第5章  ゆったりとしたひととき

 セージが久々に帰った村で笑って言った。
「そのうち、ひとつ処に留まって、ゆったりと苗を育てたいと思っていたんだ。お前たちも休息が必要だろう。今は、とにかく休め」

 あまりのショックで不安定になってしまっているキミカゲと、相変わらず人前では動揺を見せないようにしているあかりに対して穏やかに笑いかけた。
 いつも、あかりとキミカゲの間にいた御影の姿はどんなに探しても無く、キミカゲは塞ぎこむように表情を曇らせる。

 村の子供達と遊んでいた赤い髪の女の子が、セージの姿を見つけてパタパタと駆けてきた。
 長い髪は丁寧に櫛を通しているようで、サラサラと風に踊り、あどけなく可愛らしい目で背の高いセージを首が痛くなりそうなくらい見上げてくる。
 コテンと首を傾げ、マジマジとセージを見る。
「パパ?」
「燈火(ほのか)か?」
 セージがそう尋ねると、燈火は嬉しそうに目を輝かせた。
「わぁ……パパがかえってきたぁ♪ママ、やっぱりウソついてなかったんだぁ」
 セージの足にしがみついてくるので、セージは優しく燈火を抱き上げる。

 無邪気に笑ってセージの顔を抱き締め、「ママー!」と声を上げた。
 さすがにそれでママが出てくる訳も無く、セージは自分の住まいに向かって歩き始める。
 あかりもそれに従うように歩き出したが、キミカゲはボーッとしたままで立ち尽くしていた。

 セージがすぐに振り返って声を掛ける。
「キミカゲ、早く来い」
「…………」
 セージの声にキミカゲも前へと踏み出した。

 燈火が不思議そうに声を上げる。
「このひとたち、どなた?」
「パパの友達だよ。少しの間、家に泊まるからな」
「へぇぇ、ほぉぉ。うわぁ、じゃ、あそんでもらうぅ」
「ああ、そうしなさい」
 セージは燈火の言葉に答えながらあかりを見る。
 動揺を見せないように表情はしっかりしているが、いつもなら自己紹介をするタイミングを忘れないのに今回は何も言ってこない。
 あかりのショックもだいぶ大きいようだ。
 それは当然のことなのだろうが。

 白木で組まれた小屋が見えてきて、燈火がますます「ママー」という声を大きくする。
 すると、ようやくカチャリとドアを開けて外へと出てきた女性がいた。
 線の細いシルエット。
 白に近い紫色の長い髪。
 肌は透けるように白く、長身で、まるで彫刻のような、不思議な美しさを持った人だった。

 女性はあかりを見つけて少しだけ目を細めたが、すぐに燈火とセージに対して微笑みかけてきた。

「お帰りなさい、あなた。御用はお済みになりまして?」
「……いや、また、しばらくしたら発つよ」
「そう……」
 女性は悲しそうに目を細めたが、すぐにやんわりと笑ってみせる。
「お疲れになったでしょう?お入りになってください」
 ドアを開けたままで脇に寄って道を譲ると、セージが中へと入ってゆく。
 なので、あかりもそれに続くようについてきた。

 風がさわさわとあかりに寄り添うが、中へ入る前に女性が声を掛けてきてあかりは立ち止まる。
「あかりさん?」
「え……は、はい」
「そう、あなたが」
 あかりを品定めするかのようにマジマジと足の先から頭の先まで見つめてくる。
「あ、あの、お世話になります」
 あかりは少し考えてからそう言ってぴょこんと頭を下げた。

 自分が今まで如何に周囲が見えていなかったかに気がついたように、突然話し出す。
「えと、そこにいる少年はキミカゲと言って、わたしの……従者です。それと、セージ様には……」
「主人は迷惑掛けてませんか?知っての通り、無愛想で無遠慮な方だから」
「いえ、良くしてくださってます。わたし、何もお返しできないから……申し訳なくて」
「いいんですよ、主人のはご恩返しなのですから。ふふ……」
 女性は何がおかしいのか、何度も笑いを漏らしながらどうぞとあかりとキミカゲを通した。

