第6章  秘めた決意は、まだ胸の中に

 大会5日目。
 紫音は巧みに槍を扱う壮年の騎士に技ありの一本を取られて試合を終えた。
 村への帰り道、何度思い返してみても、あの動きをかわせるイメージが湧いてこない。
 まだまだ、世界には自分よりも強い人間がいる。
 戒めになっていい。

 ……強い人間。
 その言葉で思い出すのは、狂気を宿した金髪の剣士。
 残ってもいない傷口がズキリと痛んだ気がした。
 あんなことで、あの男が死んだとは到底考えられない。
 また……どこかで会うだろう。

 紫音はギュッと拳を握り締めて、大通りへ出ようと角を曲がった。
 ぼーっとしていたのもあって、歩いてきた水色の髪の少年にぶつかってしまった。
 その少年は、璃央だった。
 だが、紫音は面識がないので、そんなことはわからない。
 ぶつかった勢いで、璃央が腕いっぱいに抱えていた黄色い花ばかりの花束が石畳に落ちたため、紫音は慌てて謝り、花束から散らばった小さい花々を拾い集める。

 本当に、どれもこれも黄色い花だ。

 紫音は丁寧に拾い集めた花を璃央に差し出して尋ねる。

「黄色い花ばかりですね?」
「あ……色のセンスがどうのと、花屋の女性にも言われたのですが、贈る相手が黄色い花が大好きなもので……」
 璃央は少々不安そうに花束を見つめて、そう言った。

 身なりがきちんとしていて、この物腰。
 育ちのよさが窺えた。

 紫音は目を細めて笑うと、
「そうですか。センスなんて関係ありませんよ」
 と言い、花束に拾い集めた分の花を差し込んだ。

「要は気持ちです。選んでくれたあなたの気持ちが、とても嬉しいと思いますよ。そのお相手も」
 闊達な調子で話す紫音を見上げて、璃央もにこりと笑う。
 軽く会釈をして、紫音はすぐに歩き出した。
 なんというか、花の似合う少年というのも、なかなかいないものなのだけどな……と頭の中で考えながら街を出た。

 1時間ほど歩いて村に戻り、屋敷の前で真城に会った。
 紫音は屈託のない笑顔を浮かべて、真城に手を振った。

 真城も紫音に気がついて、すぐに駆けてくる。
「今日、どうでしたか?」
「ああ、負けたよ」
「え?紫音先輩が?!」
 真城が意外そうに目を見開く。

 その様子を見てつい苦笑が漏れる紫音。

 眉を八の字にして、真城に言う。
「まだまだ世界は広いね」
「あ……はい、そうですね」
 真城はその言葉に目を細めて答え、ゆっくりと空を見上げる。

 紫音の試合は第一試合だったのもあって、まだ空は抜けるように真っ青な色をしている。

「風緑の空に、爽やかな風が吹き続けることを願って」
 真城がハキハキとした口調でそう言った。

 何かを決意するかのように、眼差しは遠くを見つめているように見えた。

 紫音は疑問に思っていたことを尋ねる。
「そういえば……どうして、棄権なんて……。何かあったのかい?ケガをしたとか」
「いえ」
 真城は軽くかぶりを振る。
 なので、紫音は首を傾げた。
「じゃあ、どうして?」
「ボクは、葉歌の傍にいなければならないから」
「え?」
「……傷が癒えるのに必要な時間って、どれくらいなんでしょうね?」
 真城は目を細めて、穏やかな目で紫音を見つめてくる。

 風緑の空のように澄み切ったブルーの瞳。
 その色が寂しげに揺れているのがわかった。

「……それは、心の……かい?」
「はい。……ボクは、痛くても突っ走ってしまったり、気がつかないまま通り過ぎたり……。そうやって、先に進んできたから、よくわからないんです」
「…………。僕は、そういう真城くんの性格は爽快で好きだけれどね」
「はは、ありがとうございます」
 真城は紫音の言葉に社交辞令的な笑みを浮かべた。

 彼女にも少々心労があるように見受けられた。
 いつもなら、そんな笑顔を覗かせることなんてない。

 紫音はそうだねぇ……と呟きを漏らし、すぐに言葉を返す。
「心の傷が癒えることはないよ、きっと」
「え……?」
「癒えはしないけど、傷口の上が少しずつ丈夫になっていくんだ。その傷をがっちりと護るようにね」
「…………」
「真城くんだって、通り過ぎた傷に気がついて振り返った時、痛いんじゃないか?」
「そう……ですね……」
 真城は真面目な表情で頷く。

