第5章  気持ちと、想いと、ひねくれ屋

「ケホッ……」
 真城たちと別れて、客席に移動しようとしていた葉歌の体を突然激しい咳が襲った。
 ここ最近、咳なんて全く出ていなかったのに。
 また調子に乗って薬をやめたのがいけなかったのだろうか?

 肺と喉が痛くなるまで、咳が出続ける。

 人通りの多い場所で、ガクリと倒れ、手をついてゼェゼェと息を切らす。

 こめかみがドクンドクンと音を立てて、周囲の音が聞えなくなった。

 苦痛に顔を歪めて、必死に立ち上がろうとする葉歌。

 せめて、人のいないところに……そう考えていた。

 思い出されるのは、先程会った自分と同じ顔の少女。
 黒い髪と、陰鬱気味な眼差し。感情の感じられない金の瞳が……頭に浮かぶ。

 なんだろう……?

 この不安感は、一体……?

 頭が痛い。胸も、痛い。

 何かが自分から引き剥がされてゆくような、そんな感覚。

 自分は、何かを、知って、いる。

 ドク。

 ドクン。

 ドクンッ。

 葉歌の心臓がこれでもかと言わんばかりに強く跳ねる。

 苦しさの余り涙が零れる。

 でも、本当にその苦しさのせいなのかはわからなかった。

 自分の中の誰かが泣いている……。


 呼吸が、呼吸が、呼吸が……と、ま……る。



「大丈夫か?」
 自分の鼓動だけが耳を支配していた。
 それなのに、その声はクリアに葉歌の意識に届いた。

 止まりそうだった呼吸が、通常に戻ってゆく。

 そっと顔を上げると、そこにはタレ目の仏頂面……。

 気遣うような眼差しで、戒は葉歌のことを覗き込んでいた。
 人ごみが葉歌を心配するように囲み、その中心に戒と葉歌がしゃがみこんでいる。

「な、んで、此処に?」
 葉歌は驚いたように目を見開く。

 戒は自首したはずだ。
 だから、今は牢獄の中だとばかり思っていたのに、何故、他国の、こんなところにいるのかがわからなかった。

 『キミカゲ』

 誰かの声がした。

 『キミカゲ、くん……』

 その声はとても愛しそうに誰かに向けての感情を表わしている。

 戒は特に葉歌の問いには答えずに、スラリと立ち上がる。

 葉歌の手を取って、ぶきっちょうながらも優しく引っ張ってくれた。

 フラつきながらも立ち上がった葉歌は、すぐに周囲に対して頭を下げる。
「すいません、持病の発作ですので……。もう大丈夫です。お騒がせしました」
 その言葉にほっとしたように、集まっていた人が1人2人といなくなってゆく。

 戒が何も言わずに立ち去ろうとするので、葉歌はめざとく服の裾を掴んで引き止めた。

 不意を突かれたせいか、カクンと戒の体が後ろに傾ぐ。

「あなた、本当にむかつく人ね」
 葉歌ははぁ……とため息を吐き、咳き込んだせいで落ちてきた髪をかき上げる。

 むかつくとは……本当は少し違う。
 気にしている。
 自分は彼を気に掛けている。
 初めて見た時の畏怖感とは違う感情。確かに自分の中にはそれがある。
 けれど、そんなニュアンスの違いなど、彼に言うのも腹が立つ。

 戒には、兄とは違う意味で、時々キツイ言葉を選んでしまう。

 それがなぜなのか、そんな理由を手繰ることさえ面倒で、葉歌は考えようとも思わないけれど。

 戒は意味がわからないような表情で、葉歌へと視線を寄越した。

「なんか言うことない訳?」

「…………。体調が悪いなら、1人で行動しないほうがいいぞ」
 一応考えたようにそう言う戒。

 葉歌はその言葉に唇を噛み締める。
「急に悪くなったのよ……。あのね、わたしが言ってるのはそういうのではなくて」

「なんだ?」
 思い当たらないような表情の戒。


『自首を心に決めておきながら、わたしが治療してあげている時は、そんなこと1つも言わなかったでしょう?』


 その言葉が心の中を駆ける。
 真城にだけ、決意を告げて去っていった戒。

 心の中にあった引っ掛かりだった。

 けれど、言葉に出来るはずなどなかった。

 イライラするから。……悔しいから。

 悔しい?なんで、悔しいの?


