第7章  違和感ある感情

 放った弾丸は東桜を捉えることはなかった。
 月歌は目を疑う。
 突然目の前から彼の姿が消えうせたからだ。

 これは……真城や葉歌と同じ、力?

 すぐに月歌はグルリと首を回した。
 ハンマーを引きながら、踵を返す。
 来るとすれば、後ろ……。
 この力の恐ろしさは、真城との闘いで実感している。

 予測のつかない動き。闇に溶ける黒い着物……。
 それは、夜目の利かない月歌に不利な状況を生み出してしまう条件。

 一つだけ、救いがあるとすれば、今日は雲ひとつなく月明かりを遮るものがないということ。

「あー……まだ言うこと聞かねぇのか」
 警戒していた月歌を裏切るように、少し離れた場所からそんな声が聞こえた。

 月歌はすぐに目を動かし、東桜の刀の閃きを確認する。

 東桜は少々困ったように眉をひそめていたが、ため息を吐くとすぐに月歌に向かって飛び掛かってきた。

 月歌は東桜の目をしっかりと睨みつけて、銃弾を放つ。
 連続で二発。
 肩と胸を狙って撃った。
 すると、東桜は体をひねって一発かわし、もう一発は刀で弾いた。
 月歌は撃ってすぐにバックステップを踏んで東桜と距離を取った。

 武器の系統の違い。
 間合いが……この勝負を決める。

 月歌は撃った銃弾の数を確認しながら、ハンマーを引いた。
 5発撃ったから……あと1発。
 それとも、今のうちに弾の入れ替えをしてしまうか?

「お嬢様……ねぇ」
 月歌が状況を判断しようと銃を両手で握り締めた時、東桜がおかしそうにそう言って笑った。
「何がおかしい?」
「見たところ、雇われ執事かい?アンタ」
「それがどうかしたか?」
「別に。ただ、叶わぬ恋でもしてるのかと」
 東桜の言葉に目を細め、月歌は素早くポケットから予備の銃弾を取り出した。
 バラバラ……と空薬莢を地面に落とし、素早く入れ替える。

「……馬鹿馬鹿しい」
 月歌は静かにそう呟くと、ずれた眼鏡を元に戻した。
「私はあの方を主と決めている。命を捧げられるほどの覚悟でね」
「ふぅん、そう」
「……だから、あまり無駄口が多いと、お前が死ぬことになる」
「それは無理だな。俺様は強い。死ぬとすれば、アンタのほうさ」
「取れるものなら取ってみなさい。私の命は、高くつきますよ」
 言うのが早いか、月歌は素早く東桜に向けて発砲した。

 東桜は横に移動しながら、月歌への間合いを縮めてくる。
 月歌は弾を連発した。
 パンパンパン……と周囲に銃声がこだまする。
 かわして弾いて、東桜にはあと一歩のところで当たらない。
 月歌はちっと舌打ちをして、バックステップを踏みながらポケットから弾丸を取り出した。

 木の陰に隠れて素早く装填する。
 装填を終えるとすぐにダッシュでその場を離れる。
 城壁と城に挟まれた裏庭。
 こんな狭い場所では、月歌のほうが不利か。
 ちらりと東桜に目をやると、東桜は再びあの力を使い、姿を消した。

 気配だけを頼りに月歌は周囲を見回す。
 あれだけの殺気……捉えられないことはない……。
 けれど、それは……東桜が意識して消した場合、あてにはならなくなる……。
 後ろでヒュンと空を切るような音がして、月歌は慌てて後ろに向けて蹴りを放ち、目の前に迫ってきた刀を受け止めようとした。

 銃が地面に落ちる。

 蹴りのおかげで東桜の攻撃の威力は弱まったが、一瞬のことだったせいもあって、刀を受け止め切れなかった。
「っ……」
 月歌は苦悶の声を漏らす。

 銃を持っていた手に刀がめり込んでくる。
 両手で受け切るはずだったが、とてもじゃないが間に合わなかった。

「時々言うこと聞くんだよな」
 訳の分からないことを東桜が口にした。

 月歌は痛みを堪えて東桜の刀を握り締める。
 骨が砕けた……。
 痛みが、そう告げている。

「高くつくのは、俺の命か、アンタの命か」
 東桜はおかしそうにそう言った。
 月歌は痛みでフルフル震える右手を左手で覆い、刀を決して離さないように力を込めた。
「このような場で死ぬつもりは毛頭ない」
 東桜を睨みつけて、月歌はきっぱりと言い切った。

 東桜は月歌の手など構わずに刀をもう一度振り上げようとした。
 月歌は刀を体に引きつけて、前のめりになった東桜の体を思い切り蹴り上げ、そこでようやく刀から手を離した。

