第4章  悲しい結末

 それは、軍の兵士に囲まれてしまった時のことだ。
 彼らはどこか虚ろな目で、あかりを見据えてくる。
 その目を見て、あかりは怯んだ。
 風が心配そうに周囲を漂う。
 剣を……剣を、抜かないと。
 けれど、柄まで手が伸びても、上手く握ることができない……。

 セージは言う。
 戦う覚悟は……死ぬ覚悟じゃない。相手の命を背負う覚悟だと……。

 自分の体が震える。

 彼らは、何も悪くない。

 あかりはぐっと唇を噛み締める。

 後ろでチャキッと剣を構える音がした。
 セージは迷いもせずに剣を抜いたようだ。
 あかりも気を引き締める。

 かかってきたら、すぐに斬り伏せる。覚悟を……覚悟をしろ。
 今、ここにいるのは自分だけじゃない。護らなければならない人が、今、傍にいる。

 あかりは震える手で剣を抜いた。
 すぐにあかりの腕を取って引っ張る御影。
「あかりは無理しなくていい」
「で、でも……」
「大丈夫よ」
 細身の剣を持っているあかりの手とは逆の手をしっかりと握り締めてくる。
 その手はとても冷たくて、いつもの御影ならふんわり温かなのに……と心の中で呟いた。

「あかりは、穢れないで」
「え?」
「……いいえ、なんでもないわ」
 御影はふっと笑い、すぐに兵士たちから距離を取るように軽くステップを踏んだ。

 御影の動きは舞を舞っているように軽やかで、手を握ってもらっているあかりだけがぎこちなく動く。
 セージが素早く斬り伏せ、突破口を開こうとしている。
 キミカゲも短剣を抜いて、応戦していた。

 なんとか……逃げ切らなくてはならない。みんな、気持ちは一緒だった。

 セージは一点集中的に兵士たちをなぎ倒していき、どうにか拓けた道にあかりたちを呼んだ。
 御影があかりを引っ張ってそちらへと駆けて行く。
 それにキミカゲが続いた。
 セージがしんがりを務める形で4人は兵士たちの群れを抜けた……そう思った瞬間だった。

 御影とあかりめがけて矢が飛んできて、それに気付いたキミカゲが一番近かったあかりのことを抱き締める形で倒れこんだ。

 御影の手から手が離れ、あかりの視界には空が広がった。
 矢が風を切る音がした。
 御影も素早く反応してかわしたようだった。

「あかり様……大丈夫ですか?」
「え、あ……うん。平気」
 あかりは少し動揺しながらもキミカゲを見上げた。

 その時、視界に剣を振りかぶった兵士が見えた。
「あぶ……」
 あかりは慌てて体を起こそうとした。

 キミカゲの父親が自分を庇ってくれた時のことを思い出した。
 このままではあの時と同じになってしまう。
 もう嫌だ。絶対にそんなのは嫌だ。

 けれど、あかりが動くのよりも早く、黒い風のようなものが目の前を通り過ぎていき、剣を振りかぶっていた兵士の体を捉えた。

 セージは追いかけてくる兵士と戦っていたのもあって、その存在には気がつかなかったようだ。
 キミカゲも黒い風は見ていない。

 あかりだけがその存在に気がついた。
 あかりのサポート的な力しかないと思っていた御影が、襲い掛かってきた兵士を風で切り刻んだ。

 それまで黒い風は空気を澱ませ、その地、またはその地に暮らす者を惑わし、戦いや災いが起こると考えていた。
 それだけではないのだとわかったのは、御影がその力を発生させた時。
 黒い風は人にも寄生する……。
 あの風を発生させ、なんとか兵士たちから逃げおおせた時から御影の表情が変わってしまった。
 御影が悪いのではない。
 御影の中にいる風が全てを惑わしているのだ。

 森の中にキャンプを張り、セージがキミカゲを引き連れて町へと物資の調達に行っていた。
 その隙を突いて、御影があかりに襲い掛かってきた。
 あかりの首を締め上げて、あかりの体にも黒い何かを染み込ませるように、不気味な光を発した御影。

