第7章 ボクの実力。『彼』との対峙 「眼鏡を掛けろ、月歌!」 真城は剣先を真っ直ぐ月歌に向けて言い放った。 コロセウムは歓声で騒がしく、真城の声に反応したのは対峙していた月歌と耳のいい龍世、風の声が聞ける葉歌だけだった。 派手な民族衣装。 一分の隙も見せずにトンファーを構えて、悲しそうに真城を見据えていた。 試合開始の号令とともに叫んだ真城。 「お嬢様……」 月歌はポツリと呟いた。 「ボクは、眼鏡無しのお前に負けるほど弱くない」 奥歯をギリッと噛み締めて、真城はそう言った。 眼鏡のないままで勝ったとて、それを言い訳にされるのは嫌だった。 真城に必要なのは完全な勝利だ。 月歌は真城の初恋の人で、兄のように仲のいい相手だ。 本当のところは主従関係だが、そんなのははじめから真城にとってはあってないようなものだった。 それを周囲や月歌がどう見ているかは別として、である。 真城には越えなければいけない壁がいくつもある。 その中のひとつが、彼の存在だ。 気持ちの優しい月歌は村に来てから一切その力を見せつけることはなかった。 村人達に石を投げられた時も、葉歌の病のことで文句を言われた時も、決して暴力には訴えなかった。 その代わりに真城が色々としてくれたからですよと月歌は言っていたが、それにしたって彼の実力はベールに包まれたままだった。 1〜3日目の試合を見ても、苦戦しているように見せかけて、明らかに余裕を持った勝利だったことが真城にはわかった。 彼は……本当の実力を隠したままだ。 認めさせてやる。 その本当の実力を引き出した上で勝って、絶対に真城の力を認めさせる。 そうすれば、真城の越えなければならない壁は、2つも無くなる。 好きだから……大好きだから、このままじゃ悔しいのだ。 真城はダンと地面を蹴って、月歌を思い切り押し倒した。 剣を喉元に押し当て、悔しそうに睨みつける。 「馬鹿にしてるのか?何のために出てきたんだ!早くし……ろ」 早くしてと言い掛けてなんとか命令形で言ってのける。 月歌は躊躇うように眉根を寄せて真城のことを見上げてくる。 「あなたに手を上げるなんて、出来るわけがないじゃないですか」 悲しそうなくぐもった声。 意味がわからない。 だったら、出てこなければよかったではないか。 真城は剣を突き立てるフリをして、月歌の口元を覆っている薄布の紐を斬った。 頬を若干掠めた刃。 月歌の頬から血が溢れる。 「ボクは、お前と対等に闘いたいんだ!」 対等でありたい。 それは以前、龍世が真城に言った言葉と同じ。 昔から願っていた。 だから、『様』をつけられるのも、『お嬢様』と呼ばれるのも、本当は嫌だった。 この大会に出場してきたことは裏切られた気分で苛立ちもしたが、少しだけ頭が冷えた時に考え直した。 これはいい機会だ、と……。 月歌は真城のことを見据え、ぐっと唇を噛み締める。 しばらく、2人は月歌の体に馬乗りになったままで睨み合う。 動きのない試合に、観客達がザワザワ……とざわめき出し、月歌が覚悟を決めたように優しい眼差しを鋭くし、片手で真城の体を思い切り弾き飛ばした。 トンファーを持っているのに、わざわざ肘で。 スラリと立ち上がり、ポケットから出した眼鏡を掛け、下ろしていた髪も軽くかき上げる。 トンファーを握り直し、低い声で月歌が言った。 「真城様、もしも、私が勝ちましたら、騎士の道は諦めてください」 「…………」 どのみちそうなってしまうのだが。 どうも言葉選びが腑に落ちない。 父の差し金だとばかり思っていたのに、月歌は素知らぬフリだ。 真城は素早く立ち上がって、月歌を見上げる。 「一介の、しかも10年も鍛錬を怠っている執事にすら勝てないのであれば、あなたにその資格はありません」 「わかってる」 「その言葉、お忘れなきよう」 初めてかもしれない。 月歌の声が、真城に対してこんなにも冷たいのは。 月歌から発される気合は戒や東桜には及ばないものの、それでも肌がビリビリと鳥肌を立てるほど鋭いものだった。 