第3章  双子 VS 御影

 智歳は素早く指を組み、いくつも印を作ってゆく。

 御影がその様子をおかしそうに見つめている。

 息を吸い込んで、一気に腕を振るうと無数の火の玉が発生して、御影を取り囲んだ。

「気に食わないのはこっちのほうだ。お前のせいで、姉上は……」
 智歳は怒りに震えるようにそう言い、パンと手を打ち鳴らした。

 火の玉が収束して、御影を中心に爆発する。
 その呪文の威力は、到底子供の扱うレベルではなかった。

 爆風が葉歌の髪を弄ぶ。
 智歳は爆煙の中へと突っ込んでいき、視認できない状態になった。

 だが、風の切るような音と炎のシュボッという音が何度も何度も繰り返されているため、2人がぶつかり合っているのだけは確認できた。

 葉歌はゼェゼェと肩で息をしながら、黒い煙を見つめる。
 今の自分でできるだけの癒しの術を、戒の腕に掛ける。
 ポゥ……と弱い緑色の光が戒の腕を包んだ。

「顔色が悪い。無理しなくていい」
「少しだけ……でも……」
 葉歌は俯いた状態で、戒の腕を優しく撫でる。

 香里がこちらに駆け寄ってきて、葉歌の肩に触れた。
 香里の手からほかほかするような温かなものが流れ込んでくる。
 自分の顔が少しだけ温かくなった気がした。
 気だるさも消えてゆく。

「お姫様、約束……」
「え?」
「約束、守るよ」
「香里ちゃん……?」
 香里が葉歌の肩をきゅっと握る。

 ふわりと後ろから葉歌を抱き締めて、澄んだ声で言った。
「お姫様は、こーちゃんが護ってあげる」


 それは二ヶ月以上前の約束。
 小指と小指を引っ掛けて、香里が強引に腕を振り、切られた指。
 護ってあげると……この子はあの時、笑顔で言った。


「何言ってるの、香里ちゃん」
「……なんとなく、だよ」
 香里がポツリと呟くと、智歳が煙の中から吹き飛ぶように飛び出してきた。

 その後、蜂の子を散らすように煙が霧散して消えた。

 智歳の体は壁にガスンとぶつかって、ズルズル……と床に落ちる。

「ちーちゃん!」

 香里はすぐに智歳に駆け寄ろうとしたが、智歳はヨロヨロと立ち上がって、手で制す。

「来るな!」
「……ちーちゃん……」
「来るんじゃねぇ、香里……」
 智歳は息を切らしながらも、ぐいと口元を拭って、短剣を握り直す。
 奥歯を噛み締めて、構えを取った智歳。

 ブツブツ……と呪文を唱え、炎を発生させると、それを御影へと飛ばした。

 御影は片腕をブンと振って、その炎を掻き消す。

「あーあ……髪と服がこげちゃった。この子の体の弱さは気に入らないけれど、髪も容姿も気に入ってるんだから勘弁してちょうだい」
 御影は目を細めて、智歳に歩み寄る。

 智歳が短剣を短く持って突進した。
 御影はそれを風を起こして吹き飛ばす。
 また、壁に体をぶつけて、痛そうに悲鳴を上げる智歳。

 御影は楽しそうに自分の唇に触れて、思い出したように口を開いた。

「そういえば、あなたたちの国は、突然どこかの国に攻められて滅びたんだったかしら」

「…………」

「それは酷い状態だったんですってね。城下町もお城もほとんどが燃えちゃって」

 その言葉に香里がピクリと反応する。
 葉歌が香里を見ると、香里はカタカタと体を震わせていた。

 智歳がその様子を察したのか、すぐに叫ぶ。

「やめろ!今、そんなん関係ねぇだろ!!」
 小さいながら火の玉を御影に投げつける。

 御影はそれをひょいとかわして、クスクスと笑った。

「璃央が助け出して、あなたたちは助かった」

「やめろって言ってんだろ?!」
 智歳はようやく立ち上がって、短剣を振り上げる。

 御影はすぅっと姿を消して、香里の傍に姿を現した。
 香里がビクリと肩を震わせ、御影を見上げる。

 御影は香里の頬を撫で、意地悪げに笑う。

「タイミングが良過ぎたと、あなたたちは思わなかったかしら?」

「やめろよ!そんなことどうでもいいんだよ!!」

 智歳は駆けて香里の体を抱き締め、床に倒れこむ。
 香里に聞えないようにぎゅっと頭を抱き寄せる智歳。

「あれは全部仕組まれたものよ。璃央がこの御影ちゃんを生かすためにやった行為。どうしても、香里が欲しかったから」

「うるせぇよ、気違い女!!」
 必死に香里を護るように智歳は御影の声を遮ろうと大声を張り上げる。

 けれど、そんなことで聞えなくできるわけはなかった。

 香里が壊れたように、ガタガタ……と体を痙攣させる。

「香里、嘘だ。今の嘘だから。嘘だから、……良い子だから落ち着け」
「……わ、わか……」
「あらあら、大変ね」
 御影が面白いものを見るようにクスクス……と笑いを漏らす。