 黒い風たちはバラバラでありながらも共にある。
 黒い風たちが出した結論はそういうことだった。
 自分達を清める存在を消す。
 あかりがいなくなってしまえば、浄化を為すことはできない。
 けれど、清い風に護られているあかりに寄生することは難しい。
 だから、風との相性がよかった御影の体を乗っ取った。

 あかりは御影の細腕を握り締めて、必死に逃れようと試みた。
 まさか、御影が危険因子になるなどと、セージでも予想していなかっただろう。

 森の木々がザワザワと騒ぐ。

「御影、今、清めてあげるから……」
「無駄」
「?」
「この娘の中にいる限り、わたしは決して清められることはない」
「なん……ですって……?」
「迷惑なことをしたものね。わたしを倒すために人間に頼ったはいいけれど、その傍に、わたしと相性の良い人間がいたとは。この娘にとっても悲劇……といったところかな。わたしはこの世界の全ての劣悪な感情を増長させることが出来る。この娘は辛抱強い。なかなか惑わされなかった。……わたしがはじめから出て来れば済んだのよね」
 御影の力が強まり、あかりの首をギリギリと絞めてくる。

 御影の顔が恍惚とした笑みに包まれる。
「ああ、その顔よ。わたしが見たいのはこういう顔」
 片手であかりの喉元を押し、もう片方の手でくいっとあかりの顎を持ち上げる。
「っぐ……けほっごほっ」
「ふふ、苦しそう。あー、気分良い。こういう息の止め方もあるし」
 酸素を求めて口をパクパクさせているあかりに、御影は意地悪げに笑って、唇を押し付けてきた。

 意識が薄くなって、何も出来ずに抵抗する力を緩めるあかり。

 風が2人の周囲を漂う。

 御影はその風に一瞥くれて、あかりの口を塞いだまま僅かににやりと笑った。

 あかりの意識が飛びそうになった時、御影が唇を離して、普通に首を掴み、今度は本当に思い切り首を絞めてきた。

「遊びは終わりにしようか。実に気分がいい……。わかる?お前のことを大好きな風が嫉妬していたよ。人間に興味はないが、わたしは人間の苦しむ顔が大好きだから。……知っている?これ以上締め上げると、人間の首は折れるんだそうだよ。どういう死に方がいい?それくらいは選ばせてやろうじゃない」
「っ…………か」
「なぁに?」
「かえして……」
 あかりの目から涙が零れた。
「御影をかえして」
 か細い声が空気を震わす。

 風がそれに応えるように激しい風を起こした。
 御影の体がぶわりと吹き飛び、木の幹に背中をぶつけて、微かに表情を歪める。
「ふん……言うことを聞くしか能のない、馬鹿な風どもが」

 首を押さえて、ゆっくりと起き上がるあかり。

 御影が手をかざすと、空気が凝縮されていくように、周囲の風が御影の手へと集まってゆく。

 その手を振り下ろすと、それがあかり目掛けて飛んできた。
 鋭い刃のような風があかりの肩を突き抜ける。

「すこぉし、外れちゃったぁ。遊んでる場合じゃなかったかな」
 ゆっくりと近づいてくる御影。
 あかりは唇を噛み締めて、腰の剣を抜いた。
「できるの?あなたが人を斬ったところなんて見たこともないけど?」
「く……」
「わたしはあなたを殺せる。でも、あなたはこの娘を殺せない。さぁ、考えなさい。これまで、この娘に押し付けてきた面倒くさいことを頑張ってなさい」

『あなたは行動する。わたしは考える。それでいい』
 それは御影の口癖だった。
 あかりがなにか失敗をした時、はじめは本当に馬鹿だ、役立たずだと罵っておきながら、最後にはその言葉を口にし、許してくれる。
 目が行き届く限り、あかりのことを助けてあげるからと……御影はいつも言っていた。
 その言葉に、あかりは甘えていたつもりはない。
 けれど、結局考える面はいつも御影が負っていた。
 押し付けたという表現を取られても仕方がないのかもしれない。
 けれど、そんなことは今は関係ない。
 目の前の御影を絶対に助けなくてはいけない。
 助けられなかったら、キリィの時と同じになってしまうから。
 自分は世界を救うために動いているのではない。
 身近な人を護るために、この力を手にした。