やっぱり、月歌は強い。 気圧される前に自分から仕掛ける。 剣を思い切り振り下ろすと、月歌はトンファーで軽々受け止め、もう片方のそれが風を切って真城のわき腹に入る。 メキリと脇が音を立てた。 骨が折れてはいないけれど、苦しくて息が漏れる。 「っ……」 「真城様は上段から斬り下ろすと必ず体重が前に移動し過ぎて隙が出来ます」 月歌はそう呟き、すぐに剣を弾き、真城のことを蹴り飛ばす。 真城は簡単に受身を取って、顔を上げた。 ニィと笑みが浮かぶ。 不謹慎かもしれないが、楽しい。 人を傷つけるのは好きじゃない。 けれど、目の前にいるのは自分より強い相手。 燃えないわけにはいかなかった。 月歌は軽くステップを踏んで、タタッと音を立てたかと思ったら、すぐに真城の目の前まで移動してきた。 真城は慌てて剣でトンファーの攻撃を受け止める。 5連撃。 冷静に見極めて受け切る。 すぐに切り返し、月歌の肩に当たったと思ったが、素早くトンファーがそれを妨げた。 月歌は全く表情を変えずにひと睨み。 「一撃が軽い。また、ここはすぐに距離を取るべきところです」 真城はその言葉にはっとしてバックステップを踏む。 真城のいた位置にトンファーにより弧が描かれる。 「様子を見ている暇はありませんよ。あなたが言ったんです。本気でやれと」 トンファーを握ったまま、眼鏡を掛け直し、ふぅ……と息を吐き出す月歌。 自分が甘い人間だとか、自分が女だからとか、そんなのは関係なく、月歌の強さは確かなものだ。 剣を握り直し、気合を入れ直す真城。 試合はこれからだ。 どんなに実力的に不利だろうと、意識を失わない限り……。 「ボクはまいったなんて言わないよ」 「ええ。あなたの性格は誰よりも知っています。……だから」 一気に距離を詰め、急激な方向転換で後ろを取られる。 真城だってスピードなら負けない。 すぐに蹴りを入れてあっという間に距離を取り直す。 「意識を失ってもらいますよ」 月歌の声が耳元でした。 取った距離がすぐに詰められる。 トンファーが真城を捉えた。 真城は衝撃を和らげつつ、反動を利用して、横へと跳んだ。 そして、地面を激しく蹴り、月歌の体に突きを放つ。 本当の剣だから、突きはこの大会では封印するつもりだった。 けれど、そんな甘いことを言っている場合じゃない。 月歌はゆらりと体を動かして、突きをかわし、真城の背中をトンファーで殴りつけようとしてきたのがわかった。 すぐに自分から体勢を崩し、真城は地面を転がって素早く起き上がった。 勝てなかったら……騎士になれない。 勝てなかったら、ボクは気持ちを伝えることも許されない。 心の中でそう呟く。 自分で切り拓く。 自分で歩く。 自分で選び取る。 「だから、ボクは負けるわけにいかないんだ!!」 距離を詰めてきていた月歌に対して、真城は剣を振り下ろした。 真城の叫びに呼応するように風が巻き起こる。 両方のトンファーでそれを受け止める月歌。 攻撃は決まらなかったが、確かな手応えを覚える真城。 2人はゼェゼェと息を切らす。 ペースの早い試合だ。 めまぐるしく動き回り、一撃一撃が重い。 月歌の攻撃も、真城の攻撃も、瞬きをしては見ていられないほど速かった。 「真城様」 「なに?」 「強くなられましたね」 月歌が嬉しそうに笑った。 真城はその笑顔に一瞬動きを止めた。 「けれど、その強さは危険です。強さは危険を呼ぶ。騎士という仕事は、あなたを不幸にする。私は、あなたに及ぶであろう全ての危険を取り除くためにも、負けるわけにはいかないのです」 「月歌、ボクは自分で受ける危機は自分でなんとかするよ」 「あなたを命に代えてもお護りする。あなたは私たち兄妹を救ってくれた、大切な方です。わかっていながら、危険になんて晒せない」 それは父親が言うような言葉だった。 真城は悔しかった。 対等に……そんなのは自分の高望みだ。 彼は、自分のことを小さい頃と同じようにしか見ていない物言いしかしてくれない。 