第9章  『彼』の正体

 呪文は周囲の力と己の体力を消費して用いるもの。

 この世界で、術者の声に応えて呪文を発生させるのは周囲の力=魔力と呼ばれるものだ。

 人間たちは知らない。
 その魔力が、精霊たちによって司られていることを。

 精→精霊→妖精→神候補→神。

 大きく分けると、彼らはこの順で力が増してゆく。

 精はただ漂うだけの、魔力の元になるようなもの。
 そして、その中で消費されずに残り続けたわずかな精が精霊へと形を変える。

 形を変えた精霊は、意思はあるが意志を持たず、術者の心に応えることはあっても、自分達でその力を操ることは出来ない……中途半端な状態にある。
 消費されることはないが、自身で動くことの出来ない存在だ。
 言うなれば、人間と精との力の橋渡し役と言えばいいだろうか。
 特に人間達が呪文を操ることが容易くなった昨今では、魔力の消費が激しく、精が精霊にレベルアップする機会が減ってしまっていた。

 次段階の妖精は、研ぎ澄まされた思考と高度な感情を有し、己の意思で力を操ることが可能。
 しかし、これになるには多くの試練や長い歳月を越えなければならず、精霊の多くは妖精になる一歩手前のような位置で精霊として過ごしていることが多い。

 妖精として時を過ごし、その存在を高く評価されたものだけが、神候補……ゆくゆくは神となって、世界の均衡を保てるようにバランスをはかって時を過ごしてゆくのだ。

 あかりに助けを求めた風は、その中でも『知能レベルが妖精に近い精霊』だった。
 (この話では『彼』と固定されている者だ)

 黒い風は『邪念に目覚めてしまった妖精』。
 人間達の起こした戦争で均衡を崩した世界。
 そのバランスを保つのに躍起になっていた神達の目を盗んで、黒い風は更にバランスを崩そうと動き始めた。

 黒い風は人間が嫌いだった……。
 人間が生まれる前の静寂に包まれた空間。
 ……あれが真の平和なのだと、信じて疑わなかった。
 黒い風は時の流れの中で変わってゆく世界を認めたくなかったのだろう。

 人間達が崩し、黒い風がそれに追い討ちをかける。
 世界の均衡は……どんどん崩れてゆく。

 『彼』がそれに気がついた時には、もう戦争は全世界に広まってしまっていた。
 精霊である『彼』は妖精である黒い風には勝てない。
 ただ、操られ、利用されるのが関の山だ。
 だから、神達に進言しようとしたが、神達は多忙で『彼』の声に気がついてくれない。

 困ってしまった『彼』はいつも通る丘の上で泣いていた。
 『寂しい』『誰か助けて』と。

 その声に応えてくれたのが、あかりだったのだ。

 無垢で温和な笑顔と優しい心。

 その出会いが、彼女に無理を強いることになるだなんて、その時の『彼』は思ってもいなかった。
 いつでも、彼女はだいじょうぶと言ってくれたから。
 その言葉に甘えただけだった……。
 キミカゲのことを馬鹿にできないくらいに。

 彼女は約束を果たし、よかったねと『彼』に語りかけて死んだ……。

 ふわりふわりと、どんなに風で包み込んでも、『彼』があかりに触れることは叶わない。

 何もできない……。

 そんな無力感とともに、『彼』はずっと待っていた。

 あかりの魂が生まれ変わるその時を。



 葉歌の名前の由来は、彼女の生まれた日、風がさわさわと優しく吹いて、葉が歌を奏でているようだったからだった。

 葉歌の育った村は村人全員音楽が大好きで、歌・音・楽・奏という字が名前に入っている子供が多かった。
 葉歌が歩くと風がそよぎ、木々の葉が揺れる。

 葉歌の髪をなびかせて、何度も何度も、ぼくは彼女に語りかけた。
 小さい頃の彼女は、ぼくのことを見つめて、ニコニコと笑ってくれた。
 彼女の家族も村人も、そんな葉歌の行動を不思議そうに見つめていたけれど、彼女はそんなことなんて気にも留めなかった。

