第2章 あかりとみかげ 「だいじょうぶ。うん、だいじょうぶ。元気。もう……だいじょうぶ。頑張るね?頑張るから」 あかりは目を閉じたまま、ポツリポツリ……と確認するように呟き、コクリコクリと頷く。 小さな体をキュッと細腕で抱え込み、勇気を確認するかのように何度も何度もすぅはぁ……と呼吸を繰り返す。 丸い目をそっと開け、風に微笑みかけてきた。 「頑張る。約束。……のために頑張る……」 そして、ゆっくりと歩いてきた道を戻り始めた。 いつも、奮い立たせるだけ。 自分の不甲斐無さを悔やんで、その後に自分を奮い立たせる。 あかりは……自分が前に進むしかないことを知っている。 立ち止まるのはほんの僅かな時間で、誰かに寄り掛かるのも、違う道を見つけてそちらに歩いてゆくのも、自分には許されないのだということを知っている。 それだけ、自分の目の前で失われていった命たちは重たい。 自分が立ち止まるということは、その全てが無に帰すというコト。 だから、許されない。 重すぎて嫌になる。 でも……それを口にしてはいけない。 自分にはそれも許されない。 なぜなら……誰かがやらなくてはいけないことだから。 「世界なんて知らない……。でも、わたし、……みんなのためなら、もう少し頑張れると思う」 誰に言うでもない言葉。 それを呟きながら歩く。 風がふよふよとあかりの髪を揺らし、そのまま森を駆けていった。 「あ、待って……」 あかりは風を追うように駆け出し、すぐに石に躓き、べしゃりと地面に突っ伏す。 すると、また風が戻ってきて、あかりの周囲を漂う。 あかりがおかしそうにふふふ……と笑った。 すぐに地面に手をつき、フラフラと立ち上がる。 「あーあ……これだから。もう、転ぶのも慣れちゃったなぁ……あはは。え?なに?ドジ?馬鹿ぁ?もう、……怒るよ?」 あかりはふんと鼻を鳴らして、乱れた髪を丁寧に整え、歩き出す。 「もう辺りも暗いのに置いてこうとするから慌てたの。……そんなこと言わなくてもいいでしょ」 ふてくされたようにそんなことを言った後、すぐにあかりはふわーんと笑った。 森を出てすぐにキミカゲがこちらへと駆けてくるのが見えた。 息を切らして、心配そうにあかりを覗き込んでくる。 その様子にきょとんとして首を傾げるあかり。 「ど、どうしたんですか?キミカゲくん……」 「あ、いや、その……1人でいきなりいなくなるから心配で……」 頬をポリポリ掻きながら、キミカゲは優しい声でそう言った。 その照れたような表情に思わずあかりは頬をほころばせる。 けれど、すぐに何かを思い出したのか、コホンと咳をして自分の表情を読み取られないように顔を伏せたようだった。 「あかり様は1人になっちゃ駄目だよ。もしも、君がいなくなってしまったら、救えるものが救えなくなっちゃうんだから」 キミカゲは穏やかな口調でそう言った。 特に悪気のないように、簡単にそう言うキミカゲ。 あかりがその言葉に一瞬だけ目を細め、右手をきゅっと握り締めた。 風がキミカゲの髪を弄ぶように何度も吹き荒れる。 不思議なことにキミカゲだけで、あかりには風が全く当たらなかった。 「な……なんだ……?」 キミカゲが頭を押さえて困ったように表情を曇らせる。 あかりにはキミカゲに対する負い目がある。 風緑の村で、風の呼びかけに応えてまもなくの頃、村が革命軍に襲われたのだ。 その時、キミカゲの父親があかりを庇って亡くなっている。 キミカゲはそのことを気に留めていないようだったが、あかりはずっとそのことが気にかかっているのか、それ以来、キミカゲに対する態度がよそよそしくなってしまった。 けれど、言及するなれば、よそよそしくなってしまった一番の原因は……キミカゲが村の人と一緒になって、『あかり様』と呼んだからだった。 兵士に襲われているところをセージに助けられ、なんとか軍を風跳びで村から追い出すことに成功した後、傷ついた村人達の回復を行ったら、突然、村人達の態度が変わってしまった。 あかりは風の声通りに動いただけだったのに、いつも親しくしていた村のおじさんたちにまで『あかり様』と呼ばれ、あかりは笑顔を保つのがやっとだった。 この時代、呪文の存在など皆無。 