第5章 紅 VS 蒼 真城はジリジリと間合いを詰めながら、ゆっくりと剣先を上げてゆく。 戒にとって、リーチの長さなんて問題にはならない。 そんなものを皆無にできるほどのスピードがあるからだ。 「……暴走しないように抑えるので精一杯だ。手加減できないから覚悟してくれ」 「手加減なんて、はなからしないだろ?」 「違いない」 戒は真城の言葉にフッと笑みを浮かべ、次の瞬間勢いよく床を蹴った。 間合いが一気に詰まり、拳が真城の肩にめり込んだ。 「っ……かはっ」 剣の間合いなんて恐れもしない。 この躊躇いのない鋭さが……戒の強さなのだろう。 真城は懸命に後ろにステップを踏んだが、戒はそれに素早くついてくる。 いくらか退くと、壁に背中がぶつかってしまい、真城は舌打ちをして、素早く剣を振り下ろした。 上段から振り下ろした後、隙ができるのが、真城の癖。 月歌の言葉が頭を過ぎる。 「そんな腰の入ってない攻撃が当たるか……!」 戒が素早く足を振り上げる。 威力もスピードも、先程以上に上がっている。 まともに攻撃を受ける訳にはいかなかった。 反則かもしれないけれど……。 そんな言葉を心の中で呟き、真城は風の力を引き出して、風跳びで移動した。 戒の後ろに回りこみ、蹴りを空振りして隙だらけの戒の頭を思い切り掴み、壁にガスンと押し付ける。 「ぐっ……」 ドゴッという鈍い音とともに戒の頭から血が滴る。 それでも、戒の視線は真城を捉えていた。 「……はじめから使えばいいのに」 血を流しながらも、言った言葉はそれだった。 「だって、反則じゃないか、こんなの……」 「……それを言ったら、僕の力もそうだ」 「戒のは……」 「力は、引き出せる限りのものを使う。それは反則なんかじゃない。己の中の力は、全て自分のものだ。反則なんていうのは、ルールのある甘い試合だからで……今の闘いに、そんなものは関係ない」 「戒……」 「まったく……。相変わらず、甘いな」 真城が目を細めて戒の頭を握る力を弱めると、戒はすぐに真城の腕を振り払って真城の顔に裏拳をぶつけてきた。 今度はきちんと反応して、衝撃を少しだけではあるが和らげる。 戒はぐいと滴る血を拭うと、静かに口を開いた。 「譲れないものがある。だから、闘うことになるのは仕方がない。……お前は納得したんだろう?」 戒は苦しそうに目を細めてそう言うと、戒の青い光が少しだけ弱まった。 「……戒」 「躊躇うなら、お前はここに来るべきじゃなかった」 「…………」 「お前が躊躇うと、僕まで手が出せなくなる。大切な人を護ることに……躊躇いなど覚えるな」 戒は顔をしかめて真城のことを睨みつけてくる。 真城はゆっくりと間合いを広げながら、肩の痛みが引くのを待っていた。 戒は葉歌に一瞬だけ目をやり、すぐに拳を握り締める。 「邪魔の入らない闘いなんだ。お前が……リタイアなんて結末は、なしだ」 「ずっと……」 真城は言葉を口にしようとしてやめた。 ずっと闘ってみたかった。 そんな言葉を、闘いに水をさした自分が言うべきではないと……そう思ったからだ。 「お前の試合を見た時、コイツともう一度闘いたいと、思った。ツグタとの試合だ……。アイツの強さはなんとなく感じ取っていたが、大人ぶるから虫が好かなかった。だが……、お前の本当の強さを引き出したこと、そこには感謝している」 「…………」 同じことを、戒も考えていた。 ……きっと、武術をたしなむものとして……この気持ちは一緒なのだ。 けれど、それでも……大切な友達への想いが邪魔をする。 決意がすぐに弱まってしまうのは……戒だからだ。 それでも、自分はこの闘いを受けた。 駄目だ。 怖れるな。 躊躇いは……裏切りだ。 立ち止まるわけにはいかない。 みんなを……救うと決めたのだから。 この先に……龍世たちがいるかもしれないのだから。 「ごめん、戒」 「…………」 「今度は……手を止めないから」 「ああ、そうしてくれ。