第2章  不穏な空気

『親父はなぜこんなものを作っておるのだ?』
 まだ鬼月が完成していなかった頃、キリィは不思議そうに首を傾げて、父の作業風景を見つめていた。

 大きな金属の塊。
 まだ機械いじりの知識を持っていなかったキリィの目にはそうとしか映らなかった。
 いや、この国に住まう全ての民もそう思うに違いない。
 その技術は両親の生まれた国にのみ存在していたらしい。
 今から考えると、それはなんと高い知識と技術を備えた文化だったのだろうと思う。

『父さんは罪を犯してでも、欲しいものがあるのじゃよ』
 父は悲しそうな笑顔でいつもそう言うだけだった。

 その言葉の意味を、キリィは年を重ねていくうちに理解した。
 父は……母の魂を欲しているのだと。
 良き父であった彼が持っていた歪んだ部分。
 父は……母の死を受け入れることが出来なかった。
 どんなに冗談を重ねても、父が新たに嫁を取らなかったのは……彼女以外愛せなかったからだ。

 それはとても尊いけれど、なんと悲しい恋だろうと……。
 キリィは父亡き後、目を細めて父の墓前に立ち、思いを馳せることがあった。
 鬼月に魂を見る力があると分かった時、その思いは余計に強くなった。
 父は母の魂を、鬼月に探させるつもりでいたのだ。
 けれど、その夢は叶わずに終わった。

 母の魂を入れるために作られたカラクリは、中途半端のまま地下室に眠り、キリィも12年という短い人生を、あの地で終えた。
 そして……あの地を700年の間守っていた護人(もりびと)も、ようやく眠りについた。
 あの地は……ようやく静かになる。
 そう思ったというのに、キリィの器である紫音の心は乱れたままだ。

 キリィは紫音の体を使い、鬼月の設計図を書き上げていく。
 時々彼の体を借りることが出来るのは、キリィとしては好都合だったが、本当はこの図を書くことには躊躇いがあった。
 どうやら、この時代ではもう廃れてしまった(整備はできても造れる者がいない)技術らしい。
 それをこんな風に形にしてしまうのは、あまりいいことではない気がするのだ。
 けれど……まだ、鬼月の核となっていた黒い塊がある。

 キリィは机の上に置いてある核を見つめてため息を吐いた。
 使うか使わないかは、後で考えればいい。
 どうせ、使える部品はほとんどないのだから。
 ある程度形になったところで、紙を折りたたみ、核と一緒に紫音のジャケットの胸ポケットに入れた。

「わしも、父と大して変わらぬのかもしれんな。紫音の怒りが、分からぬ訳でもないのじゃ。……ただ、護れなかった無力感が先に出るようなことがあれば、わしは意地でも止めるからな」
 キリィはランプの灯りを消すと、ゆっくりとデスクに突っ伏して眠りについた。





 真城と葉歌は、屋敷に戻る道すがら紫音に会った。
 紫音は二人の顔を見ると爽やかに微笑んで駆け寄ってきた。
 腰から下げた大剣がカチャカチャと音を立てる。

「星の綺麗な夜だね」
 第一声はそれだった。

 葉歌は紫音の顔を見上げて笑い返す。
 真城もすぐにそれに続いた。
 けれど、紫音は葉歌の笑顔を見て、コホンと咳をし、何か考え込むように目を逸らしてしまった。
 真城が横で不思議そうに首を傾げている。
 葉歌も同様に首を傾げた。
「どうかしたんですか?紫音先輩?」
 真城がすぐに尋ねた。すると、紫音はすぐに手を横に振った。
「や、なんでもない。前にも、こんなことあったなぁ……と思っただけだよ」
「こんなこと?」

「ああ。二人が手を繋いで歩いてて、そこにちょうど僕が通りかかった。場所もこの辺りだったよ。……確か、10年くらい前。葉歌さんの体調が良くなったころだった」
「…………覚えてる?葉歌?」
 真城は思い出そうとしたのか、数秒悩むような顔をした後、葉歌に振ってきた。

 葉歌は心の中で、こっちに振らないでと呟きながら、申し訳ない表情で紫音に返す。
「え?あ、ご、ごめんなさい、紫音くん。……覚えてない」
「いや……別に、覚えてるか聞いたんじゃないんだよ。ただ、そういうことがあったんだよって言っただけ。僕、記憶力には自信があるのさ」

