第2章  2人の関係……

 旅先でくたびれてしまったダブルスーツを見て、朝真が新調してくれた夏向けの涼しい色の執事服を身に纏った月歌が、真城が持ってきたチラシを見てから心配そうに真城を見た。

「お嬢様……武闘大会出場はちょっと……」

「えぇ……?!駄目なの?」

「いや、駄目というわけでは……」

 真城が寂しそうな目で見上げてくる。
 村に帰ってきてから、だいぶ気が抜けていたようだから、このくらいの刺激がちょうどいいのかもしれない。
 駄目と言っても真城は勝手にでも出るのだろうし。
 去年の大会もそうだった。
 けれど、この表情を目の前にして駄目と言い切れない月歌の甘さよ。

「私が判断することではありませんが、旦那様もそのように仰るかと」
「今回のはさ、年齢制限も無くって、自分の実力を見極める良いチャンスなんだ。絶対に出るからね!」

 生き生きとした表情でそんなことを口にする真城。

 けれど、月歌の表情はそれに反比例して険しくなる。

「……それは以前よりも危険ということではないのですか?」

「そ、それは……でも、騎士になったら危ないことなんてたくさん……」

 『騎士』という単語に反応するように月歌は眉を吊り上げた。

「……騎士になるのは賛同できません!……あ」
 月歌が少々声を荒げた後にすぐに口を押さえる。

 真城が唇を尖らせて、目を細め、そのまま俯いてしまった。

「……ボクは……」

「真城様、申し訳ありません……声を荒げるなど……」

「ボクは選び取ることも許されないの?」

「いえ、そのようなことは……ただ、危険なことは……女の子なのですから……」

「…………。つっくんは、月歌はいつもそうだ」

「え?」

「お前は、ただの執事なのに!父上みたいな物言いするな!!」

「……っ……。ぁ、も、申し訳……ありません。そう、ですよね。出過ぎました……お許しください」

 月歌は眼鏡を直すフリをして、曇った表情を隠す。

 真城はふてくされたように目も合わせてくれなかった。
 いつも素直で、月歌に対してこういった物の言い方をしてくることは無かったから、余計に月歌は表情を曇らせた。

「だ、旦那様の許可が得られましたら、私は文句は言いませんので……。ただ、今回は無断で出場する……なんてことはしないでくださいね」

「わかってる……」
 真城は月歌の言葉ににわかに頷くと、ふぃっとそっぽを向いて、外へと出ていってしまった。

 月歌は頭を抱えて、はぁ……とため息を吐く。
 真城が自分に対して、あんな風に怒鳴るなんて思いもしなかった。

「つっくん?」
 後ろから朝真の声がして、月歌はすぐに振り返る。

 長い髪を緩く編み上げた髪型で、ふんわりと笑いながら階段を下りてくる。
 月歌の前まで来て、すぐにネクタイに手を伸ばし、形を整えてくれた。
「見立ては間違ってなかったわね。とてもよく似合ってるわ」
「ありがとうございます……」
 月歌はすぐにそう言葉を返す。

 朝真は襟元をそっと直してから、ゆっくりと視線をドアへと向ける。
「少し甘やかしすぎたかしらね」
「え?」
「あんなことを言うような子ではないと思っていたのだけど」
「あ、いえ……確かに私も出過ぎましたから」
「それにしたって、あんなの……子供じゃあるまいし」

「真城様はしっかりされた方です。むしろ、まだ16なのに、しっかりし過ぎているかと思うくらいです」

「でも、葉歌さんに比べたら……」

「奥様がご存じないだけで、妹はあれでいて、我が強くて我儘ですから」

 月歌はふぅ……とため息を吐いて、すぐに続ける。

「真城様は、少々言動や物腰は落ち着きがないように見えるかもしれませんが、自己中心的な発言をしたことはそんなにありませんよ?真城様は真城様で、自分がどんなポジションにいなければならないのかを知ってらっしゃる方です」