僕も容赦しない」 戒は真城の言葉ににぃと笑みで答え、すぐに壁を蹴って懐に入ってきた。 真城は慌てずに戒の攻撃を膝で蹴り上げ、体勢が崩れた瞬間、素早く剣を振り下ろした。 戒もそれに素早く反応して、両腕の手甲で受け止めてくる。 何度も何度も激突して、何度も何度も凌ぎあう。 真城の剣が戒を捉え、戒の拳が真城を撃つ。 実力はほとんど互角だった。 動きに無駄がなくタイトな攻撃をする戒と、かわしきれないと悟った瞬間に風跳びでかわし、臨機応変な剣さばきを見せる真城。 特異な力を発揮する真城だからこそ互角なのであって、まともに打ち合っていたら、確実に戒の勝ちだろう。 それでも……戒の言葉を借りるなら、これが実力というものなのだ。 「……味方でいると頼もしいけど、やっぱり、敵にはなりたくなかったよ……」 ゼェゼェ……と肩で息をしながら、真城が搾り出すような声でそう言った。 風跳びの使いすぎだろうか? 疲労がいつもよりも早く体を支配し始めた。 風歌の力とはいえ、真城の体を媒介にして使っているのだから、疲労は当然ある。 けれど……ここまで影響が出るものだとは、考えてもいなかった。 「打ち止めか?」 戒はそれを見ても手を止めなかった。 素早く真城の後ろに回りこみ、腰を両腕で抱きこむとそのまま持ち上げて、床に叩きつけようとした。 真城は素早く体をひねり、かかとで戒の鳩尾を蹴りつけた。 痛みでもつれた体ごと二人は床に倒れこみ、真城はすぐに戒から離れる。 戒も素早く跳ね起きて、真城を見据えてゆらりと体を揺らす。 剣を……せめて戒に当てなければ、勝てない。 今のところ、全てかわすか、手甲で受け止められていた。 それがどれだけすごいことなのか、真城はわかるつもりだ。 剣をゆっくりと下ろし、体にかぶさるような位置まで下げる。 飛び出して一撃で決める……。 それは、真城が得意とする先制攻撃。 けれど、戒には先ほどかわされている。 決まるかどうか……自信はない。 ジリジリと間合いを詰め、二人の呼吸が重なった瞬間、二人は同時に飛び出した。 真城の剣が確実に戒のわき腹を捉えた……そう思った瞬間、戒は手甲でそれを弾き、飛び出しの勢いを利用して頭突きしてきた。 何度も何度も集中的に頭を狙われていたのもあって、真城は堪らず吹き飛んだ。 攻撃で体重が前に乗っていた分、ダメージが尋常じゃなかった。 グラグラと視界が揺れる。 戒が真城の体に馬乗りになったのが、体にかかった重圧で分かった。 「か……い……」 「勝負あったな」 「……終わりじゃ……ぬぁい……」 痛みで意識がぐらついているため、ろれつが上手く回らない。 真城の答えに、戒はすぐに拳を振り上げた。 バシンと一発、二発。 殴られる度に、頭の中がパチパチッと音を立てて白む。 「この状態から、起死回生はないだろ」 「それでも……」 「帰ると、言え!」 「……いや……だ……」 真城は腫れ始めた右目を無理やり開いた状態で答える。 容赦しないと言いながら、戒の心にも、躊躇いがある……。 きっと、出会った頃の戒なら、真城を殺せただろうに。 「勝ちたかったら、ボクを……殺すしかないよ」 「バカヤロウ!!」 戒が真城の言葉に思い切り叫び声をあげた。 ポタポタと、真城の頬に雫が落ちる。 「……お前が、あかり様を護って、僕が……『御影』を護って。……それでいいじゃないか!何がいけないんだ?!護る者さえ隣にいれば、もう、間違いは起こらない!!」 その瞬間、ぼんやりとしかけていた思考回路で悟る。 戒が……『あかり様』という言葉を使ってくれたおかげだ。 真城の護りたい御影と……戒の護りたい『御影』は……違う。 戒の護りたい『御影』は……葉歌が案じていた『御影』のほうだ。 ようやくわかった……。 ……わかったからどうなるかと聞かれたら、なんとも言えないけれど、戒の選んだ譲れないものが何なのか……? それが……ようやくわかった……。 「か……い……」 真城は戒の頬に手を伸ばす。 