第9章  出会いの丘。はじまりの……丘

 璃央は国から届いた手紙をクシャリと握り潰した。
 緋橙国劣勢の報せ。
 璃央にとっては不穏な情報……。

「困ったものだ……。こちらが勝利のための手筈を整えてやったというのに」
 呆れたような口調でそう呟き、ため息を漏らす。

 奥歯をギリ……と噛み締め、窓の外に視線を動かした。
 もう夕暮れ時で、外はすっかりオレンジ色に変わっている。

「なんとか……御影様だけでも救い出さなくては」
 璃央は思い出したようにポツリと呟いた。

 目はとても憂鬱そうで、花瓶に挿してある黄色い花だけがそんな璃央を見つめている。
 黄色い花は香里の好きな花。
 黄色であればなんでも好きだと、彼女はそう言って笑ったことを思い出す。

「救ってみせるさ……命に代えても。代償の伴わない覚悟など、僕はしていないんだよ、香里……」

 誰に語りかけるでもないその声は、広い部屋の空気を微かに揺らす。
 デスクの上に置かれている笛に手を伸ばし、そっと持ち上げた。
 音を奏でるわけでなく、ただ笛をじっと見つめて璃央は何かを考えるように目を細める。

 その表情からは何を思い描いているのかが想像できない。
 璃央という少年は、いつでもそうだ。
 表情から考えを読み取ることが出来ない。
 それはわざとなのか、生まれついてもう癖になってしまっているものなのか分からない。

 璃央ははぁ……とため息を再び吐いた。
「化かしあいなら、僕のほうが上さ。僕にはいくつも武器が出来た。その武器が……御影様を救えるのかはわからないけれど……」
 その言葉は自分を奮い立たせる何かなのか、自分に言い聞かせるようにブツブツと呟き続ける。

「どんな罪でも背負ってみせる。彼女を生かすためなら……彼女の笑顔を取り戻すためなら、僕は……この命だって、差し出しても構わない」
 笛を再びデスクに置くと、璃央は胸ポケットに入れてある風の秘石に服の上から触れ、オーラを一気に高めた。

 璃央がふぅと息を吐いた瞬間、キラリと石が閃いて、璃央の姿が部屋から消えた。
 部屋の中に風がフワフワと漂い、しばらくすると、そこには今まで人がいたとは思えないほどの静寂が残っただけだった。





 葉歌は丘の上で木の幹にもたれてぼんやりとしていた。
 丘からは王城が見える……。
 ハタハタと城のてっぺんで旗がはためいている。
 葉歌は目を細めて俯く。

 もう、あれから一週間が過ぎようとしていた。
 けれど、自分はまだ元に戻れない。
 自分の中で何かが壊れたように、心に力が入らないのだ。
 気になるのは御影だった。
 少し時が経ったら、また葉歌を狙ってくると……そう思っていたのに、何の動きも見られない。
 これは……もう大丈夫だと思っていいのだろうか?
 そんなわけはない……。
 自分を殺さなくてはバランスが取れないと、御影の口で『黒い風』は言った。
 だから、自分は早く元に戻らなくてはならない。
 自分の中に力がある……。
 この力でなければ、きっと、『黒い風』には対抗できない。
 自分が……、自分だけが、『黒い風』を倒せるはずなのだ。
 でも、御影を殺すことが解決ではないと、真城が教えてくれた。
 では……どうすればいいのだろう……?
 どうすれば……解決になる?

「葉歌!」
 葉歌はその声で我に返った。
 ゆっくりと顔を上げると、真城が駆け寄ってきて、ハァハァと息を切らし膝に手をつく。
 ぼんやりと真城のそんな様子を見つめる葉歌。
 真城はゆっくりと顔を上げて、心配そうに眉を八の字にした。

「どうしたの?」
「いきなり、いなくなるから……」
「ああ…………大丈夫よ。ちょっと、風に当たりたかったの」
「うん、それならいいけど……」
 葉歌の表情が少しだけふんわりしていたからか、真城は安心したように目を細めて笑った。
 葉歌はそれを見つめて、小首を傾げて真城に問うた。
「ねぇ、真城?」
「ん?」
「『彼』と、話したいの。……替われる?」
「……替わるのは構わないけど……」
 真城は少し寂しそうに表情を歪ませた。

 葉歌の隣に腰を下ろして、何か考えるように中空をジッと見据えている。
「どうしたの?」
「ううん、別に」
「別にって顔してないわ」
「………………ボクじゃ力になれないのかなって思っただけ」
 言おうか言うまいか迷った後、真城はぽつりとそう呟いた。

 葉歌はその言葉にはっとする。
 一週間も真城に心配を掛けておきながら、いきなりこの仕打ちでは、自分勝手にも程がある。
 葉歌は慌てて真城のシャツの袖を掴んだが、葉歌の気持ちが言葉になる前に、真城の眼差しが鋭いものに変わった。
 すぐに優しい声。

