第6章 戦う覚悟・失う覚悟・包み込む……覚悟 落ち葉に埋もれた墓石を綺麗に掃除して、あかりはしゃがみこみ、そっと胸の前で手を組む。 一体何年ぶりの墓参りになるのだろうか? 母は父が亡くなって、すぐに故郷に戻ることを決め、それきり、こちらには戻ってくることも無かった。 脇にはいつもの鎧姿ではなく、タートルネックセーターにジャケットとジーンズを身に纏ったセージの姿がある。 ゆっくりと膝を下ろし、深く深く頭を垂れるセージ。 「しばらく、墓参りにも来れず、すいません、おやっさん」 そう呟き、持って来ていたワインの瓶を墓の前に置いた。 「本当は茶のほうがいいのかもしれませんが、あかりも、酒を飲んでも平気な年になりました。どうせですから、飲みましょう」 かごの中からグラスを取り出し、あかりに手渡すと、コルクの栓をキュポンと抜きグラスにワインを注ぐ。 「わ、わたし、あんまり飲めな……」 「酔っても連れて帰ってやるよ。たまにはいいだろ」 グラスを持ったままでわたわたと慌てるあかりの様子を見て、セージはおかしそうに笑う。 自分のグラスにも注ぎ、墓石にグラス一杯分のワインをかける。 キミカゲは燈火と莉悠とお留守番。 村に滞在してもう2週間になる。 ゆったりとした村の時間で落ち着きを取り戻したように、キミカゲは少しではあるけれど笑顔を浮かべるようになっていた。 セージはクイッとグラスのワインを飲み干し、すぐに次を注ぐ。 あかりがその様子を見つめて、ちびちびとワインを舐め始めた。 「飲みやすいものを莉悠に買って来てもらったから平気だよ。舌への刺激は少ない」 「は、はい……」 少し舐めてセージの言葉の通りだと分かったようで、ようやくコクリと一口飲み込む。 「あ、おいしい……」 「だろ?お子様舌にはちょうどいい」 「お子様……」 セージの言葉にふてくされたようにあかりが頬を膨らます。 すると、セージはそれを見てまたもやおかしそうに笑った。 「もぅ……セージ様」 「あまり、気にするなよ?」 「気にしますよ」 「いや、そういうんでなく……」 「え?」 「……なんでもない」 セージは少し遠い目をして、ふわりとあかりの髪を撫でた。 あかりがそれを片目を閉じてくすぐったそうに受け止める。 風がつむじを作って、落ち葉がクルクルと回った。 あかりはセージの手をそっと握って、その様子を寂しそうに見つめる。 セージの大きな手はとても温かかった。 風は落ち葉を2人の足元から取り除くように吹くのみで、いつものようにあかりの元に寄り添っては来ない。 「嫌われてしまったみたいなんです」 「ん?」 「あの時、『役立たず』なんて叫んだから、嫌われてしまったみたい……」 御影を助けようとした時、風たちは癒しの風を発生させてはくれなかった。 出来ない。ごめん。彼女は助からない。君の役に立ちたいけど。ごめん。 そんな声に、あかりは堪え切れずに怒りをぶつけた。 あかりにとってその時のその言葉は当然の言葉だった。 自分は彼らのために頑張っているのに……。 彼らに関わったせいで、親友がこんなことになってしまったのにと。 キリィに叱られたことさえ忘れて、あかりはまたも彼らの力を否定してしまった。 嫌われて……当然かもしれない。 身勝手な考えだ。 その行動を選び取ったのは自分で、流されるまま、押し付けられたわけではなかったのだから。 セージがあかりの手を握り返してくる。 グラスの中身を飲み干し、地面に転がす。 あかりがグラスが転がるのに気を取られて目線を動かした瞬間、空いた手であかりの体を抱き寄せた。 驚いたのはあかりのほうで、持っていたグラスが落ち葉の中に落ち、抱き寄せられた勢いでついた膝が落ち葉をカサカサと鳴らした。 「せ、セージ様?い、痛い……です……」 痛くもないのに、あかりは慌ててそう言った。 顔がどんどん赤くなってゆく。 セージは幼子をあやすようにあかりの頭を撫でながら、静かに耳元で囁く。 