けれど、体が言うことを聞かず、そのまま意識が朦朧としてきた。 駄目だ……。気絶したら、負けに……なって……しま……う……。 このままじゃ駄目だ。 このままでは駄目なのだ……。 だって、ずっと……その人の隣にいることなんて、できないではないか。 戒は……一生を全て賭けてでも、『御影』を救おうとしている。 どんなに長い時がかかっても……だ。 けれど……それは、背負わなければならないものじゃないはずだ。 生まれ変わるというのは……罰なのかもしれない。 でも、救いでもあるはずじゃないか。 頬に手が届かずに、戒の服をきゅっと握り締めるだけ。 『なんだ、情けない。お前はそんなものか』 突然、心の内側で、そんな声がした。 風歌の声じゃなかった。もっと……低い……声。 『だ……れ……?』 『折角ゆっくり眠っていたんだ。しっかりしてくれよ』 『…………』 『あかりを、泣かすな』 『……葉歌の……こと?』 『……こんな結果は不本意極まりない。キミカゲなんぞに負けやがって』 『あなたは……?』 『命を奪えない人間を器にすることになったのは、オレ自身の咎だと思って受け止めてやったというのに。あかりを護れないなら、任すんじゃなかった』 『だ……れ……?』 『オレか?オレの名は……』 赤い光が、真城の心の中を照らす。 ぼんやりと長身で剣士のシルエットが浮かび上がり、次の瞬間、真城の体に異変が起こった。 閉じかけていた目が、カッと勢いよく開く。 「セージ」 真城の声が1オクターブ低くなり、彼の名を発した。 異変に気がついた戒が素早く飛びのく。 ゆらりと……真城は立ち上がった。 「この気配は……」 戒は苦虫を噛み潰したような表情で、真城を睨みつけてくる。 真城の体の異変は止まらない。 眼差しは険しいほど鋭くなり、色素の薄い髪が光に透けると赤く見えるようになった。 「キミカゲ、お前、いい加減にしろ」 真城の表情ではなかった。 怒りを抑えきれないように眉間に皺を寄せて、そう言うと、床に転がっていた剣を拾い上げる。 「軽い剣だが……まぁいい」 柄から切っ先までマジマジと見つめた後、真城は床を蹴って戒の間合いに飛び込んだ。 激しい突きが戒の肩に突き刺さる。 「っ……!ぐああああっ!!」 普段、あまり苦悶の声を露わにしない戒の断末魔が室内に響き渡る。 突きの勢いは激しく、戒の体を突き抜け、そのまま壁に突き立てられた。 戒の体から発せられていた光が徐々に弱まって、しばらくすると、普段の戒に戻る。 剣で体が動かせない状態で、戒の顔に脂汗がにじみ出る。 「さぁ、止まったぞ、あかり。お前から説明してやれ。コイツは、状況を分かっていないようだ」 涙を抑えるように顔を手で覆っていた葉歌が、その言葉で真城に視線を寄越す。 けれど、すぐに戒を心配そうに見つめ、言葉がないように動かない。 「大丈夫だ。筋肉や骨は避けて突いた。お前の回復ですぐ直る」 「……セージ……様……?」 「ああ、一応は……な」 「…………」 「すまん、今のお前は……オレを好まないか?ならば、余計なことをしてしまった」 言葉の出ない葉歌を見て、本当に申し訳なさそうに真城はそう言う。 葉歌がようやく首を横に振った。 「嫌な役は……いつもあなたが負ってくれましたから」 だから、今回も堪えきれずに出てきたのでしょうと、葉歌は言いたげな顔をした。 「…………。それがオレの仕事だ」 葉歌の言葉が嬉しかったのか、真城は鷹のように鋭い眼差しを緩ませて笑うと、その場にへなへなとへたり込んだ。 セージが中に戻ってゆく。 髪も目も……元の真城の状態に戻った。 『勝手なまねをして悪かった。これでは、風のクソガキと何も変わらんな』 セージの呟きはそれだけで、すぐに探し当てるのは難しいほど深層に引っ込んでいってしまった。 「真城……疲れているところ悪いのだけど、剣を抜いてあげて……」 葉歌は真城の手を優しく取って、ゆっくりと立ち上がらせてくれた。 