 ぼくは……あかりが生まれ変わったことが、すごく嬉しかった。

 無垢で純粋な笑顔は、あかりとそっくりで、ぼくはただ傍に寄り添うだけでいいから、今度こそ彼女が幸せであればいいと思った。

 それなのに……ある時、彼女の村は軍の夜襲に遭った。
 熱で臥せっていた葉歌を、彼女の両親は必死に庇うように抱き締めていたけれど、兵士たちはそんなものはなんでもないかのように斬り捨てた。
 目の前で両親を殺された葉歌は……呆然として、亡骸を見つめていた。
 ぼくは一生懸命逃げてって言った。
 でも、そんな声があの状況で届くはずもない。
 葉歌が組み伏せられて、服を破られて……このまま、彼女は殺されてしまうと思った。

 ぼくは無力だ。
 彼女がぼくを操ってくれなければ、何も出来ない。
 無力な存在だ。
 ただ、彼女が苦しげに首を振って抵抗するのを見ていることしか出来なかった。

 そこに……月歌が戻ってきてくれた。
 必死な形相で銃を連射して、葉歌を陵辱していた兵士を簡単に倒してくれた。

 彼女は塞ぎこんでしまうだろうけれど、それでも無事であればそれでいいと思った。

 ぼくは、月歌に感謝した。

 だけど……ぼくは見たんだ。
 葉歌はあの陵辱の日から、どんどん衰弱していった。
 彼女は、ぼくの呼びかけにも気付かずに、生きる希望も見つけられず、月歌の胸の中で息を引き取った。
 ぼくの目の前で、彼女は……また、死んだ。

 ぼくは時の精霊とたくさんの風の精霊にお願いして、戻ることのできる僅かな時を遡り、情報を手繰った。

 そして、葉歌が息を引き取った風緑村に真城という少女が『いた』ことを知った。
 『いた』というのは、彼女はもうその時にはいないも同然だったからだ。
 村の子供達に馴染もうとして木登りに参加し、枝からまっさかさまに落ちて、昏睡状態で眠り続けていた。日に日に衰弱してゆく真城。
 葉歌は真城に出会うこともなく、息を引き取ったのだ。

 それが……ぼくの見た、1つの世界。
 別に真城でなくてもよかった。
 他の人でもよかったんだ。
 葉歌を救ってくれるように、ぼくが頑張ればいいだけだから。

 ……でも、彼女はぼくを惹きつけた。
 『寂しい』と、心の中で呟いているのが聞こえたからだ。
 彼女は無邪気で明るいのに、育ちの影響で人と距離があるためか、いつも心の中は孤独でいっぱいだった。

 黒い風が『御影』の体を乗っ取った時、黒い風の力は異常な程パワーアップした。
 人間の体を介することで、ぼくも操られるだけではなく、力を操ることができるんじゃないかと考えた。

 だから、ぼくは真城に声を掛けたんだ。
 葉歌の体じゃ駄目だったのは、それじゃ彼女を救えないから。
 葉歌を救うには、彼女の心を護らなくてはいけなかった。
 まさか、ここまで真城が葉歌の心を惹きつけるとは考えていなかったけれど。



