ってくるわ」
「え、どこに?」
「風が……呼んでるから……。行ってくる」
 葉歌がそっと目を細めると、風が窓から吹き込んできて、葉歌の柔らかい髪をふわりふわりと揺らした。

 そして、次の瞬間、葉歌の体から緑色の光が放たれ、爆発したかのような風が葉歌を中心に巻き起こった。

 真城は堪え切れずに目を閉じる。

 風が止んでからすぐに目を開けると、葉歌が消えてしまっていた。

 手から力が抜けて持っていたティーポッドが床に落ち、ガチャンと割れた。
 足にぬるくなり始めていたお湯がかかったが、それどころではない。

 陶器の割れる音が聞えたのか、すぐに月歌が中へと入ってきた。
「真城様?どうかし……」
「葉歌が……消えた……」
 月歌の言葉を遮って、真城はそう言い、その後、クラリと頭が揺れて、次の瞬間、意識を失って床へと勢いよく倒れこんだ。





 東桜が石の力を使って外へと移動したので、紫音はそれを追って塔の外へと飛び出した。
 風車のプロペラがゆっくりと回り、風がゆらりゆらりと草花を揺らしている。
 刀を肩の上でポンポンと弄びつつ、待っていた東桜を見据えて、剣を構える。

 殺気で肌がビリビリする。
 けれど、逃げ腰になっている場合じゃない。

 唇を噛み締めて、紫音はジリジリ……と距離をつめてゆく。

「俺はお前の逆鱗に触れた」
「……っ……?」
 東桜の言葉でビクリと足を止める。

「……お前も、俺の逆鱗に触れた。まぁ、強いヤツなら何も関係なくても戦う相手にリストアップなんだが、な」

 東桜は刀を持ち直して、ギラリと怪しい光のこもった目で紫音を睨みつけてくる。

 紫音は奥歯を噛み締めて、倒れている鬼月をチラリと見てすぐに視線を戻した。

 風が2人の間を吹き抜け、少しの間、睨みあいだけが続く。

「久々だな」
「何が……だ?」
 震えそうになる声を必死に抑えて、紫音は問うた。

 怒りを打ち消すほどの……殺気を放つ男。
 けれど、紫音も引くわけにはいかない。
 700年主を想い続けて、時と戦い続けた……。
 この健気な従者に、せめてもの手向けを返さなくては。
 それが……自分が……キリィの魂の持ち主としてできる精一杯のことだと思うのだ。

 記憶もないのに、真っ直ぐに信じた。
 それは何故なのか、自分でもよくわからない。
 けれど、あれほど想ってくれている彼の眼を疑うなど、この優しい男には出来るはずもなかった。

 それに……自分の中で、確かに誰かが泣いているのだ。
 これはきっと彼女なのだと、思わずにはいられない。

「こんなに1人の女に入れ揚げてたと自覚するのは久々だ。戦いに、意味があるのも、な」
 その言葉が……戦いの合図かのように、東桜が勢いよく踏み込んできた。

 10メートルあると思ってた距離をあっという間に詰めて、ブンッと刀が振り下ろされる。

 紫音はかわさずにそれを剣で受け止めた。
 ギリギリと鍔迫り合いへと体勢が変わる。

「へぇ……細っこいくせに大した力だなぁ。だが、そんなもんじゃ、まだまだだ!」

 徐々に紫音の体が後ろへと押されてゆく。
 東桜がグッと力を込めて刀で押し出すと、紫音の体もすぐに体勢を崩して後ろへ下がった。
 けれど、素早く横に移動して東桜の目をかく乱しつつ、スピーディーに突きを放つ。

 東桜はそれをなんともないようにふわりとかわし、刀で剣を跳ね上げてきた。
 その衝撃の激しさに、腕ごと弾かれてしまった。
 体が無防備になり、頭の中でマズイという言葉が過ぎる。

 突きで体も前のめり、かわせる余地などどこにもない。

 東桜の刀が横に走った。

 紫音は決死の思いで地面を踏みしめ、東桜へとタックルする形で突っ込んだ。
 間合いに入ってしまえば、その場しのぎだがかわすことが出来る。
 東桜は紫音の全体重の乗ったタックルに、グラリと体勢を崩した。

 ……が、すぐにシュンと姿を消し、紫音から間合いを取った位置に移動してしまった。

 厄介な力だ。
 ああして移動されては、決まる技も決まらない。

 紫音は素早く立ち上がり、ふぅ……と息を吐く。

 武闘大会で不利な人間が取る行動の1つが今の行動だった。
 相手の間合いに入って、体勢を崩させ、自分のペースをなんとか取り返そうとする。
 自分は大会中やったことはなかったが、咄嗟に思い出して動けたことにほっとした。

 紫音はすぐに剣を構え直した。
 風が何か言いたそうに紫音の髪を撫でては漂い、撫でては漂いを繰り返す。
 けれど、そんなことが紫音にわかるはずもなく、自分の中に東桜の発する殺気への恐怖感が戻ってくる前に自分のほうから仕掛けた。

 東桜は何か戸惑っているのか、首から提げている石の片割れを見つめて目を細めていた。
 しかし、紫音の勢いの乗った剣戟を素早く刀で受け止め、ぐっと腕に力を入れる。
 袖から覗いた腕の筋肉が大幅に収縮を繰り返す。

