第10章 真城と葉歌の絆 「あの、キミカゲくん……」 小首を傾げて葉歌が声を掛けてくる。 戒にとってはおかしな感じだった。 いつもはツンケンサバサバしている葉歌が、あかりに人格を譲ると急にしおらしくなる。 調子も崩れるし、……彼に言わせれば面倒だ。 それでも、この彼女に救いを求めようとしていた時期が自分にもあったのだと思うと、面倒と一言で終わらせるわけにもいかない。 不思議なものだ。 葉歌は『御影』に似て、御影は『あかり』に似た。 それは……互いに対する憧れや妬みの念が、彼女たちの間に僅かでもあったからこそのことなのだが、朴念仁の戒ではそんなところまで考えも及ばない。 戒は出来る限り優しい笑みを浮かべて葉歌を見つめる。 彼女の求めているのは、戒ではなく、キミカゲなのだろう。 勝手に戒はそう考え及ぶ。 朴念仁のくせに、無駄に気を回してしまうことがあるのが、彼が葉歌に天然と呼ばれた由縁か……。 葉歌の今までの様子を見てきた上で、真城の魂がセージだというのならば、もう答えは出ている。 あかりが、本当に誰を求めていたのか、分かり易すぎるほどに。 ……結局、キミカゲは彼女にとって重荷でしかなかった。 手離したら壊れてしまう、繊細な人形。 頼りにしていたのではなく、交わしてしまった悲しい契約を、破ることが出来なかったのだ。 「あの……キミカゲくん?」 葉歌が怪訝そうにもう一度呼びかけてきた。 笑顔のままで停止していた。 ……自分らしくもない。 真城が戒の笑顔を見つめて、ほわ〜っと言う。 「戒、そんな風にも笑えたんだね」 その言葉でコホンと咳をすると、戒は静かに眉をひそめた。 真城がそれを見て、慌てたように付け加える。 「あ、別に変な意味じゃなかったのに。ただ、いつもどっか自嘲気味に笑うっていうか……そんなイメージだったから」 「そうですか?キミカゲくんは、いつも優しく笑ってくれますよ?」 「あ……えと、あの、うん……。か、前の戒はそうだったんだよね」 真城は葉歌の言葉に困ったようにそう答えた。 前の戒という表現に少しばかり葉歌が表情を暗くする。 真城は本当に囚われないな……と戒は目を細めて、困った表情を浮かべている真城を見つめた。 いきなり出てきた自分の前世。 けれど、真城はほとんど気にも留めていないようだった。 まるでどうでもいいとでも言うように、どんな人だったの?などの問いは一つもない。 セージに干渉する気がないのと同じで、真城も全く問題としないのかもしれない。 そう思い至るだけでも真城は本当に強いな……と思わずにはいられない。 いつも、自分もキミカゲも、真城やセージのひたむきな強さを横目で見ていた。 強い人間に惹かれるのは、当然のことだ。……自分もそうだから。 だから、……あかりの気持ちも、葉歌の気持ちも、当然だと思う。 戒はそっと目を細めて、目にかかった前髪を適当にかき上げる。 葉歌は歩きながらも、ずっと戒のことを見上げていた。 首が痛くなるだろうに、そんなことは気にしないように見上げてくる。 「……なんだ?」 「え、あ……なんでもないです。あの……キミカゲくんって呼ぶのは……あなたにとっては気分のいいものではない?」 視線が合った瞬間、はにかむようにすぐに視線を逸らし、悩みながらも葉歌はそう言った。 戒は目を細める。 今更そんなことを気にしているのか。本当に、この人は面倒な……いや、繊細な人だ。 けれど、先程、名を呼ばれた時に考え事をしていて、反応をしなかったことが今の問いを引き出したのだと、容易に思い至った。 「別に。僕はそういう細かいところは気にしない」 「あ……そうですか……」 「あかり様」 「は、はい?」 「…………。なんでもない」 戒は自分でも何を言おうとしたのか、よく分からずに唇を噛み締めた。 呼び方、態度……それだけで距離を作る。 そんなことは自分でもよく分かっているし、以前、紫音にもそう言った。 それなのに、自分は……呼ぶことが出来ない……。 きっと、簡単なことなのに……。 「…………」 葉歌が少し考えるように口元に手を当てた。 あかりはよく考え事をすると、口がぽか〜んと開くことがあった。 