第10章 お疲れ様 『東桜、紹介しよう。先月から僕の元で働いてくれている蘭佳だ』 璃央の指示で戦場に出ていた東桜を待っていたのは、物静かに佇む1人の少女だった。 窓の外を見つめて立っていた蘭佳が璃央の声に反応してクルリと振り返る。 桜色の髪。 切れ長で研ぎ澄まされた、秀麗な目。 それでも、まだどこかあどけない雰囲気を湛えた面差し。 葵美人……。 そんな言葉が東桜の心に過ぎった。 『璃央』 『なんだい?』 『ランカはいくつだ?』 『15……だったよね、蘭?』 『はい、もうすぐ16になります。よろしくお願いします、東桜さん』 ニコリともせずに、蘭佳は深々と頭を下げる。 東桜は懐から出していた手で自分の広い顎を撫でた。 『マズイな……俺はロリコンではないはずなんだが……』 ポソリと呟いた言葉。 2人はそれを聞き取れなかったようで、ほぼ同時に首を傾げてみせた。 『や、なんでも。行動を共にすることはないだろうが、10年後、まだ一人身だったらよろしく頼むぜ、ランカ』 東桜がふざけて大きな声でそう言うと、蘭佳は顔を微かに赤らめた。 嫌なものでも見るように東桜を見て、そっと俯く。 なんだ、この初々しい反応は?! 心の中でそう叫ぶ。 ただの冗談だったというのに、このように反応するとは思ってもいなかった。 『そういう表現は嫌いだから、僕の前ではするなと言ってあったはずだが?』 不機嫌そうな璃央の声。 東桜はすぐにひらひらと手を振って、わかってますよーと返事をした。 東桜は見慣れない砂漠に横たわっていた。 何が起きたのか分からないが、おそらくは風跳びの呪文で飛ばされた……。 ただ、風跳びの呪文で、他者を飛ばすことが可能なのかどうか知らないが。 肩から胸にかけて斬られた傷。 ドクドクと血が溢れてくる。 いつものように息を吐き出して精神を集中させる。 すると、出血のスピードが緩くなって、なんとか上体を起こすことが出来た。 「どこだかわからんが……なんとか、緋橙にもどらねぇと……」 首から提げている石をぎゅっと握り締める。 傷の治療が先だから、まずは近くにある村か町に飛びたいな……と心の中で呟く。 死は怖くない。 戦闘の中で死ねるのならば、それほど上等な死に場所はないだろう。 しかし、こんな砂漠で失血死……とあってはただの恥というものだ。 「……アイツの塩梅が気になるしな……。駄目だな……執着を持つと、戦いが思うように楽しめなくなるって……知ってたはずなんだが」 声を絞り出しながら、自分で確認するように呟き、空を見上げた。 周囲に灯りが全くないからだろうか。 夏の微かに緑がかった空の色も、夜空にちりばめられた星も、どこまでも見通せるような……そんな空だった。 東桜は石を握り締め、目を閉じて念じた。 イメージ通りの場所に飛べたことは一度もないのだが、とりあえず、こんな誰もいないような場所はごめんだと……、心の中で呟きながら、シュンと姿を消した。 紫音の体を借りて『キリィ』はムクリと起き上がった。 紫音の横に葉歌が疲れきった表情で眠っていた。 いくら夏とはいえ、ここは山の上で、葉歌はパジャマ姿だった。 体を冷やしてはまずいと、『キリィ』は立ち上がり、塔の中へ葉歌を運び込む。 紫音の傷はすっかり癒えていた。 腕の中の葉歌はか細く、ずっと風に当たっていたせいか異様に冷たかった。 「……衰弱、しておるな……」 ぽつりと、紫音の声で『キリィ』は言った。 1階のキッチンのコンロに火をつけ、水の入ったやかんを乗せると、2階の部屋のベッドへと葉歌を運ぶ。 ベッドにゆっくりと体を下ろし、丁寧にブランケットを掛けると、素早く部屋を出て、4階へと向かった。 4階の結晶精製室に入り、石壇の上に置かれている結晶を3個ほど手に取り、すぐに1階まで下りてゆく。 カップを用意し、その中に1つ結晶を入れると、グツグツと音を立てているやかんを持ち、湯を注いだ。 不思議な光を発し、ぼわっと煙が上がる。 コンロの火を止め、カップを持って階段を駆け上がる。 部屋に入り、ベッドの傍にある棚にカップを置き、葉歌の体をゆさぶった……が、反応はない。 何度も何度も体を揺さぶるが、葉歌は全く反応を示さずに、青い顔のままで浅く速い呼吸を繰り返している。 