「ハウタさん、何ですか?」
 葉歌はすぐに袖から手を離す。

 卑怯者……。言うだけ言って交替するなんて……。

「あ、えっと……あなたは、アイツの倒し方を知っている?」
 葉歌は髪をそっと掻きあげるとそう尋ねた。

 『彼』はうぅん……と唸り声を上げ、すぐにコテンと葉歌の肩にもたれかかってきた。
 『彼』は精霊の姿の時にあかりにしていたように動いているだけのつもりなのだろうが、それに慣れていない葉歌はビクリと体を震わす。

「ちょ……」
「ごめんなさい」
 慌てて除けようとする葉歌を他所に、『彼』は小さな声でそう言った。
 それは葉歌の耳にだけ聞える微かな声だった。

 風が丘を吹き抜けていく。

「アイツはぼくより階級が上で、能力的にも敵わないんだ。マシロのおかげで少しだけパワーアップできてるけど……それでも、勝てるかはわかりません。マシロは強いから、ぼくは力を貸すだけ貸して、きみを護ることしか考えていない」
「…………」
「こんなことは通例なくて……人間に寄生した妖精をどうすれば取り除けるのかも、わからない」
「……じゃ、あなたは……もしも、わたしを護れたらどうするつもりだったの?」
 葉歌は真城の髪をそっと撫でて、優しい声で問いかけた。

 すると、『彼』はピタリと言葉を止めた。

 風がフワフワと葉歌の髪を揺らし、少しの間とともにゆったりとした時が流れる。

 『彼』はぽつりと呟く。
「そんなこと、考えてもいなかった……」
 と。

 葉歌はきょとんとして、真城の顔に視線だけ向けた。
 真城の顔で『彼』はうっかりしてたなぁと言いたげな表情をしている。
「ぼく、必死だったから……先のことなんて全然考えてなかった」
「え?それじゃ……」
「あ、ううん! ぼく、返すよ。全て終わったら、ぼくは、自分の意志で消える」
「……え……?」
 サラリと言ってのけた『彼』に、葉歌は驚いて静かに声を漏らした。
 消えると言った。こんなにも簡単に……。
 『彼』はずっと傍に居てくれるものとばかり思っていたのに。

「そっか。自分の意志でなら離れられるんだぁ。アイツ……うぅん……でもなぁ、それは無理かなぁ」
 ぶつぶつと呟きながら、『彼』は王城を見据えた。

 葉歌もつられるように王城に視線を動かす。
 城のてっぺんの旗はまだはためき続けている。
 葉歌はまだ『彼』の言葉が頭の中をグルグル回っていた。

 消える。元の状態に戻るんでもなく、『彼』は消えると言った。

「ハウタさん」
「何?」
「ぼく、ずっとずっと夢がありました」
「どんな?」
「ぼくはあかりの魂と寄り添っていたかった」
「…………」
「あかりの魂は……とても清らかで温かくて、ぼくにとって、とても心地良いんです。精霊が心地良いなんて感じる魂はそんなにはありません。特に風属性は、みんな気ままで……人間になんて執着することもないんです」
「それ……」
「それでも、ぼくは……あかりの……ううん。ハウタさんの魂の傍に居て、あなたを今度こそ護ることが出来たら……、もう後悔も何もなく、精霊として消えられる」

 『彼』はゆっくりと頭をもたげて、葉歌に対して正面の位置に移動した。

 真っ直ぐな瞳が、葉歌を捉える。

「強がりなところも、純粋なところも……何も変わっていない。そんなことを言ったら、ハウタさんは嫌がるのかな?あなたは、あかりが嫌いみたいだ」
「嫌いなわけじゃ……」
「そう?」
「……わたし、我が強いでしょう?」
「そうかな?芯は強いかなぁって思ってたけど」
「そうなのよ」
「へぇ……、で?」
「耐えられなくって」
「ん?」
「あかりの記憶って、わたしの弱さを見せ付けられているようで……耐えられないの」
「…………」
「子供の頃、少しだけ夢に見たの。でも、辛くて苦しくて、もう見たくないって心の中でずっと呟いていたら、いつの間にか、その夢を見なくなった」
「ハウタさん……」
「わたし、知らない内に、前世の夢見ちゃってた……」
 クスクス……と葉歌は笑い声を漏らした。自分でも何がおかしいのかよくわからない。

 葉歌は一通り笑い終えると、ゆっくりと目を細めて、風の流れを肌で感じながら続ける。

「アイツに体を乗っ取られているあの子は……きっと、わたしほど我が強くなかった。わたし、色々と運が良かったのよ。環境も、出会う人間も……全て、運が良かった。運だけに恵まれて生きてきた」
「それだけのことを、あかりはしたのだから当然だよ」
「え?」
「因果は巡る」