 紫音はふぅ……と息を吐き、続けた。
「消えはしなくても、痛みを和らげてあげたり、その傷口を保護してあげることは、他人にも出来ることだよね」
「…………」
「怪我は、医者にもかかれるけど、結局は自己治癒能力が重要だろう?でも、心の傷は違うんだよね。本人の意志も大切だけど、周囲の人間がいるからこそ埋まってゆくんだよ」
「埋まる……?」
「さっき、傷口を護る部分が丈夫になってゆくって言っただろう?それは、本人が頑なにその傷を隠そうとするからなんだ。だから、傷は見えなくなっても、痛みはそのまま残る。二度と同じ痛みを体験しない代わりに、ジンジンと心の中にあるんだ。……一番辛いことだよ。見られたくないものだから隠して、でも、その痛みに苦しくなる。一番良いのは……無意識の内に誰かがその傷を埋めることだね。えっと……さっき言った、痛みを和らげる・傷を保護するって意味……のつもり。なかなか、できることじゃないけど……さ」
「そっか……」
「でもね」
 納得する真城に紫音はすぐに繋ぎの言葉を投げ掛けた。
「相手の傷を知らないで、そんなことをするなんてのは天文学的な数字……奇跡にも近い確率だよ」

 真城はその言葉に目を見開く。
 『彼』の存在を確かに感じる今ならば、自分がどれだけのことを為せたのかが、わかる。
 真城は、何も知ることなく、葉歌を救った。
 それは天文学的な数字。
 精霊の気まぐれ。精霊の『恋』。……それは、奇跡。
 まさに、その奇跡が起こったからこそ、葉歌と真城はここにいる。
 紫音はそんなことなど知る由もないけれど。
 もしも……奇跡に護られたこの少女が、他の魂あるものも護れるのなら、それは、確率で言ったらどれほど気が遠くなる数値なのだろう。

「そう、ですよね」
「知っているからこそ、埋められるんだ」
 紫音はにこりと微笑んで、真城の肩を叩く。

 真城が唇を噛んで紫音を見上げてくる。

「心の痛みが無くなるのに必要なのは時間じゃない」
「え……?」
「時間は……感覚を鈍らせるだけさ。ちょっと大人になって、ちょっと言い訳が上手くなるだけ」
「あ…………」
「本質は何も変わっていないはずなのにね」
 紫音は額を掻いて苦笑を漏らす。

 自分の胸の中で傷が少し痛む。
 満足したと言う鬼月の言葉も、紫音にはまだ届かない。
 言葉はわかっても、どこかで自分を責めることをやめられない。
 自分は……仇さえ討てていない。もっともっと強くならなくてはいけないのに。
 時間が解決してくれる。
 本当はそうだと思う。
 けれど、自分はそれを受け入れることができない。
 それを解決と言いたくない……。

「紫音先輩」
 真城の声にはっとして寄せていた眉根を緩める。

「……なんだい?」
「1つ聞いてもいいですか?」
「ああ」

「紫音先輩は、自分の大切な人が死ぬかもしれなくて。……もしも生かすために他の人間を斬らなければいけない時……どうしますか?」
 真城の声は苦しそうに震えていた。

 紫音は即答できたが、一応考えるように顎を撫でた。
 それは真城への気遣い。
 真城がそんなことを尋ねるということは、迷っているということ。
 即答は、彼女を、傷つける。

「あ、その、斬らなければいけない相手にも色々と事情があって。……それが見え隠れしたり……その……」
 真城は眉根を寄せて付け加える。

 真城は人情派だ。剣にさえ感情を通わせる。
 紫音は、真城のそんな剣を素晴らしいとも思うけれど、時折、勿体無いなと思うこともある。
 けれど……その剣の輝きの素晴らしさはその勿体無さなんてすぐに吹き飛ばすものを持っている。

「僕だったら、斬るよ」
「あ……や、やっぱり……」
 真城はわかっていたように苦笑してみせる。

 それに対して、紫音は目を細めて言葉を繋ぐ。
「でも、その質問では誰だってそう答えざるをえないんじゃないかな」
「え?」
「選択肢がないもの」
「…………」
「迷ったら、その大切な人は死んでしまうんだろう?」
「……はい」
「多くの人間は、それを自衛行為だと言い切る」
「…………」
「それが、戦争だから。そう言わなければ辛いだけだ」
「……戒は……」
「ん?」

