第9章  救世主の最期

 キミカゲが炎の向こう側で横になって眠っている。
 あかりは火の番をしながら、ぼんやりとその寝顔を見つめていた。

「あと……1回……」
 ポツリと呟かれた声。

 背にしている岩場に軽くもたれかかって、自分の手の平を見る。

 カタカタ……と手が震えた。
 まるでアルコール依存者のように、自分の意思では手の震えを止められない。

 あかりは微かに目を細め、手を握り締めると、そのまま膝を抱えた。

 転びすぎで、アザだらけの膝。

 酷使しすぎて、クタクタの体。

 考えることを拒むように、必死に頑張ろうとする自分。

 そんなあかりにとって、夜は不必要なものだった。
 考えることなど要らない。
 もう少しで終わる……終わるのだ。

 でも、終わったら何をしようか?

 旅を終えたら何をしたいと思っていただろう?

 キリィの塔に遊びに行って。
 御影と丘の上で歌を歌って。
 傍ではいつでもキミカゲが笑っていて……。
 ああ、そうだ。
 セージの元も訪ねなければ。
 今度は母も連れて、燈火や莉悠に会いに行こう。

 …………。

 半分も叶わないことがある。

 キリィは自分を庇って死んでしまった。

 御影は黒い影に囚われて、命を落としてしまった。

 塔も丘も確かに在るけれど、そこにはいるべき人がいない……。
 護りたいものは増えてゆくのに、自分はその増えてゆく大切なものを護ることも出来ない。

 自分が、どうして風の声を聴き取れたのか……疑問で仕方なかった。

 もっと強い人はたくさんいる。

 御影やセージ、キリィだって……こんな自分よりよっぽど芯が強いと思う。

 護る力も、戦う覚悟も、何もかも……持っていたのは彼女たちのほうだったのに。

 あかりの目から涙が零れ落ちた。
 ハラハラと……自然に流れ出てくる。

 この力を要らないなどとは言わない。
 けれど、もしも、この力を持つ者が自分でなかったら、どれほどの犠牲を出さずに済んだのだろうと……思わずにはいられなかった。

 涙を拭う。

 今更遅い……。
 もう何もかも遅い。

 考えるなら楽しいことがいい。

 もしも……この旅を終えたら……。

 あかりはゆっくりと背を伸ばして、キミカゲのあどけない寝顔を見つめた。

 旅を始めた頃より大人に近づいた彼の顔は、少しだけ男らしくなっていた。






 最後の地は……風緑の村。
 穢れた風が上空を漂っており、嫌な空気を肌で感じるあかり。

 村の中は閑散としており、その中をキミカゲが警戒するように歩いてゆく。

 閑散とはしているが、人の気配がところどころでする。

 それがとても不気味で、あかりは立ち止まり、周囲をキョロキョロと見回した。

 風があかりの傍から離れて、村中を駆け、ゆっくりと戻ってくる。

「黒い風は……森にいるのね?」
 あかりが風の声のままに、森の方向へと足を向ける。

「あ……ちょ、待ってください!」
 キミカゲが慌てて踵を返して、あかりの横まで駆けてきた。

 あかりはキミカゲに笑いかけて、フラフラしながら足を進める。

「たぶん、兵士か何かを警戒してて、村の人たちは出てこないのね」
「……たぶん。でも、少しおかしいような気も……」
「え?」
「今までのところだったら、問答無用な感じで襲ってる感があったから……。ほら、黒い風って学習してってる感じがしませんか?はじめは……大風や地震とか、自然災害的なものだったのに、その後からは人を惑わせたり、獣を惑わせたり……人為的なもので争いを増やしたり、虐殺をさせたり……。たぶん、あかり様の弱点を見抜いたから……だったんだろうけど」
「…………。キミカゲは、何かあると?」
「そう思います」
「でも、清めてしまえば終わりだし。ここは突っ込むしかありませんよ」
「まぁ、そうですけどね」
 あかりの言葉に、真面目な表情をしていたキミカゲも苦笑を漏らした。