「ほ……んとは……わか、てた」
 香里が智歳の胸の中で涙をこぼしながら呟いた。

 葉歌はその様子を見つめて、戒の腕をギュッと握り締める。

 戒が葉歌の頭をそっと撫でた。

「痛みがないから、もういい」
 そう言って立ち上がる戒。

 少し窮屈そうに腕を動かしていたから、痛みがないなんていうのは嘘なのがわかった。

 葉歌は先程香里が触れてくれて吹き飛んだ気だるさが、再び戻ってきて床に手を突き、ゼェゼェと息を切らす。
 不甲斐無い……。
 こんな体じゃなかったら、御影をぶん殴ってやりたいのに。

 智歳は御影から香里を護るようにしながら、立ち上がる。

 香里がぼんやりとした目で御影を見上げている。
 壊れたように、その目には意志がなかった。

 御影はクスクス……と笑いを漏らして、両手を高々と掲げた。

「お遊びはここまでにしようかな?」
 御影はふっと姿を消して、あっという間に智歳と戒の体を切り刻む。

 ヒラリとドレスを翻すと、2人は同時に床に倒れこんだ。
 ピクピク……と体を震わせながらも顔だけは御影を向いている智歳と、懸命に起き上がろうとするが立ち上がれない戒。

 尋常じゃない……。
 こんな動きをされたら、どんな強い人でも勝てるわけがない……。

「ケホコホ……ゲホッ」
 御影はまたもやいきなり激しく咳き込み、ちっと舌打ちをする。

 葉歌はゆっくりと立ち上がった。
 このままでは香里もやられてしまう。

 御影が香里に手を伸ばす。
 香里の細い二の腕を掴んで立たせると、目を細めて笑った。

「エネルギー、ちょうだい」
 そっと屈んで、香里に口づける御影。

 香里の目がクワッと開く。
 はじめは握り締めていた拳が、段々緩くなっていって、腕がだらりと下がった。

「ご馳走様」
 香里のおでこをトンと押すと、そのまま後ろ向きで床へと倒れこんでゆく。

 それを見下すように見つめて御影はふふんと笑った。

 葉歌は足を引きずって、香里を抱き起こす。

「香里ちゃん」
 葉歌は優しい声で呼び掛けた。

 おそらく、香里の触れてはいけない心の部分に、御影が土足で踏み込んだのだろう。
 壊れたように香里は涙をこぼして天井を見上げているだけ。

「香里ちゃん、大丈夫だよ。ね?大丈夫だから……良い子だから」
 優しくあやすように香里の背中をポンポンと叩いた。

 香里は葉歌の胸に顔を埋めて、フルフルと震える。

 葉歌にだけ聞えるような声で呟く。
「わかってたの……ずっとずっと、わかってたの……わかってたんです……」

「うん……」

「私、操られてるのも、催眠掛けられてるのも、わかってた……」

「うん……」

「でも、璃央様は私のこと、妹みたいに大切にしてくれたから」

「うん」

「だから……だから、操られてても、利用されてても、いいかなぁって……」

「香里ちゃん、もういいよ、もういい」

 香里をしっかりと抱き締めて、葉歌は香里の涙混じりの声に感化されるように涙をこぼした。

「御影様だって……本当はとっても良い方なんです」

「…………」

「具合悪くても、私が部屋に行くと、笑って手招きしてくれて……」

「そう……」

「だから……」

 香里はゆっくりと葉歌から体を離して立ち上がる。
 フラフラしながら、御影に近づいていく香里。

「香里ちゃん?」

「葉歌様、お護りします、絶対。……御影様も、取り戻してみせます。だって、こんなの……璃央様がお可哀想……」

 この少女は……まだ、璃央のことを気遣うというのか。
 葉歌は床に手を突いて立ち上がり、香里を止めようと手を伸ばした。

 けれど、突然、香里の体からうっすらと霧が発生して、葉歌の体から力が抜ける。
 体の中から何かを抜き取られていくような感覚だった。
 霧は香里の体にまとわりついていて、香里との距離が出来ると、その感覚は無くなった。

「や、め……ろ。やめろ、姉上……」
「智歳、あとは頼みました。葉歌様をお願いします。それと、たっくんに、約束、守れなくてごめんなさいって」

 香里はニコリと智歳に笑いかけ、前へ前へと歩いてゆく。
 香里が何をしようとしているのか察したのか、御影が後ずさった。

 御影に手を差し伸べる香里。

 霧がゆっくりと御影の体に絡み付いてゆく。

「なっ、人間の分際で、わたしを……」

「御影様を返してください」

 香里の声は凛としていた。
 それは不思議な光景だった。
 年端も行かない少女に、今まで人間離れした動きを見せていた御影が頭を垂れるように跪く。
 香里は御影に触れることも無く、器用に霧を操って、御影の行動を制限する。

