第10章  奇跡を呼ぶ真城理論(執事式)

 『彼』は月歌の傷の位置を確認した。
 胸部の肉をえぐられる様に貫かれている。
 このままだと、死んでしまうかもしれない。

 本当は……すぐにでも葉歌を追いたいけれど、それはできなかった。

 体を貸してくれている少女の、大切な人だ。

 シャツのボタンを外し、胸が見えるようにはだけさせる。
 おそらく、瞬時に反応したのだろう。
 急所はなんとか外れていた。

「はぁぁぁぁ……!」
 深く息を吐き出し、両手を傷口にあてがう。
 ドクドクと脈打っていた傷口からの出血が若干弱くなった。

 緑色の光が真城の手からどんどん溢れ出てくる。
 風がフワフワと髪を撫で、集まってきた。

「彼の者の傷を癒す。同眷属よ、力を貸せ」
 『彼』は強い語調で言い放った。

 ブワリと2人を中心に風が巻き起こる。
 ドクンドクンと脈打つ度に、動脈から血液が溢れ出てくる。

 まずは血が止まらないことにはどうしようもない。
 真城の時は内部から癒せたから楽だったのだが……。

 どうする?

「……ま、し……ろ。さま……」
 微かな声で月歌が真城の名を呼んだ。

 『彼』は力を抽出することをやめずに、月歌の顔に視線をやった。
 何かを言いたげな顔で、こちらを見つめている。
 たぶん、今の真城は真城ではないことをわかったうえで、見つめている。

 『彼』はすぐに月歌の口元に耳をやった。

「はうたを……」
「え?」
「おれより、いもうとを……」
「ああ、きみの治療が終わったらすぐに追いかける」
 穏やかな声でそう返すが、月歌は微かに首を横に振った。

「りょうしんにかおむけできない。これい……じょう、あのこをきけんな、めに、あわせ……たら」
 月歌の目から涙が零れた。

 唇を噛み締めて、その様子を見つめる。

「おれは……また、まもれなか……た」

「そんなことない!!」

「え……?」

「きみは護ってくれたんだ!ハウタさんをずっとずっと!!きみがいなかったら、ハウタさんは死んでたじゃないか。また、なんて言うなよ!!」

 傷口から手を離して、月歌の頬に触れた。
 両手についていた血がべったりと月歌の顔についてしまったが、そんなことは気にも留めずに、月歌に思い切り口づけ、息を吹き込んだ。

 内部から治療する。
 このほうが癒しの気が伝わりやすい。
 葉歌にはこの行動は駄目だと言われていたし、真城のことを考えると気が引けたが、そんなことを言っている場合じゃなかった。

「……っ……」
 月歌が苦しげに息を漏らす。
 けれど、傷のせいもあって、抵抗も何もなかった。

 『彼』は真城の体で抱き締める。
 風がフワリフワリと漂って、あかりを包んだイメージで包み込む。
 『彼』にとって、体は不自由なものでしかなかった。

 でも、体があれば、彼女に触れられるから。
 体があれば、自分の力を自分で操れるから。
 もう……役立たずじゃないから。そう思っていたのに。

 護れなかったのは自分のほうだ。
 何年も何年も、彼女だけのために漂って、彷徨って。
 ……それなのに、御影にひと睨みされたら結局何も出来なかった。
 黒い風に触れられただけで居竦まれて駄目になった。

 不甲斐無くて涙が出る。

 ようやく、月歌の傷の血が止まった。
 1度唇を離してそれを確認すると、また月歌の体を地面に横たわらせる。

 月歌が目を細めて真城の顔を見上げていた。

 『彼』は首を傾げて、彼の目を見つめる。

「なかないでください」
「え?」

 月歌の血の気の引いた手が真城の涙を拭った。

 『彼』は驚いて目をパチクリさせる。

 すると、月歌はもう1度苦しげな声で言う。

「なくと、しあわせがにげるんだそうですよ」

 真っ直ぐに視線が絡んだ。

 『彼』は力を抽出しながらも、顔を伏せて唇を噛む。

 悔しくて、悔しくて……悲しくて、仕方ない。

「……ごめん。ごめんなさい。ぼく、なんにも変わってなくてごめんなさい。護るって言ったのに……なんで、ぼくはこんなに役立たずなんだ……!!」

「……やくたたずなんかじゃ、ないよ」

「役立たずだよ。ぼくは何にもできないくせに、あかりに頼った、最低な精霊なんだ……」

 緑色の光がどんどん強くなってゆく。
 治癒スピードが上がって、えぐられたような傷が消えていった。

 ポタポタと涙が月歌の胸に落ちる。

「寂しいなんて……ぼくに言う資格なかった。……ぼくがあのまま消えてしまえば……、彼女は、何も知らずにこの村でほのぼの暮らすだけで済んだんだもの……。救ってもらったのに、ぼくは彼女に何も出来なくて。……どんどん弱っていくところを見ていることしか出来なかった。あかりは……ぼくなんて助けなければ……」

