第8章  救世主の苦しみ

「あと……2箇所?」
 あかりは清めの術を終えて、ゼェゼェと肩で息をする。

 風がその問いに答えるようにサラサラとあかりの髪をさらっていく。

 御影がサポートに入ってくれていたからよかったようなもので、サポートのない状況での清めの術はずいぶんな量の体力を消費する。
 風の声を聞くのもそれと同様で、若干の体力の消費は避けられないものだった。
 それが更にあかりの体に疲労をためてゆく。

 あかりはほとんど休み無く各地を歩き回り、穢れが広まる一歩手前での浄化を行うことで、全てを終わらせようとしていた。

 まるで考えることを恐れるように、一心に『頑張る』という言葉を口にして旅を続けていた。

 ふらりと傾ぐあかりの体をキミカゲが優しく受け止める。

「あかりちゃ……あ、あかり様、少しペースを落としませんか?すごい辛そうです」
「……いえ、あと少しだから……」
「で、でも……」
「キミカゲ、あなたはわたしに従っていればいいのです」
「だけど……僕はあかり様の体が心配です」
「救うところ、見せてあげる。約束でしょう?」
「…………」

 その言葉にキミカゲの顔が青ざめた。

 2人で旅をするようになって、あかりがキミカゲに隠しきれなくなったこと。
 あかりの苦悩と、風を清めることで奪われる体力の消費量。

 あかりの疲れ切った表情を見て、キミカゲは唇を噛み締める。

「だいじょうぶ。早く終わらせて、帰ろうよ……キミカゲ」
 あかりは優しくそう言うと、キミカゲの腕を握ってゆっくりと足に力を入れてゆく。

「穢れが広がる前に清めてしまえばいいんだもの。この調子でいかなきゃ」

 キミカゲは不安そうにあかりの横顔を見つめているだけ。

 この2人がすれ違ってしまった原因。
 それは、互いに求めていた関係とは違う関係を選び取ってしまったこと。
 もう二度と変わることのない、悲しい関係……。






 山の奥深く、生い茂った草を踏み分けて踏み分けて入ってゆく。
 キミカゲがあかりの歩きやすいように道を作って、そこをあかりが歩く。
 あまり地上では聞いたことのない野鳥の声が不気味に響き、昼間なのに周囲はすごく薄暗かった。

 夏場に入ったが、山の中は涼しく、キミカゲは上着を羽織っていた。

 周囲を確認しながら進んでゆくキミカゲ。

「本当に……こっちなんですよね?」
 キミカゲは周囲の異様さに圧倒されたのか、そんなことをあかりに尋ねてくる。

 あかりはキミカゲがこちらを向いているのを確認して頷きだけ返す。
 返事をする体力がもう残っていなかった。

 風がふよふよと漂って、穢れのある方向を教えるように何度か行ったり来たりする。

 あかりはそれに笑顔を返し、か細い声でキミカゲに声を掛けた。

「……もう少し、東寄りに道を作って……」
「は、はい。あかり様……少し休みませんか?本当は歩くのも辛いんじゃ?」
「……こんなところで休んだら、野生の獣に襲われてしまいます」
「……そうだけど……辛そうだよ……」
「なに?」
「いえ、なんでも」
 キミカゲはポツリと呟いた言葉を、首を横に振って誤魔化し、あかりのために短剣で草を切り倒す。

 あかりははぁはぁ……と肩で息をしながら、キミカゲの後ろをついてゆく。

 風があかりの背を押すように優しく、シャツの裾を揺らし、スカートをなびかせる。

「ありがと」
 あかりはやんわりと目を細めて呟いた。

 足元を確認しながら歩くあかり。

 キミカゲが突然足を止めて、ゆっくりとこちらに振り向いた。
「……どうしたの?」
 あかりが不思議そうに首を傾げるのを見て、キミカゲは人差し指を口に当ててシッと言った。

