第5章 大きな存在…… 智歳は体の治療を終えて、真城の屋敷を出た。 夜も更けて、村人達は眠りについている。 智歳はフラフラと丘を登って、遠くまで見下ろせる位置まで行くと、ゆっくりと腰を下ろし、膝を抱えて包帯と絆創膏だらけの腕をそっと撫ぜた。 目を細めて、星空を見上げる。 涙が溢れた……。 「馬鹿だ……俺は……っ……」 こみ上げてくるものを必死に堪えようとして、奥歯を噛み締める。 けれど、止まるわけなんてなかった。 『智歳、あとは頼みました。葉歌様をお願いします。それと、たっくんに、約束、守れなくてごめんなさいって』 あくまで笑顔で香里は言った。 それは全くもって姉らしい。 「言える訳ねぇだろ!!……なんで、なんでだよぉ……」 弱りきった体のままで、智歳は精一杯叫んで、膝を抱え直す。 昔、自分が泣いていると、香里が駆け寄ってきて抱き締めてくれた。 そのぬくもりが、その優しさが……智歳には心地よかった。 だから、姉が正気に戻るまでは、自分が護ると……。 いつか絶対に姉を連れて、何処でもいいから家を買って、商売をして、……一生困らないようなお金を作って、やりたいことも、香里にやらせてあげたいこともたくさんあったのに。 智歳は腰の短剣を抜いて地面に投げつけた。 「こんなもの……!こんなもの、こんなものっ!!」 鞘を外して叩きつけ、ベルトを外して自分の拳ごと地面を叩く。 この短剣は、智歳が初めて稼いだ金で買ったものだった。 香里がリンゴを食べたいと言っても、智歳には皮を剥くためのものさえ与えられていなかったからだ。 農園にあるリンゴを盗んできては香里に皮を剥いて渡して、香里は喜んでくれたけれど、璃央にばれると激しく叱られた。 それでも、姉の笑顔が何より嬉しくて、一生懸命自分は自分のやり方で力を蓄えた。 炎と相性がいいとわかれば、すぐに呪文を独学で学んだ。 その結果が……これだ。 自分は、何も護れていない……。 どうして、自分はこんなに子供なんだろう。 香里よりも年上で生まれて、体も大きければ、もしかしたら護れたかもしれないのに。 自分は。 ひねくれていてもいいから。 それでも。 香里に優しさを。 届けられる人間になりたかった。 香里の笑顔を。 護れる人間になりたかったんだ。 智歳は涙を拭って、はぁぁ……と息を吐き出す。 『智歳、あとは頼みました』 頭の中で香里の言葉がリフレインする。 あとは……頼みました……。 「俺は、絶対にアイツを許さない」 智歳はぐっと唇を噛み締めて、底意地の悪い御影の笑みを思い出した。 体は震えるくらい弱っているのに、智歳の眼差しだけは強く一点を見据えていて、意志の強さを感じさせた。 夜は更けていく。 月は皮肉なくらい綺麗で、智歳はその眩しさを嫌って目を伏せた。 「真城ー!王都いこー!」 龍世が元気いっぱいな声で屋敷へと駆け込んだ。 朝一番でこの騒がしさ……。 月歌に叱られるかなぁと思いつつも、ドアを開けて出てくるのを待つ。 月歌はいつもの夏仕様の執事服じゃなく、ラフなYシャツとジーンズを着て出てきた。 龍世はそれに首を傾げた。 「どしたの?いっつもの、ピシッ、パリッじゃない。頭だけオールバックで変だよぉ」 普段の月歌の真似をするように、少しだけ男前な顔をしたつもりの表情で言った。 月歌がそれを見て少しだけ笑う。 「いえ、ちょっと……服に穴が空いてしまったので」 「穴?ドジだなぁ……あ、そういえば、昨日の試合惜しかったね。さすがにつぐたんだった時はびっくりしたよ。でも、あんなに強いんだね、つぐたん。