「……僕は、初めてですよ……」
 鎬を削りあいながら、紫音は必死に押し負けないように踏み込みながらそう言った。

 東桜が不思議そうに目を細める。
「こんなに怒りが込み上げてくるのも、こんなに怖いと思うのも……初めてだ」
 ぐっと体に力を入れ、東桜の力に対抗する。

 すぐそこには、鬼月が横たわっている。

 紫音は奥歯を噛み締めた。

「お前だけは許さない。絶対に……絶対に許すものかっっ!!」
 東桜の刀を押し切り、素早く剣を振るった。

 だが、またもや、石が緑色に輝き、東桜の姿がその場から消える。
「クソッ」
 紫音は苛立った声で吐き捨て、周囲を見回す。

 どこにも東桜の姿がなかった。
 あれだけのことを言っておきながら逃げるとは思えない。
 それに、彼の剣気は……死など問題にしていないように感じた。

 シュンと東桜が塔の傍に姿を現す。
 紫音はそれに気付いてすぐに距離を縮めた。
 何か腑に落ちないように石を見つめている東桜。
 紫音が剣を振ると、それを器用にかわしながら、辺りを見回していた。
 紫音は1度距離を取り、素早く突きを繰り出す。

 すると、東桜はそれをギリギリのところで受け止めた。

「なるほどな……」

「 ? 」

「ここは、この石にとって最悪の相性らしい……」
 紫音の剣をギリギリと押し戻しながら、そんなことを呟く。

「ここの風を敵に回した状態で、風の加護が重要なこの石を操れる訳は、ねぇわけだ」
 納得したように目を細め、ふぅ……とため息を吐く東桜。

 紫音は素早く剣を引き戻し、もう一撃突く。
 けれど、今度はそれを東桜はひらりとかわし、紫音の腹に膝蹴りを決めてきた。

 咄嗟の蹴りは不意を突かれた紫音の鳩尾に見事にめり込む。

「ぐっ……」
 苦しげな声が漏れる。
 東桜は素早く刀の柄頭で紫音の首をガツンと思い切り叩き、すぐさま離れた。

 そして、着地と同時に突きの構えで突っ込んでくる。
 急所2つを連続で叩かれた紫音は視界がグラグラしていた。
 東桜が迫ってきているのはわかるが、刀の位置が捉えきれない。
 必死に剣を振るって応戦したが、剣先が東桜の肩を掠めただけで、次の瞬間、紫音の腹に刀が突き刺さる。

「……っっ……」
 刺さった刀を抜かれる前に、紫音は刀の柄をガシッと握り締めた。

 刀を血が伝ってゆく。

「……お前だけは……許すものか……」

 片手で剣を振り下ろす。
 確かな手応えとともに、東桜の体からも血が噴出してきた。
 紫音の体に返り血が飛んでくる。

「こ……の……」
 東桜の苦しそうな声。
 ようやくクリアになった視界に、斬られながらも倒れてゆかずに剣を片手で吹き飛ばした東桜の姿が映った。

 柄を握るほうに集中していたせいか、剣は容易に弾かれて、地面に突き刺さる。

「……っ……はぁはぁ……」

 意地でも両者は刀を離さなかった。
 紫音も痛みで飛びそうになる意識をなんとか繋いで、この後、どうやって東桜を倒すかを考えていたし、東桜も紫音の体から刀を抜き、斬り伏せようと考えているのは明白だった。

 押したり引いたりすると、刺さっている箇所が激しい痛みを発する。
 口元からポタポタと血が溢れてきた。

「死に……ぞこないが……」
「お前もな……」
 東桜の傷だって、致命傷と言えるほど深いもののはずなのに、力が全く弱まらない。
 だから、紫音も必死でそれに応戦していた。
 そんな争いが一体どれほど続いたか。

 辺りは暗くなり、さわさわと風の音だけが空気を揺らしている。
 失血の激しい紫音のほうが、握力が極端に落ち込んだ。

 もう……駄目だ……すまない、鬼月。
 そう心の中で呟いた時、眩い緑色の光が草原一面を照らした。

 紫音も東桜も……何が起こったのか分からずに光を見つめる。

「この地に宿る風の精霊よ、今、我が声に応えたまえ。この地に踏みこみし邪悪な者を、今取り払わん」
 澄んだ少女の声が、紫音の耳に届いた。

 その声を紫音は知っていた。

「我が友を救いたまえ!」
 少女がそう叫んだ瞬間、目の前に立っていた東桜の姿が、石の力を使った時のように一瞬で消えてしまった。

 紫音は状況を把握できないまま、地面に膝から崩れ落ちる。
 傷を押さえると、恐ろしいほど服が血で濡れていて、余計に意識が飛びそうになる。
 自分も、桜色の髪の少女をなんともなしに斬り伏せた。
 因果応報だ……。
 そんな言葉が浮かんで、勝手に納得する紫音。

 けれど、誰かの手が優しく紫音の体に触れたので、我に返って目を開けた。
 もう夜で、月明かりでしか確認できないが、紫音の耳は間違いではなかった。

 そこにいたのは……葉歌だった。

 ぼんやりとした目をして、紫音の傷口を押さえている手をどかす。

「葉歌さん……」
 込み上げてくる吐き気を抑えて、声をしぼり出す紫音。

 葉歌はシッと息を吐き出すように言い、怖々と傷に触れ、手の平から緑色の光を発した。
 ぬくもりが、体いっぱいに広がる。
 痛みが和らいで、吐き気も薄れてゆく。
 傷口の脈が弱まり、指先の冷たさが少しずつ無くなっていった。
 激しかった呼吸が少しずつ落ち着いてくる。

 こんな呪文……見たことも聞いたこともない……。

 体が本来の機能を思い出し始めるとともに、紫音はまどろみを覚えて、ゆっくりと目を閉じた。

 何かを尋ねようにも……体を包む温かさが、紫音を眠りへと誘う。

 ここは、眠るしかない。
 そう、思った。


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