人を何処かへ飛ばし、傷を癒す力を持っていては、救世主や聖母……とでも崇められて当然だった。 700年経った後であっても、人の傷を癒す呪文を操れる者はほとんど存在していない。 あかりの力は、それだけ異質なものだった。 あかりとともに風の呼びかけを耳にした御影にはその力はない。 風の声を聞き、あかりのサポートをする。 その程度でしかない御影の力。 いつも背中を見て歩いていたあかりが、初めて御影に勝った……唯一のこと。 けれど、いつでも手を引いて歩いてくれるのは御影で、そんな御影をあかりは羨望の眼差しで見つめていた。 そして、何よりも羨ましいと思うのは……。 あかりは顔を上げて、キミカゲを見上げる。 オレンジ色に染まるキミカゲの顔。 水色の髪が日に透けて透明に近い色で揺れている。 「行きましょう、キミカゲくん。御影が暇してしまいますよ。キミカゲくんがいるから御影はついてきているんですから」 「え、あ、うん。でも……本当は御影ちゃんはあかり様がいるから……だと思う、けどな」 歩き出しながらキミカゲはそんなことをポツリと呟いた。 あかりはその声が聞えているのかいないのか、トテトテとキミカゲの前を歩いてゆく。 元いた場所へと戻ると、御影が女の子の相手をし、セージがテントの準備をしていた。 キミカゲがすぐにセージの元へと駆け寄り、テントの準備を手伝い始めた。 「おねえちゃん、これはできる?ぐっちっぱーのぐのちの……」 「ふん、余裕ですわ。わたしを誰だと思って?」 舌ったらずな話し方で、女の子は手をグーチョキパーと形を変えてゆく。 けれど、言葉には合わず、こんがらがったように手が止まる。 それを見てすぐに御影がそれをやってみせた。 すると、女の子はとても目をキラキラさせて、両拳をブンブン……と振る。 「すごいねぇ、おねえちゃん。おかあさんみたいぃ」 「そう?ま、得意になるようなことでもありませんけど?」 「目を覚ましたのね?」 あかりがすぐに駆け寄って、女の子の顔を覗き込む。 御影があかりを見上げてすっと目を細めて笑った。 「気分は落ち着いたかしら?」 「え、あ、うん、だいじょうぶ。ごめんね、勝手に……」 「いいえ。それはキミカゲに言って頂戴。最近あの子極端だから」 「う、うん……」 「あのね、あかり、前から聞こうと思ってたのだけど」 御影は女の子に手を取られて好きなように揺さぶられながら、あかりにそう切り出した。 あかりはしゃがみこんで、女の子に簡単に挨拶をしてから、何?と尋ねる。 「あかり、キミカゲのこと、どう思ってるの?」 ストレートな問い。 御影はすっと目を細めて、あかりから視線を逸らす。 視線の合った状態ではあかりが答えられないということを察しているかのように。 あかりはその問いにカチンコチンと固まってしまった。 しばらく、その状態で動かない。 女の子がツンツンとあかりの腕を突っついたが、あまりにも無反応なものだからおかしそうにキャッキャッと笑った。 御影ははぁ……とため息を吐く。 その反応で分かりましたとでも言いたげだった。 「あ、あはは、へ、変なこと聞かないでよ、御影。ビックリしちゃったよ……。キミカゲくんは、素直で優しいよね。御影ともお似合いで……」 もう今更な答え。 御影が長い髪をサラリとかき上げる。 「セージ様、幼馴染なんですってね」 「え?うん。あれ、言ってなかった?」 「言ってないわよ。初めて会った時も大した紹介もなし、それからも聞く機会なし。あかりはいつもそうだものね。対応してるこちらの身にもなって欲しいわ」 「ご、ごめんなさい」 2人のやり取りになんとなく居づらさを感じたのか、テントの準備をしているセージの元へと女の子は駆けていってしまった。 はじめは顔の怖さで泣いていたのだが、少ししたらセージに懐いてしまった。 なんともタフな子供だと感心してしまう。 ただ、両親にもう会えない事実を知ったら、あの子がどうなってしまうのかわからないが。 「セージ様のことはどう思ってるの?」 「え?セージ……様?」 あかりは尋ねられて、なぜか顔を赤らめて動きを止める。 要するに色恋沙汰関係の問いは苦手ということなのか。 