呼びかけようとも思ったが、彼女の名前が分からない。 紫音は彼女をなんと呼んだか……? 思い出せない。 「すまぬ」 『キリィ』は思い出すのを諦めて、カップのお湯を口に含んだ。 昔、ひどい病気をすると、鬼月に無理矢理飲まされた。 この結晶を溶かした湯の味は最悪で、あまり好きではないが、仕方がない。 「ぬ……美味い……」 つい飲み込んでしまった。 風が清められた後の結晶だからか、味が違ったようだ。 『キリィ』はブンブンと首を振り、気を取り直すともう1度口に含む。 そして、葉歌の体をそっと起こし、少し口を開けてやり、ゆっくりとくちづけた。 微量でもいい……。 体内に行き渡ってくれれば、調子を取り戻すことが出来るはずだ。 「……ん……っぐ……」 苦しそうな声と、コクンという微かな喉の音。 少しだけ葉歌の呼吸が落ち着いた。 ほっと胸を撫で下ろし、葉歌の頭を優しく撫でて部屋を出る。 1階に置いておいた残りの結晶と工具箱を持ち、塔の外へ。 倒れている鬼月に駆け寄って、胸部の金属板を外すために、スパナを取り出した。 固定しているヘッドの大きなネジを手馴れた様子で抜いていき、カパリと金属板を外した。 「この体、いいのぅ……」 満足げにそんな声を漏らして、胸部のエネルギータンクの上にある結晶をはめ込むための穴に、持ってきた結晶を入れる。 すると、鬼月の体がシューンシューン……と音を立て始めた。 「エネルギーノ補給ヲ確認。コレヨリ、メモリーノ収拾ヲ始メル」 「鬼月」 「紫音ヲ確認」 『キリィ』の呼びかけに、鬼月はそんな言葉を口にした。 すぐに不機嫌な顔をして叫ぶ。 「ワシが分からぬか?!たわけ者が!!」 紫音の声で、『キリィ』の言葉。 鬼月がシューンシューンシューン……と音を繰り返し、ようやく分かったようで、若干体を動かした。 「キリィ」 「そうじゃ。今までよくやってくれたな」 「アア、オマエニ会エルトハ。鬼月、幸セダ」 「ご苦労であった」 「ヨセ。照レル」 「人形のくせに」 『キリィ』の労いの言葉に鬼月が返した言葉があまりに人間臭くて、『キリィ』は紫音の顔でおかしそうに笑った。 「今、直してやるからな」 「イイ」 『キリィ』が工具箱をゴソゴソと漁っていると、鬼月は首を微かに振ってそう言った。 『キリィ』は怪訝な顔で鬼月を覗き込む。 「……なぜじゃ?」 「部品、モウ使イ物ニナラナイ。無事ナノ、核ダケ」 「スペアが……」 塔を見上げて、自室に置いてある鬼月の部品に思いを馳せたが、鬼月はすぐに補足する。 「スペア……モウ、古イ。油ニモツケテナカッタカラ錆ビテシマッタ」 「たわけ者……」 「必要ナイト思ッテイタノダ」 「…………」 「ソレニ、本音言ッテイイカ?」 「な、なんじゃ?」 「寂シイカラ、モウイヤダ」 『キリィ』はその言葉に声を失った。 鬼月が「寂しい」と言った。 そんなことを言うなどと誰が思うだろうか。 「鬼月、モウ疲レタ。オマエガイナイコノ世界、ツマラナイ」 「鬼月……」 「ダカラ、鬼月、モウイイ。キリィモ、ヨクヤッタ。ユックリ眠レト言ッテクレ。鬼月、本当ハ……ソノ言葉待ッテタ」 「おぬし……」 「風車、傷サエツカナケレバ、当分ハ動キ続ケラレル」 「生きて欲しいなどというのは……綺麗事じゃな……。ワシとて、おぬしがいなければ、生きてなぞおられなかった」 「核ヲドンナ風ニ使ウカハオマエニ任セル」 鬼月は静かにそう言って、右腕を動かそうとしたのか、にわかに音を立てる。 けれど、動くことは無く、ガシャンと音が鳴っただけだった。 『キリィ』はそっと右腕に触れる。 冷たい金属の感触。 「鬼月、よくやったな……もう、なにも心配せずにゆっくりと眠れ。ワシの最愛の友よ……」 そう言って、鬼月の顔を優しく抱き締めて、はめ込んでいた結晶に手を伸ばした。 外そうと結晶を握り締めた時、塔の扉がガンガン……と音を立てて閉まった。 ピクリ……と反応して、『キリィ』は手を止めて振り返る。 葉歌がブランケットを羽織った状態でゆっくりとこちらに歩いてくる。 「おぬし……」 状態が良くなったことには安堵したが、今は紫音ではないので、やや動揺してしまった。 「紫音くんなの?……あの、ここはどこ?