第1章 前世……悲しみの始まる時 「わたしには力がない……」 あかりが悲しそうに自分の手を見つめて、そう呟いた。 軍に襲われ、燃えてゆく村の中、助け出せたのは女の子だけ。 たった1人を救い出しただけで、結局何も出来なかった。 目の前で殺されそうになっている人たちがたくさんいたのに……セージの言葉のままに逃げることしか出来なかった。 剣を持っていても、それを相手に向けることが出来ない。 あかりの力は風を清め、人の傷を癒すだけ。 人を戒めることも何もできない。 その苦しさに耐えられず、みんなの輪から離れて森へと駆け込んだ。 ザザザザ……と木々を鳴らして、あかりを慰めるように風がふよふよと髪を撫でる。 頬を涙が伝う。 誰にも見せないように、頑張って我慢していたモノ。 でも、……もう無理だった……。 「わかってるの。あなたが悪いんじゃない……。ごめんね、いつも慰めてもらっちゃって……。悪いのは何も出来ないわたしなの……わたしなのよね……。わかってるんだよ、わかってる。わかってる……」 嗚咽混じりで自分を責めるようにそんなことを呟き続けるあかり。 風が突然凪ぎ、そして再びあかりの頬を掠めて戻ってきた。 あかりはその風に驚いたように潤んだ目をきょとんとさせる。 そして、ようやく理解したように柔らかく笑った。 その笑顔は可愛らしくて、見た者全てを安心させるような温かさがある。 「……そんなことないよって?いつも、困った時はあなたのせいにしてるのに……」 ザワザワと木々を揺らして風があかりの周りに集まってくる。 旋風が起こって、その中心にあかりが立っているかのように見えるほどだった。 あかりの着ていたシャツがひらひらとなびいて、髪もいつもの整ったものがぐちゃぐちゃになる。 それでもあかりは笑顔で応える。 「ありがとう」 と。 「あ、あかり様、どこに行ったのかな?」 心配そうにキミカゲが周囲をキョロキョロと見回している。 少し寒くなってきたのもあって、近くの町で買った上着を黒のタンクトップの上に羽織った姿で、御影の傍にいながらもそんなことを言った。 御影がその様子を見て不機嫌そうに目を細めると、御影の長い髪をサラサラと揺らして風が起こった。 先程あかりが傷を癒して、今は穏やかに眠っている6、7歳の女の子を、セージが優しく抱き上げた状態で、2人のやりとりに目だけ動かす。 「子供じゃないんだから放っておけば帰って来るでしょう?勝手にいなくなったのなら1人になりたいのよ」 「で、でも、まだ近くに軍のヤツらがいるかもしれないし……」 燃えて崩れゆく村の入り口に倒れていた女の子だけを助け、あかりの安全をセージが優先した結果、村を襲っている軍人と戦闘になることはなかった。 しかし、戦争で気が立っている軍人に、年頃の少女は恰好の発散材料だ。 一応、キミカゲもそのへんを懸念して、あかりが1人でいることを心配しているのだろう。 「大丈夫よ、あかりが危なくなったら風がわたしに教えてくれるから」 「いや、それ以外にもあかり様は方向音痴だし、ちょっと抜けてるし……」 キミカゲは眉をへの字にしつつ、そう呟き、御影から少し離れて周囲を探り始めた。 方向音痴でも風に聞けばすぐに戻ってこられるのに。 キミカゲのあかりに対しての過保護さが際立つようになってきて、御影は最近キミカゲがあかりのことを心配すると、本当に不機嫌になるようになった。 セージの視線の先で、御影の表情が暗くなる。 ザワザワと御影の黒い髪、黒い服を揺らす風。 「……だったら、行ってくれば?」 御影にしては珍しく、キミカゲに対してぞんざいな言葉だった。 キミカゲはそれに気付いているのか気付いていないのか知らないが、御影に視線を寄越して少し考えるようにじっとしていたかと思ったら、数秒してからコクリと頷いて、背中に背負っていたリュックを下ろし駆けて行ってしまった。 御影が寂しそうにその背中を見送っている。 セージはそこでようやく口を開いた。 「お前も行ってくればいい」 「わたしは疲れたの。休みたいのよ。あかりは1人になりたいから姿を消したのに、本当にキミカゲって心配性っていうかお節介っていうか。結局解決できなくて困るのは自分のくせに首ばかり突っ込むのよね」 辛辣な口調でそう言うと、はぁとため息を吐いて、近くの岩に腰を下ろした。 「セージ様もお座りになったら?ずっとその子を抱いてるのも大変でしょ」 「ああ、そうだな」 ガシャガシャ……という鎧の音を立てながら、少しだけ御影から離れた位置に腰掛けるセージ。 風で赤い髪が少しなびく。 御影が少し座る位置をずらして、セージへと近づいてきた。 そして、女の子の顔を覗き込んでくる。 「……こんな小さな子まで巻き込んで、何がしたいのかしら。世の馬鹿どもは」 「……統一だそうだ」 「え?」 「この国の全面的な統一が、この戦いの意義だ」 「…………。おかしな話ね」 「珍しく意見が合うな」 「……そういえば、セージ様と2人になるのは初めてですわね」 苦笑混じりのセージに、御影はふと気がついたようにそんなことを言っ。 セージはそれを聞いて、そうだったか?と興味なさそうに呟く。 頓着がない人間なのは前から分かっていることだから、御影もそんなことで腹を立てた様子を見せない。 