第3章  果たされることのない指きり

 現在は、この世界の何処にも残っていない手記がある。
 それは『風のおとぎ話』の元にもなったと言われ、救世主とともに旅をしていた人間が残したと伝わっていたものだ。
 けれど、その手記は『風のおとぎ話』完成とともに、どこかに消えた。
 製作者が燃やしたとも、火事で失せたとも、勝手に何処かに消えたとも、言われているが……とにかく、今現在、何処にも……その手記は存在しない。
 その手記には旅の一抹と筆者の苦悩が綴られていたという。

 護るべき人、護るべき世界。
 そんなものは何処にも無くて、ただ、僕は大切な人を殺めてしまったその罪悪感を、彼女に拭って欲しかったのだと思う。

 彼女は世界を救える不思議な力と清廉な心を持ち、全てのものに優しく暖かなものを与えてくれた。
 彼女こそが聖女で、彼女こそが……僕にとっての救世主だった。

 僕は、ただ彼女の優しさに甘え、彼女が世界を救うため行動することに、疑問1つ浮かべることはなかった。
 それは力ある彼女には当然のことで、そうすることで、僕の父の魂も、御影ちゃんの魂も救われると信じて疑わなかったからだ。

 今ならば、その考えがどんなに愚かでどんなに傲慢だったのかがわかる。
 そうとわかるのに……10年かかった。
 もう、この世界には彼女に従って旅をしていた者は僕しか残っていない。
 いつのまにか、僕はセージ様の亡くなった年に追いついてしまった。

 ……本当に死すべきはこの僕だというのに、なぜ、こんなにも長い時間、僕は生き続けなければならないのだろう?
 僕は生きたいとなど願ってもいないのに。

 僕は……そうだ、御影ちゃんを手に掛けたあの時から、僕の心は生きてなどいなかった。
 繋ぎとめられただけだ。……彼女に繋ぎとめられただけだった。
 護ってくださいと彼女が言ったから……駄目だ、何を言っている。人のせいにするな……。

 ああ……これを書き始めて、一体どれほどの時が経っただろう?
 書き終える頃には、彼女が最期に願ったこと・思ったことに辿り着けるのだろうか?
 いや、辿り着けなどしないだろう。

 それでは、どうして僕はこんなものを書いているんだろう……。
 ああ、そうだ……忘れないためだ。
 僕がとても悪い人間だと、忘れないためだ。

 そして、彼女や御影ちゃんがどんなに尊い方だったかを、後の世に伝えるためだ……。
 書き連ねようじゃないか……まだまだ先はある。

 御影ちゃんの死後、まだまだたくさんのことがあったのだ。
 御影ちゃんに見せたいものも、セージ様に見せたい平和な世界も……。
 彼女が遺した、丘の上のあの苗が、今では風緑の村を象徴する樹になっていることも。

 たくさん……たくさんある……




「だめだ!あかり様!!ここは逃げないと……!」
「助けることができる人がいるかもしれないのに、わたしはもう逃げたくありません!!」
 兵士に襲われている村を見て、今度こそは助けたいと……あかりが村の中へと飛び出していった。

 セージが素早くキミカゲの脇をすり抜け、あかりに斬りかかる者全てを薙ぎ払う。

 あかりは地面にひれ伏した兵士にさえ、手を差し伸べる。

「だ、だいじょうぶですか?」
「あかり……」
 セージがそれを咎めるようにあかりの肩を叩く。

 敵味方、それをハッキリさせずに、戦場に飛び出すなど、仲間を危険にさらすだけの行動でしかない。
 そのことをわかっていたから、前の村でも逃げるという判断をセージは下したのだ。
 だというのに、この少女は……。

 風があかりの周囲を漂い、『引き返して』と呼びかけるように、何度も村の外へと風が吹き抜けていく。

 けれど、それには従うこともなく、あかりは兵士に向かって手をかざした。

「あかり、バカヤロ、これ以上のふざけた行動は許さんぞ!」

 セージが激昂したように叫ぶと、あかりはびくりと体を震わせて、緑の光を発生させるのをやめた。

「あかり、早く戻りましょう……ここは危険よ」
 最近衰弱したように表情に覇気のない御影が、セージから庇うようにあかりの肩を抱き寄せ、立ち上がらせた。

 あかりは燃えてゆく村の家々を見つめて、ポロリと涙をこぼす。

「もう……やだよ……」
「あかり」
「生きるのが辛くなるのは、もうやだ」
 御影の耳元で、ポソポソと小声でそう言うと、兵士の手から逃げてきた村人が視界に入ってきた。