『御影』に注意されてから、いつもそうするのが癖になったのを知っているからよく覚えている。 「ねぇ、戒、こっちでいいんだよね?」 「ああ、もう少しだ。騒がしくもないようだし、僕たちのほうが先に着いたようだな」 「そっか」 真城は戒の言葉に、目を細めて答え、すぐに葉歌に目線を動かした。 戒は半歩だけ歩くのを遅らせて、葉歌が見えるようにしてやった。 どうもこのポジショニングは落ち着かない。 いつもなら、葉歌か真城が真ん中にいるのに。 「……キミカゲくん」 「はい?」 「わ、わたしも……」 「 ? 」 「呼び方は、気に、しません……」 戒は意味が分からずに、真城と目を合わせた。 テンポが合わないというか、普段の葉歌を知っている側からすると、少々の違和感。 戒はまだましだが、真城は本当に困ったような顔をする。 「葉歌、『彼』の相手してる時、いつもこんな気持ちだったのかな……」 ポツリと呟いたのが聞こえた。 戒はすぐに葉歌に答える。 「わかった」 「だから……あの……」 「 ? 」 「『様』づけはやめてくれませんか?」 「…………。ああ、わかった」 気にしているじゃないか。 「あかり。これでいいか?」 戒はすぐにそう言って、葉歌を見下ろす。 葉歌の顔がぼっと真っ赤になる。 「あ、え、あ……は、はい。ありがとう、ございます……」 葉歌は必死に恥ずかしいのを隠そうと、あくせくと顔に手を当てたり、バタバタと落ち着かなかった。 おそらく、『あかりちゃん』と呼ばれると……思っていたのだろう。 しかし、思いの外イメージが崩れる。 戒の顔で、キミカゲの人格がもし出てくることなどあったら、きっと気持ち悪くてやっていられないだろう。 普段、ボケボケしている人間だと、それほど違和感もないのだが。 戒はそこで真城に視線を移した。 真城は戒の考えていることなどわからないものだから、目が合った瞬間、にかっと笑う。 戒はその笑顔を見て、ふっと鼻で笑い、笑みを浮かべる。 横では葉歌が真城にじとっと視線を送っていた。 「どうか、した?」 すぐに真城が葉歌に尋ねる。 すると、葉歌は素早く首を横に振った。 「いえ、別に」 「そう」 真城も特に気にする風でもなく、少しだけ歩くスピードを上げた。 こんなに和気藹々としている場合ではないのだった。 戒も真城に合わせるようにスピードを上げた……が、慌てて二人についてこようとした葉歌が足をもつれさせてバタンと転んだ。 真城が素早く振り返って心配そうに駆け寄り、そっと抱きかかえるように脇に手を添える。 「だいじょうぶ?はう……あ、あかりちゃん」 「……だ、だいじょうぶです。ごめんなさい、また、わたしったら……」 「…………」 「あの、ドジなだけだから、気にしないでください」 「……熱がある」 「い、いえ……」 葉歌は真城の胸の中でフルフルと首を振るだけ。 戒はその様子を見つめて、それも当然か……と心の中で呟いた。 ただでさえ、弱い体の葉歌だ。 丈夫なあかりの時だって消耗が激しかったのだから、葉歌ならば更に負担は大きいはずだ。 「だいじょうぶです。あの、葉歌も……先に進んで欲しいと言っているから……」 「…………。あのさ」 「はい?」 「葉歌、出ておいでよ」 「え?」 「葉歌らしくなくて、なんかイライラするよ」 真城がしっかりした声でそう言う。 葉歌が困ったように顔を歪ませた。 戒はその表情を見て、少しだけ心が痛んだ。 「真城、そこまで……」 「ごめん、戒、黙って」 「…………」 「ねぇ、あかりちゃん。確かに、この騒動は君と『御影』さんの問題なんだと思う。でも、酷いことを言うようだけど、君も『御影』さんももう死んだ人なんだよ」 「わた……しは……」 「生前に出来なかったことを補いたいのかなんなのか分からないけれど」 「っ……」 「葉歌の体で、勝手なことしないで」 「…………。ご、ごめん、なさい……」 いつもは優しい真城が、この時だけはとても厳しい声でそう言った。 葉歌以外の人間だったらそう言ったろうか? きっと、言わないだろう。 事情があるんだから……と無駄に同情もする。 