第8章 夜空に浮かぶ白銀の月 「ぬあぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」 紫音は有り余る気合を吐き出すように叫んで、東桜とぶつかり合った。 ギャリリーンと響き渡る金属の音。 紫音は憎々しい表情で目の前の男を睨みつけた。 怒りが……戻ってくる。 約ひと月の間、ただ鬱屈としていた心の中のもどかしいような憎しみ。 それが、今、この草原で、この男を剣を交えることで、どんどん、どんどん……自分でも自覚していなかったほどの怒りがこみ上げてくる。 それなのに、どうだろうか? 月明かりに照らされた、目の前のこの男の表情は。 瞳に怪しい光を灯しながらも、あくまで戦闘を楽しんでいる……そんな印象。 余計に、腹が、立つ。 「てあぁぁぁ!」 紫音は一瞬後ろに剣を引き、すぐに突き返した。 それによって、東桜の体勢が崩れ、紫音はそこを狙って神速の剣を放った。 パワーは東桜。スピードは紫音。 以前の闘いで、その若干の力の優劣を悟った。 たとえ、実力では敵わなくても、それで勝負が決まるかといえば、それは違う。 勝負に、絶対はないのだ。 ……怜悧な剣筋。 月歌はそう称した。 そうなのだろう。自分の剣は、冷静で軽やかで……スマート……。 それが取り得なのだろう。 分かる気はしているのだ。 けれど、それを分かっていても、止めることができない感情が、ある。 ただモヤモヤと自分の中で蠢いていたもの。 宙ぶらりんだった。 そのモヤモヤをなんと言うべきなのだろう? 紫音にとって、鬼月の存在は……一体何になるのか。 けれど、永い時を経て見つけた何かを、鬼月は紫音の中に見たのだと思う。 紫音は……それに応えたいと思っていた。 本当に、心からそう思っていた。 どうしてそう思うのだろうと、感じていた。 鬼月の言う通り、自分がキリィの魂を持っているからか?本当にそれだけか? 誰にも知られない微かな動揺、躊躇い、戸惑い。 あなたが私の主人だ。 そんなことを言われたって、はいそうですかとはいかない。 それでも、応えたかったのは……鬼月への同情だったのか? 答えが……いつか出ると思っていた。 鬼月と話す内に知れると思った。 けれど……それはもう敵わない。 『また今度』という言葉が、どんなに暖かく、どんなに残酷なのかを、紫音はあの瞬間、心から感じた。 出会いも、触れ合いも、刹那的なものなのだと、それを……思い知らされたのが、あんな形だなんて……。 紫音は待っていた。この日を。 東桜を……倒す日を。たとえ、それで命尽きようとも、何も悔いなどないと思えるほどに。 紫音の神速の剣で、東桜は幾許かの傷を負った。 けれど、それは全て上手くかわされたもので、致命傷に至るものなど一つもありはしない。 「俺が忘れていなかったのはな?」 紫音の剣をようやく受け止めて、東桜は額から血を垂らしながら口を開いた。 「……お前が、俺の大事な女を傷つけたからだよ」 東桜は鋭くそう言い放つと、紫音の剣を受け流して、そのまま体を薙いできた。 紫音はそれを素早く受け止め、それでも勢いに負けてたたらを踏んだ。 体勢を慌てて立て直して、東桜から距離を取る。 「体も、心も……お前は傷つけた。あいつには……奴の役に立つということしか、拠り所がなかったってぇのに」 「リオウ……?」 「ああ、そうだ。何だ?アイツ、あんな時まで、奴の名を呼んだっけか?」 東桜は思い出せないようにそんなことを言う。 その表情に僅かながら切なさが混じったような……そんな気がした。 紫音は瀕死の状態だった蘭佳が、それでも大切そうに名前を呼んだことが印象に残っていた。 紫音は目を細めて、すぐにそんなことを振り払おうと首を振った。 今、その切なさも、そういう感情も、邪魔なだけなのだ。 それを思い起こすことも、感じることも、……昔、『彼女』を見て、自分の中に封じ込めなければならないと感じた自分にとっては、そんなものは……無意味で、無関係だ。 「人の傷など、構ってられるか!!」 紫音はそう叫んで、地面を蹴った。 風が紫音の髪を撫で、周囲の草がそよそよとそよぐ。 東桜は横にステップを踏んでかわすと、素早くターンをして、グルリと刀が回ってきた。 紫音はそれを受け止め、東桜を再び睨みつけた。 「ああ、それならお互い様だ。