第9章  青い光

 月歌は弾丸を放った銃を地面に落とした。
 発砲の反動で、砕けていた骨に衝撃が走った……。
 たぶん、しばらく使い物にならない。
 狙いを外さずによく堪えた。それだけは褒めてあげたい。

 東桜が弾丸の当たる勢いに負けて倒れたのを確認する。
 紫音に気を取られていた瞬間だったからこそ可能だった。
 普段の彼では掠るのがやっとだったろうけれど……。

 ズキリと頭に激痛が走る。
「っつ……」
 すぐに月歌は自分の頭にそっと触れた。
 ……全く、優しそうな顔をして、加減をしてくれないとは。
 触れてみると瘤になっていた。勘弁してほしい。
 この程度の時間で意識を取り戻せたことを神に感謝し、コキコキ……と首を鳴らしてから、ゆっくりと立ち上がると倒れている紫音へと駆け寄った。

 体がビクンビクンと痙攣を起こしている。
 どうやら、意識を失っているようだ。

「これは……」
 月歌は慌てて、シャツの肩の部分を噛み、引き裂くとグルグルと丸めて、紫音の口の中に突っ込んだ。

 ひきつけを起こしかけている。
 もう少し遅かったら舌を噛んでいたかもしれない。
 どうせなので、自分の右手の血を止めるために、健在だったもう片方の袖も引き裂いて、手に巻きつける。
 片手ではやりにくいが、今は四の五の言っていられない。

「……まったく、無茶をするのだから……」
 月歌はため息をついて、紫音の怪我の状態を確認するようにマジマジと顔を近づける……が、月明かりだけでは月歌の目での確認は難しい。

「出血は……ないのかな……?しかし、ひきつけといい……ちょっとまずいかな。私は、治療が不得手だ」

 せめて意識があれば、どこが痛いのかくらいは判断しやすいのだが……。
 わかったところで、あまり変わりはしないか。
 自分の腕ではせいぜい止血がいいところだ。
 月歌は苦笑を漏らしつつ、ジャケットのポケット――刺し跡のある部分に左手で触れた。

 触った瞬間、ビクンと紫音の体が跳ねる。
 そして、硬くて冷たいものに、刺し跡の部分から触れることが出来た。
「 ? 」
 月歌は不思議に思って、ポケットからそれを取り出した。

 黒い金属の塊だった。

 親指でコツコツと叩くと、軽い音が周囲に響く。

「なんだ、これ……?」
 親指で材質を確認するように何度も撫でる。

 すると、微かに傷がついているのか、凸凹するところを見つけた。
 月歌は目を細めて、それをシゲシゲと見つめる。
 紫音の体がビクンビクンと動くので、すぐに我に返って地面にそれを置くと、冷静な声で紫音に呼びかけた。

「紫音殿?聞こえますか?聞こえるなら返事を……」
 ゆっくりとポケットのあたりに手をやると、そこが先程取り出した黒い塊の形に陥没しているのがわかった。

 ……この塊のおかげで刺されるに至らなかったが、どうやらこの塊のせいであばら骨がだいぶやられてしまったようだ。

 月歌は眉をひそめる。
 周囲を見回す。見覚えがあった。ここは、以前葉歌を探して訪れた塔だ。

 この付近には人家はない。
 ……どうする?

「うっ……」
 低い声が聞こえて、月歌ははっと我に返った。

 東桜が苦しげに声を漏らしている。
 紫音に斬られ、自分の弾丸を喰らって尚、まだ息があるというのか。
 月歌は東桜を睨みつけ、しばらく注視した。
 声を発するだけで、身を起こす気配はなかった。
 放っておけば、何のことはないだろう。

 そう思って、すぐに紫音に視線を戻す。
 ……真城が知れば助けろと言うかもしれない。
 しかし、あんな男は生かしておいても、いつかこちらに(真城に)害をなすだけだ。

 真城に悟られなければいいだけ。
 あんな男のことなど、知ったことではない。

「紫音殿……」
 困ったように名を呼ぶ。

 紫音の痙攣が少しずつ弱まっていく。
 ……なんとか、落ち着きそうだ……が、あばら骨が内臓を傷つけていないかどうかという心配があった。

 元々武術に長けた彼だから生命力はある。
 痛みしか感じない右手をぎゅっと握り締めた。

 どうすればいい……。
 その時、不意に強く風が吹いた。
 きっちり上げていた月歌の髪が風で乱れる。
 まるで、紫音を中心にするように巻き起こる旋風。

 黒い塊がヒーン……と音を立てた。

 紫音の銀の髪が風でなびく。
 不自然に固まった表情がそれによって和らいだ。

 青色の光が、輝く。
 あまりの眩しさに月歌は目を閉じた。
 次の瞬間、月歌の鼻先に冷たいものが落ちてきた。

「え?」
 驚いて目を開けた時には、勢いを増した雨がボタボタと周囲に降り注ぎ始めた。

 先程まで雲のない夜空だったのに、上空には雨雲があり、真っ暗になってしまった景色に月歌は驚きを隠せない。

 再び、青い光。

 その光に従うように雨粒が収束していく。

 紫音の体を水が包み込んだ。

「これは……まさか……」
 月歌はそこで言葉を止める。

 水の、呪文……。
 炎・水・風・地。この世界で確認されている魔力の性質の一つ。
 話には聞いたことがあるが、水の呪文は見たことがなかった。
 けれど、これは確かに、水の呪文だ。
 強い術になると雨を呼び、雷さえ操れるという……。
 人によっては天変地異を呼んだり、回復を行ったり出来る呪文だと聞いている。
 この世界で、最も術者の少ない呪文。
 コポコポコポ……と紫音の口から水泡が漏れる。
 月歌は意味が分からずに、青い光に浮かび上がったその光景を呆気に取られて見つめていることしか出来なかった。
 ヒーン、ヒーン……と不思議な音が雨の音と別に、月歌の耳に残った。





