第2章 戒 VS 御影 「カイ〜カイ〜♪」 戒が壁にもたれてぼんやりしていると、香里がピョンピョン跳ねてこちらに近づいてきた。 戒は香里のハイテンションなほうの人格には馴染んでおらず、少々困ってチラリと一瞥して、またすぐに天井を見上げる。 「むぅっ……無視したぁ」 「無視したわけじゃない」 すぐに膨れた香里に戒は目を細めて、ボソリと返す。 部屋のデスクを使って大きな本を広げて読んでいた智歳がこちらに視線を寄越した。 戒は御影についてこちらに来ることになった時に、初めて2人と顔を合わせた。 顔を合わせて2週間とちょっと。 ほとんど馴染んでいない。 元々戒は人に興味を持たない人間だから、どうしようもないことであるけれど。 戒は香里にわかるはずもないけれど、見下ろして尋ねた。 「御影は……どこに行った?」 「え……?お部屋にいなかった?」 「ああ、いなかった」 「ん〜ん〜……りょーもいないのに、どこに行ったんだろう」 戒の言葉に香里は首を傾げて、人差し指を顎に当てる。 香里があんまり考え込んでいるから、戒は「わからないならいい」とだけ呟いた。 ふぅ……とため息を吐き、何をどうすればいいのかを考える。 約束……約束を果たすためにはどうすればいい? 自分が『御影』を救うために出来ることはなんだろう? 傍にいるだけでは何にもならない。 逃げないと決めた。だからこそ、答えを見出さなくてはいけない。 出たと思っていた答え……けれど、それでは足りない。 御影の中に今いるのは『御影』じゃない、何者かだから……。 香里は今度は智歳の傍に駆けていって、横から本を覗き込む。 けれど、小難しいないようだったのか、香里はすぐにフルフルと頭を振って離れた。 その時だった。 突然、耳鳴りが戒を襲って、部屋の中なのに風が巻き起こった。 「わわぁ……」 驚いたように香里が声を上げて、スカートを慌てて押さえる。 智歳が読んでいた本のページがバラバラと進んでいく。 戒は目を細めながらも風の吹いてきた方向へと目をやった。 自室の他にもサロンが用意されていて、今3人はそのサロンで夕食後のゆったりした時間を過ごしていた。 けれど、その緩やかさなどすぐに奪い取るような光景が目の前に広がる。 戒は目を見開いた。 風が収まっても、部屋の隅に黒い風が収束するように集まっていた。 それが消えてなくなったかと思ったら、そこには意識を失った葉歌を抱き締めて楽しげに笑っている御影がいた。 金の瞳が怪しく閃き、視線がかち合った瞬間、ブルリと体が震えた。 状況が把握できない。 一体何が起こったというのか……? 御影は葉歌の体を乱雑に床に横たわらせ、戒のほうへと歩み寄ってきた。 「御影、何のつもりだ?ハウタに何をした?!」 戒は眼光を鋭くして、御影のことを見据える。 御影はなんでもないように笑って、そっと戒の首筋に触れ、ツーと指先を滑らせる。 ゾクゾクと背筋がざわめいた。 「あなたが大好きなあかりを連れてきてあげたわ」 「なんだと?」 戒はいきなりの発言に動揺を隠せなかった。 ぐったりと倒れている葉歌に視線を動かし、すぐに元に戻す。 御影は艶っぽい唇をゆっくりと舐めて、目を細める。 「本当は、殺してやろうとしたんだけど、要らぬ邪魔が入っちゃってね。ここに来るしかなかったの」 「…………」 「でも、風跳びしている間に気は失っちゃうし。私、あの子は苦しめながら殺さないと気が済まないから」 「貴様……」 「怖い顔。せっかくの優しい性格が台無しよ?遠瀬くん」 突然御影の表情が無邪気な悪戯っぽいものに変わった。 葉歌と同じ表情。同じ呼び方……。 その瞬間、数日前のやり取りが頭を過ぎる。 『馬鹿にしてるわけじゃないわよ?遠瀬くんが優しい証拠だもの』 『……マシロの試合が終わったら帰れよ』 『あ、本当に用事がなかったんだ?適当に言ってみただけなのに』 葉歌は戒の反応に悪戯っぽく舌を出して笑い、戒の腕を掴んで引っ張る。 前のめりになりながら葉歌に従う戒は不服そうに眉をへの字にした。 『お前……』 戒の声が少し低くなったのを感じ取って、すぐに葉歌はゴホゴホ……とわざとらしく咳き込んだ。 わざとなのはわかっていたけれど、ついつい戒は葉歌を気遣って声を掛ける。 『大丈夫か?』 『ほら、優しい。勿体無いわよ、その仏頂面じゃ……』 葉歌は悪戯っぽく笑ってそう付け加えたのだ。 戒は唇を噛み締めて御影を見下ろす。 ……見ていたのだ。 彼女は、ずっと風を通して葉歌とのやり取りをわざわざ見ていた。 『御影』の力を吸収したのか、元からこの者がその力を有していたのかはわからないけれど。 