真城の怪我も相当だが、戒は剣を突きたてられたまま動けずにいる。 いくら筋や骨を避けて刺したといっても、抜けば出血がひどくなるかもしれない。 「……ちょっと痛いけど、我慢してね?」 葉歌が優しく戒に声を掛け、戒は虚ろな表情でコクリと頷いた。 真城はすぐに柄に手を掛け、傷口以上広がることのないように、丁寧に丁寧に少しずつ引っ張った。 痛みが走るのは当たり前で、引っ張るたびに戒は苦しげにくぐもった声を漏らす。 苦戦すること15分。 どうにかこうにか引き抜くことに成功した。 「っ……はぁはぁ……」 戒は肩を押さえて足をふらつかせる。 それを真城が支えようとしたけれど、それよりも早く葉歌が戒の体を抱き留めて横になるように告げた。 横になって目を閉じている戒の肩に手を当てて、直接圧迫で止血しながら回復をかけてゆく。 真城は壁にもたれて座りながら、その様子を見つめていた。 風歌が気を利かせたのか、真城の体の傷も時間が経つごとに少しずつではあったが回復していく。 風跳びを使いすぎたせいか、完全ではないけれど、とりあえず、顔の腫れと頭の痛みだけはなくなり、真城はほっと胸を撫で下ろす。 「戒、治りそう?」 「……このくらいなら大丈夫」 葉歌は時折落ちてくる横髪をうざったそうにかきあげながら治療を続けていた。 少しずつ戒の呼吸が落ち着いてくる。 すると、葉歌はゆっくりと口を開いた。 「戒……聞いてほしい話があるの。……それを聞いても、わたしの……わたしたちの前に立ちはだかるのなら、その時は、わたしが相手をします」 葉歌の表情に少しだけ変化があった。 ……いや、もっと早くに気がつくべきだったか。 セージの問いに答えたあの時から、彼女は……。 「……あかり……さま……」 戒がぼんやりと目を開けて、そう呟いた。 その声を受けて葉歌は戒の頬を優しく撫でる。 「強くなったね。……それは認めるけれど、駄目だよ?」 「…………」 「わたしとセージ様、あなたと『御影』……そうやって分かれちゃうの、わたし、もう嫌なの」 「だって……それしか……ないじゃないか……」 「それしかないなんて言いたくないよ。だって、まだ事態は進行中なんだもの。勝手に終わりと決め付けないで」 「あかり様……変わった?」 「わたしの今度の器の子は、とても心根の強い子で……、『御影』みたいな子で……わたしも、少し見習おうと思ったの」 葉歌は可愛らしい声でそう言うと、小首を傾げてニコリと笑った。 傷の塞がった戒がゆっくり体を起こして、真城の横の壁にもたれかかる。 「大丈夫?」 真城はすぐにそう尋ねた。 戒は複雑そうな表情で真城を見ると、ふぅ……とため息を吐いた。 「……お前が……な。僕は、あの人に憧れを抱きながらも、嫌いだったというのに。赤い髪も、大人ぶった押し付けがましい言い方も……嫌いだった。それが……お前かよ。分かる訳がない」 それはまるで……他の者に目星をつけていたのに、それもことごとく外れていた自分に呆れるかのような声だった。 「……キミカゲくんが、一番分かりづらいのに?」 葉歌の声でおかしそうにあかりが笑う。 「環境が違う。違うのは当たり前だ」 「そうね。それなら、みんなわからなくて当然ね」 「……それより、急ぐんだろう?何の話かは分からないが、話を聞く」 「あ……うん、えっと……」 葉歌はゆっくりと二人の前に腰を下ろすと、ゆっくりと口を開いた。 真城はそんな葉歌の様子を見つめて、なんとなくだけれど……葉歌の気持ちがわかったような気がした。 彼女は、意識をあかりに明け渡すことなんて、いつもならしない。 それなのに、今回はいとも容易く譲った。 素直じゃないなぁ……。 思わず苦笑が漏れ、真城は優しい眼差しで、あかりの表情で懸命に事情を説明している葉歌を見つめた。 |
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