 パシャパシャ……と誰かの足音がした。
 急に降ってきた雨により、出血で急激に下がった体温が更に下がってゆくのを感じる。

 東桜はクッと喉を鳴らした。
 またもや、瀕死の状況に追い詰められるとは。
 ようやく治りかけていた怪我の上に、傷が更に上書きされた気分だ。

 今回ばかりはさすがに助からないか……。

 肩や腹にめり込んだ弾丸が、異物感を感じさせる。

 袖に入れておいた石に触れてみるが、あまり反応がない。

 蘭佳の言葉を借りるならば、自分のオーラが集中しきれていないらしい。

 ああ……やはり、終わりか。
 闘いの中で死ねたなら、悔いなどないと、よくそう考えていたではないか。
 うん、そうだ。楽しかった。今宵の闘いは楽しかった。

 人が変わり、場所が変わり、実力は様々だったが、自分の体は沸騰する湯のようにたぎった。

 ただ……後悔があるとするならば、闘うことに気を取られて蘭佳との約束を忘れてしまっていたこと。

 璃央を護ってやると言ったのに、自分は今こんなところで倒れている……。
 ぬかりがありすぎだ。
 だから、いい加減だなんだと、蘭佳に冷めた目で叱られるのだ。

「ら……か……」
 声に出してみようとして驚いた。

 声に……ならない。
 自分の衰弱はそれほどまでに酷いのか。
 ふと、自分が死んだら彼女は悲しむだろうかと、そんなことに思考が動いた。
 ……クールに見えて、情に厚い彼女のことだ。
 きっと、人知れず泣くのかもしれない。

 それとも、自分が死んだことなど知らずに、また飄々とどこかに旅立ってしまったと考えて呆れるのだろうか?

 ああ……それならば、後者のほうがいいな……と、東桜は心の中でポツリと呟いた。

 彼女の涙は、璃央のためだけに流されればいい。
 その言葉が過ぎった時、東桜はまたクッと喉を鳴らした。

 自分の大馬鹿ぶりがおかしくて仕方ない。
 璃央も蘭佳も馬鹿だが、今の自分は、きっとそれ以上に大馬鹿だ。
 ふと、体には力が入らないのに、倒れても尚、刀を握り締めている自分に気がついた。


 昔、血まみれで帰った自分を見て、蘭佳が一言ポツリと言ったことがあった。
『悲しい人……』
 軽蔑にも似た眼差しで、東桜を見据え、そう言った彼女は、その後に唇を噛んだ。
『いえ、ごめんなさい。今、わが国が巻き込まれている戦争は……そういうものなのですよね。……きっと、私の考えが甘いのでしょう。失礼なことを言いました』
 彼女は、自分の非をすぐに詫びることの出来る、謙虚で聡明な心を持っていた。

 葵美人なのは、雰囲気や所作だけでなく、心までもそうだった。
 ……けれど、悲しい人というのは間違いじゃない。

 今の自分を見ろ。
 死に際ギリギリにいても、刀を手離すことが出来ない。
 いい証拠じゃないか。
 自分は、後は何と戦うつもりでいるのだ?
 起き上がることもできないくせに。

 何と?……まさか、死と、か?

 おかしくて笑いがこぼれた。

 自分を形成するものは性欲と放浪欲と闘争心。
 戦いの中に身を置くことで、どうでもいいと思っている命が、確かにそこにあることを自覚できる。

 正論なんて考えなくても言える。
 言って説得力があるのは、行動して生き抜いてきた自分だけだ。

 危機を感じなければ、自分の幸福にも気付けない。
 人間はそういう風にできている。
 ならば、今、世界がこのような状況になっているのは、自業自得ではないか。

 机上の空論ばかり並べる人間。
 東桜はそんな奴らばかりいる母国を、15の時に捨てた。
 ……しかし、不思議なものだ。
 よくよく考えてみると、この塔の周囲に並び立つ風車は、昔国で見た設計図によく似ている。
 国の過去の遺産が、こんなところに眠っていた。
 そして、そんな場所で自分は二度も死に直面した。
 これは、皮肉と言うのか?それとも、宿命と言うのか?

 またもや、クッと喉が鳴った。
 自分のしぶとさがおかしくなってきた。

 体温も下がって、体には激痛も走っていて、いつ意識を失ったとて、おかしくなどないはずなのに、自分の思考回路は至って正常だ。

 ……いや、もしかしたら、それこそ、死が近いということなのか?
 できることならば、闘いの熱の中、散りたかった。
 こんなに考えられる時間は要らない。

 そう思った時だ。
 誰かが東桜の手を握った。

「……?……」
 不思議に思って、ゆっくりと目を開ける。
 視界がグラグラしているうえに、雨が降り続いているせいもあって、誰かがそこにいるということしか確認できない。

「だ……れ、だ?」
 東桜は声を搾り出した。
 けれど、雨音にかき消されたのか、その相手は言葉を確認しようと顔を近づけてきた。

 東桜はそれを見て驚いたように目を見開く。
「こりゃ、いいや……」
 東桜はその相手を見つめて、困ったように笑みを浮かべた。


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