「……マシロとタツセが出るんだな」
「え?」
「対戦表に名前があった。それに、シオンもか。見応えがありそうだ」
「遠瀬くんは、出るの?」
「まさか……」
 戒は鼻で笑い飛ばすようにニヒルに笑った。

「僕は、指名手配犯だからな。そんな表立ったことはできない」

 葉歌はその横顔を見つめる。

「それに」
「?」
「僕が出たら勝負にならないさ」
「ふっ……」
「なんだ?」
「あなたって、結構自信過剰よね」
 葉歌は目を細めて馬鹿にするかのようにそう言った。

 戒が目を丸くして、葉歌を見てくる。
「そんなことを言われたのは初めてだ」
「でしょうね。だって、あなた、天然だもの」
「天然?」
「そう。嫌味な口調も、自信過剰なところも、言葉選びを気にしないのも、天然。当然のように言うから気付かれにくいだけでね」
 不服そうに目を細める戒を見て、葉歌は見透かすようにそう言った。

 言い終えて再び咳が出る。

 口元を押さえて、何度か肩を跳ねさせると、戒がすかさず言った。

「今日は帰ったほうがいい」
「嫌よ」
「マシロなら余裕で残る」
「ええ、だから見てくの」
「?」
「戦っている時の真城は怖いけれど……それでも、カッコいいから」
「…………」
「でも、本当は……」
「ん?」

「真城もたっくんも、紫音くんも兄ぃも、そして遠瀬くんもね」

「なんだ?」

「ぼんやりしてるほうが似合ってるよ」

 葉歌は悲しそうに言った。

『…………。セージ様には、血は似合いません。パパとして、旦那様として、ゆったりと暮らされているほうが合っています』

『パパも言ってました。セージ様は趣味が渋いから、ぼんやり暮らしたほうがいいって』

 なんともなしに言った言葉だったけれど、戒は何かを感じたように動きを止めた。


 葉歌はそんなことには気がつかずに、戒の袖を引っ張る。
「心配してくれるなら、今日1日付き合ってちょうだい」
「な……」
「だって、真城、すごく会いたがってたんだもの」
「いや、僕は用事が……」
「嘘ばっかり。あなたに用事もへったくれもありはしないわ」
「……お前は、なんで僕にだけ、そんなに高圧的なんだ」
 葉歌の言葉に対して、少々怒り混じりの声でそう返してきた。

 だから、葉歌はにっこりと笑って、戒の顔を見上げる。

 ふわりと風が起こる。

 戒が葉歌の笑顔を見て、戸惑ったように目を泳がせたのがわかった。

「あなたが、押しに弱いのを知ってるからよ」
 葉歌はそう言って、おかしそうに笑う。

 確かに押しに弱い。
 葉歌の今までの言動全てに黙って従っていたのがいい証拠だった。

 戒は悔しそうに眉を歪める。
 自尊心を傷つけられたような、そんな表情。

 だから、葉歌はその後に付け加える。
「馬鹿にしてるわけじゃないわよ?遠瀬くんが優しい証拠だもの」
「……マシロの試合が終わったら帰れよ」
「あ、本当に用事がなかったんだ?適当に言ってみただけなのに」
 葉歌は戒の反応に悪戯っぽく舌を出して笑い、戒の腕を掴んで引っ張る。

 前のめりになりながら葉歌に従う戒は不服そうに眉をへの字にした。
「お前……」
 戒の声が少し低くなったのを感じ取って、すぐに葉歌はゴホゴホ……とわざとらしく咳き込んだ。





「視線が……痛い……」
 月歌はポツリと呟いた。
 髪は下ろして眼鏡を外し、いつもの執事服ではない、蒼緑の国の南部でよく見られる派手な民族服を身に纏い、顔下半分は薄布のベールのようなもので覆われている。