真城が死んじゃうかと思った」 「……はは、まさか、真城様は強いですから」 月歌は眼鏡を掛け直して、困ったように笑う。 いつまで経っても真城が出てこないので、龍世は少し落ち着かずにそわそわする。 「ねぇ、真城は?」 「あ……今、出てくると思います」 月歌の歯切れが悪い。 龍世は昨日の香里との約束を思い出して体を揺らす。 『こーちゃん、明日暇?暇だったら、オレ案内してやるよ、この街』 『え……?』 『だってさ、こーちゃんってあんまり街の中歩きまわらなそうなんだもん。だから、オレがおすすめの店とか案内してあげる』 『ほんとですか?』 『おぉ、任せなさい!』 『じゃ、じゃあ、お願いします』 『うん、約束ね♪明日街の入り口で待ってるよ』 『じゃ、私、一生懸命早起きしますね?』 『え、いや、そんなに慌てなくても平気だよぉ?』 嬉しそうな香里の笑顔を見て、龍世は慌てて首を振った。 少しだけ照れて視線を外す。 どうして、この子はこんなにほんわかと、不思議な間で話すのだろう? 気がつくと、少しペースをかき回されている自分がいる。 「そう。オレ、今日急いでるんだよね。約束しててさ。街案内してあげるって……」 「そうですか、ちょっと待っててくださいね、呼んできますから」 月歌はいつもの穏やかな笑みを浮かべて、少ししんどそうにゆっくり歩いていく。 龍世はドアにもたれて、足をブラブラと動かして待つ。 屋敷の外では、真城と紫音が勝ち残ったのもあって、村人の大半が御前試合を観戦しようと出掛けていく声がしている。 ぼけーっと待っていると、智歳がダボダボの服を着てエントランスに出てきた。 昔、真城が着ていた服だなぁと心の中で呟く龍世。 ……いや、その前に……。 「なんで、ちとせがいるの?」 龍世は素朴な疑問をそのままぶつけた。 智歳が気まずそうに目を細める。 「もしかして、こーちゃんもいたりする?あれ?でも、なんでこんなところに……」 龍世は表情をほころばせて智歳に駆け寄るけれど、すぐに再び首を傾げる。 智歳は龍世を見据えて、唇を噛み締める。 龍世は智歳の顔を覗き込んだ。 「顔怖いよ、ちとせ〜」 「香里は死んだ……」 「え……?」 智歳の言葉の意味が飲み込めなくて、龍世は目を見開いてすぐに乾いた笑いを漏らす。 「まったまたぁ、オレを担ごうなんて10年早いんだ。だって、こーちゃん、昨日ピンピンしてたもん」 「本当だ」 「今日だって約束しててさぁ。あ、もしかして、ちとせ誘われなくっていじけて、そんなこと言ってるんじゃない?本当にシスコンだなぁ……」 「俺は意地悪は言っても、嘘は言わない」 「…………。言っていい冗談とさ、悪い冗談があるんだよ、ちとせ」 龍世は智歳の真面目な表情に怯んで唇を尖らせる。 智歳は出来るだけ冷静に努めるように表情を押さえて、もう1度口を開く。 目がにわかに潤んでいる。 「冗談じゃないん……」 「嘘だ!!」 龍世は智歳の言葉を遮って叫んだ。 智歳が龍世の腕を掴み、見上げてくる。 「嘘じゃない」 「なんでだよ!そんな馬鹿な話ある訳ないじゃん!!」 「悪い……俺のせいだ」 「そんなこと言うなよ!本当みたいだろ?!」 「本当なんだよ。……約束、守れなくてごめんなさいって……伝えてって言われたんだ……」 智歳の目から涙が零れて、龍世は続けようとした言葉を引っ込める。 龍世は頭の中をかき混ぜられたように、目の前がグラグラしてきた。 智歳が昨夜の状況を噛み砕いて説明してくれる。 けれど、言葉は聞えていても、全く話が頭に入ってこない。 龍世ははぁ……とため息を吐いて笑った。 智歳が困ったように言葉を止める。 