御影が葉歌を見ていたのは……葉歌があかりだったから? 戒は数日前のやり取りで、葉歌から感じた懐かしさを思い出す。 ……気がつくのが遅すぎた。 こんなことに巻き込んではいけなかったのに。 「ねぇ?わたし、訊いてみたいことがあったのよね」 御影が目の前でニヤリと笑う。 戒は何も言わずに、御影の頭越しに葉歌を見つめる。 香里がそろりそろりと葉歌に近寄って、葉歌の頬に手を触れたのが見えた。 智歳がそれを止めようと香里の体を葉歌から引っぺがそうとするが、香里はバタバタと暴れて、智歳の羽交い絞めを吹っ飛ばした。 戒の全く眼中にない素振りが気に食わなかったのか、強い力で戒の顎を掴む御影。 無理矢理、御影の顔に目線が動かされた。 「戒は、あの子があかりだったら、あの子を好きになるわけ?」 戒はその問いに目を細めて、すぐに鼻で笑い飛ばす。 「愚問だ」 「へぇ……」 「僕はあかり様を敬ってはいるが恋愛感情は持っていない。キミカゲはどうか知らないがな」 「……じゃ、質問を変えましょうか」 「なんだ?」 「あの子のことは、どう思っているの?」 「そんなことを聞いてどうする?」 「別に。虐め方を考える材料にしようかと思っただけですわ」 「答える道理はないな」 「そう。じゃ、勝手に解釈しておきますわ」 御影はそこでようやく戒から離れてクルリと振り返る。 香里が葉歌を気遣うように何度も「お姫様〜」と声を掛けている。 智歳が御影の視線に気がついて、間に割って入る形で立ちはだかった。 御影がゆっくりと前へ歩みだす。 フワリフワリと御影の体から風が発されているのか、御影の髪がフワフワと揺れた。 戒はすぐにダッシュして葉歌の脇まで行くと、体を抱き上げた。 「困ったわ……ここでも、邪魔が入るのね……」 然して困ってもいないくせにそんな言葉を発する御影。 香里が戒のズボンをきゅっと掴んできた。 「香里、こっちへいらっしゃい」 御影は立ち止まってゆらりと手招きをしてくる。 香里はブンブンと首を横に振った。 「御影様じゃない。こーちゃんの御影様は、こんなひどいことしないもん!」 「わたしが御影であろうとなかろうと関係ないのよ」 御影の声はひんやりと冷たく、夏場で少々ぬくまっている部屋の中なのに、その場にいた者全員に凍えるような寒さを与えた。 金の瞳が怪しく揺れ、香里を冷ややかな目で見下ろす。 「わたしは確かに御影じゃないけど、この体は御影なのよ。香里、それを忘れないでね」 香里の体がカタカタと震えだす。 まるで、何かの暗示にでもかかったように、腕をダラーンと落とし、フラリフラリと御影の元へと向かってゆく。 智歳がそれを止めるために肩を掴み、なんとか御影の元へ歩いていこうとするのを妨げた。 戒は葉歌を抱える腕に力を込める。 自分だけが逃げるのならば問題はない。 だが……この2人を置いていくわけにもいかない。 唇を噛み締めて思案していると、葉歌が苦しそうな表情で目をゆっくり開けた。 衰弱が激しいのか、戒の顔を見てすぐに首から力が抜ける。 「ハウタ、気をしっかり持て」 「キミカゲ……」 「……?」 「キミカゲくんだ……やっと、会えた……」 葉歌の声はとても可愛らしい、少女のような話し方だった。 いつもふんわりと落ち着いた口調で話す葉歌だけに違和感がある。 戒の服を握り締めて、ぬくもりを確かめるように顔を埋めてくる。 「あかりに体は貸さないって強情張っていたのに……。よっぽど衰弱がひどいのね?」 御影の声にハッとして、葉歌はすぐに御影に視線を動かした。 「あなた、わたしたちの『御影』を返しなさい」 衰弱した体ながら、語気だけはしっかりしていた。 「知らないわ、あんな子。ずっと、キミカゲキミカゲって。騒がしいったら無かったわ、この700年。すごいでしょう?700年かかってやっとわたしが勝ったのよ?」 誇らしげに目を細めて言う御影に対し、葉歌が悔しそうに唇を噛み締める。 「あとは、お前を殺して、完全な力を取り戻せばいいだけ」 御影がそう呟くと、部屋の空気が御影に引き寄せられてゆくように動いた。 黒い風が発生して、御影の姿がフワリと消える。 戒は気配を手繰ろうと精神を集中したが、突然真横に現れた御影が戒の顔に向けて人差し指を突き出してきた。 ゾクリと全身総毛立ち、咄嗟に体を横に動かした。 弾丸のような黒いものが戒の頬を掠め、壁にぶつかって穴を開ける。 タラリと頬から血が垂れた。 人1人抱えて闘うにはとてもじゃないが、荷が勝ちすぎている。 「考えてる場合じゃないわよ?