真城が、不器用な月歌の遠回しな言葉に気が付くはずもない。 2人は再びぶつかり合う。 剣を振るい、攻撃を受け止め、どんなに月歌優位の状況でしかなくても、真城は諦めずに動き続ける。 ペースが速いうえに、長い試合だ。 集中力が切れそうなくらい、長い闘いだった。 『マシロ』 突然、頭の中で声がした。 『風が流れてゆくよ、感じるだろう?』 「誰?」 『感じて?きみなら使えるから』 「え?」 『思い出して。きみは1度、ぼくの力で跳んでいる』 「何を言って……」 いきなりブツブツと呟き始めた真城に、月歌が眉をひそめる。 素早く飛び掛ってくる月歌。 その動きが、スローモーションになった。 真城の頭の中に記憶が蘇る。 関所の通過許可証配布の町で東桜と対峙した時、足を滑らせた瞬間、稲光が走った。 攻撃が東桜に当たり、自分の体にも東桜の剣が突き刺さった。 痛みで気がおかしくなりそうだった。 あの時、次の稲光が辺りを包んだ時、真城は意識を失い、気がついた時には山の中腹辺りにある草原に横たわっていた。 どうして、あんなところにいるのだろうと、真城は思ったのだ……。 あれは……『跳んだ』から? 『怪我はおまけで治してあげたんだよ』 おかしそうに笑う声。 真城は意味がわからずに眉根を寄せる。 『不安に思わないで?ぼくは、きみの味方さ』 風がふわりと真城の髪を撫でた。 月歌が腕を振り上げた。 真城はそれを受け止めようと剣を振り上げたが、その瞬間、真城の体を風が包んだ。 一瞬周囲が暗くなって、次の瞬間、月歌の横にいた。 月歌が驚いたようにこちらに顔を向けようとしたが、真城はそれよりも速く剣を振り、月歌は体勢を崩して倒れ、一番はじめのように月歌の体に馬乗りになった。 眼鏡がカシンと軽い音を立てて、少し離れたところに落ちた。 剣を喉元に突きつけ、ゼェゼェ……と息をする。 月歌は言葉が出ないように、しばらく呆然と真城を見つめていた。 きっと眼鏡がないから視界はぼやけているのだろうけど。 一体何だったのか分からない。 結局、これは自分の力ではない。 やり直したい。 もう1回、やり直したい。 真城が剣を下げようとした時、月歌が観念したように言った。 「まいりました」 トンファーから手を離し、ニッコリと笑う。 待って。 納得いってないよ。 そう言おうにも、相手は「まいった」と言ってしまった。 何が起こったのか分からずに静まり返っていたコロセウム内が、月歌のその言葉でわぁぁっと盛り上がる。 真城はぐっと唇を噛み締めて立ち上がった。 月歌もゆっくりと起き上がって、疲れたようにため息を吐く。 「体がなまりすぎてますね……明日は筋肉痛でしょうか」 そう呟き、地面に落ちている眼鏡を拾い上げて掛け直した。 「真城様、お見事でした」 月歌は穏やかな笑顔でそう言うと、コートを出て行ってしまった。 真城も剣を鞘に納めて、コートを出る。 文句を言わない……。 月歌は言った通り、本当に文句を言わなかった。 そういう大人な部分が、時々真城を惨めにすると……気づいて欲しい。 それさえも、傍から見れば我儘な物言いなのだが。 しかし……さっきの声は誰だったのか? 聞き覚えがある気もするし、全くないような気もする。 頭の中に問いかけても、声はもうしなかった。 コートを出ると、そこには葉歌が立っていた。 心配するような目で真城を見つめ、ゆっくりと歩み寄ってくる。 「どういうことなのか、村長に問い詰めておいた」 「え?」 「真城、兄ぃは何も知らないで出場させられてたらしいの」 「…………」 「というか、わたしも知らなかったし。何?10位以内とか、それが駄目なら花嫁修業とか」 何も教えてくれていなかった真城に憤りを覚えるように、葉歌が頬を膨らませる。 しかし、真城はそれどころじゃなかった。 4日前の出来事が駆け巡る。 困ったような目をした月歌に、激昂して叫んでしまった自分。 騎士がどうの……と言いながら、心の中での叫びはお嫁さん問題のほうだった。 