 御影があかりの呟きで手の力を緩めた隙をついて、御影の手を振り払い、ダッとそちらへと駆け出す。

「あかり!!」
 御影の制止するような声が響く。

 村人が恐怖のためか、足が動かないように勢いよく転んだ。

 兵士が剣を振り上げ、あかりは村人を庇うようにその上へと覆い被さる。

「風よ、護って!」
 あかりの悲痛な叫び。

 風が突風を起こすが、それでは間に合わずに剣は振り下ろされた。

 鈍い音が耳元でして、誰かが苦しそうな声を上げる。
「……っ……」

「このっ!」
 キミカゲの怒りの声がし、ボウガンの矢が発射された音が聞えた。

 鋭く空間を切り裂くような音がして、兵士の体に矢が突き刺さり、バタリと倒れた。

 あかりの目に兵士の息絶えた表情が映る。

「御影、平気か?」
 セージがあかりの上に覆い被さって倒れた張本人の体を抱き起こす。

 あかりはすぐに立ち上がった。

「御影?御影……?!」

 セージの胸元で苦しそうに息をしている御影を覗き込むと、すぐにセージの平手が飛んできた。

 加減はしてくれたのだろうが、小柄なあかりではその力でも容易に吹き飛んだ。

 けれど、キミカゲもあかりのことを気に掛けている場合ではないのか、助け起こしてはくれなかった。

「っ……ごめんなさい……」

「言っただろう?!甘い考えしかないのなら、戦場で人に関わろうとするなと!お前は風を清めることだけ考えていればいいんだ。何度、庇われればそれを学ぶ?!」

「……セージ様、やめなさい」

「っ?!」

「御影ちゃん、平気?」

「ええ、このくらい、なんでもないわ。風があかりを庇おうとしたから、傷は浅い……」

「御影、ごめん……」

「いいのよ。あなたは行動する。わたしは考える。それでいい」

 申し訳なさそうなあかりに御影は優しくそう言った。

「とりあえず、村の外に出るぞ。回復はそこで……」

「は、はい……」

 セージが御影を抱き上げ、颯爽と歩いてゆく。
 あかりがそれを追いかけ、しんがりをキミカゲが務める。
 キミカゲは周囲を警戒しながら、ボウガンの矢を番え直していた。


 村から離れた森の中に入ると、セージが御影の体をキミカゲの置いた毛布の上に横たわらせた。
 あかりが泣きそうな顔で、御影の傷口に手をかざす。

 風が集まってきて、あかりの手が緑色の光を発した。

「……馬鹿、何泣いてるの……」
「な、泣いてないよ」
「泣きそうな顔」
「だって……」
「はぁ……アンタはホントに世話が焼けるんだから。このくらいの怪我、なんでもないわよ。アンタがやられたら、誰も回復してあげられないけど、わたしがやられてもアンタが回復できるでしょう?そのくらい、計算の上で動いてるのよ」
 呆れたように御影はそう言うと、ゆっくりと目を閉じる。

「み、御影?」
「休んでるうちに治しておいてね。起きてると、アンタのお守りで疲れそうだから」
 皮肉混じりの言葉を残して、すぅすぅと寝息を立て始める御影。

 その様子を見て、セージもキミカゲも苦笑を漏らす。
「敵わんな……」
「僕、水汲んできます。もしかしたら、怪我で熱が出るかもしれないから」

 あかりの力は怪我を回復させることはできるものの、人間の生命力自体を復活させられるわけではないようで、怪我人の生命力に委ねられる面が大きい。

 そのため、あかりの回復後に発熱する者も多かった。
 そして、発熱する度に、あかりは泣きそうな顔でわたわたする。
 いつも御影やセージが、それを尻目に解熱作業を行うのだ。
 御影の怪我の治癒スピードは非常に遅かった。
 回復の作用が行き渡っていない感覚を覚えながらも、体から傷が消えるまで、あかりは一息も休まなかった。





 御影が目を覚まし、キミカゲはニコリと笑いかけた。

 回復で疲れ切った様子のあかりはセージの肩に寄りかかって眠っている。
 村ではあれほど激しくあかりを叱責したのに、セージは何事もなかったように、優しくあかりの頭を撫でながら木々の間から見える星空を見上げていた。

「御影ちゃん、次からはこういう無茶は駄目だよ?僕が2人を護るから」
「なに馬鹿言ってるの。キミカゲはへたれてなさい」
「へた……」
 熱で弱りながらも御影はそんなことを言って、はぁ……とため息を吐く。

 キミカゲは困ったように御影を見つめる。

 ゆっくりと起き上がり、御影はキミカゲの肩に寄りかかってきた。

「へたれてなさい」

「あ、あのねぇ、御影ちゃん……」

「そうすれば危険はないわ」

「なんだよ、それ……」

「あかりを護るためについてきたんだから、そういうわけにはいかない?」

「あかり様に、救ってもらうんだ」

「え?」

「あの力が、本当に世界を救えるんなら、あかり様に頑張ってもらわないと」

「…………」

「それを見届けたいんだ」

「キミカゲ……その言葉、あかりには言わないで頂戴」

「え?」

 御影の言葉にキミカゲが不思議そうに首を傾げる。
 自分の言った言葉に、なにかおかしいところがあっただろうかと……言いたげな表情。

 御影は目を細めて、キミカゲの体から自分の体を離す。
 そして、そっと右手を差し出し、小指をキミカゲの右手の小指に引っ掛けた。

「護ってね」

「え?」

「さっきキミカゲが言ったのよ。今までのように護ってね、わたしのこと」

「あ、う、うん。勿論だよ!」
 キミカゲが笑うと、御影もそれにつられたように優しく目を細めた。

 けれど……その約束が果たされることはなかったのだ……。


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