 少しだけ残念そうに目を細めたけれど、紫音はなんでもないようにお茶目に笑った。
 すかさず、葉歌が茶々を入れる。

「そうじゃないと女性と仲良くなれませんもんね?」
「そうそう。女性は情報の要だからね。どこに行っても仲良くしておくことに損はない……って、なんだか、今の言い方には含みがあるように感じたけれど?葉歌さん」
「ふふ……だって、紫音くんはすけこましでしょう?」
「すけこまし???」
 葉歌の言葉を聞いて真城が不思議そうに首を傾げる。
 紫音はそれを聞いて驚いたように目を見開いた。
「どこからそんな情報を?!」
「え……?だって、見るからにそうじゃないですか。真城派、紫音派って紫音くんがいた頃は派閥が分かれてたくらいだし」
「ああ、すけこましってそういう意味かぁ」
 わかったような表情で笑う真城。たぶん、わかっていないのだけれど。
「結構色々な女性と仲良くしていたようだったので、そうなのかなぁと思ってたんだけど……?」
「あ、あのねぇ……。僕は単に話し相手をしていただけで」
「紫音先輩、話しやすいもんね。快活で話も振ってくれるし」
「そうだろ?」
 真城の言葉でほっとしたように紫音が笑う。

 葉歌と目が合うとすぐに困ったような表情をする紫音。
「全く、今日は真城くんじゃなくて、僕が玩具かい?」
「え?おもちゃだなんてそんなこと思ってませんよ?」
「まぁ……そのくらいの元気があるのなら、もう心配は要らないだろうね。よかったね、真城くん」
「はい」
 紫音は葉歌の顔色を窺うようにカンテラの明かりを近づけて笑った。

 すぐに真城が元気に返事をすると、その様子を見て、葉歌は苦笑を漏らした。
「……なんだか、色んな人に心配かけてたみたい……」
「当たり前だよ」
「心配しないわけないだろう?」
 すぐさま、真城と紫音の言葉。

 ……本当に自分はどこまで恵まれているのだろう……。
 葉歌の心をそんな言葉が駆けた。
 葉歌は目を細めて、そっと横髪をかき上げる。

 真城の手のぬくもりが伝わってくる。とくんとくんと鼓動とともに。

 目を上げれば、女顔の美青年が笑っている。
 彼の眼差しに含まれるほのかな感情を知っていながら、葉歌はいつも無視をしていた。
 ……それが、優しさなのだと、彼も葉歌もわかっているから。
 その気持ちに応えることはできないし、彼もそれを知っているのだ。

 しばらくとりとめのない話をしていると、前方から誰かが駆けて来る音がした。
 葉歌がすぐにポツリと呟く。
「兄ぃ……」
「え?」
 真城がその言葉にすぐ顔を上げる。

 夜目が利かないのにカンテラも持たずに慌しく駆けて来る月歌。
 葉歌は握っていた手を離して、真城から少しだけ離れた。
 紫音もすぐにくるりと振り返り、後ろに一歩下がる。

 結構速いスピードで走ってきたにも関わらず、月歌は息も切らさずに、三人の前で立ち止まった。

「どうかしたの?」
 葉歌がすぐに尋ねる。
「丘に、たっくんと智歳くんはいませんでしたか?」
「……ずっと丘にいたけど、見てないわよ」
「……そうですか。どこに行ったんでしょう……」
「いないの?」
 困ったように顔をしかめる月歌に今度は真城が尋ねる。
 月歌はぽりぽりと頭を掻くと「はい」と答えてきた。

「たっくんは、また森の中でも駆け回ってるんじゃないの?この時間に帰ってなくても珍しいことじゃないわ」
「ああ……ですが、智歳くんは?朝からずっと見ていないんですよ」
「あの2人、友達みたいだったから、一緒なんじゃないのかな?」

 心配そうにしている月歌を尻目に、葉歌と真城は少々気安い感じで答える。
 それでも、月歌は落ち着かないように目を細めたり、首をさすったりしている。

「……なんとなく、朝から胸騒ぎがしているんですよ」
「え?」
「智歳くんが屋敷に来た時から……気になってはいたんですけどね」
「何?」
「智歳くんは……復讐をしたいんじゃないかな……と」
「復讐……?」
「……彼は、お姉さんを殺されたのでしょう?」
「…………」
「背が低いこともあって見た目は確かに幼いですが、話してみるとこちらが舌を巻くほど賢い少年でした。賢さは……時に害となります。それに、屋敷にいる間、彼が読み耽っていた本は……魔力増幅のための本のようでしたし」
 月歌はかちゃりと眼鏡を掛け直して、苦虫を噛み潰したような表情をした。