「オレ、信じないもん」 「龍世……」 「オレ、信じないもん!こーちゃんは、死んでないよ!!」 智歳の手を振り払って、龍世は零れてくる涙を拭いもせずに駆け出した。 涙がボロボロ溢れてくる。 これじゃ、信じてるみたいじゃないか。 信じないって言ったのに。 心の中で叫んで、唇を噛み締める。 強く噛みすぎて、口元からタラリと血が垂れた。 それでも、構わずに王都に向かう。 待っていればわかる……。 待っていれば、絶対、香里は現れる。 約束を破るような子じゃない。 王都の入り口まで立ち止まらずに駆け抜けて、ゼェゼェと肩で息をする。 まだ、香里は来ていなかった。 龍世は約束の場所に立って、香里が来るのを待った。 はじめはピンと立っていたけれど、くたびれてきてしゃがみこむ。 東にあった太陽が南へ、そして、西へと傾く。 龍世は夕日を見つめて、奥歯を噛んだ。 まだ……今日が終わらないうちは約束は破ったことにならない。 いつもならすぐに鳴く腹の虫が、今日はうんともすんとも言わなかった。 御前試合が終わって、観客達が街を出て行く時間になって、辺りが暗くなり始める。 龍世は目を細めて、込み上げてくる涙を手で受け止めた。 「嘘だ……」 「たっくん」 その声にはっとして、龍世は顔を上げる。 表情をほころばせて嬉しそうな声を出した。 「こーちゃん!!」 ……けれど、そこに立っていたのは、葉歌だった……。 葉歌は切なそうに龍世を見つめていた。 龍世は目を細めて俯く。 葉歌がそろそろと歩み寄ってきて、膝をそろえてしゃがみこんだ。 ふわりと甘い香りがして、葉歌が龍世を包み込む。 「たっくん、帰ろう」 気遣うような優しい声。 「やだ。まだ、今日は終わってないもん」 龍世は涙声でそう返した。 堪えようとしたけど、声が震えた。 「……ごめんね、たっくん……わたしが不甲斐無いばっかりに……」 「なんで、葉歌が謝るの?」 「……わたしのせいなのよ」 「葉歌は悪くないよ」 「ううん、わたしのせい」 「悪くないよ。悪いのは、……悪いのは、傷つけたほうだよ!!」 「…………」 「どんな事情があるかわかんないよ。オレ、難しいことわかんないし。ちとせだって状況わかってなかったから、原因とかそういうの曖昧だし。……でも、でも、これだけはわかるよ。悪いのは、葉歌じゃないよ!!」 葉歌の胸の中で悔しそうに叫ぶ。 葉歌は龍世の髪を優しく撫でてくれた。 龍世はハァハァ……と息を切らして、すぐにツバを飲み込む。 「約束したのに……」 「うん」 「オレに、このままでいてねって、こーちゃん言ったんだよ、昨日。笑顔で言ったんだよ!」 「うん……」 「こーちゃん、死んでないよ。だって、オレの中にいるんだもん!くっきり覚えてるんだもん!!死んだなんて……まだ、わかんないじゃないかぁ……」 「…………」 葉歌は龍世の言葉に対して無言だった。 自分がその時の状況がわからないのがすごく悔しかった。 自分は……何も知らずに、夕飯を食べて、水浴びをして……眠る準備をしていた。 その頃に、そんな大変なことになってるなんて、思いもしなかった。 葉歌はしんどそうに何度も咳き込んでいたけれど、それでも、龍世から手を離さずにずっと傍にいてくれた。 気がつくと、脇には真城が座っていて、何も言わずに星空を見上げている。 もしかしたら、龍世がまちぼうけしている間、ずっと見守っていてくれたのかもしれない。 東の空に昇った月が、そんな3人を照らし出していた。 |
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