俺があのからくり人形を壊したのと、お前がランカを斬り伏せたこと。はかってみたら同じだと、そういうことだ。俺たちは、決して相容れない。どちらかが……死ぬまで」 「ふっ……」 東桜の力が強まって、紫音は手首に痺れを覚えた。 それでも、なぜか心の底から笑みがこみ上げてくる。 「どちらかが?違うよ、それは」 怒りに熱い頭でも、口から出る言葉はいつものように軽やかだ。 「どちらも死ななければ、終わらないのさ。この感情を止めるには、死しかない」 紫音の言葉を、真城や葉歌が聞いたら、なんと言うだろう? きっと、どのみち叱られる。 どんなことがあっても、生きるべきだと……そう、あの二人なら言うのだ。 世界をどこまでも綺麗な目線で見つめる真城と、死と隣り合わせにいる葉歌なら……。 「……野郎と心中なんて、勘弁してくれ」 東桜はそう呟くと、ギリギリと刀を押す力を強めてきた。 紫音の足がズルズルと下がる。 いつから自分は、こんなに光を眩しいと感じるようになった? 真城や葉歌の放つ光を眩しいと……感じるようになってしまったのだ? 元から、自分は冷めた部分を持っていたと思う。 周囲への対応とは違う、どこか冷淡で冷ややかな自分を知っていた。 だからこそ、……自分は剣を振るえるようになったし、戦争と隣り合わせにならざるを得ない国境警備隊にも進んで志願できた。 けれど、時として戸惑う。 冷ややかだと思っていた自分は、時に暖かな情を持って、人に接してしまう。 ……本当の自分は、結局のところ、どちらなのだろう? 今、こうして自分を闘わせるものは、どちらの自分だ? 怒りがあるのなら、それは……人間としての情? それとも、自分の心を護るために動いている……冷ややかな自分? 紫音は東桜の刀を払うと、激しく斬りつけた。 受け止める間も与えないほどのスピードで、決めてやろうと思った。 けれど、そう考えているのはあちらも同じだったのか。 東桜の刀が素早く閃き、グイと紫音の胸にぶつかってきた。 あばら骨への衝撃を感じた。 ……これでは、前と同じだ。 自分が東桜を斬り伏せて、引き分け……。 今回は邪魔者がいない。 生命力次第では、死んでしまうだろう。 東桜の体を袈裟懸けに斬るために、紫音は突きを受けながらも構わずに一歩を踏み出した。 ボキボキッ……と自分の体が鳴いた。 「あっ……つっ!」 紫音の口から血がにじみ出る。 次の瞬間、東桜の体からも血が舞った。 「野郎と心中なんて、勘弁だぜ」 手には確かな手応えがあった。 それなのに、東桜は前と同じように傷をなんとも思わないようにそう呟き、一度紫音から離れた。 東桜の表情が怪しくほころぶ。 もう一度突きが来る……!! 紫音は消えいく意識の中で、しっかりと大剣を構え直そうとした。 けれど、東桜が飛び出してくるよりも早く、周囲に銃声が響いた。 紫音の脳裏にその音が焼きつく。 「月……歌さ……ん……?」 紫音は胸をぐっと押さえて倒れこむ。 急激に胸部を圧迫されたせいか、紫音はショック状態に陥ったようにガクガクと体を震わせて、草いきれいっぱいの草むらに仰向けで倒れこんだ。 星空が目に映った。 本当に……綺麗な星空だ。 月明かりが無粋にも思えるほど、ここは空が近い。 さわさわと風が鳴く。 その優しい風の音を感じながら、紫音はふっと意識を失ってしまった。 さわさわと風が鳴く。 頭上の木々が、まるで歌っているようだった。 あれは、10歳の誕生日が迫った頃だったろうか? 紫音は初めて見る異国の少女に、心奪われた。 銀の髪を風が通り抜けてゆく。 微かな風の音でも、彼女がこちらに気付いてしまうのじゃないかと思って、ドキドキしながら、紫音は木の幹に体を隠して、その様子を窺った。 窓枠からベッドに腰掛けている姿が見える。 緑色で柔らかそうな長い髪。 肌は透けるように白く、瞳の色は宝石のエメラルドのようだった。 よく整った顔立ちは悲しげに歪んでおり、その存在は際立っているのに、心はここにいないように見えた。 ……本当は、声を掛けて仲良くなろうと思ってここまで来たのに、紫音にはそれが出来なかった。 病気なんて……別に気にしない……けれど、なんだろう? 眼差しが虚無的で、……情けない話だが、怖いと、感じてしまった。 紫音は優しげな目を細めて、唇を噛み締めた。 こんなに……心が震えているのに。 