真城は、優しいようで、……多くの人を気に掛けるようでいて、大切な人一人を中心に物事を考えた時、とても残酷だ。 真城にとって、葉歌は誰よりも大切だから。 先程から複雑そうにしていたのは、体を借りながら、どこか緊張感のないあかりが許せなかったからか。 「ごめんなさい……。わたし、悔いばかり残して死んでしまったから……。こんな風に、彼と話すこともできなかったから……つい……。ごめんなさい。目的を忘れていたわけではないんです」 葉歌の目が一気に潤んだ。 さすがにそこで真城も表情を緩める。 器がなまじ葉歌なものだから、真城は戸惑うように葉歌の頭を撫でた。 「……ごめん。ボクも言い過ぎた」 「いえ、あなたの言ってることは、正しい、ですから。いつでも、あなたは、正しい……ですから」 「…………」 「セージ様は、いつでも、正しい……から……」 「……っ……」 真城はその言葉に息を漏らすと、すぐに立ち上がって、葉歌の体を優しく引き寄せた。 ゆっくりと小柄な葉歌が立ち上がる。 戒は真城のことを見つめた。 複雑そうに目を細めている。 真城は過去のことになど興味はないのだろう。 けれど、興味を持たないつもりでも、彼女はこうして普通に持ち出してくる。 「正しくなんかない」 「え……?」 「だから、ボクを、きちんと叱ってくれないと駄目だよ」 「…………」 「それが……ボクの葉歌なんだ」 真城はそう言うと、はぁ……とため息を吐いた。 葉歌が意味が分からないように首を傾げる。 戒はすぐにあかりに分かるように言ってやった。 「目的を忘れないならば、もうしばらくは許してくれるそうだ」 「え……?」 真城は葉歌の手を握って歩き出す。 戒もそれに従った。 「急ごう」 そう言葉を口にした時、廊下の一角にあったドアがカチャリ……と開いた。 水色の髪の璃央がゆっくりと出てくる。 ロイヤルブルーのラインが入った長めのジャケット。 上等そうな服と、手には装飾の行き届いたサーベルが握られている。 「駄目だな、戒くんは」 璃央は鞘からサーベルを抜き、戒をギラリと睨みつけてきた。 「璃央……」 「御影様を、また裏切るんだね」 「裏切りとは違う。僕は、約束を果たすために……」 「御託はいいよ。聞く耳はないから」 「…………」 「その二人のどちらかかい?戒くんのお気に入りは」 「…………」 璃央の言葉に戒は返答をしなかった。 「相変わらず愛想のない人だ」 璃央はそう言って、ニコリと笑う。 真城がすぐに前に出た。 「すいません、どいてくれませんか?」 「ああ……よく見れば、御影様が気になさっていた剣士殿だ。顔をもっと近くで見たいと言っていた。うん、綺麗な顔だ」 「……あの……」 「そちらも、お久しぶりですね。二ヶ月ほど前に風緑村でお会いしました。あの時は、香里がお世話になりまして」 璃央はそう言うと深々と頭を下げた。葉歌が真城の後ろに隠れる。 「これより先には、行かせないよ」 「お前じゃ僕には勝てない」 「ああ、分かっているよ」 「だったら、どけ」 「どくわけにはいかないのも分かっているだろう?」 「…………。お前はアホだな」 「そう、なのかもしれないね」 璃央は戒の言葉を受けて、ふっと笑みをこぼした。 戒が素早く構えを取る。 「真城、奴は僕が相手する。引きつけている間に部屋に入れ」 「……タツたちは……?」 「璃央がここにいるということは、まだ辿り着いてはいない」 「…………」 「だから、早く解決しろ」 「わかった……」 真城は戒の言葉にコクリと頷き、葉歌をすっと抱き上げた。 「これは嘗められたものだな」 璃央は真城たちを見てそう呟く。 すると部屋の中から声が聞こえてきた。 「いいのよ。通しなさいな」 「…………」 その言葉に璃央が返答をせずにいると、再びドアが開いて、今度はドレスを着た御影がスタスタと出てきた。 白い肌にふわりと笑みが浮かぶ。 「ようこそ、あかり。待っていたわ。……そして、剣士さんもね。風の子は元気かしら?」 「……『御影』を返して」 真城の腕の中で、葉歌はしっかりとした眼差しで御影を見据えた。 |
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