 素早く銃を拾い、バックステップを小刻みに刻む。
 右人差し指を銃に通してみたが、骨が折れているせいか、上手く握れない。

 不覚だった。
 相手の力を読み違えた。
 自分には10年のブランクがある。
 もう少し慎重に動くべきだったのだ。

「……つっ……はぁはぁ……」
 無理矢理銃を握り締めると、痛みで息が上がった。

 血まみれの右手がドクンドクンと脈を打つ。
 月歌は自分の不甲斐なさに奥歯を噛み締めた。
 10年のブランクを挟みながらも、真城を圧倒する試合を展開できたこと。
 ……自分は、自分でも気がつかないうちに、調子に乗っていたかもしれない。
 恥ずかしい……。

 その時、紫音が月歌の肩をポンと叩いた。
「僕が行きます。月歌さんは援護を……」
「紫音殿」
「僕には……あなたが知らない、奴との因縁があります。……出来ることなら、その部分は見逃してほしい。僕は奴と全力でやらなければ気が済みません」
「…………。年長者として、見過ごすわけにはいかないんですよ。私怨での闘いはね」
「…………。ごめんなさい」
 紫音が素早く柄頭で月歌の頭をガスンと叩いた。

 痛みで注意力が衰えていたせいで、月歌は避けきれずに表情を歪める。
「紫音殿……君は……」
 月歌は必死に紫音の服を掴んだが、急所をかわしきれていなかったのか、紫音にもたれかかる形でズルズル……と倒れこんだ。

「本当に……ごめんなさい……」
 月歌の耳に、紫音の悲しそうな声が微かに届いた。

 申し訳ありません、お嬢様。
 折角、ここに残ったのに、お役目を果たせなくなりました。
 心の中でそう呟いて、最後に真城の笑顔が広がった。





 真城は葉歌の咳と戒の体力が回復したのを確認して、立ち上がった。
 咳をしている間も葉歌は戻ってこず、あかりがそのまま居座る形となっていた。
 真城は複雑な気分でそれを見つめる。
 葉歌であって、葉歌ではない表情……。
 自分もよく風歌に身体を貸しているのだからこのように動揺していいものではないのだが、葉歌がこれほどまでに無邪気にほんやりと笑っているところを見ると、違和感を感じてしまう。

「真城、ごめんなさい」
 それに気がついたのか、葉歌の声であかりがそう言った。
「え?」
「……わたし、『御影』に用があるから。……だから、もう少しだけ……この子の身体を借りることを許してください」
 素早くぺこりと頭を下げる葉歌。

 真城は眉をひそめて、ただひくついた笑顔を浮かべることしか出来なかった。

 悪い子じゃない。
 それは……よく分かるのだけど……。

「……葉歌は、身体が弱いんだ……」
 真城は優しい声で静かに言った。
 そう言ってクシャリと前髪をかき上げる。

 その言葉に葉歌は目をきょとんとさせる。
 けれど、すぐに察したようにこくりと頷いた。
 戒が無言で先に進むためにドアを押し開けた。
 その音が室内に響く。

「ごめんなさい。あなたにとっては、我儘でしかありませんよね、こんなの」
「……気持ちは分かるけど」
「ありがとうございます。わたしたちは……わたしと『御影』はキミカゲくんやセージ様のように転生し切れていません」
「え?」
「……だから、意識が分立して存在しています。あなたや戒にとっては、自分の意識の中の一部でも、わたしたちにとっては全くの別人。それが余計にこの子に負担を掛けてしまっている」
「…………」
「それは……よくわかっています」
 葉歌の言葉に真城は険しく目を細めた。

 それは、今も葉歌は消耗状態にあると……そう言っている。

「キミカゲくんは、戒の同調する心のおかげできっと少しは救われた。セージ様は……たぶん、疲れることはされない方だから、あなたを押しのけてどうこうしようという意思を持たれていないのでしょうね。あの方は、そういう方。大人な方ですから」
「君は……」

 二人の会話の中、外では銃声が響いていた。
 月歌の使っている銃と同じ音だ。
 真城は心配になって、ふと窓に目をやったが、窓の位置が裏庭には面していないのか、状況を確認することは出来なかった。