「……っはぁ……はぁ……。おれは、きみがなにをいってるのかよくわからないけど、……ましろさまはよくいいます」

「え?」

「めのまえのひとがこまってる。じぶんがうごくりゆうはそれでじゅうぶんだと、おれの大切なひとはいいますよ」

「…………」

「人というのは、あのとき、こうしていれば……ああしていれば……という後悔のうえにいきています。けれど、だれかを救えたことをしって、……やらなければよかったとおもうひとは、いないと、おもいます」

 たどたどしいけれど、月歌は懸命に言葉を繋いでゆく。

 傷口はもう塞がった。
 あとは……ゆっくり休めば良いだけ。

「おれも……後悔していたんです……」

 少しだけ語気が強まった。
 奥歯を噛み締めて、少しだけ怖い目になった。

 それに気圧され手を引っ込めて、零れる涙をグシグシ拭うと、顔が少しだけ鉄錆びくさくなった。
 月歌がそれを見て、ポケットからハンカチを取り出す。

 震える手で真城の膝にハンカチを置き、にこりと笑った。

 淡い青に染まったそのハンカチで顔を拭っていると、月歌は星空を見上げて続ける。

「家族を護れなかったこと、ずっと後悔して生きつづけると思っていました。もう……人なんて好きにならないで、葉歌だけは、絶対に護り抜くと。そうやって、終わると思っていたんです……」

「……っ……」

「少しだけ、君の記憶?が見えました……君は、真城様を救ってくれたんですね」

 『彼』はフルフルと首を横に振る。

 月歌がゆっくりと体を起こし、真城の体を優しく抱き締めてくれた。

「ありがとう……君のおかげで、おれも葉歌も、真城様に出会うことができました」

 優しく撫でられる頭。
 まるで幼子をあやすように、その手は、葉歌が真城の頭を撫でるものと似ていた。

「過去は……取り戻せません。でも、今、おれが君に感謝している。誰が何と言おうとも。そのことは忘れないで」

「お兄さん……」

「君の話し方は彼女と比べると生意気だけれど、それでも真城様と同じ……真っ直ぐなものです。だから、信じています……」

「え?」

「どうか……無事で帰ってきてください」

 そっと真城から体を離して、真っ直ぐな目で見つめてくる月歌。
 自分がついていっても、足手まといにしかならないことを、今の体の状態でよくわかっているのだと思う。

「葉歌を……お願いします」
「…………」
 『彼』は目を細めて月歌を見つめ、コクリと頷いた。

 俯いて躊躇うように考え込む。

 そして、視線を再び戻して言った。
「この子が……あなたの、何に惹かれたのか……ぼくもようやくわかりました」
「え?」
 目の前には不思議そうな月歌の顔。

 クラリと……頭が揺れた。
 さすがに長時間『彼』が真城の体を借りるのには限界がある。
 力の放出も伴って、『彼』の意識は薄らいでゆく。

 真城の声が頭の中でした。

『ありがとう……ここからはボクがやるから』

 だから、『彼』も返答する。

『うん、お願い。少し休んだら、ぼくも手伝うから』

 真城の体に真城の意識が戻った。

 支えられた体にゆっくりと力を込めて、真城はにっこりと月歌に笑いかけた。

「つっくん、行って来るよ」

 月歌はその声だけでわかったように優しく笑った。

「行ってらっしゃいませ、真城様」

 その笑顔は月光に照らされて、真城の心に確かな勇気を与えてくれる。

 その思いをしっかりと抱き締めて、真城はふぅ……と息を吐き出した。


 ポツリと呟く。


「跳んで」

 その言葉に従って、風が真城の体を包んだ。


 目の前が真っ暗になる。
 場所なんてどこか知らない。
 でも、風が知っている。
 御影と葉歌を連れていったのもまた、風だったのだから。


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