問題が問題なだけに情緒不安定になっていたのがいけなかった。 もっと冷静に状況を見るべきだった。 『どうせ、父上に言われてやってるんだろ?そうだよね、つっくんだってボクが騎士になるの反対なんだもん、当然だよね』 (真城脳内での叫び:どこかの高貴な方のお嫁に行くんだって当たり前のように言ってたもんね。やっぱり、つっくんの中ではボクはそういうのでしかないんだ) 『だったら、ボクだって容赦しないもん……』 『なんだよ、許可取れたら文句言わないって言ったくせに……』 (ここまでして、ボクを知らない人のところにやりたいんだ。やっても構わないんだ) 『つっくんなんて、大っ嫌いだ!!』 (少しくらい嫉妬してくれたっていいじゃないかぁぁっ!!) 思い返して顔から火が噴いた。 顔の赤らんだ真城を見上げて葉歌が首を傾げる。 「か、空回りだ……」 ヘナヘナと地面に座り込む真城。 葉歌がゆっくり屈みこんで、真城の顔を覗きこんでくる。 「葉歌ぁ……」 「どうしたの?」 「ボク、今凄く恥ずかしい……」 「え?」 「どうしよう……つっくんになんてことを……」 「???」 「うわぁぁ……もう駄目だぁ。告白どころじゃないよぉ……」 真城は頭を抱え込んで、涙が出そうな自分を押さえ込む。 葉歌に言われて、『一応』告白の決意をした ↓ 騎士のことを反対され、女の子からプレゼントを貰ったらしいことを思い出して、子ども扱いと嫉妬で苛立ち、喧嘩 ↓ 少し頭を冷やして、両親と話し、『騎士になってもいい条件と駄目だった時の条件』を出され、少々戸惑う ↓ 負けたら騎士になれず、そのうえ、月歌には想いを伝えられない(伝えて、もし両想いだったら報われない)のが確定 ↓ それを知ったうえで、大会に出場してきたということで、月歌は自分のことが本当に眼中にないのが確定 ↓ 大っ嫌いだ!! (大人気ないと自分でも思っている発言) ↓ 只今、真相を知って撃沈 人気のないところを探して、葉歌に事の顛末を話すと、葉歌はぷっと吹き出した。 真城はそれを見て更に涙目になる。 「笑い事じゃないよぉ……」 「だって、真城、可愛すぎるんだものぉ」 あはははと笑い声を上げて、お腹を押さえる葉歌。 真城は唇を噛み締める。 葉歌はにっこりと笑って言った。 「わたしだったら、そんな嫉妬してくれたって思ったら、とっても嬉しいわぁ。わたしの真城って抱き締めちゃう」 「……言いたくない……」 「え?」 「言えないよぉ、大っ嫌いって言っちゃったんだよ?」 「真城の大嫌いは大好きの裏返しってことで」 「なんだよ、それぇ」 「大嫌いってなかなか言われないから、真城が言う度、ゾクゾクする……」 「葉歌、真面目に聞いてよ」 「真面目だって、これでも」 涙目の真城をよしよしと撫でてくれる葉歌。 困ったようにため息を吐き、葉歌は立ち上がると後ろから優しく抱き締めてくれた。 「はい、大丈夫大丈夫」 なでなでがずっと続く。 真城もそれで少し頭が落ち着いてきた。 「告白しないなんて言わないでね?」 「…………」 「大丈夫よ。やきもちから出た言葉だったってわかったら、兄ぃだって理解してくれるから」 「でも……」 「玉砕覚悟。恋はその精神じゃなきゃ上手くいかないわよ」 「葉歌、わかったように言うなぁ……」 「だって、わたしはいつもその覚悟で接してるけど、誰かさんは鈍感で気がつかないのだもの」 「???」 葉歌の意味がわからなくて首を傾げると、葉歌はおかしそうにクスクスと笑いをこぼした。 ゆっくりと真城から離れて、思い出したように言う。 「そろそろ、紫音くんの試合が始まるわ。行きましょう」 なので、真城はコクリと頷いて立ち上がった。 このところずっと月歌の顔をまともに見られなかった。 これからしばらくは更に顔が合わせづらくなりそうで、空を見上げて、はぁ……とため息を吐くしかなかった。 |
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