わたし、確か、村で臥せっていたはずなのだけれど」 「あ……その、あの……」 しどろもどろで困った表情を浮かべてみせると、葉歌は首を傾げて傍まで歩み寄ってきて、顔を覗き込んできた。 「紫音くん?」 普段闊達な紫音がこのように言葉を詰まらせることを不自然に感じるのは、葉歌にとっては自然なことだったろう。 『キリィ』はぎゅっと唇を噛み締めて、月明かりに照らし出される綺麗で柔らかな少女の表情を見上げる。 「…………」 「アア、ヨク来タナ」 『キリィ』が言葉に詰まっていると、鬼月がそんなことを言った。 葉歌は物だと思っていた者が喋ったのに驚き、目を見開く。 『キリィ』も鬼月に視線を動かした。 「穢レノナイ魂。美シイ姿……あかり、トテモ綺麗ダ」 「え?」 その言葉に『キリィ』は驚いて、葉歌を見上げた。 この少女が……あかり? 葉歌は何を言っているのだろうという顔をして、1人と1体を見下ろしている。 「……塔に戻っておいで」 「え?」 「風が冷たい。病気の体に障る」 『キリィ』は懸命に紫音を演じて立ち上がり、優しく触れて葉歌の体の向きをクルリと変えさせた。 葉歌はコクリと頷いてフラフラと塔へ戻っていく。 そのか弱い背中を見つめたままで鬼月に問う。 「間違いないのか?鬼月」 「あかりノ魂トオマエノ魂ダケハ間違エナイ」 「…………。そうか……彼女が……」 『キリィ』は目を細め、塔の中へと入っていった葉歌を確認してから、鬼月の脇にしゃがみ直し、鬼月の胸の結晶に手を伸ばす。 「鬼月、今度こそ、よく眠れ」 「あかりノ魂、少シいびつナ形ダッタ。気ヲツケテ見テヤッテクレ」 「分かった」 「ソレデハ、キリィ、オヤスミ」 鬼月は人間が眠る時のように簡単にそんな言葉を言った。 キリィも「おやすみ」と返して、結晶を外し、タンクの裏側に隠すように組まれていた核を外した。 黒い金属の塊。 父がどうやって作ったのかはわからないが、これが鬼月を司っていたもの。 そう思うと妙に愛しく感じて、鬼月の頭を撫でた後に、その金属の塊を胸に当てて祈りを捧げた。 抱き上げてベッドにゆっくりと横たわらせ、真城の髪を撫でると、真城がそっと目を開けた。 月歌はほっと安堵の息を漏らして、優しい声で呼びかける。 「真城様、大丈夫ですか?」 けれど、その声が聞えているのかいないのか、真城は天井を見上げたままで窓から入ってくる風を呼び寄せでもしたように、2人の周りに風が集まってくる。 「行かなくちゃ」 「真城様?」 真城の様子がおかしいのに気がついて、顔を覗き込もうとする月歌。 けれど、月歌の腕をそっと除けて、すぐに真城は立ち上がった。 真城よりも鋭い眼差しで見つめ、月歌の手を取る。 「行かなくちゃ。すぐに準備して。彼女の居場所、風が教えてくれるから。ぼくだけでも行けるけど、そうすると、この子が嫌がるから。あなたに心配かけるからって嫌がるから」 そんな言葉を言い、すぐに荷物を纏め始める真城。 月歌はその様子を呆気に取られて見守る。 葉歌がどこかに消えてしまい、それを……真城が追おうとしている。 勿論、自分も葉歌のことは心配だ。 だが、それよりも前に、目の前で真城が倒れてしまったからそこまで頭を回すことが出来なかった。 「早くして」 「し、しかし、もう辺りも暗く……」 「風が護ってくれるから平気だよ。ぼくは彼女を護るためにいるんだ。彼女から離れたら意味がないんだよ。ほら、早くして」 「あなた……真城様……じゃない?」 「そんなことはどうでもいいことだよ。今大事なのは、彼女の傍にぼくが行くということ」 「…………」 「早くしなよ。ぼくは彼女を護らなくちゃならないんだから」 「わかりました。少々お待ちください」 月歌は頑として譲りそうにない真城の表情を見て、コクリと頷いて部屋の外へと出て行く。 出がけに真城がぽつりと呟くのが聞えた。 「ごめんよ、君の体を乗っ取るつもりはないから、しばらくぼくに貸してちょうだい」 月歌はドアを閉じる前に部屋の中にもう1度視線をやると、真城が頭を軽く押さえて物憂げにしているのが見えた。 |
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