 あかりも息を整えてから、風の声に耳を傾ける。

「前に……何かいる……。獣?」
「少し回り道しましょう。野生の獣相手じゃ分が悪すぎる」
「だめ……」
「え?」
「ごめんなさい、キミカゲ。囲まれました」
 あかりは申し訳なさそうに眉を歪めて、ふぅ……と息を吐き出した。

 腰から剣を抜き、ふらつく足を押さえるように膝小僧をポンポンとはたく。

「あの……」
「獣達は穢れにあっています。突っ切るなり戦うなりしないと、前に進めません。殺したくはないけど……」
「あかり様、獣相手は危険です」
「でも、囲まれてます。戦うしかありません」
「……わかりました。でも……」
「はい?」
「僕が囮になります。あかり様は先に進んでください」
「え?」
「それが正しい選択だと思います。あかり様は手を穢してはいけない」

 キミカゲは覚悟を決めたように短剣をベルトに挟んだ鞘に納め、背中に背負った、子供の背丈ほどあるボウガンを持ち、矢を素早く番えた。
 キリキリキリ……と軽い音を立てて、ボウガンの弦の部分が伸びてゆく。

 あかりはそれを見つめたままで、困ったように顔を歪ませる。

 キミカゲがそれに気がついて、苦笑混じりで尋ねた。

「嫌です、なんて言わないでくださいね?」

「嫌です」

 あかりの回答は早かった。

 キミカゲが言葉を言い終えてすぐに、頑として譲らないように言った。


 嫌です。


 今度はキミカゲが困ったように顔を歪ませる。

「我儘だなぁ……」

「約束です。わたしがあなたを護ります」

「違います。僕があなたを護る。これが約束でした」
 キミカゲはあかりの目をしっかりと見つめてそう言った。

 真剣な眼差しにあかりの頬が少々赤らむ。

 あかりの頭を軽く撫でて続ける。

「肩に力入りすぎです。僕たちは、それぞれの力を活かす。それが互いのためになるはずです」

「でも……キミカゲく…………ぁ・あなたが危険になります」

「僕だって、へたれてるだけじゃないんです」

「へたれて……?べ、別にわたしはそんなこと思ったことは……」
 あかりはキミカゲの手をそっと除けて、恥ずかしそうに俯いた。

 キミカゲは草を切り倒して道を作る。

「草が邪魔で大変だと思うけど、僕が出て行ったらすぐに……」


「待て!」

「え?」


 突然の叫び声。

 あかりが聞えたほうに目をやると、キミカゲの背丈以上ある草の上を、オオカミのような獣が飛んできた。
 不自然に宙を舞って、あかりの頭の上をかすめ、鈍い音を立てて地面に落ちる。

 ピクピクと痙攣を起こして倒れている白い毛のオオカミ。

 あかりは怯えるようにキミカゲの服の裾を掴んだ。
 聞き慣れた声だったが、そんなはずはないと……あかりは心の中で呟く。

 キミカゲが警戒するようにあかりの視線の先へと目をやる。
 あかりの視線から見ると高くそびえる草々の上に見えたのは、赤い髪と鋭い眼差し。
 スカイブルーの目。

「バカヤロウ……探したぞ」
 顔についた血を拭いながら、セージが怒った顔で全身が見えるところまで出てきた。

 白い鎧にも血が付き、いつもの清潔さが失われている。
 大剣を地面に突き刺し、目を細めてあかりを睨みつけてくるセージ。
 あかりはただ笑いかけるだけ。

「お前は……オレを馬鹿にしてるのか?」

「そ、そんな……尊敬してますよ」

「…………。ならば、如何なる理由で、オレを必要ないと判断した?」

「…………。セージ様には、血は似合いません。パパとして、旦那様として、ゆったりと暮らされているほうが合っています」

「な……」

「パパも言ってました。セージ様は趣味が渋いから、ぼんやり暮らしたほうがいいって」

「…………」

「ずっとずっと、セージ様とは離れようと考えていました」

「オレは、お前の味方だと言っただろう?!」
 セージが堪えきれないように怒声を上げる。

 あかりはその声を聞いても、全く怖がった様子を見せない。

「はい、嬉しかったです」
 笑顔プラスで強調するようにそう言うと、すぐに続ける。
「セージ様のことは兄のように慕っています」

 セージの真摯な眼差しは……いつでも温かく見守ってくれる父性的な目。
 あかりにとっては、パパがそこに居るように感じさせてくれる、そういう人。
 セージにとっても、自分はそうであるとわかっているから。
 だからこそ、優先すべき人の傍にいて欲しいと思う。

