第1章  あなたの変化。わたしの進化

 戒が緋橙の国に戻って二週間が経とうとしていた。
 真城たちは村へ帰り、それぞれがそれぞれの日常に戻り始めていた。
 村人達はみな真城の無実を信じていたようで、特に問題なく、真城には普通の生活が戻ってきた。

 一週間ほど前の王の告別式での騒動を、旅先で聞きかじっていた真城は父親の安否を心配していたのだが、帰ってみたらベッドに寝てはいたものの、力強い笑顔で迎えてくれた。

 母親が柔らかい笑顔で簡単に言った言葉に真城はつい噴出してしまった。
『あなたもこの人も、殺したって死なないわ』
 女らしいふんわりした物腰で、いとも容易く言った。

 顔は母親似だけれど、真城はどちらかというと父親の成分のほうが多いのだと感じた。
 母が臥せっていた時、父は母の心配ばかりで食卓に顔を出してくることがなかったのだ。
 自分も旅先で、月歌が声を掛けてくれないと食事や睡眠に気も遣わずに、葉歌の看病ばかりしてしまったからなんとなくそう感じた。

 丘の上の木に登り、風に吹かれながら一月ほど歩いて旅した大地に思いを馳せる。
 視界にそれがなくても、目を閉じればそこには広々と広がる草原や山々があった。

 自分は狭い世界にしかいなかった。

 それが知れただけでも、真城は少しは変わることができたと、思う。



「真城?あら?ここにいるって言ってたんだけどなぁ……。真城ー?」
 葉歌が真城を探すようにキョロキョロし、口に手を当てて、可愛らしく声を上げる。

 真城は木の上でその様子を見下ろしながら、悪戯っぽく笑う。

 葉歌は手に下げていたバスケットをゆっくりと持ち直して、日差しを避けるように木の下まで歩いてきた。
 肩から水筒がぶら下がっているのが見えた。

 夏場の日差しは風通りの良い丘でも耐えられないほどだ。
 真城は思いつきで木を登ってみたのだが、あまりの涼しさについつい留まってしまっていた。

 葉歌がふぅ……と息を吐いて、バスケットから白いハンカチーフを取り出して、顔の汗を拭う。

「どこに行ったのかしら?……風に……なんてね。さすがにそこまでやったらストーカーになっちゃうわ」
 葉歌はおかしそうに笑いながらそう呟いて、バスケットを持ち直した。

 真城は視線を外して、体を後ろに逸らせ、そのまま枝に足を引っ掛けた状態でグルンと回った。

 葉から顔が覗き、目の前に葉歌の驚いた顔があった。

 真城は悪ガキのように歯を見せて笑う。

 葉歌は目を見開いて、髪の毛が本当に逆立っている真城を見つめる。

「おはよ、葉歌」
「お、おはよ……って時間じゃないよ、真城。もうおやつの時間!」
 動揺しながらもそう返し、真城のおでこをピンと指先で跳ねる。

「え?そうなの?道理でお腹が空くわけだ……」

「屋敷に行ったら、ここにいるって聞いて、月兄ぃからお菓子預かってきた」
 真城は逆さの状態でお腹をさすり、葉歌は持っていたバスケットを胸の前まで持ち上げてみせる。