「御影様を、返して!」
 香里は激昂した声で叫んだ。

 御影が憎々しげに香里の顔を見上げている。
 智歳が肘を突いて体を引きずりながら、香里の傍へと寄っていく。

 戒が壁に背をついて、息を切らしながら立ち上がった。

 葉歌は床にペタンと座った状態で、その光景を見つめることしか出来ない。
 先程の霧に当たったせいか、気だるいわけではないのだけれど、体に力が入らない。

「姉上……やめ……」
「来てはいけません、智歳」
 厳しい声で智歳が近づこうとするのを制した。

 智歳がその声でビクリとして一瞬動きが止まった。
 けれど、すぐに首を横に振る。
「やだよ。姉上がそのつもりなら、俺だって……」

「智歳……迷惑ばかり掛けて、不甲斐無い姉でごめんなさいね」
 香里が息を切らし始めた。

 御影が青い顔でクラクラと頭を震わせ始める。

「御影様を返しなさい」

「ふふ……あなたは何か勘違いしてる」

「え?」
 状況はどう見ても不利なのに、御影はおかしそうに笑ってそう言った。

 香里が動揺したように声を漏らす。
 それでも、霧の操作をやめることはなかった。

 御影は金の瞳を怪しく揺らして、目を細めた。

「別に、わたし、この体でなくちゃいけないわけじゃないのよ。この体が駄目になったら、また誰かの体に依存すればいいだけ」

「嘘よ……」

「嘘じゃない」

「だ、騙されない」

「そう。じゃ、早く全て吸収してしまいなさい?でないと、あなたが死んじゃうでしょう?ギリギリまで吸って脅そうと思ってたんでしょうけど、わたし、死は怖くないわ。だって、それは体の死で、わたし自身が死ぬわけではないもの」

「…………」

「そうしたら、璃央はどうするかしらねぇ」

 香里の手が徐々に下がり始めた。
 それは躊躇いなのか、その不思議な術を使ったために来る疲労感のためなのかはわからないけれど。

 御影はその一瞬を見逃さない。

 弱々しいけれど、しっかりと腕を横に振り、鋭い風音を発生させた。

 かまいたちが香里の体を斬りつける。


 香里の華奢で小さな体が、宙を舞った。


 斬られた部位から血が噴き出し、香里はそのまま床にドサリと音を立てて落ちた。



「姉上っ!!」
 智歳の叫びがサロン内に響く。




『どうしたの?』
『んー。なんでもないない。お姉さん、お姫様みたい。御影様みたい』
『御影様?』
『お姫様みたい。お姫様。お姫様♪』
 初めて会った時、香里は無邪気に笑ってそう言った。
 葉歌は対応に困って、少々苦笑を漏らしたのを覚えている。



『葉歌様、母様みたいです。手が、とてもあたたかい』
 二度目に会った時、彼女ははにかんだ笑顔でそう言った。
 ただ撫でただけの手に、哀愁を漂わせたように懐かしそうに。



『……お姫様も……こーちゃん、嫌……?』
『え?』
『こーちゃん、みんな大好き。御影様も、お姫様も……ちーちゃんも、りょーも、トーオだって大好き。……でも、こーちゃんは、こーちゃん嫌い』
 彼女は、自分を嫌いだと言った。

 人を幸せにしてくれるような温かな心を持ちながら、彼女は自分が嫌いなのだと。
 そんなのは悲しいことだと、葉歌は真城に教えられたから、葉歌は優しく伝えた。

『嫌じゃないよ?私は香里ちゃん、好きだよ』
『ホントウ?』
『うん、お姉さん嘘つかない』
『お姫様、嘘つかない』
 香里は葉歌の言葉に、ポツリとそう呟いた。
 呟いて、葉歌の頬に触れ、そして、指切りをした。

 それは、葉歌は果たされなくてもいいと思っていた約束。



『こーちゃんが、お姫様護ってあげる。約束』



 香里はさらわれた葉歌を逃がしてくれた。
 恩があるのはこちらのほうだ。
 それなのに、まだ、葉歌は香里に何も返してはいないのに……。
 こんなことがあっていいのだろうか……?



 ざわりと葉歌の耳元で風が音を立てた。
 ここは室内なのに、葉歌の周囲に風が発生し、収束してくる。
 葉歌の意識は完全に御影に向いていた。
 御影は香里の不思議な術で、確実に弱っている。

 今なら外さない。

 葉歌は噴出してきた感情のままに、御影を睨みつけた。
 すると、風が緑色の塊になって、御影へと飛んでいった。

 絶対に許さない……。

 御影を許さない。

 けれど……自分が、一番許せない。

 狙われていたのは自分だ。

 それなのに、何人犠牲にしている……?

 これでは、あかりと大差ないではないか。

 葉歌はグッと唇を噛み締めた。


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