 自分のために、命を失うような危険な場所にはいないで欲しいとあかりは思ったのだ。
 傍にいて欲しいと……心の底では願っているけれど。

「…………。ならば、兄として、お前の道を拓くことだけは許せ」

「え?」

「オレは、お前がこの場を清めたのを確認したら、村に帰ろう」

「…………」

 何を言っても聞かないことを、セージはあかりの笑顔を見て察したようだった。

 ふぅ……とため息を吐いて、地面に突き刺していた剣を抜き、キミカゲに視線を移す。
「キミカゲ」
「はい」
 キミカゲは奥歯を噛み締めて、セージを見上げる。

 セージは険しく目を細めて静かに言った。

「少しはマシな目になったな。あかりを……頼む」
 すっと目を伏せて、言うのを躊躇うような……そんな声だった。

「あかり」

「はい?」

「以前、燈火が護った花壇で育った苗の1つだ」

 セージは持っていた大きな布袋から丁寧に苗を取り出し、あかりの手の上に乗せた。

 小さな苗。
 あかりの両手にすっぽりと収まる根土。

 セージはゆっくりと2人の間をすり抜け、剣をしっかりと構え直した。

「お前がここだと思う場所に、植えてくれ」

「え?」

「それは……お前のために育てた苗だ」

「…………」

「お前と同じで、育ちはとろかったが、な」
 おかしそうに口元を吊り上げてそう言うと、セージはあかりたちのために道を作るように剣で草を薙ぎ払いながら、前方で殺気を放っている獣達に斬りかかっていった。

 あかりの持っていた苗をキミカゲが丁寧にあかりのバッグに入れる。

 少し恥ずかしそうにあかりの手を握り、真面目な声で言った。
「行きましょう。僕が絶対に護ります」

 あかりはキミカゲに手を引かれるままに、赤い髪が揺れるのを視界の隅で感じ取りながら、倒れている草を踏みしめて、山の奥に感じる穢れの風に向かって走り始めた。

 風がひゅ〜……と吹いて、セージを気に掛けるように周囲を漂った後、突風を起こして獣の動きを一瞬止めた。
 セージは素早く獣達を斬り伏せる。
 白い毛の獣。
 黒い毛の獣。
 小さいのから大きいのまで……山中の獣たちが穢れに合っているかのように周囲から感じる殺気は尋常なものではなかった。

 セージはボソリと呟く。
「まいった……早くしてもらわなきゃ、オレが死んじまう」
 草を掻き分けて、獣達の嗅覚に捕まるように風上を目指して駆け出す。

 風がそんなセージを追ってゆく。

 セージはニヤリと笑って、風に語りかけた。

「あかりに伝えろ、早く清めろ……とな」

 追いかけてきていた黒い毛のオオカミを剣の柄頭で、裏拳のように叩き、隙が出来た瞬間に剣を叩きつける。

 動きに無駄のないセージの戦い方に、風が賞賛を送るように髪をなびかせた。

「早く行け!」

 セージはそれをうざったそうにあしらって、あかりの走っていった方向を気にしながら囮になるように、剣気を放った。

 風はその様子を確認して、すぐにあかりを追うように強い風を連れて、草を揺らしながら駆けていった。


 この戦いの後、セージは獣にやられた傷から病にかかり、そのまま帰らぬ人となる。
 それは、あかりが風緑の地で命を落とした、半年後のことで、あかりはそのことを知ることはなかった。


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