「戒は……自分のこと、人殺しだって言い切りました。自衛のために戦ったなんて、1度も言わなかった。周囲はそう見ていても、彼は、そう捉えてはいなかった」
「そう……。彼は背負う覚悟を、持とうとしてたのかもしれないね」
「覚悟……」
「僕には人を斬る覚悟はあっても、相手の命を背負う覚悟はない。戒さんは……すごいね」
 紫音は前髪をかきあげて、心を込めてそう言い切った。

 彼の強さがどこにあるのか、それがなんとなくわかった。
 そうしなくてもいいのに戒はずっと自分を咎人だと戒めていた。
 心までそうかはわからないが、彼は彼なりに覚悟を置こうとしていたのだろう。

「ボクはきっと……それを選び取れません」
「ん?」
「紫音先輩、選択肢がないって言ったでしょう?」
 真城はおかしそうに笑って、頭を掻いた。

 紫音は真城が言うであろう言葉をなんとなく推測できて、口元が緩んだ。

「ボクは、選択肢もないのに、勝手に……葉歌も助けて、相手も助けたいって……思ってしまいました」

 それは……真城の剣の輝きと同じ素晴らしさ。
 追い詰められた時、人間はどんなに綺麗事を言っていても、結局は紫音と同じ結論に達して……そうして逃げ切る。
 戒のように罪を被ることもあるだろう。
 この2つだって、心の強さがなくてはできないことだ。質は違うものだとしても……。
 けれど、紫音は惹きつけられる。真城の綺麗事を真っ直ぐに見つめる眼差しに。

 綺麗事などといっては、言葉が悪いか。
 それは真に心の強い者だけが言い切れる、強者の真理だ。
 それを綺麗事と言うのは果たせずに終わっていく人間達が多いから……。
 この世界は理不尽で、ままならないことが多いから、そんな言葉を口にする者は弱者だと言われたり、夢見がちな子供だと言われる……。

 けれど、本当は違う。
 真城には、紫音が惹かれて止まない、不思議な心の強さがある。
 真城はそれを自覚しない。転んでも転んでも、立ち上がることをやめない。
 理屈はない。彼女の行動に、理屈はない。
 だからこそ、彼女と関わった人は救われ、時に疎んじの感情さえ覚える。
 それでも尚、彼女のその不思議な輝きを、みんな護ろうとする……。
 彼女の強さを……仲間達は知っているからだ。

『人を殺せないお前だからこそ、護れるものがあると思う』
 戒の言った言葉は、間違っていない。
 真城は……他の誰も護れないものを護ることが出来る……。

 そんな考えにさえ及ばせてくれる何かを、真城は持っているのだ。

「真城くん」
 俯いて何か考えていた真城に紫音はようやく声を掛ける。
 それは大きな博打でもあるのに、もしも転べば、一番痛いのは真城であるのに。

「その選択肢を作り出せる人間は、一番強いよ」
 紫音は空を見上げ、ふぅぅ……とため息を吐く。

 風がさらさらと2人の髪を撫でてゆく。

「それを為すのは難しいかもしれないけれど、真城くんは、真城くんの素直さで……それを選び取っても構わないと思う」
「先輩……」
「僕に何かできることがあれば、手を貸すよ。もうしばらくは村にいるから」
 全く状況はわからないけれど、迷わずに紫音はそう言い切った。
「ありがとうございます……」
「自信を持ちたまえ。僕は、君の眼差しがすごく好きなんだから」

 紫音の言葉に、真城はコクリと頷き、目を閉じて心を落ち着けるように胸に手を当てる。

 何度も何度も呼吸を繰り返し、ゆっくりと目を開くと、そこには風緑の空のように強い青を湛えた瞳。

 紫音がニコリと笑う。

 真城もニコリと笑い、屋敷へと踵を返して戻っていった。

 紫音は背中を見送り、自宅を目指して歩き始める。

「葉歌!葉歌!!タツを迎えに行こう!!」
 いくらかの間の後に、そんな声が屋敷から聞えてきた。

 紫音はふっと笑みを浮かべる。
「君の頭上に、爽やかな風が吹き続けることを願って」
 紫音はいつも別れ際に口にする言葉をポツリと呟いた。


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