 真城は『お菓子』という単語に敏感に反応して、すぐに枝から足を離した。

「え、ちょ、真城?」
 いきなり落下してゆく顔を見て、葉歌はすぐに体を支えようと手を伸ばしてくれた。

 バスケットがにわかに揺れる。

 そんな葉歌の心配を他所に、真城は地面に手をついて、ぐっと肘を折ると、反動をつけてそのまま逆さまの状態で飛び上がって、軽々と着地を決めた。

 すぐに葉歌の傍に来て、バスケットに手を伸ばす。

「今日のおやつは何かなぁ〜?♪」

「……び、びっくりしたぁぁ……」

「ボクは日々進化しているのですよ、葉歌さん」

『ハウタさん』

 おどけて言った真城の何気ない言葉が、真城の中の得体の知れない『彼』を彷彿とさせる。

 葉歌が若干目を細めた。

 真城はそんなことは知らないから、全く気にも留めずにしゃがみこんで、葉歌の手に下がってブラブラしてるバスケットの蓋を開けた。

「あ、パイだ♪つっくんはそろそろ執事じゃなくってコックに職変えかなぁ……」
 すぐに手を伸ばして、小分けに切ってあるバスケットの中のパイに手を伸ばす。

 葉歌はようやくそこでポカッと真城の頭をはたいた。

 パイを持ち上げようとしていた手で叩かれた部分をさする真城。

「お行儀悪い」
「えぇ……?」
 葉歌の言葉に不服そうな声を上げる真城。
「いいだろぉ?おやつくらい……。食事の作法はできてるんだぞ、これでも」
「一応、貴族の娘だもんね」
「お腹すいた」
「……はいはい。とにかく、座りましょう。せっかく、冷たい紅茶まで持ってきたんだから、ティータイムよ」
 眉をへの字にしている真城を見て、葉歌は苦笑を漏らし、座るように促す動作をした。

 真城はペタンッと地面に座り、葉歌を見上げてくる。

 水筒を真城に手渡し、葉歌もゆっくりと座る。

「真城、帰ってきてから雰囲気変わったって、女の子達が言ってたわ」

 バスケットから青い布を取り出して、草の上に敷き、その上にパイの乗った紙を置く。
 真城は葉歌からフォークを受け取りながら首を傾げてみせた。
「え?どのへんが?」

 葉歌がティーカップを置いたので、真城は水筒の蓋を開けて、そこにコポコポ……と紅茶を注ぐ。

「更に物憂げな表情に色気が……とかなんとか……」
「…………」
 真城はその言葉を聞いて、ヒクヒクと口元をひくつかせる。

 紅茶がカップから少しだけ零れた。
 慌てて水筒を持ち直す真城。
 もう1つのカップにも紅茶を注ぐ。

 注ぎ終えたのを確認してから葉歌が言い聞かせるように真城に言った。
「真城……ぼーっとするのは、一人の時にしたほうが良いわ」
「う、うん……そうする……」
 コクリと頷く真城。葉歌は真剣な表情で言う。
「じゃないと、わたし、あなたの貞操が心配だわ」
「そこなの?!」
 真剣な表情なものだから、もっとまともなことを言われると思っていたというのに。

 葉歌はカップを手に取ってニコリと笑い、紅茶を口に含んだ。
 飲み込んでから答える。
「だって……冗談に聞えなかったんだもの。真城、不意打ちに弱いし」
「結構好き勝手言われてるんだなぁ……なんで、前は教えてくれなかったの?」

 真城はパイをフォークに刺してガブリと噛み付いた。
 葉歌は小分けにされているパイを更に細かく切り、それをパクパクとたいらげてゆく。

「詳しく教えることでもないかと思ったから。でも、一応、ね。愛でてるだけでいい人たちだと思ってたんだけどなぁ」
「え?」
「昨日、兄ぃがお花とお菓子をもらって帰ってきたの」
「ゴホッ……」
 真城はいきなりそう言われて、パイを喉に詰まらせる。