 風が辺りの様子を探って戻ってくる。
 特に、森の中に誰かが潜んでいることはないようだ。

 あかりは念のために腰の剣を抜き、戦闘準備を整えて先を急ぐ。

 キミカゲもボウガンを抱えて、ふぅ……と息を吐き出した。

 森の中の拓けた場所に、逃げる様子も見せずに黒い風が漂っている。

 あかりが清めの術を念じ始めると、ヒュン……と音を立てて、あかりの体めがけて飛んできた。

 けれど、それはあかりの周囲を漂う風によって阻まれる。
 相手が黒い風ではキミカゲは手の出しようがない。

 ただ、心配そうにあかりの様子を見守るだけだ。

 あかりは精神集中を終えて素早く目を見開く。

 風がフワフワとスカートを揺らした。

「あなたが、最後です!!」
 その言葉とともに、眩い緑色の光が放たれ、風が黒い風を取り込むように包み込んでゆく。

 黒い風はどんどん薄くなり、最後には緑の光の中に埋もれてしまった。

 それを視認して、あかりはほっと息を漏らす。

 カクリ……と崩れ落ちる膝。

 終わった……。
 そう、心の中で呟いた瞬間、キミカゲの手があかりの体を激しく突き飛ばした。

 何が起こったのか分からずに、地面にズシャシャ……と尻餅をつくあかり。

「痛……」
 あかりはおしりをさすりながら顔を上げる。

 目の前に、わき腹に矢が刺さった状態で倒れているキミカゲの姿があった。

 状況の把握が出来ない。

 どうして、キミカゲがそこに倒れているのか、意味が分からない。

 終わったはずなのに。


「キミカゲ……くん……?」
「……っ……」
 返事はないに等しかった。

 慌ててすり寄り、キミカゲを抱き起こす。

「い、今、回復を……」
 動揺した声を発し、キミカゲのわき腹に手をかざす。

 ゆっくりではあるが、風があかりの周辺に集まってくる。

 緑色の光がじんわりと明るさを増してゆく、その時だった。

「そこまでだ、反乱軍め」
 おそらく矢を放った人間が、ゆっくりとその姿を見せる。

 王都の兵士だった。
 反乱軍?
 ここは戦場になっていたというのだろうか?
 あかりとキミカゲは、革命軍の者と間違えられたのか。

 兵士に気を取られている間にも、キミカゲのわき腹からはどんどん血が溢れ出てくる。

 風が集約するのをやめた。

 あかりはすぐに察する。

 彼は助からない。ごめん、あかり。

 そういう声は聞きたくなかったから、聞く前に察した。

「嘘……」
 あかりは小さな呟きを漏らす。

 キミカゲの顔がどんどん青白くなってゆく。


『救うから……』


『世界を救うから、あなたは『わたし』を護ってください』


 キミカゲは約束を守った。
 あかりを護った。

 あかりも約束を守った。
 黒い風を全て清め終えた。

 けれど……争いは終わっていない。

 結局、黒い風だけのせいではなかった。

 人間達の愚かな争いは、自分達の意思で行っているもの。


『救うから……』


 どうやって?

 あかりの力は、風を紡ぎ、清めるだけ。

 人間達の意思まで清めることは出来ない。


 兵士達が徐々にあかりたちを取り囲み始める。

 王都の鎧を着た兵士たちと、てんでバラバラの恰好をした兵士たち。
 戦いを始めようと、剣を抜いていく。

 あかりのしてきたことは無駄だったのだろうか?

 風を清め終えれば、平和な世界が広がるものとばかり思っていた。

 それなのに、彼らは操られてもいないのに、争いをやめない。

 国を統一するための争い?