けれど、明らかな反応の違いをどう読み取るべきか、御影は見定めるのに苦労するように眉をひそめる。 「セージ様はお強いし、賢いし、とてもいい人だと……。それに、お子様もいらっしゃるんですって。父との約束を果たすために、家族を置いてわたしを訪ねてくださったそうなんだけど……。やっぱり、帰っていただくべきだよね」 「話が逸れたわね……ま、いいけど。……本人が気の済むまで、ついてこさせればいいのではなくて?」 「え?」 「あかりが訪れる場所は全て危険なところなのだから、腕の立つセージ様は必要な人員よ。それに……わたしとキミカゲがいつまでもついていくとは限らないのだし」 「あ……」 「わたし、あかりのことも心配だから、キミカゲの我儘も許してるけれど、これ以上危険が増えるようだったら、帰るなり戦力を増すなりしないといけないなぁって思い始めてるの」 「み、御影は風の声が聞えるんじゃないの?」 「聞えるわよ?」 「そ、それなのに……」 「だから何?だから使命感に燃える?風が可哀想だからって?ナンセンスだわ。わたしはキミカゲに及ぶ危険の可能性を出来る限りゼロにしたいの」 「……御影……」 それはあかりが決して口にできない言葉。 言いたくても言えない言葉。 「あかりも、もうやめたら?そうすれば、また風緑の村でほのぼの暮らせるわよ」 「でも……風が苦しそうだから……」 「苦しんでいる人全てに手を差し伸べようとしたら、自分自身が壊れてしまう」 「え?」 「わたしは他人(ひと)の幸せまで願えるほど器量の大きい人間じゃないわ」 「嘘だよ」 「何が?」 「御影はなんだかんだ言ってもわたしを見捨てないでしょう?」 「…………」 「キツイ言い方で分からなくしてるだけで、御影はとってもいい子だもの」 「あ、そ」 御影はあかりの言葉に髪を掻きあげて答え、立ち上がった。 御影の言葉はあかりの心の言葉。 今、この場にいる3人さえ護れれば、それでいい。 けれど、あかりにはそれが言えないのだ。 自分のために死んだ人が、たくさんたくさんいるから……。 それを増やしたくないから頑張る。 でも、御影はそれを見越して、気遣ってくれてるのだと感じる。 あかりも御影に合わせて立ち上がった。 「最近、この時間になると肌寒いよねぇ」 あかりがそう言うと、御影は不思議そうに首を傾げる。 「そう?別になんともないけれど?」 マントの下の黒いドレスは二の腕を出す薄手のものなのに、御影はマントを翻してなんともないようにそう答えた。 あかりが驚いて目を見開く。 「そう……なんだ……。御影って、暑がりで寒がりだから心配してたのだけど」 「うぅん……」 「平気ならそれでいっか」 「ええ、そうね。……あー、うるさい」 御影が突然顔をしかめた。 あかりはそれに対して首を傾げる。 「え?」 「……なんでもない」 「そ、そう?」 「さてと……テントも張れたようだし、そろそろ行きましょうか」 御影があかりの背を優しく押して歩き始める。 あかりはそんな御影の横顔を見上げて、切なそうに目を細めた。 オレンジ色に染まる御影の横顔は、この世界の誰よりも美しいような……そんな気さえしたからだった。 あかりの好きなもの。 風緑の丘を駆ける風。 騒がしく行われる収穫祭。 笑顔で自分を迎えてくれる、様々な場所の人間達。 大地を優しく包む緑。 自分と同じくらいドジなママ。 若いのに渋好みだったパパ。 無愛想だけど、いつも優しくしてくれるセージ様。 そして……御影が迎えてくれて、3人で過ごすようになった……尊いこの10年間。 ……それをくれたのは、この世界だから。この国だから。 護るのは当然なような……それは、まるで何かに囚われたかのように至ってしまう結論。 御影は見透かしたように、そうでなくてもいいのだと言ってくれた。 何も返せない自分に対して、どうしてこんなにもみんなは優しいのだろうか。 あかりが心の中にそんな寂しさを抱えていることさえ、御影以外の誰も、気がついてはいなかった。 そして、御影の中に静かに歩み寄る黒い影には、本人さえも気がついていなかったのだ。 |
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