「弱さは、物事を為さなくていい理由にはならない。けれど、お前がこのことを為さなければならないわけではないだろう」 「…………」 「風がお前を見捨てたのなら、お前も見限っていいはずだ」 「……わたしがセージ様を捨て置いたら、セージ様はわたしのことをお見捨てになりますか?」 「な……」 「それと同じです。わたしは彼を見捨てることが出来ないのです」 「彼?キミカゲのことか?」 「…………」 あかりは緩んだセージの腕をすり抜けて立ち上がり、セージに背を向けて俯く。 キミカゲのことでは、今の話は辻褄が合わない。 セージはそれに気がついているから腑に落ちない表情であかりの背を見つめる。 ピンクのスカートが風になびいた。 「わたしが立ち止まらなければ、傍にいてくれるから……キミカゲも、あなたも」 その言葉を風がさらってゆく。 セージはあかりの小さな背を見つめ、呟く。 「何があっても、オレはお前の味方だ」 と。 彩のなくなった周囲の木々は、ただ風に吹かれて枝を揺らすだけで、さわさわという耳に心地いい音さえ、奏でることはなかった。 キミカゲが燈火を肩車して村の中を歩いている。 燈火の赤い髪がサラサラと風になびく。 莉悠はセージが献花を忘れていったからと慌てて後を追って墓地へと行ってしまった。 賑わうのは子供達の声だけの村。 風緑の村とも重なって、キミカゲはふと思い返す。 いつも、御影の後を追って歩いていた自分。 ある日あかりが現れて、いつも同年代の子供に無関心な御影が珍しく声を掛けた。 『見かけない子ね』 『引っ越してきたばっかりだから……』 『そう。じゃ、わたしの友達になりなさい』 『え?……友達っていうのはそういうんでなるんじゃないと思うけど』 あかりは村の子供達が決して言えないような口答えを簡単にした。 後で聞いたら、体が小さいからキミカゲと同い年くらいかと思ったのだと、御影は笑いながら言った。 御影は村の領主の娘で、村の子供達は近づき難かったのか、キミカゲ以外に友達がいなかった。 それを特に気に留めた様子を見せることはなかったけれど、それに伴ってキミカゲにまで友達が出来ないことを気にしてくれていたのだと思う。 御影は……そういう子だった。 「ねぇ、きーくん。ほのたちもおはかいこー」 「え?」 「きーくん、しゃべらないからつまんないもん。パパのところいきたい」 「あ……う、うん、わかった。それじゃ、行こっか……」 キミカゲが風録の村に思いを馳せている間も何か話しかけてくれていたようで、ふてくされたように燈火はそんなことを口にした。 キミカゲは髪をグシャグシャやられるものだから、仕方なく、莉悠の駆けていった方へと足を向けて歩き始める。 「……きーくんは、どうしていつもつまらなそうなの?」 「え?別につまらないわけじゃないよ」 「だって、いつもぼーっとしてるよぉ。パパがいないときのママみたい」 「莉悠さんが?」 「うむ」 莉悠はキミカゲが見ている限り、テキパキと家事をこなす理想の奥さんといった感じだった。 いつもニコニコしていて、口数の少ないセージのこともよく把握している。 こんな小さな子供がいるのに、セージが旅に出るのを許可した……というのも、よほど出来た人間でなくては出来ないことだと思う。 「パパとママはジージとバーバのきめたあいてで、『こんやくしゃ』だったんだよ」 「へぇ……」 「ママはこどものころから『すき』だったんだっていってた」 「そうなんだぁ」 「パパはどうかしらないけどねぇって、いつもかなしそうにいうの」 「…………」 「パパ、きーくんたちに、ほののおはなししたことある?」 「僕は……セージ様とはあまり話さないから」 「そうなんだ……」 「でも、きっと、あかり様とは話してたと思うよ」 「そっか。あっちゃんとパパはなかよしなんだもんね」 「うん」 「ほの、ひとめでわかったの。ママがいっつもおはなししてくれてたから。