「御影を返して!」
「そのためにはどうすればいい?わかる?あなたはいつも主張ばかり。目の前の困っている人をそのまま見過ごしたくない。目の前にいるのに、人が死ぬのを見ているだけは嫌。護りたい。だけど、……そのためにはどうすればいいのか?それが抜けているのよ。そして、仲間に迷惑をかける。かけるのに学習しない。何人犠牲にしても覚えない。あなたが背負っていると思っている人間の命は、あなたが馬鹿で愚かだから失われた命。だから、あなたが戦うのは当然のことで、世界のためとか、失われた命のためとか、そんな大義名分など、本当はありもしないの。……まぁ、世界のためなんて思っていないのでしょうけど。けれど、わかっている?そう思うこともないということは、あなたはただ良い子ぶって、無駄な犠牲を増やしてるだけのあんぽんたんってことになる。あなたの仲間はみんなお人好し。普通なら見捨てられるところなのに」
「…………」
「考えても分からないだろうね」
「わたしが……死ねば」
「あれ?意外に頭いいじゃない」
「…………」
「まぁ、殺そうとしてるわたしがここにいるんだから、わかって当然か。本当に世界を救うっていうのはね、この世界に人間がいなくなることなの。静寂・平穏・虚無。それが本当の世界。賑やかしい人間の笑い声やうざったいくらいの人間の笑顔なんて要らないんだよ。あなたたちは賑わいを知っているから、その賑わいが平和・幸せと錯覚する。けれど、そんなものを知らなければ、静寂が世界の全てだと、きっと思うはず」
「でも、あなたと同じ風が『寂しい』って言った」
「馬鹿なのさ。世界を飛び回って、享楽に明け暮れて。自分達がサボった結果、わたしたちのような因子が出来上がってしまったのに、そしたら、今度はあなたに頼って」
「……風が笑ってくれるところを見たいの」
「じゃ、そのための責任をきちんと負わないとね。背負っているフリだけをしている状態じゃ、いけないと思う。お節介しといて、駄目になるからほっぽりたいなんていうのは、勝手なことだ」

 御影は手をかざす。
 すると黒い風が無数の矢になって飛んできた。
 あかりの体にザクザクとそれが刺さる。
 けれど、風の守護のためか、あかりの傷は思ったより深くならなかった。

 御影が舌打ちをした瞬間、木と木の間をすり抜けて、ボウガンの矢が飛んできた。
 見事にそれが御影の胸に突き刺さる。

「みか……」
 あかりは言葉を失って、倒れてゆく御影を見つめるだけ。


 ガサガサ……と草が擦れ合う音がして、森の中からセージとキミカゲが顔を出した。

 矢の当たった相手を確認して、キミカゲがボウガンをドサリと落とす。

「……どうして?殺気の発せられてるところを狙ったのに……」
 キミカゲがフラフラと歩み寄って、御影の横に膝を落とす。
「御影ちゃん?」
 御影はキミカゲの声に全く反応しなかった。

 あかりが駆け寄って、すぐに回復をしようとしたが、それを風が拒絶した。

 回復を行っても意味がないと、風が判断したようだった。

 あかりはそんなことは構わずに手をかざす。
 けれど、風は集まってきてはくれなかった。

「お願い……お願いぃ……」

 あかりの願いは届かない。

 風はごめんねとでも言うように、あかりの頬を何度も何度も撫でる。

「そんなことを言うなら……君の力を貸しなさいよ!!役立たず!!」
 あかりは激昂したように、そんな声を上げる。

 すると、風が突然凪いだ。
 無風で周囲の音が静まる。

「大丈夫か、あかり?」
 御影の脈を診ながら、傷だらけのあかりにそう問いかけてくるセージ。

 あかりはその問いにコクンとだけ頷いて、御影を抱き起こす。

 キミカゲが呆然としたまま、自分の手を見つめていた。

「御影……ごめんなさい」
 あかりの苦しそうな声が漏れた。

 御影の顔は何事もなかったように穏やかだった。
 先程、不気味に表情を歪ませていたなどと誰も思わないであろう、いつもの美しさを保ったままだ。

 綺麗に心臓に矢が刺さったからか?