 セージがいつも身に着けていた鎧を外しながら、中で待っていた。
 燈火が重そうな大剣に手を伸ばしたが、重くて動かないのがわかったのか、すぐに手を離して、女性の下へと駆け寄ってきた。
 華奢な女性が屈んで愛しそうに燈火を抱き締め、あかりのほうへと燈火の顔を向けてきた。

「紹介が遅れたな。妻の莉悠(りーゆ)と娘の燈火だ」
 鎧を脱ぎ終え、いつも大きいと思っていたセージの体周りが一回り小さくなった。

 すぐに2人の脇に行き、手で差しながら紹介される。
「こっちは幼馴染のあかりと、……あかりの友人のキミカゲだ。仲良くしてやってくれ」

「はぁぁぁい!あっちゃんとぉ、きーくんね♪」
 燈火が嬉しそうに手を上げて、あかり、キミカゲと指差しながらそう言った。

 あかりもすぐに燈火の目線まで体を屈めて、にこりと笑う。
「よろしくね?ほのかちゃん」
「うん♪……あっちゃん……?」
「ん?なに?」
「かなしいおかおしてるよぉ?なにかあったのかな?」
 あっさりと言ってのける燈火に驚いたようにあかりが目を見開く。

 キミカゲがようやく反応を示した。
 あかりと燈火のことを弱りきった眼差しで見つめる。
 あかりはキミカゲのその様子を一瞬見て、すぐにいつもの明るい笑顔を浮かべる。

「どうしてそう思うの?わたし、全然そんなことないよぉ?」
「そぉ?なら、いいんだけどさぁぁ」
「あかりさんとキミカゲくんは、何か食べたいものがあったら言ってくださいね。そろそろ夕飯の準備をしようと思っていたからちょうどいいわ」
「急に帰ってきてすまないな」
「あなたの勝手には慣れてます」
 セージが珍しくすまなそうにボソリと言うと、莉悠は目を閉じて笑い、さっさとキッチンへと入っていった。

 あかりは持っていた荷物を床に置いて、それを追いかける。
「お、お手伝いします!」
 キッチンで野菜の入った木箱の中を探っていた莉悠があかりを見て、にこりと笑った。

 セージと同じくらいか少し上くらいの年かと思われる莉悠は、少しだけうぅん……と唸り声を上げる。

「何が好き?」
「セージ様のお好きなものがいいのではないでしょうか?」
「そう。主人は、煮物が好きなのよね……。なんだかんだで味にうるさいから」
 おかしそうに呟いて、煮物に使えそうな野菜をテキパキと取り出してくる。
 あかりは上着を脱いで、Yシャツの袖をまくると、莉悠の言葉どおりに井戸の水を汲みに裏口を出て行った。





 燈火も莉悠の手伝い(邪魔……)をしにキッチンへと入っていったのを見送ってから、窓の外を見つめているキミカゲにセージは声を掛けた。

「いつまで腑抜けてるつもりだ?」

「え?」

「いつまで、そうしているつもりだと、訊いている」

「…………」

「足手まといは要らない。もしも、ずっとその調子ならば、お前はこの旅から外れろ」

「……それはできません」

「なんだと?」

「約束したから」

「なに?」

「護るって……世界を救うところを見せてもらうって」

「お前、それは正気で言ってるのか?」

「……力がある者が力の無い者を護る。それは当然のことでしょう?そして、あかり様はこの世界を救える、唯一の人なんです。だから、僕はあかり様を人間達から護り、あかり様は僕たちを風の災厄から護ってくれる」

「お前……あかりをなんだと思って……」

「彼女は、選ばれた人なんです」
 キミカゲがようやくセージのほうに顔を向け、そう言った。

 セージがその言葉に眉をひそめる。
 疑問を抱くことも無くそう言ったのが、彼の本心なのか、御影を殺してしまったショックから出た言葉なのかはわからない。
 だが、明らかにセージは気分を害したように奥歯を噛む。