 葉歌が素早くカップを手渡してくれたので、すぐに紅茶を飲み干して、詰まったものを流し込む。

「大丈夫?」
「だいじょうぶだけど……つっくん、なんだかんだでやるぅ」
「それだけ?」
「え?な、なんで?」

 真城はおぼつかない手つきで、紅茶を注ぎ始めた。
 葉歌は目を細めて、パイをまたパクパクと食べ始めた。

 真城が水筒を置くと、葉歌は悪戯っぽく笑って言った。
「取られちゃうかもよぉ?」

「だ、な、え……だ、だだだ、だって……」
 どんどん顔が赤くなってゆく真城。

「ふぅ……村の王子様も大変ね」
 葉歌はからかうようにそう言うと、ニコリと笑って、パイを手に取って、真城のほうに差し出してきた。

 真城は普通にそれにかぶりつく。
「こ、こんなので、機嫌良くならないからね」
「え?わたし、機嫌損ねたの?」
「わかってるくせに……」
「わからないわよ。わたし、真城の考えてることがなんでもわかるわけではないもの」
「…………」
 葉歌の言葉に真城が困ったように表情を歪ませた。

 さすがに少しやりすぎたかなぁ……と葉歌は心の中で呟き、真城の目を優しく見つめる。
「ねぇ?」
「……はに?(なに?)」
 ほっぺをもごもごと動かしながら、パイを口いっぱいに頬張っている。
 明らかにいじけているのがわかった。

「なんで、兄ぃは駄目なの?」
 葉歌のその言葉に、真城はゴクンと生噛みしていたパイを飲み込んでしまった。

 表情が凍ったように止まる。

 葉歌はそれを見て奥歯を噛み締めた。

 真城が躊躇うように何度か目を動かして、決意したように口を開いた。

「あのさ……」

「ん?」

「サヤさんって、誰?」

「え?」

「さ、サヤさん……って、つっく……月歌が言ったんだ、前に」
 真城は唇を噛み締めて、自分の顔が熱くなるのを耐えた。

 葉歌が記憶を辿るようにうぅん……と唸り声を上げる。
 ゆっくりと紅茶を口に含み、空を見上げて唇を尖らせる。

 真城はドックンドックンと脈打つ音を聞きながら、葉歌の返事を待った。

 ようやく思い出したように、カップを置いて、葉歌が口を開いた。

「旅芸人のお姉ちゃんだ」

「旅……げいにん……?」
 単語の意味がわからずに首を傾げる真城。

「あー……この国じゃ、あんまりそういうのないみたいだからわかんないかな……。えっとねー、歌を歌ったり、踊りを踊ったり、動物に芸をさせたりしてお金を稼ぐ人たちがいるのよ。流れ者でね、色んなところを旅してるの」

「へぇ……」

「楽しいのよぉ。変わった楽器で楽しい音楽が鳴ったりしてね。確か、踊り子さんだったと思うなぁ……紗絢さんでしょう?」

「あ、うん、そう……サアヤさん……」
 真城は噛み締めるように名を口にして俯いた。

 葉歌は口元に手を当てて、うぅん……と唸る。

「そう……兄ぃがねぇ……」

 目を細めてそっと真城から視線を外し、葉歌はなんとなく結論に至った。
 どんな拍子でか知らないが、真城は月歌が『紗絢さん』という呟きを漏らす場に居合わせてしまい、それがショックで諦めてしまった。……そんなところか。