 真城が横で困ったように眉をひそめる。
 葉歌は目を細めて、風に語りかけた。
 反対側で紫音が困ったように髪をかき上げる素振りをした。
 おそらく、彼だけ話を理解していない。
 当然だった。今回の件には、彼は関わっていないのだから。

「で、でも、そんなまさか……」
「……正直な話をしていいですか?」
 月歌は葉歌を見つめながらそう言った。

 視線は葉歌だったが、問いかけた相手は真城だった。
 真城は静かに月歌を見上げているだけ。
 葉歌も意識だけ風の声に向けた状態で、そっと月歌のことを見つめた。

「私も、葉歌がいなかったら、これほど穏やかな人間でいられたかわかりません」
「…………」

 その言葉に真城が言葉を失う。
 葉歌は兄が言うとは思いもしなかった言葉に、集中力が途切れそうになった。

「護るべき人を失った人間は、何をしたっておかしくないんですよ。その人が大切であればあるほど、抱えていた想いが大きければ大きいほど……。だから、考えられないことではないんです」

 その言葉を言った時、紫音の表情がぴくりと動いた。
 それはとても微かで、その場にいた誰もが気がつかないほどの動き。

「まさか、それにタツもついていった?」
「たっくんは、智歳くんのお姉さんのこと、好きなようでしたから……ありえないことでは……」
「そんな……タツはそんなヤツじゃない」
「真城様、たっくんを信頼するお気持ちは分かりますが、忘れないでください。まだ、あの子は子供です」
「タツは、ボクよりも命の重さをよく知っている!」

 けろりとした顔をしていても、森の中で動物の屍骸を見つけると、静かに手を合わせる。
 龍世はいつも失われた命に対して祈りを捧げることを忘れることがなかった。
 その度に、真城は、自然との共生を当然とする木こりの精神を龍世が持っているのだと感心していた。

「わかっています。けれど……私でも、真城様が……。真城様や葉歌に何かあったら、何をするかわかりません。今までは……何かあったかもしれない……それだけだったから、たっくんも楽天的でしたが、今回は……答えを突きつけられています。間違いがないとは言い切れない」

 智歳も龍世も……本当の黒幕を知らない。
 怒りの矛先を、そのまま御影に向けてしまったとしても、おかしくはないということか。

「…………。龍世……」
 真城は唇を噛み締めて俯いた。

 その後、すぐに葉歌の耳に風の声が届いた。
 さわさわと木々を揺らし、葉歌に場所を示す。

「見つけた……!」
 その言葉にすぐに真城が顔を上げる。

「どこ?!」

「王都……誰か……金髪の男の人と、戦ってる」

「東桜さんか!?」
 真城がすぐに屋敷へと駆け出した。
 真城は剣を持っていなかった。おそらく、取りに戻るつもりなのだと思う。

「真城様……!!」
 月歌がすぐに振り返って、真城の腕に手を伸ばした。
 しかし、走るのさえ、わずらわしくなったのか、真城は風跳びで一瞬にしてその場から消えていった。

 月歌が真城の腕を掴もうとした瞬間の出来事だった。

 月歌が悔しそうに顔を歪め、俯く。
 葉歌はそれを見上げて、とにかく後を追わないと……と言おうとした時、紫音がぽそりと呟いた。
「東桜?……アイツが……いるのか……」
 葉歌はいつも優しい声を発する紫音の声ではないものを感じて、すぐに紫音の横顔を見た。
 月明かりとカンテラの明かりに照らされた彼の表情は、いつにもなく、険しい顔だった。

 それを見て戸惑いながらも、葉歌は二人に言った。
「人は……多いほうがいい。行くのなら、二人とも傍に。あまり範囲を広げると、わたしの体がもたないみたいなの」

 その言葉に二人は迷いなく歩み寄ってきた。
 何も知らない紫音を巻き込むことは気が引けたけれど、今はそんなことを言っている余裕がなかった。
 風がざわざわと騒ぎ、緑色の輝きが発されるとともに三人は姿を消した。
 そこに残ったのは……風で舞い落ちてきた木の葉数枚のみ……。


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