「いつも、セージ様はあかりから離れないから」 「アイツの父親との約束だからだ」 「え?」 「あかりを護ることが、約束だから」 「……今は、いいのですか?」 「誰でも1人になりたい時はある。危険でない空間ならば問題はないだろう」 「……セージ様にはわかるのですか?この周辺が危険でないと」 「緑が穏やかだ。よっぽどでない限り、何かに襲われるなどという事態は起こらない」 遠い目をして、遠くに広がっている森を見つめるセージ。 御影は納得したようなしないような、そんな表情でセージを見た。 「あかりやお前が、風が澄んでいる、澱んでいる……と言うのと同じだ」 「そう」 「といっても、不思議な力があるわけではないがな」 セージは物静かにそう言い、切れ長の目を細めて女の子の頭を撫でてやった。 力の強そうな体と大きな手からは想像も出来ないほど優しい触れ方。 「せっかくですし、たまには質問もいいかしらね」 御影は沈黙を嫌うように、再び口を開く。 少々気まずいとでも感じているのだろうか。 そのようなことを感じるような少女には見えていなかったのか、セージはふと首を傾げてみせる。 けれど、首を傾げた意図など御影が知るはずもなく、問いを口にする。 「わたし、気になっていたのだけど、どういう関係なのです?騎士様かなにかだと思ってたから、一応あかりが呼ぶように『様』とつけていますけど」 「アイツの父親と茶飲み友達だった、それだけだ」 「茶飲み……?確かセージ様、24ですよね?子供の頃、あかりのお父様と?」 「ああ。あと、盆栽の整え方も教わった」 「ボンサイ……?天才・凡才の?」 「いや、盆栽は盆栽だ。鉢に植わっている小さな木で、その枝を……」 「ガーデニング?」 「いや、それとも違う。針葉樹はわかるか?それのミニチュアをな……」 「ガーデニングでいいんじゃありません?」 「いや、違うんだ!」 「…………。ま、まぁ、それはいいですわ。それでどういう?」 セージがこだわりを見せるように、御影の言葉をムキになって否定するので、御影は少々困ったような笑顔を見せて次を促した。 時々いるのだ。 相手に上手く言葉で伝えられないくせに、愛着があるゆえか、頑固に表現の仕方を譲らない人間が……。 そんなことはどうでもいいことだが。 「だから、一応、幼馴染だ」 「へぇ……」 「あかりの父親が亡くなって、すぐに風緑の村へと引っ越してしまったから、久しぶりに会った時に一目で分かったと笑ったあいつには驚いたが」 「確かに……。あかりって変な子ですからね」 「珍しく意見が合うな」 「変な子?」 「ああ、不思議なヤツだ。決して芯が強いわけではないのをオレは知っているが……それでも、アイツには救われる」 「……そう。セージ様は、想いを口になどせずに、死にそうな方ですわよね。墓場まで持ってきそう」 「そうか?まぁ、頓着がないから、自覚せずに死ぬこともあるかもしれないな」 御影の失礼な物言いもなんともないように流して、セージは珍しくおかしそうに笑ってみせる。 戦闘の時になると異常なほど好戦的になって、荒い気性を発揮するのだが、普通に話していると、時折御影のあかりに対する物言いにイラッとした表情を見せる程度なので、拍子抜けしてしまう。 御影はセージを見つめて、唇を噛んだ。 セージが思いついたように口を開く。 「お前は口数が多いよな。静かであるよりも騒がしいほうが楽しくていいかもしれんが」 「なんですか?」 「口数の多さは、自分の弱さを隠しているようにも見える。いつでも、自分が主導権を握って、見えないライン上を歩かせているようにな」 「…………」 「悪口のつもりはない。気になっただけなんだ。キミカゲはああいう性格だし、あかりも天然だ。あまり、不安ばかり抱かなくてもいいのではないか?」 「そんなこと、言われなくてもわかっていますわ」 御影はセージの言葉に不機嫌そうに立ち上がった。 風が御影に従うように追い風を起こす。 黒い髪がサラリと揺れて、黒い服が波打つ。 「わかっていますわ。大丈夫なのも、あの子が誰にでも優しいのも。でも、あかりはキミカゲのこと……だから……違うわ、まだわからないじゃない…………っうるさいのよ!」 セージが女の子を抱き直していると、急に御影が叫んだので驚いて顔を上げた。 女の子もその声に驚いたように目を覚ます。 そして、セージの顔を見ると怖がるように泣き出してしまった。 「うるさい……うるさい……。お前たちの声なんて聞きたくない……!!」 泣き続ける女の子。 突然壊れたように叫びだした御影。 女の子をあやすように体を揺らすセージ。 御影がぎゅっと自分の耳を押さえると、しゅぅぅぅ……と微かな音を立てて、黒い風が御影の体に巻きついた。 けれど、セージは女の子を泣き止ませようと必死で、そのことには気がつきもしない。 「どう……してよ……」 微かな御影の苦しげな声は誰も聞き取らない。 「……こんな中途半端な力要らない……。どうせ、あかりを選ぶなら、なんで……わたしにまで呼びかけたのよ……」 御影の体にどんどん巻きついて行く黒い風。 御影も、セージも、その存在に気がつかない。 ザワザワと風が鳴る。 日が辺りをオレンジ色に染めて、山の向こうへと帰ろうとしていた。 |
≪ 第6部 第10章 | 第7部 第2章 ≫ |
トップページへ戻る |