 それとも、中にいた黒い風ごと、御影が自ら死を選んだからか?

 一瞬にして御影の命は何処かへと飛んでいってしまった。

 あかりは御影の顔を抱き寄せることしか出来ない。


 無能。無責任。無覚悟……。
 その罵りは全てその通りだ。
 結局頑張っているフリをして、護れたためしなどなかった。
 キミカゲの父親の時も、キリィの時も、……御影の時も。
 自分は何一つ……できてない。
 だったら、止まればよかったのだ。
 危険を排除したいのなら、この旅をやめるべきだった。
 御影がそう言ってくれたではないか。
 村でのどかに暮らせると。のほほんとして生きられると。
 でも、風の声が苦しそうだからそれを助けてあげたいのだと、その思いで御影の言葉に首を横に振った。
 御影は、どちらを望むのだろう?
 キリィの時のように、しっかりと清めることを望むだろうか?
 それとも、以前言ったように旅をやめるか、危険を排除するためのなんらかの手段を講じるかをしろと言うのだろうか?
 どちらだろう?
 考えろと黒い風に言われた。
 見透かすように言われたあかり。
 唇を噛み締めて、あかりは必死に考えていた。


 そして、セージが御影の墓を作り、御影を毛布に包んで丁寧に葬っているのを見つめながら、この旅はもうやめようと……思い始めていた時だった。


 キミカゲが突然あかりの手を引いて、セージの姿が見えないところまで連れて行き、呆然とした表情のまま言ってきた。

「ねぇ、あかりちゃん」

 あかりは久しぶりにあかりちゃんと呼んでくれたキミカゲの声にピクリと反応を示した。
 こんな状況だというのに、嬉しさにも似た感情だった。

「僕、どうすればいいですか?」
「え……」
 あかりは目線を上げてキミカゲの顔を見つめる。

 キミカゲは救いを求めるような表情で、あかりのことを見つめてくる。

 その眼差しで悟る。

 キミカゲが求めていたのは、『救世主』としてのあかり。

 父親があかりを庇って亡くなり、あかりを『あかり様』と呼ぶようになったあの時から、そうだったのだ。

 庇って亡くなった父のために仇を取ってくれるんだよねと、ずっとずっと考えていたのかもしれない。
 あかりを護るため……ではなく、世界を救うそのシーンを見るために……。


「御影ちゃん、護るって約束したのに……。僕は……僕は……」

 キミカゲは肩を震わせてそのまま地面に膝を落とした。

 殺してしまったのは、大切な幼馴染。
 キミカゲは素直で、無邪気な少年だ……。

 もしも、ここで旅をやめてしまったら、きっとあかりのことを蔑みの目で見るだろう。
 自分自身も許せず、あかりのことも許さず、……あかりから離れていってしまう。

 それは……絶対に嫌だ。

 御影と一緒になっても、あかりの傍にいてくれる。
 それが分かっていたから、今まではただ見つめていただけだった。
 けれど、傍にいてくれないなら何の意味もない。

「キミカゲく……っ、キミカゲ」
 あかりは穏やかな表情で、御影がしていたように呼び捨てで名を呼んだ。

 キミカゲが顔を上げ、あかりはそっと屈みこむ。

 キミカゲを優しく抱き寄せて、物静かな声で続ける。

「救うから……」

「え?」

「世界を救うから、あなたは『わたし』を護ってください」

「あかりちゃ……あかり様」
 あかりの言葉の意図する部分に気がついたように、キミカゲは普段通りの呼び方に戻った。

 2人の関係は主人と従者。
 キミカゲはあかりが世界を救うまでずっと傍に付き従い、あかりはキミカゲの心を晴らすために世界を救う。

 その契約が、今この場で為された。

 それが御影に対する裏切り行為であることをあかりは知りながらも、キミカゲを友人ではなく従者として接することで、傍に置くための制約を作ったのだった。

 それをキミカゲがどう捉えたかはわからないけれど。


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