 仕方ないので、すぐに葉歌に向き直る。
 葉歌はニコリと小首を傾げて笑っていた。

「何?」
「いえ。あなたは、セージ様のままだと、そう思っただけです」
「え?」

 先程自分の中を駆け巡った狂気のような赤い色を思い出す。
 あれと……一緒と言われるのは複雑だった。

「セージ様は、わたしのことばかり気に掛けて……。それで、奥様に誤解されてしまうような、そんな方でした」
「…………」

 それは……誤解ではなかったのではないのか。
 真城はその言葉を飲み込む。

「優しい……方です。きっと、あなたのような方なら、セージ様のお心も安まることでしょう」
 よかった……と安心したように葉歌は安堵の笑みを浮かべた。

 真城は困ったようにその表情を見つめる。
 葉歌は真城のスカイブルーの瞳を見据えて目を細めると、すぐに戒の待つ部屋の外へと歩いていってしまった。

 ふと気がつくと、銃声が止んでいた。
 真城は見えもしないのに、もう一度窓際に寄る。
「つっくん……?」
 ガラスに額をぶつけて、心配そうに呟きを漏らした。

『お嬢様……』
 突然、後ろで声がした……ような気がした。
 慌てて真城は振り返る。
 けれど、そこには誰もいない。

 真城はそっと頭を抱えた。

「まさか……ね」
 自嘲気味の声が漏れる。

 腕を上げたことで覗いた腕に出来ている痣が目に留まった。
 この前の闘いで月歌のトンファーを喰らった時に受けた怪我だ。

 ……大丈夫だ……。

 何もない。

 きっと彼ならこう言うのだ。

『真城様の意思に背いて、命を落とすようなこと。私は決して、そのようなことはいたしません』
 と。

「真城、先を急ぐんだろう?」
 その言葉に真城は我に返った。
 気がつくと、部屋の外に出たはずの戒が脇に立っていた。
「あかり様が困っていたよ。わたしのことが嫌だから、ついてきてくれないのかな?と」
「そんな訳ないじゃない」

 先に進んで問題を解決しなければ、今の状況が続いてしまうことが確定してしまった。
 月歌たちのことも心配ではあるけれど、この先に進まなければならないことをよく分かっている。

「ああ、わかってるんだが……あの方は傷つきやすくて、僕に言わせると少々面倒な気質の方だ」
「え?」
「キミカゲとはバランスが取れていたようだが、僕は少々疲れる。だから、どうでもいいことで、時間を取るな」
「どうでもいい……こと……」
 真城は三度窓の外を見つめる。

 戒もその様子に気がついたのか、ようやく不思議そうな顔をしてみせた。
「どうか……したのか?」

 これは、虫の知らせか。余計な心配なのか。
 ……でも、今は……選択肢は一つしかない。

 真城として選ばなくてはいけない選択肢は……。
「なんでもない。ごめん、行こう。あかりちゃんを待たせちゃ悪い」

「! あかりちゃ……」
「 ? 何?」
「あ、いや……なんでもない」
 戒は真城の視線を受けて、すぐに踵を返した。
 スタスタと部屋の外に向かって歩いてゆく。

 真城もそれに続いて部屋の外へと出た。
 部屋を出ると、また赤絨毯の敷かれた長い廊下が続いていた。
「お城って、広いね……」
「大丈夫だ。御影のいる部屋はわかっているから」
 困ったように笑っている真城を見て、戒はおかしそうに目を細めて笑い、そう言った。
 その様子を、葉歌が(厳密に言えばあかりが)何か言いたげな表情で見つめていた。





 ズルズルと紫音の胸に崩れ落ちる月歌。
 握り締められた白のジャケットに月歌の血がべったりとついた。
 気を失っているはずなのに、握力は弱まる気配がない。
「サシで勝負しようってか?」
 東桜はその様子を見つめて楽しそうに笑った。

 紫音は表情を厳しくして、睨みつける。

「…………。お前とはもっと広いところでやりたいな」
 東桜は少しだけ考え込むように顎を撫でていたが、そう呟くと、素早く紫音の懐に飛び込んできた。

 紫音は月歌の頭を抱えたまま、大剣を振ろうとした。
 ……が、それよりも早く東桜は紫音の腕に触れて、緑色の輝きを閃かせる。
「さって、今度は言うこと聞いてくれるかね」
 東桜の呟きが聞こえた瞬間、目の前が真っ暗になった。
「これは……」
 先程葉歌が使っていた風跳びと同じ現象。

 そうか……おかしなことではない。
 あの石にそういう力があるのなら、こういった使い方があっても不思議ではないのだ。

 さわさわと、風の音がした。
 月明かりに照らされる草原……。
 それは……風車に囲まれた塔のある場所。

「よかった」
 紫音は口元を吊り上げて、そう言った。

 東桜がすぐに後ずさって、紫音の様子を見据えてくる。
「あなたが忘れていたら、どうしようかと思った」
 ゆっくりと月歌を草の上に横たわらせると、紫音はぐるりと首を回して、大剣を構えた。


≪ 第10部 第6章 第10部 第8章 ≫
トップページへ戻る


inserted by FC2 system