いつものように。いつものように……話しかければいい。 たったそれだけのはずなのに。 少女がつ……と視線を動かした。 何か見つけたのだろうか? そう思ったら、肩がびくりと跳ねて、すぐに幹に体を寄せた。 特に何も起こらない。 紫音はもう一度覗き込んだ。 少女は何を見ているのか、目線よりやや高い位置を見つめて呟いた。 「死んじゃえば……こんなに苦しくなかったのに……」 あっさりと少女はそう言った。 紫音はその言葉に驚きを隠せず、震えだした手を誤魔化そうと、すぐにその場を立ち去った。 それから1年ほど経ったある日、紫音はその少女と再会を果たす。 村の領主の娘である真城が少女をエスコートするように手を引いて、丘を登っていくところにすれ違ったのだ。 心が跳ねる。けれど、……印象が違う少女に、驚きもした。 真城が明るい笑顔で「こんにちわ」と紫音に言い、紫音もそれにすぐに返答をする。 すぐに真城の後ろにいる少女に視線を投げた。 少女は最初怯えるように目を震わせたが、紫音が優しく笑いかけると、安心したようにこくりと会釈をしてきた。 以前白いと感じた肌には色味がさして、目はきちんと世界を映している。 なんて……綺麗なんだろう……。 そう、心の底から思った。 本当は1年前のあの日に思っていたこと。 それを素直に感じられるほど、少女の表情は人間らしさを取り戻していた。 すれ違った後も、ついつい紫音は少女を目で追ってしまった。 『紫音』 快活そうな少女の声が意識の中で響き渡った。 紫音はふと首を傾げる。 聞き覚えのない声だ。 振り返ると、金髪に青い目の小柄な少女が立っている。 赤いサバイバルジャケットが印象的な、生意気そうな少女。 紫音はゆっくりと膝を曲げて、キリィの目線に合わせる。 『君は誰?』 『鬼月の主じゃ』 『……キリィさん?』 『そうじゃ』 『どうして、今頃?』 『心配しておった』 『え……?』 『おぬしには執着というものを感じなかったから』 『…………』 『でも、よかったのじゃ』 キリィは歯を見せてにっかしと笑う。 紫音は意味が分からずに首を傾げる。 『何が?』 すると、キリィが寂しそうに目を伏せて答えた。 『……わしは知らぬ感情じゃが、おぬしには、わしが知らなかった色々な経験をしてほしいと、心から思うのじゃ』 『……!……』 その言葉に紫音の心は動じた。 何も知らない。 けれど、……彼女はもしかしたら、幼くして死んだのかもしれない。 そう感じ取った時、自分が情けなく思えてきた。 叶わぬ恋だ。 ……だから、また誰かに心奪われるまで、それまでは好きに生きようと……そんなことを考えていた。 所詮、人の気持ちだから、いつかは形を変えてしまうと……。 刹那的な触れ合いに悲しみを覚えながらも、自分が今までやっていたことも……結局それとなんら変わらなかったのではないか。 ……鬼月の不変の忠愛を、紫音は心のどこかで、憧憬にも似た感情で見ていたのかもしれない。 だから……、その忠愛が砕けたのを見て、悔しくて悲しかったのじゃないか。 『憎しみは苦しいだけじゃ。わしは、それを良く知っておる。おぬしまで、わしと同じ末路を辿るでない。……これでは、鬼月に申し訳が立たぬ』 年端も行かないという表現が合う少女なのだが、その言葉尻は大人びており、話し振りも闊達だった。 『月並みじゃが、生きよ。生きるの飽きたなんて言葉は、鬼月だけでじゅうぶんじゃ』 キリィはすっと目を細め、そう言うと、腰に手を当ててふぅ……とため息を吐いた。 紫音は無言でそんなキリィの横顔を見つめる。 キリィはしばらく宙を見据えていたが、ようやく決心したようにこちらを向いた。 先程とは違い、少々顔を赤らめて艶っぽく笑うキリィ。 『……きっと、これが最期じゃ』 『え?』 『おぬしの体で鬼月をいじれたこと、とても嬉しかった』 『ちょっと』 『ではの』 キリィは紫音の言葉など無視するように笑顔で紫音の手を取った。 すると、キリィの体が一気に薄くなった。 手の感覚も空気のように逃げてゆく。 ゆっくりと、紫音の体に溶け込んでゆくキリィ。 キリィの想いが、少しだけ垣間見えた。 『あかり……わしは先に行って、待っておるぞ』 |
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