「よく、見ているのですね」

「はい。もう10年になりますから」
 朝真が感心したように笑うと、月歌は眼鏡を掛け直して顔が赤らむのを隠す。

 我慢を強いられる身分で育ったからこそ……譲れないことになると周囲が見えなくなる。

『生き方まで我慢しなければいけないの?』
 そんな声が聞えた気がした。

 真城が怒ったのは尤もなのかも知れない。

 雛鳥はいつか飛び立つ。

 戒との出会いは、確かに真城に何らかの変化をもたらしていた。





 緋橙の国に戻って2週間。
 ようやく、御影に会うことができた。
 まさか、こんなにも時間がかかるとは思いもしなかった。
 自分が戻ってきたと聞けば、御影はすぐに自分を呼び寄せるとばかり思っていたのだ。
 キミカゲの頃の思い上がりがありすぎたかもしれない。

「戒、お帰りなさい。どうして、戻ってきてくれたのかしら?」
 言葉尻は高飛車でしっかりしているけれど、気だるそうにべッドに伏した状態で、立っている戒に手招きをしてくる。

「約束を、果たしに」

「約束?」

「お前のことを護ると、約束した」

「……ああ、そうだったかしら?もうどうでもいいけど。そんなこと」

 戒が傍に来たというのに、御影は興味なさげにベッドに顔を埋める。

「ケホッ……コホッ……」
 咳き込んですぐに奥歯を噛み締める御影。

「あかりの力の震えを感じた。……邪魔なヤツ。あの子の調子が良くなると、この子の調子が悪くなる」

「?」

「……で?何をしてくれるの?わたしはあなたをいじめられれば、それで満足だけれど?」
 御影はゆっくりと上体を起こして、戒の頬に手を添えてくる。

 そっと撫でられる頬。

 戒は無表情でその愛撫を受ける。

「『裏切り者』ってわたしが言う度に、あなたはとっても可愛らしい顔をするの。それがたまらない」

 金の瞳の輝きがゆらりと揺れる。

「いつもは無頓着な顔なのに、その時だけは傷ついたような顔をする」

 御影の指が優しく戒の唇に触れた。

 戒は御影を見据える。

 黒い髪。黒いフリルドレス。白い肌。少々高慢な口調……。それが『御影』との共通点。

 金の瞳。艶を持ちながらも、どこか可愛らしい顔立ち。高慢な口調の似合わない声。
 それが『御影』ではなく、御影なのだと思わせる相異点。

 けれど、物事を冷静に捉えられる今の戒だから判断できることがあった。

 すっと目を細めて、御影の指が触れていることも構わずに口を開く。

「……お前は、誰だ?」

 御影は目を細めて楽しそうにふふ……と笑う。

「『御影ちゃん』は高飛車だが、あかり様を邪魔者とは言わない。そのことに、もっと早くに気がつくべきだった」

 真剣な声に、その呼び名はミスマッチだった。
 けれど、魂が震え、『キミカゲ』が出てこようとしたのを感じた。

 御影は何か感じたように目を見開く。

 だるいはずの体がフワリと浮かんで、戒の体にもたれながらも、ゆっくりとくちづけてくる。

 戒は苦しげに目を細めて、ぐっと後ろに下がった。

 御影はそのまま床に手をついて倒れこむ。

「今……あなたの気にしてる『御影ちゃん』が反応したわよ?そう呼んでもらえて、嬉しかったみたいね」

「お前……誰だ?」

「さぁ?わたしは誰でしょう?」

 意地悪く御影は笑う。

 戒はグッと唇を噛み締めて言葉で突き放す。

「お前には興味はない」

「奇遇ね?わたしも、あなたになど興味はないわ。あなたの気にしてる『御影ちゃん』は、もうわたしのもの。あなたがいなくなっちゃったからわたしに負けたの。必死にキミカゲで繋いでいたのにね」

「キミカゲ……?」

「えぇと……ああ、そうそう。この子が『璃央』と呼んでる男の子だ。本当に、あの子は風貌が似ていて……わたしが『キミカゲ』と呼ぶたびに、悲しそうな目をする。悪いけれど、わたしはそれが楽しい」

「歪んでるな……」

「ふふふ……そうかもね」

 戒が不快そうに表情を歪め、御影はニコリと笑う。

 ゆっくりと立ち上がって、ベッドに突っ伏すと静かに言った。

「この子、このままだと死んでしまうから」

「…………」

「だから、わたしはやらなければいけないことがある」

「なんだと?」

「あなたも行く?蒼緑の国へ」

 御影の眼差しは怪しい光を持ち。

 戒はその言葉に眉をひそめ。

 閉じられたカーテンは、窓も開いていないのに、風に吹かれたようにユラユラと揺れた。


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