ほら、次行くわ」 御影が楽しげに声を発すると、先程の弾丸のような黒いものがたくさん現れて、戒の体めがけて飛んでくる。 戒は葉歌に当たりそうになる弾丸だけ上手くかわして、それ以外の弾丸は自分の体で受けた。 胸の中で葉歌が頭を抱えて唸っている。 戒はそんなことには構わずに、御影に飛び蹴りを放った。 けれど、御影の姿はすぐに消えて、少し離れた場所に再び現れる。 智歳が香里を護るようにギュッと頭を抱き締めて2人の闘いを見据えていた。 「もうっ……これはわたしの体だって言ってるでしょう!!」 葉歌がそんなことを叫び、息を弾ませながらも戒を見上げてくる。 「下ろして」 「しかし……」 「わたしを抱えてちゃ、やりづらいでしょう?」 戒の頬の血を指で拭って、葉歌は弱った目でそう言った。 狙われているのは自分なのに、何を悠長なことを言っているのか……。 「下りたいの?下りたいなら下ろしてあげるわよ」 御影の声が耳元でして、戒がそちらを向こうとした時には、戒の腕に御影の指が触れていた。 体を捻ってかわそうとしたが、戒の右の二の腕が簡単に打ち抜かれる。 「っぐぁ……」 反動で体が跳ね、力が抜けた腕から葉歌の体が落ちた。 ドシャリと音がして、葉歌が苦しそうに声を上げた。 戒は葉歌の無事だけ確認し、二の腕を押さえて、御影を睨みつける。 「っはぁ……はぁ……」 以前、東桜にやられた位置とほとんど同じだった。 力が抜けてゆく。服の上に血がにじみ出てきた。 御影がつまらなそうに目を細めて、戒の頬に触れる。 「あなたのつまらないところは、良い声で啼かないことね」 「……下衆が」 「ええ、なんとでも。さっきの子は楽しかったわ。罵れば罵るほど、泣くんですもの」 戒は言っている意味がわからずに眉をひそめ、すかさず御影の腕を掴んで素早く投げ飛ばした。 軽い体のおかげで片腕でもなんとかなったが……、大したダメージがないことは確認しなくてもわかる。 御影の力は異常だ。 人間業ではない。 すぐに御影は起き上がって、また姿を消した。 戒の後ろで息遣いがして、戒は振り向こうとしたが、肩甲骨のあたりに指を突きつけられて、動きを止めざるをえなかった。 「そうよね、啼かないなら啼かせてやればいいんだわ。強情なら強情で、面白いわ」 御影の息遣いに精神を集中し、指先から放たれる弾丸の動きを読み取ろうとした。 御影の指が微かに動き、戒はその瞬間を逃さずに屈む。 かわしきるのは至近距離なためにできず、弾丸は肩を貫いた。 「っぁ…………っく」 戒は力の入れづらくなった右腕を押さえて、床に膝を突く。 「駄目ねぇ……もっとちゃんとお啼きなさいな」 御影はゆっくりと歩み寄ってくる。 葉歌がフラフラしながら立ち上がって、戒を庇うように立ちはだかった。 「……狙いはわたしでしょう?」 「そうよ。でも、こういうのを見せ付けたほうが、お前のダメージは大きいかなぁって思って」 「変態……」 「だから、それは誉め言葉だって言ったでしょう?……っ……」 それまで余裕そうに話していた御影が突然口元を押さえた。 「ゲホッ……ゴホッ……!!」 激しい咳が続いて、御影はちっと舌打ちをする。 葉歌の顔を金の瞳で捉えて、すぐに葉歌の首を掴む。 「……まぁ、さっさと殺してしまったほうが早いわね」 あの細腕のどこにそんな力があるのかわからないが、葉歌の足が床から離れる。 バタバタと抵抗するように足を動かす葉歌。 戒は痛みを無視して立ち上がり、体当たりしようとしたが、その前に御影の体を紅蓮の炎が包んだ。 御影の手から葉歌の体が離れ、ゆらりと傾いで床に倒れこんでくる。 戒はそれを左手で受け止めて、御影を包んだ炎を見据えた。 「ちーちゃん……」 「やるしかねぇだろ。遂に、コイツ、気ぃ違っちまったみたいだからな!」 智歳の服をきゅっと掴んで泣きそうな目で御影を見つめる香里。 智歳はその様子を見て、呆れたように舌打ちをしながらもそう叫んだ。 「姉上だけは、絶対に俺が護る」 智歳はそう呟き、腰に提げていた短剣をゆっくりと抜いた。 御影の周囲に風が集まり、炎が吹き飛ぶ。 御影は全くダメージを負っていないかのように笑って、智歳を見下ろした。 「ずっと、このガキは気に食わなかったのよ。……良い機会だわ。あかりは後回しね」 「香里、離れてろ」 智歳も覚悟を決めたように、ギラリと御影を見上げて、唇を噛み締めた。 戒は葉歌に癒しの術を掛けてもらいながら、その様子を見つめた。 |
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