「真城」

「なに?」

「真城は可愛いわ。自信、持ちなさい」

「…………」

「諦めるなんて、真城には似合わない」

「けど……」

「どのみち諦めきれてないんだから、ウジウジ抱え込むより、言ったほうがいい」

「簡単に、言うなよ……」

「真城」

「なに?」


「あなたは、想いを伝えられるのよ。その口で、その手で、その体で」


 葉歌はきゅっと手を握り締めた。

 自分の胸が痛い。
 応援したい自分と……どこかで躊躇う自分。

 でも、真城は伝えられるのだ。
 好きだという言葉を、愛情・恋慕と捉えてもらえる。
 そのポジションにいるのだ……真城は。

 もしも……傷つくことがあったとしてもだ。その可能性は低いけれど。

 真城なら大丈夫だ。月歌の想いは、葉歌が知っている。だから、勿体無い。

 真城には……。

「あなたには、躊躇いは似合わない」
 葉歌は優しい声でそう言った。

 風が起こって、葉歌の髪、真城の髪をさらってゆく。

 真城は葉歌の声で目を上げた。
 耳に残るほど、綺麗な声だったからだ。

 頬を染めて唇を噛み締めている葉歌を見て、真城はコクリと頷く。
「ありがと。でも、もすこし、待って……」
 その言葉に葉歌が優しく笑う。


 そうやって、少しだけ柔らかい空気が流れた時、突然横からソロリと子供の手が出てきた。
 それに驚いて、真城も葉歌も横を見る。
「あ……ちぇ、もう少しで食えたのに」
 そこには龍世が地面に伏せた状態でいて、舌打ちをして、手を引っ込めた。

 どうやら、歩伏前進で来たらしい。
 そんなことをしなくても、食べさせてあげるというのに。

 真城も葉歌も笑い声を漏らす。

「いいよ、タツ。パイならたくさんあるから」
「ホント?!イッェーイ♪もうさ……腹減りすぎてやばいやばい……」
「今日も仕事?」
「おぅ!親父がまだ寝込んでるからさぁ」
 龍世はすごい勢いでパイを頬張りながら笑顔でそんなことを言う。

 相変わらずたくましい12歳だ……。

 パイを2欠け食べたところで、親指をペロリと舐め、ポケットから紙を取り出して、真城に手渡してきた。

「なに、これ?」
 真城は首を傾げつつ、紙面に目を通す。

「今日は王都まで木を持ってったんだ。それで、帰りに通りを歩いてたら、これ配ってた。字読めないから、配ってる人に詳しい話聞いてきたんだけど……」

「大会?!」
 真城は紙面を眺めながら、心躍るようにそう叫んだ。

「うん、御前試合だって。なんだっけな?どっかの国のお偉いさんが来るんだって。で、その人が武芸に興味を持ってて、是非見てみたいって言ったんだってさ。今回のはね、うちの国がやってるような年齢制限は一切ないから……。真城、喜ぶかなぁって思って持って帰ってきた」
 龍世はにひひ……と笑いながらそう言って、またパイに手を伸ばす。

 真城は本当に嬉しそうに表情を輝かせる。

「ああ……すごい嬉しい。タツ、ありがとう!」

「いやいや〜。オレも出るし」

 あっけらかんと言った龍世の言葉に、2人ともピクリと反応した。

「え?」

「だって、年齢制限ないんだもん。オレ出るよ」

「結構大きな大会になりそうね。色々な事情で出られなかった人はたくさんいるだろうし」

「そうだね。タツと戦うのも楽しみにしておくよ」

「おぉ、当然♪」
 真城の言葉にガッツポーズを返し、またパイを頬張る。

 真城はその様子を見つめて、すぐに立ち上がった。
「よし、こうしちゃいられないや」
 楽しそうにそう呟いて、タタタッと丘を駆け下りてゆく。

 追おうかどうかを迷って、葉歌は結局追わずに紅茶に口をつけた。

「真城が久々に燃えたね」

「ええ……ああなると、誰も止められないから」
 龍世の言葉に葉歌は苦笑を漏らす。

 龍世は最後の1欠けを頬張って飲み込んでから、ゆっくりと立ち上がって葉歌の頭を撫でてきた。

 龍世に頭を撫でられることなんてなかったから、驚いて顔を上げる葉歌。


 風が丘の上を吹き抜けてゆく。


「頑張ったね」
 龍世はそれだけ言った。

 意図を察して葉歌は微笑む。

「たっくんに同情されちゃった」

「なっ……ど、同情じゃないぞ!オレは思ったこと、そのまんま言ったんだぃ」

「ええ、ありがとう」
 葉歌は龍世の手にそっと触れる。

 子供体温の龍世の手は夏でも嫌な感じのしない、ほのかな温かさを持っていた。

 真城の背中を見送って思う。

 あの勢いを月歌の前でも出してくれたら、あんなに悩まないだろうに……と。


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