 何がなんだか分からないが、武城に勝手に登録されていて、しかも偽名での登録という……極秘任務のような状況になっていた。

 眼鏡がないので細かいものが全然見えない……が、空気的に視線が集まっているのはよくわかった。
 ただ、彼がわかっていないのは、……その風貌に見惚れている女性達の視線も混じっているということ……なのだが。

 武器は銃器は不可とのことだったので、とりあえず、それ以外で扱いが得意なトンファーに変更した。

 誰かが月歌の前まで歩いてきて止まった。

 ぼんやりと浮かぶ色素の薄い髪。

 月歌は心の中でげっと呟き、クルリと背を向ける。

 だが、逃げるよりも早くその人が名前を言い当てた。

「月歌」
 月歌はビクッと肩を震わせる。

 真城の声が寂しそうだったのが余計に自分の心に突き刺さる。

「……こんなことまでして、ボクを10位以内に入れないつもりなんだ……」

「え……?」

「どうせ、父上に言われてやってるんだろ?そうだよね、つっくんだってボクが騎士になるの反対なんだもん、当然だよね」

「真城さ……」

「だったら、ボクだって容赦しないもん……」

「え、あ……」

 月歌は状況が掴めないため、動揺を隠せない。
 けれど、真城は怒りが湧き上がってきているためにそんな月歌の様子には気がつかないようだった。

「なんだよ、許可取れたら文句言わないって言ったくせに……」
「は、はい、それは……」

 納得はしていないけれど、親から許可を取るために真城が頑張ったことは評価している。
 それは真城が少しは成長したということだから、とても良いことだし、それで文句を言うつもりはない。

 そう言おうとした瞬間、真城が拳を握り締めて叫んだ。


「つっくんなんて、大っ嫌いだ!」


 その言葉が耳に届いて、何度かリフレインする。

「……え……」
 月歌は悲しくて、ベールで見えない唇を噛み締めた。

 大嫌いと言われるよりはマシなものの……。
 自分はこの前そう考えていた……のだが。
 今、言われてしまいました……。

「絶対勝って、文句言わせないんだから!!」
 ビシッと指差してくる真城。

 状況に置いてけぼりの自分……。
 誰かの手の中で転がされている……そんな気分だった。

 月歌が弁解の言葉を考えている間に真城はタタタッと走って、他の選手達の中に混じって行ってしまった。

 仕方ないので、月歌はポケットから眼鏡を取り出して、トーナメント表を確認した。

 名前は『奏多(かなた)』だったはずだ。
 真城は偽の名前も確認していないだろうに、すごい闘争心むきだしだった。
 自分の偽名を見つけて、周囲の名前も確認する。
 すると、何の嫌がらせか、真城とは4日目に当たる位置にいた。

 10位以内がどうの……と真城は言っていた。
 10位以内の選手は5日目まで残れる計算。

 なんだかんだで、武城は王都の貴族達に顔が利く。
 明らかに武城が裏から根回しして、自分をこの位置に置いたことは想像が容易かった。

 月歌はため息を吐き、眼鏡をポケットへとしまった。

 ふと観客数人の会話が聞えてきて、そちらに耳を傾ける。

「今の、真城様だよねぇ」
「そうそう、去年の武闘大会で見て、私一目惚れしちゃったの。男装の麗人なんて、本当にいるんだぁ……みたいなさぁ」
「でも、あの派手な人、何者?」
「大っ嫌いって言われてたよね」
「ねぇぇぇ。しかも、クールそうな顔立ちが、あの時だけ、すごい可愛かったよ」
「うんうん、私はあれもアリかも〜。得したねぇ。やっぱり、真城様応援かなぁ。紫音様も捨て難いけど」
「わたしは断然紫音様!」
「えぇぇ……やっぱり、真城様じゃない?男くさい武闘大会に咲く華麗な一輪の薔薇だわ」
「何はともあれ」
「御前試合、万歳よ」

 月歌はその言葉に反対の言葉が浮かぶ。

 御前試合の話が出て以来、踏んだり蹴ったりだ。

 御前試合なんて、なければよかったのに……。

 ああ、気が重い。月歌はコロセウムの天井から覗く空を見上げて、憂鬱なため息を吐き出した。


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