ほのとおなじ『あかいかみ』ですこし『こわいおかお』してて、『おっきなけん』もってて、『おっきなからだ』」 「ははは、怖い顔」 「うん、こっわいよね。ほの、パパじゃなかったらこわくてないちゃう」 「パパだからいいの?」 「うん、パパがやさしいのわかるからだいじょぶ」 「そっか」 「すっごい『やさしいおてて』してるの。だっこされるとふにゃんってなるよぉ……。それにね、このまえ、パパ、なにかのタネまいてたの。なにができるかワクワクだなぁ」 「そうだね。一体何の苗を作ってるんだろうね」 墓地へ続く林に入り、キミカゲは肩車が疲れてきて、燈火のことをそっと下ろした。 ふと村のほうに視線をやると、村の入り口近くの家から黒い煙が上がっているのが見えた。 キミカゲはピタリと動きを止める。 燈火の視界に村の様子が映らないように咄嗟に体を前に出す。 「ほのかちゃん、ここからは一本道のはずだから先に行っておいで」 「え?きーくんは?」 「きーくん、ちょっと……ご用を思い出しちゃった」 「う……うん、わかった」 後ろでタタタッと燈火が走っていく音が聞え、キミカゲはすぐに村へと駆け出した。 あかりやセージならすぐに気がついてきてくれるだろう。 燈火を連れたまま、戦うのは難しい。 判断は間違っていないはずだ。 護る。 護る。 護ってみせる。 たとえ、何人殺しても……僕はもう、大切な人を死なせはしない。 小屋に戻って、ボウガンを肩に掛けて矢筒を腰にくくりつけ、荷物の中に入れておいた短剣を取り出し、ベルトに挟みこんだ。 村の大人たちは兵士に向かって斧を振り上げ、子供達は村の奥へと逃げてゆく。 黒い風が上空にあるのを確認した。 「また……。また、お前かぁ!!」 素早くキミカゲはボウガンから矢を射出した。 黒い風めがけて矢が飛んでいくが、矢はすり抜けただけだった。 「くっそ……」 大急ぎで矢を番え、危うく斬られそうになっている村人を助けるために矢を放った。 見事に命中して、キミカゲはほっと息を漏らす。 兵士の数はそんなに多くなかった。 もしかしたら、逃亡兵か何かがあの風に惑わされたのかもしれない。 ボウガンを肩に掛けて、短剣を抜き、入り口へと走る。 村人に逃げるように指示して、兵士を1人倒した。 返り血が顔に跳ね、キミカゲはすぐにそれを腕で拭う。 あかりが兵士を攻撃できないのは、その優しい気性もあるのだろうが、風に惑わされてのことだということを分かっているからだ。 だから、セージが斬り伏せた後、気に掛けるような言葉を発してしまう。 罪は彼らにはないから。 けれど、セージはそうではないと言う。 剣を持つこと。 それは責任で、剣を手にしている間は、何かに惑わされるなどということはあってはならないのだと。 惑わされ、人を傷つけることは許されないこと。 「お前ら、いい加減にしろぉぉっ!!」 キミカゲは激昂した声を発し、村人を追って走ってゆく兵士の肩を掴み、振り返った瞬間殴りつけた。 倒れた隙をついてすぐに短剣を喉元に突き立てる。 また返り血が顔に跳ねる。 錆びた鉄のような臭いが鼻腔に広がった。 吐き気がしそうなくらい気持ちが悪かった。 涙がポロポロと零れる。 「なんでっ……なんでだよ……。こんなことして、何がしたいんだよ、おまえはぁっっ!!」 キミカゲは黒い風に向かって吼えた。 けれど、突然ガツンと後ろから殴られて、キミカゲはそのまま意識を失ってしまった。 怒りで周囲が見えてなかったとはいえ……それはあまりにも不覚としか言い様のない状況だった。 「あれ?むらが……」 燈火は村が騒がしいことに気がついて、くるりと振り返った。 黒い煙があちこちから立ち昇っているのが見える。 火事だ……。 そう心の中で呟く。 「パパのかだん、もえちゃう」 燈火はそう呟くと、元来た道を引き返し始めた。 |
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