「あかりはただの人間だ。オレたちと何も変わりはしない」

「……セージ様はお強いからそう言えるんだ」

「何を言っても聞かないのだろうから、今言えることだけ言っておく」
 セージはキミカゲに歩み寄っていき、肩をガシッと掴んで、窓の外を指差した。

 あかりがフラフラと水を汲んだ桶を運んでいる姿が目に入る。

「あかりはただの少女だ。何も背負う必要などない、あどけない子供だ。それなのに、アイツは自分から困っているものに手を差し伸べたんだ。投げ出せずに泣きそうになっているかもしれないアイツの苦しみにくらい、気付いてやれ」

 考え無しの行動。
 それは愚かで、今の状況は後のことも考えずに動いた結果だ。
 けれど、御影にしてもセージにしても、それを助けようとしたのは、自分だったらその責任を負おうとは思いもしないものを、彼女が自分で背負ったからだった。
 あかりの父親との約束も確かにあった……。
 だが、それだけではない。応援したくなる何かをあかりが持っているからだ。
 あかりはそのことにも気がつかずに、自分の愚かしさばかりを責めているのであろうが。

「だって……あかり様は救ってくれるって……」

「護るならいい。だが、アイツを苦しめるだけなら、その時はお前には外れてもらう」

「…………」

「キミカゲ、覚えておけ。弱さは、物事を為さなくていい理由にはならない」

「…………じゃ」

「ん?」

「それじゃ、僕はどうしたら許されるんですか……?」
 キミカゲはポツリと呟いた。
 優しげな目からポロリポロリと涙が零れ落ちる。

 キミカゲ本人にとってだけではない。
 全ての人間にとって、御影の死は理不尽なものでしかなかった。
 それは誰が見ても明らかだった。
 状況を把握せずに放った矢。
 それはキミカゲの落ち度かもしれない。
 あかりの危険を緑のざわめきで察して、状況確認もしないままにキミカゲにあかりが危険だと伝えてしまったセージにも落ち度があったかもしれない。
 それでも、誰が悪いかと訊かれたら、黒い風が悪いとセージは答える。
 それぞれに責任はあった。けれど、どうしようもない。仕方のないことだ。
 おそらく、御影は生きていたとしても、正気に戻ることはきっとなかった。
 けれど、キミカゲはまだ15だ。
 割り切れと言われても、きっと無理だ。

「許しなどない」

「え?」

「人を殺したら、そこには許しなどない。ただ、背負うだけだ」

「…………」

「ここから先、お前がついてくるというのなら、覚悟を決めろ。そして、忘れるな。お前は仲間を護るために御影の他にも、多くの人間を殺してきたのだということを」
 セージはそこまで言うと、キミカゲから手を離して小屋の外へと出た。

 2往復目で更にフラフラと桶を運んでいるあかりに駆け寄り、断りも入れずに桶を掴み取る。

「あ……だいじょうぶですよ、このくらい」
「見てられん。力仕事はオレかキミカゲに任せて、お前は野菜でも切ってろ」
「ありがとうございます……」
「あまり……」
「はい?」
「いや、なんでもない」
 セージは真っ直ぐに見上げてくるあかりを見て、言葉を飲み込んだ。

『あまり無理をするな』

 その言葉はあかりにとって、不必要な言葉だ。
 彼女の力が抜けてしまう、優しい囁きだからだ。
 必死に立っているあかりには、その言葉は言ってはいけない。
 なんとなく、セージはそう感じているようだった。

 御影のように叱咤激励してやれない。

 キミカゲに対しても、あかりに対しても、踏み込んだ優しい声を掛けてやれない。

 それはセージがこれまで、他人にも自分にも厳しく生きてきた結果なのだが、今、この状況ほど……そんな自分の性分が歯痒く感じられることはなかった。


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