第8章  来襲

「見ていてイライラする2人っているでしょう?」
 葉歌は窓枠に肘をついて、『彼』にそう語りかけた。

 『彼』は窓の外で壁によりかかり、星空を見上げている。

 真城の声でクスクス……と笑い、「ええ、そうですね」と返してくる。

「ぼくもひと組知っていますよ、見ていてイライラする2人。くっつけばいいだろ、はた迷惑なんだよ……みたいな」
「へぇ……。どんな人たち?」
「無垢な少女と気弱な少年」
「そう。なんだか、ある意味そっくりね。真城と兄ぃに」
「ですね」

 『彼』はクスクスと笑う。

 葉歌は思い出したように尋ねる。
 何度も何度もしていた問いを。

「ねぇ、教えてちょうだい」
「え?」
「あなたは何者なの?」
「…………。名前がないのはやりづらいですね」
「そういう意味じゃないわ」
 葉歌が少々声を曇らせると、『彼』はまたクスクスと笑う。

 わかっていてとぼけているのは葉歌だってわかっているが、そう突っ込まざるをえなかった。

 真城の顔で爽やかに笑って、窓枠に顎を乗せてしゃがむと、上目遣いでこちらを見て、楽しそうに言った。

「つけてください」
「え?」
「名前ですよ。なんでもいい。コロでもポチでも」
「それじゃ、犬じゃない……」
「キミカゲでも、カイでも」

 『カイ』という名前に葉歌はむっとした。

 『彼』はおかしそうに笑うだけ。

「なんで、そこで戒なんて名前が……」
「え?なんとなくですよ、なんとなく」
「…………」
「あなたが必要な時にぼくを呼び出せるように、名前をつけて」
 ふざけるようにそう言って、『彼』はゆっくりと立ち上がる。

 目線が近づく。

 けれど、ザワザワ……と木々が騒いだ途端、真城の目が鋭くなった。

 葉歌に背を向け、構えを取る真城。

「誰だ?!」

「……いつでもガードが堅いんだから。羨ましいわ、護られているお姫様は」

 月明かりに御影の顔が浮き上がる。
 黒いドレスに黒いレースのリボン。
 ザッザッと草を蹴りながら、小屋に向かって歩いてくる。

 葉歌はビクリと体を震わせて後ずさった。
 何故か分からないが、心が逃げようとする。

「みぃつけた」
 にやぁ……と御影の顔が歪み、次の瞬間、葉歌の後ろでコトンと靴音がした。

 風が危ないと騒ぐ。

 慌てて振り返る葉歌。

 そこには御影が立っていて、素早く右手が振り上げられた。
 パシンと葉歌の頬が鳴り、葉歌はもんどりうって床に倒れこんだ。

 冷ややかな眼差しで葉歌を見下す御影。

「あかり、こんばんは」
「っ……誰のこと?」

 誰のことかと問いながらも、自分の中に記憶が蘇る。
 名を呼ばれただけで容易に。

 葉歌は目覚めたがるあかりを、無理矢理封じ込めていただけだった。

 葉歌の中のあかりが声を発する。

「『御影』……なの?どうして?」

「どうして?どうしてとは心外ね。わたしの欠片を返してもらいにきたのよ」
 蔑むような声でそう言い、葉歌の頭を踏みつける御影。
 葉歌は床に押し付けられるようにグリグリと踏まれる。

 欠片?

 何のこと?

「あかりが出た途端、無垢な顔になった。穢してやりたくなるような表情。全く、無防備でいけないわ」
「…………」
「わたしの真似でもしたつもり?この子の言動や所作は、まるで、過去のわたしのようじゃない」
「違……う」
「いいのよ、弁解なんて。あかりがわたしのことを羨ましいと思っていたように、わたしもあなたのことを羨ましいと思っていたのだから」
「『御影』……じゃないでしょう?あなた、あの時の……」
 御影が足をどけて葉歌の顔を無理矢理引きつける。

 金の瞳が怪しく閃く。

 髪質も髪の色も目の色も違うけれど、葉歌と同じ顔がすぐそこにある。

 吐き気がした。

「だったらどうだっていうのかな?また、殺す?この体の持ち主は無関係なのに?」
「それなら、この子だって無関係よ」
「ふふふ……そうなのだけど、無関係でもないのよね」
「え……?」
「あなたが余計なことをしてくれたおかげで、その子を殺さないと、この体が生きられないの」
「どういう……?」

 葉歌の体がゼェゼェと息を切らし始めた。
 葉歌の体に2つの人格を置くのは、過剰な負担でしかない。

「覚えてないの?困ったものね」
 顔を掴んでいる手にグッと力がこもる。

 葉歌の目から涙が零れた。
 苦しさに耐えられなかったからだ。
 葉歌はあかりに譲る気などない。
 この体は自分のものだから。
 けれど……それが余計に自分の体力を消耗する。