『ねぇ?ぼく、きみに救って欲しい人がいるんだ』

『だれ、きみ?』

『ぼくは……風の精霊』

『精霊?』

『うん』

『精霊さんが……ボクに何のごよう?ボク、何もできないよ。今だって、ケガでうごけないもの』

『そんなもの、ぼくが治してあげるよ。治ったらね、きみはある人が来るのを、ぼくと一緒に待っててくれればいい』

『ある人?』

『うん。すぐにわかるよ』

『そうなんだ……』

『とってもあったかい人だから、きみもすぐに気に入ってくれると思う』

『きみは、その人が好きなの?』

『……うん、とっても大好きなんだ』

『そっか。わかった。ボク、その人のこと、救ってあげる。何をすればいいかわからないけど、がんばるよ!』

『ありがとう……』

『泣いてるの?』

『ううん……』

『そう。泣かないでね?泣くと、幸せがにげちゃうよ』

『あはは』

『なんで、笑うの?ほんとににげちゃうんだぞ』

『ううん、そういうんじゃないんだ。きみがすごく懐が深いなぁって思ったらおかしくなってきて……』

『そう?だって、きみ、ボクと一緒にいてくれるんでしょう?それって、友達ってことでしょう?だから、そのくらいのお願い、聞いてあげるんだ』

『そっか。ぼくたちは友達なんだね?』

『うん!』



 真城はそれから程なくして、意識を取り戻した。
 ぼくの存在は覚えていない。
 けれど、彼女はそれからずっと丘の上で葉歌を待ち続けた。
 誰なのかも分からずに待ち続ける真城は、寂しそうに膝を抱えて、いつ来るか分からない葉歌を待ち続けてくれた。

 そして……それから半年、ようやく彼女の目の前に、月歌が現れた。
 すぐに懐いた真城。
 彼女の心は彼によってぬくまって、彼女の笑顔は彼の傷をきっと癒してくれた。

 待ちに待った葉歌との邂逅は、それからすぐにやってきた。
 真城はぼくが嫉妬を覚えるくらいの優しさで、葉歌を救ってくれた。

 真城はすごい。
 ちょっと向こう見ずだけど、懐が深くて傷つくってことを全然怖がらない。
 はじめはあかりに似ているって思ったけど、全然そんなんじゃない。

 真城はとても強い人間だ。
 ぼくはそれを羨ましいと思ったし、葉歌がそんな真城に惹かれることは当然だと思う。
 彼女は傷を隠して生き続けるから……。
 だから、真城の存在はとても眩くて、希望の光なんだと……思う。



 『彼』は葉歌の命の危機をこうして救うことができた。
 それは……過去にできなかった、彼女に対する恩返しで。
 彼女の一生を見守り続けるために。
 決して、気が付かれることなく、そっと、そっと……。
 そのつもりだったのに。

 真城の命が危険に晒された、東桜との闘い。
 真城の体を刀が貫いた瞬間だった。

 死ぬ訳にはいかない。
 意識を失う真城を横目に、『彼』は意識の表層へと飛び出した。
 できるかもわからないのに、心の中で「跳べ」と呟き、力の掛け具合がわからなかったために真城の体は長距離を跳んだ。

 倒れこんだ草原。
 傷口がドクドクと脈打ち、血が噴き出てくる。

 『彼』はまた念じた。「回復を」と。
 『彼』の予想は当たりだった。

 精霊である『彼』でも、人間の体を借りている間は力を使うことが可能になった。
 葉歌を護るために真城の体を勝手に使い始めたのは、あれがきっかけだった。

 そして……初めて葉歌に触れた時に気がついた。
 彼女のエネルギーは……『どこかに吸われていっている』と。
 それだけじゃなく、『戻ってくること』もあった。

 それがどこと繋がっているのかはわからないけれど、このままでは彼女が死んでしまうということだけはわかって……、それを考えていたら、『死なないで……』という言葉が勝手に出てしまっていた。

 彼女に拒否されること。
 彼女に怖がられること。
 彼女が自分の存在を、尊重してくれたこと。

 それは全て、『彼』の宝物で……彼女を護らなくてはいけない自分が、あんな不甲斐無さを発揮してしまったことが悔やまれてならない。

 けれど、御影の来襲でわかった。

 御影と葉歌の体、または魂が共有状態にあるのだ。

 葉歌の魂の輝きが弱まれば弱まるほど、御影の魂の輝きはどんどん強まっていった。

 葉歌の村を襲った軍も、『彼』が確認した旗は、今現在王城に掲げられている赤とオレンジ色の旗と同じものだった。

 今なら言い切れる。


 あの夜襲で狙われていたのは……葉歌だった。


 一体何がどうなってこの状態になっているのかまでは『彼』にはわからないが、葉歌を完全に救いたいのならば、御影を殺すしかない。


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