 そんなもの、あかりの知ったことではない。

 キミカゲのいない未来……。

 あかりにとっての希望を奪うことは許されない。

 もう、奪わせはしない。


「念じて……」
 あかりはいつかのあの声と同じように呟いた。

 あかりの体が激しい緑色の輝きを発する。


「わたしは望む。世界ではなく、あなたを」


 キミカゲの頬をそっと撫でて、しっかりとした声で言った。

 あかり、いけない!! ――……。

 『風』があかりを止めるように声を発した。
 けれど、あかりの意志を拒絶できないように風が集まり始める。

 あかりが風を引き寄せるように、何かをブツブツ……と呟いている。

「此の者の意識を呼び戻したまえ」

 あかりとキミカゲの周辺にだけ風の防壁が浮かび、緑の光が村を覆う。

 夏場で青々と茂っている木々の葉が枯れてゆく。

 草も花も、全てが枯れてゆく。

 木々は葉だけでは済まず、幹までもボロボロと崩れ、倒れたかと思ったらあっという間に風化してしまった。

 あかりの頭がクラリと揺れる。
 先程、清めの術を使ったばかりである。
 禁術を使いこなすほどの体力が、あかりに残っているはずなど無かった。

 それでも、あかりは歯を食いしばった。

「うっ……」
 キミカゲがピクリと体を動かす。

 傷が徐々に塞がってゆき、顔色も段々良くなってゆく。

 あかりはその様子を見て、ふわりと笑みを浮かべた。

 脂汗が顔に浮かんでくる。

 それでもあかりは禁術の発動を止めなかった。

 周囲の木々はもう跡形もない。

 あかりがキミカゲに矢を放った兵士を睨みつけると、兵士が苦しげに声を上げて、その場に膝をついた。


「あなたなんか、死んじゃえ」


 あかりが口にしないはずの言葉を容易に言い放った。


 あかり、冷静になって――……。
 君はいつも言っていた。罪は、彼らにはないと――……。


 『風』が言ってくれたが、あかりは睨みつけるのをやめない。
 それは穢れに惑わされている時の人間に対してのことだ。

 兵士から目線を上げ、兵士全てに禁術の効力を当てようとした時、あかりの視界に母親の姿が飛び込んできた。

「あかり!あかりなのでしょう?」
 今や危険な場所と化しているというのに、家に隠れていたはずの村人たち数人があかりの母親を抑えるようにして体を掴んでいるが、負けじと母親は兵士をかき分けてやってきた。

 力が発現して、村人達に『あかり様』と呼ばれるようになった後すぐに、あかりは母親の許可さえ得ずに、セージだけ連れて村を抜け出した。

 あかりのことを心配していてもおかしなことじゃない。

 今更だけれど、母親の顔を見た途端、あかりは平静を取り戻した。

「ママ……?」

 その呟きとともに、周囲を包んでいた光が止む。

 あかりはフラリと仰向けに倒れる。

 傷が治ったキミカゲが、すぐに起き上がってあかりの体を抱き起こした。

「あかり様、大丈夫ですか?」
「…………」
 あかりはコクリと頷くだけで声はなかった。

 ただ、あかりたちを避けるようにしながら、戦いが始まったことだけは理解しているようだった。

 キミカゲはボウガンを背負って、すぐに立ち上がる。
 あかりの体を抱き直し、戦場から離れるように駆け出した。

 村人たちも戦闘が始まってすぐに、あかりの母親を無理矢理引っ張っていったのか、姿を確認することは出来なかった。

「安全な場所に行きます。それまで眠っていてもいいですよ」
 キミカゲが優しい声でそう言うと、あかりが微かに声を発した。

 怒号の飛び交う中、キミカゲは走りながらあかりの口に耳を近づける。

「お願い……が、ある……です」

「え?」

「すべて……わったら……わた……キ……と……」

「……休んでください。あとで、ちゃんと聞きますから」
 あまりに小さな声で聞き取れず、キミカゲは静かにそう言った。

 弱りきっているから話してはいけないと、判断したのだろう。

 けれど、あかりは自分の体から力が抜けてゆくのを感じていたから、どうしても伝えたかったのだ。

 けれど、言葉が声にならない。


 風が不安げにあかりの傍を離れない。

 あかり、念じて――……。

 ごめん……わたし、もう無理みたい……とあかりは心の中で呟く。

 少しでいいから念じて。あかりを助けさせて――……。

 風の声が頭に響く。必死な声だった。

 もう、寂しくない?とあかりは問う。

 うん、寂しくないよ。寂しくないから。きみに恩返しさせて――……。

 お願い。念じて。きみが念じてくれないと、助けられないんだ――……。

 きみの力がないと、何もできないんだ――……。

 役立たずでごめん――……。


 キミカゲが丘を登り始めた。

 決して戦いに巻き込まれない場所を選ぶように、一心不乱に登りきる。

 風の通り道。
 あかりが以前にそう称した丘。

「あかり様、ここにいてください。決して動かないでくださいね。僕が絶対に助けを呼んできますから。だから、それまで、どうか……!!」
 キミカゲがあかりを丘に下ろして、駆け下りてゆく。