「助けて……」
 葉歌が呟く。

「やめろ!」
 ようやく真城が御影を葉歌から引き離そうと羽交い絞めにした。

「ハウタさんに触れるな。お前が触ったら彼女が穢れる」
 真城の口で『彼』は言う。

 葉歌は床に手をついて、ゆっくり呼吸を整える。

 あかりがまだ頭の中で何か言っているけれど、葉歌は激しく叫んだ。
「うるさい!この体はわたしのものよ!!」

「強情な体で大変そうね、あかり」
 御影は真城に押さえつけられたままで、おかしそうにそう言った。

 葉歌は御影を睨みつける。

 御影は羽交い絞めにされていることも苦にしないように、真城の腕にそっと触れた。

「え?」
 真城の腕がブルブルと震えて、すぐに御影は解放される。

 クスリと笑って、真城の頬に触れる御影。

 『彼』の正体を見透かすように御影は口を開く。

「『人の言うことを聞くしかない能無し』が、わたしを止められると思って?」

「ぼくは……」
 真城が悔しそうに奥歯を噛み締める。

 まるでヘビに睨まれた蛙のようだった。
 身動き1つ取れずに御影を見下ろすだけ。

「ふふふ……可愛いわね。そんなにあかりが好き?」

「っ……」

「元はといえば、お前がいけなかったのよ?人間になど助けを求めて。余計なことをしたから、お前の大好きなあかりは死んでしまった」




『もう……悪戯ばっかり。そんなに悪戯するなら、わたし、もう旅やめようかなぁ〜?』
 あかりが唯一そんな冗談を口に出来た相手。
 そう言うと、風はあかりの髪をかき乱して、ふわりふわりと前へ駆けていってしまう。
 それを追いかけようとして、あかりはいつも転ぶ。
 戻ってきて、からかうように風が吹くが、あかりはわかっていた。
 風は気遣ってくれている……と。



『うん、寂しくないよ。寂しくないから。きみに恩返しさせて――……。お願い。念じて。きみが念じてくれないと、助けられないんだ――……。きみの力がないと、何もできないんだ――……。役立たずでごめん――……』
 あかりの死に際……風はそう言った。

 悔しそうに。

 助けてくれたのに、ぼくは何もまだきみに返していないよと、言っていた気がする。

 恩返し。

 そのために、『彼』は、此処に、いた。




「…………」
 首を横に振りながら、真城の目から涙が零れる。

 けれど、御影は言葉をやめない。

「寂しい?はっ……笑わせるわ。精霊の分際で、寂しいなどとよく言ったものだ」

 馬鹿にするように真城の顎を撫でて笑う御影に対して、真城の呼吸がどんどん荒くなってゆく。

「っはぁはぁ……ぼくは……ぼくは……あかりを護るんだ!ハウタさんを護るんだぁ!!」
 真城が背中の剣を抜き、振り下ろす。

 けれど、御影はそんなことはなんでもないようにクスリと笑った。

「無駄よ」
 御影のひと睨みで体の動きが止まる。

 必死に剣を動かそうとしているはずなのに、真城の体は動かない。

 御影はクルリと振り返って、葉歌の元へコツコツと靴を鳴らして歩いてくる。

 そっと膝をついて、葉歌の顔を覗き込み不気味に笑う。

「教えてあげようか?もう、察しはついてるでしょうけど」
「やめろ」
「この子が誰か、気にしてたものね?」

 その通りだ。

 察しはついた。

 葉歌が真城の顔を見上げると、真城の顔で『彼』が苦しそうに目を細める。

「ねぇ、人の表情って、苦しげな時が一番可愛いと思わない?ゾクゾクするでしょう?あの剣士さんのこと、あなた、好きなんですものね?ゾクゾクする?」
「……あなた……」
 葉歌は御影を睨みつける。

 御影は楽しむように軽く唇を舐めて、葉歌の顎を真城のほうへと向ける。

 威圧感なのかなんなのか……体が束縛されたように動かない。

「ふふ……彼はね、あなたのことが大好きで、わざわざ、人間の体借りてまで、傍に居たいんですって」
「やめてくれ……ぼくは、ただ……」
「こうやって触れて、抱き締めて、キスでもしたいのかしらね?」
 意地悪っぽく笑みを浮かべて、身動きができない葉歌の耳を軽く甘噛みした。

 葉歌の背筋にゾゾゾ……と寒気が走る。

「違う、ぼくは、ぼくはぁ……」
 悔しそうに泣いている真城。

 自分以外の者に自分の心を晒されることほど、屈辱的なことはない。

 葉歌は思い切り唇を噛み締めた。

 口元から血が溢れる。

 痛みで戻った体の感覚をそのまま御影にぶつけた。

 パシンと、部屋に、頬の鳴る音が、響く。

「何が悪いの?!」
「あらあら……あかりじゃなくて、あなたなの?」
 御影はつまらなそうに目を細める。

 葉歌は御影のドレスの襟を掴んだ。

「好きだったら、当たり前のことでしょう!?あなた、本当に変態ね!!」
「ありがとう。最高の誉め言葉よ。……さて、楽しんだところで、そろそろ、死ぬ?」
「え?」

 葉歌の首に御影の冷たい手が触れる。

 ゆっくりと押し倒されて、喉を親指で押してくる御影。

 御影が目を細めて楽しそうに力を込めた。

「前にも言ったわね。……こうすると、折れるって」


「葉歌?真城様が帰ってこないのだけど……」
 窓の外から月歌の声がして、御影がそちらに視線を動かす。

「な……」
 月歌はすぐにホルスターから拳銃を抜いたようだった。

 けれど、御影が舌打ちをすると、ゆらりと黒い風が起こった。

「邪魔ばかり」

 そう呟いた途端、黒い風が刃となって月歌の胸を貫く。

「っぐ……」
 あまりに急だったのもあって、月歌は避けきれずに体をよろめかせた。

 葉歌は無理矢理体を起こし、兄に手を伸ばしたけれど、御影が何かブツブツと呟くと、周囲が真っ暗闇になった。

「邪魔が多いから、城へ行きましょう」

 そこで催眠でもかけられたように、葉歌の意識は遠のいてしまった……。


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