 真城の顔で『彼』は大人っぽく笑った。
 『彼』が手を差し出すと、その手の平にフワフワと風が集まってきた。

 葉歌はそれを見つめて首を傾げる。

「?」
「あかりが苦しんだ分だけ、ハウタさんに幸せが訪れるよう。ぼくはそのバランスを整えてみせる。ぼくに一欠けらでも神になれる素養があるのなら、たった一人の人間の魂のバランスを整えることだって、きっとできるって思うんだ」
「……『御影』は……苦しんだまま……」
「救ってみせるよ」
「…………」
 『彼』の言葉に葉歌はきゅっと拳を握り締めた。

 葉歌の顔を見て、『彼』はゆっくりとその体を抱き寄せる。
 それは、いつもあかりを包み込んでいた時のように、ふわりと優しかった。

 風がザザザザ……と丘の上を駆けてゆく。

 ここで、あかりは『彼』に出会った。
 『彼』はここで人間の温かさに出会った。
 全てが……ここから始まった……。
 悲しみも、幸せも、友情も恋も……何もかも、全て、この丘から始まった。
 『彼』の見せる感情は、恋慕にも似て……それでいて、父母のような情愛を感じさせる。
 だからかもしれない。怖いと思わない。
 『彼』は魂で葉歌を見ている。
 それは人間的な恋愛の情とは若干違う。

「触れることが許されるって……とても幸せだけど、どこか悲しいね。あなたのぬくもりは、魂の放つ温かさには敵わないもの。教えてあげたいよ、あなたの魂がどれだけ温かいのかを……」
「フウタ……」
 真城の胸の中でポツリと葉歌は呟いた。

「え?」
「風の歌で……風歌」
「?」
「名前、つけてなかったなぁって思って」
「……ああ……」
「わたしの生まれた村では、『歌』って字はとても尊ばれていたのよ」
「知ってます」
「そうね。ふふ……こんな名前でいいかしら?」
「ポチでも、キミカゲでも、カイでもいいって言ったでしょう?」
「あの……前も思ったけど、なんで、そこで戒の……と、遠瀬くんの名前が出てくるの?」
「別に」
 風歌はニッコリと微笑んで、それ以上は何も言わなかった。
 なので、葉歌は困ったように眉をひそめて俯く。

「可愛いよ、ハウタさん」
「え?」
「彼と話している時のあなたは、とても」
 さらりと言ってのけてしまう風歌の表情に、葉歌は顔が熱くなるのを感じた。
 血色の悪い自分の顔が、絶対に真っ赤になっているのがわかった。

「ちょ……」
 葉歌が文句を言おうとした途端、クラリと真城の頭が揺れて、葉歌の膝にパタンと倒れこんできた。

 すぅすぅと軽い寝息の音。

「に、逃げたぁ……」
 葉歌はため息を吐きながら、熱くなった顔を冷ますように、パタパタと手団扇で扇ぐ。

 真城の体を少しだけ動かして直してやる。
 葉歌は真城の寝顔を見つめたままで、風歌の言葉に唇を尖らせる。

「……そんなんじゃ……」

 気分転換に来た丘。
 少しだけ元気になったけれど、結局解決策は見つからない。
 風歌の言葉に護られているわけにはいかないのだ。
 自分は、護られるだけの存在にはなりたくない……。
 目を閉じると、風が収束してくるのを感じた。
 戦うだけの心構えを、もう1度整え直さなくてはいけない。

「護るからね、真城……」
 覆い被さるように真城を抱き締める葉歌。

 香里の背中がちらつく。
 約束を守るからと言って、……真城まで消えてしまいそうで、不安で不安で仕方ない。
 風歌の『消える』という言葉を聞いて、余計に不安が込み上げてくる。

 真城の首には、葉歌が渡したお守りが下がっていた。
 紐の色は変わっていたけれど、自分が渡した物だということはすぐにわかった。
 押し花を入れた袋はうっすらと血の色で色が変わっている。

 葉歌は目を細めて、そっとお守りに触れた。
 真城が刺されて消えてしまった、あの時のことを思い出す。
 真城も風歌も……考え無しに動きすぎる。
 だから、余計に怖い。

「今度は、わたしも、頑張る。もう、こんな辛いのはたくさんだもの……」
 誰に言うでもなく、葉歌は自分に言い聞かせた。

 立ち止まっている場合じゃない。
 もう進むしかない。
 自分が生きるために、大切な人を護るために、自分は挫けている場合じゃないのだ。
 それは……あかりと同じ状況だ。
 偽善的で鼻につく性格だと、葉歌はずっと思っていた。
 けれど、今なら少しわかる気がした。
 彼女はそれを義務感のように感じていたけれど、自分はそうはならない。
 みんなを護ることが、自分の世界を護ること。
 今、胸の中で眠っている親友とともに居ることが、葉歌の、幸せ。

 失くさない。
 見失わない。
 そのために、自分は生きる。
 命に代えてもなんて言わない。
 それがどれだけ悲しいことなのか、葉歌はわかっているから……。


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