 助けを呼んだところで消耗の激しい今のあかりを助けられる者などどこにもいないのに。

 キミカゲは藁にもすがるような表情で走っていった。

 あかりが心の中で呟く。



 ……せめて、最期まで、傍にいて……。



「キミ……カゲ……」


 あかり――……。
 しっかりして――……。

 必死に上体を起こそうと踏ん張っているが、あかりは体を起こすことも出来ない。

「やっぱり……禁術なんて、使うんじゃなかった……し、死にたくないよぉ……」
 緑の失せた丘の上の土を撫でながら、微かな声であかりは呟く。

「ごめんなさい……せっかく、あなたたちが力を貸してくれたのに……。私、人間に向けるなんて、でき、なかった……」


 いいんだよ。あかりはあんな怖いことしなくていい――……。


 その声に安心したようにあかりが笑みを浮かべる。
 先程、逆上して人を殺しそうになったあかりのことを言っているのだ。
 思い返して、やらなくて良かったと安心しているようだった。

 そして、思い出したように、腰に下げていたバッグから、一本の苗を取り出す。
 必死に体の力を振り絞って起き上がり、ザクザクと地面に穴を掘り始めた。

「セージ様に頂いた苗……。この子だけは、なんとか……」
 セージが苗を手渡してくれた時のことを思い出して、あかりはふっと笑みを浮かべる。


『お前がここだと思う場所に、植えてくれ』

『え?』

『それは……お前のために育てた苗だ』

『…………』

『お前と同じで、育ちはとろかったが、な』

 嫌味さえ、愛しさの裏返しのようで、あかりはセージのことを憎めない。
 幸せに暮らしてくれることを祈っていた。


「ごめんなさい……私が、しっかりしてたら、こんなことに……ならなかったのにね」

 掘り終えた穴にそぉっと苗を根付かせて、微笑みかける。

「人間の戦いに、あなたたちまで巻き込んでしまって……ごめんなさい……」
 あかりはゆっくりと地面へと倒れこんだ。

 これで死ぬのかな。

 あかりの心の声。

 風はあかりを護るように傍に寄り添う。

 ごめん、あかり。本当に役立たずでごめん――……。





 あかりは意識を失っている間、夢を見ていた。

 それは子供の頃の夢。

 あかりが村の子供達にからかわれているところに、御影が通りかかった。
 相変わらず、キミカゲは御影の後ろをついて歩いていた。

 あかりがドジだなんだと馬鹿にされているのを見過ごせなかったようで、御影がつんと澄ました表情で割って入ってきた。

『あなたたち、こんな小さな子しかいじめられないの?しかも、こんな大人数で』
『み、御影様……?!』
 子供達が御影の顔を見て、すぐに恐れ多いような表情になる。

 あかりだけ、きょとんとしてその様子を見つめていた。

『さっきの勢いでわたしにもかかってらっしゃい』
『み、御影ちゃん、あぶないよ……』
『大丈夫よ。こんな時のために、あなたがいるのだから』
『えぇ?!僕?!』
 2人がそんなやり取りをしている間にトンズラしてゆく子供達。

 御影は全く気がつかないで、キミカゲに微笑みかけている。

 あかりはそのやり取りが楽しくて、ふふ……と頬をほころばせた。

 そして、もう子供達が見えなくなってからあかりは告げる。

『もう、あの子たちいないよ』
『あら……』
『ありがとう、御影ちゃん』
 あかりのその言葉に御影はそっと目を細めて優しく言った。

『友達だもの、当然ですわ。ね、キミカゲ。あなたももっと強くなってね。へたれてても、やる時はやる男じゃないと駄目よ』
『なに?それ……』
 御影の言葉にキミカゲが困ったように眉をひそめる。

 5歳の子供に言う言葉ではない。

 あかりはその様子を見てまた笑う。

 御影が思い出したように、表情をはっとさせてあかりに言った。

『あかり、前も言ったでしょう。わたしのことは「御影」と呼ぶの。いいわね?』
『あ、そうだった。キミカゲくんが呼んでるからつい……』

 困ったようにあかりが笑うと、御影は目を細めて笑い、クルリとターンをした。

『「御影様」でもいいわよ?』
『僕がそうよんだらなぐったくせに……』
 御影に対してキミカゲがそう言うと、御影は口元に人差し指を当てて楽しそうに笑った。

『だって、キミカゲはと・く・べ・つだもの♪』

 あかりは子供の頃、御影とキミカゲのそんなやり取りを見ているのが、とてもとても楽しかったのだ。

 仲の良い2人を羨ましいと感じつつ、それがいつしかキミカゲへの恋心に変わっていこうとは……その頃は考えもしていなかった。


 丘の上で3人で過ごすひととき。

 それが、あかりの幸せの象徴……。

 そうして、幸せな夢の中から意識を揺り起こされると、あかりは鬼月の腕の中にいたのだった……。


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