第1章  交わることのなかった心

「あかり、ようやく、返してくれるのかしら?わたしの欠片」
 葉歌と瓜二つの顔立ちで、彼女はそう言った。

 真城はゆっくりと葉歌を下ろし、すぐに剣を抜いて構えた。
 それを咎めるように葉歌がきゅっと真城のジャケットの裾を掴む。
 なので、真城は驚いて視線を葉歌に向けた。
 葉歌の眼差しは真城をまっすぐ見据えている。
「……葉歌……?」
 それはまるで、真城が前に出て行くのを恐れているような眼差しだった。
 葉歌は御影に傷つけられた多くの人を目の当たりにしすぎた。
 今まであかりに譲っていたのに、真城を心配したのか、戻りかけている。
「…………」
「だいじょうぶだよ。ボクが護るから」
 真城は笑顔で葉歌をなだめる。

 けれど、駄目だった。

 ふるふると横に振られる首。

「……約束したじゃないか。全部終わらせて、葉歌の体も全部直すんだよ」
「…………」
「ボクはだいじょうぶ。殺したって死なないもの。母上のお墨付きなんだよ」
「ま……し、ろ……」
「全部終わらせて、葉歌は葉歌の幸せを探すんだよ」
 真城は笑顔でそう言い、葉歌の手をゆっくりと下げさせた。
「ここで見てて。……あまり、無理はしないで欲しいんだ」

 横では戒が璃央と勝負を始めている。
 けれど、結果は明らかだった。
 璃央の剣は……綺麗だけれど、強いとは全く感じないものだったから。

「剣士さんが相手してくれるの?あかりは?」
「彼女はVIP席だよ。手を出したら、怒るからね」
 真城は御影に対して笑顔でそう言い放った。
 御影がおかしそうにクスクスと笑う。
「怒った剣士さんが見たいなぁ……」
「あんまりおかしなこと言ってると、後悔するよ?」
「しないわ。だって、わたしには勝てないから。誰も、ね?」
「大した自信だね」
「ふふ……そうかもね」
 御影は口元を指先で撫でると、ふっと姿を消した。

 室内なのにさわさわと風の音が騒ぐ。
 真城は素早く聞き分けて、ぶんと剣を振った。
 御影の姿がすぐに消える。
 微かな音だけ頼りにしてもたかが知れている。

 次の瞬間、後ろからさわりと真城の首筋に御影の手が触れた。
 レースの手袋のざらついた感触が、余計に真城にぞくりと寒気を感じさせる。
 首から鎖骨、胸元……と愛しそうに手が動く。

「ふふ……綺麗〜。知ってる?わたし、あなたのこと、結構気に入っているの」
「っ……」
 真城は顔を真っ赤にしたまま、御影の体を決死の思いで跳ね除けた。

 真城は乱れた襟を素早く直して、御影を鋭く見据える。
 御影の体が少しだけよろめいた。
 けれど、すぐに体勢を立て直して、そっと髪をかきあげる。

「なぜかわかる?あかりがあなたのことを気に入っているからよ?わたし、他人(ひと)のものが大好きなの」

「……ボクを気に入っているのは、あかりちゃんじゃなく、葉歌だよ」

「同じことよ。彼女はあなたを見て魂が震えた。……だから、葉歌のお気に入りはあかりのお気に入りなの」

「そんなの……」

「本流は同じだもの」
 御影は楽しそうにそう言うと、また姿を消した。

 真城は今度はどこに来るかを判断できずに、不意を突かれて横からの攻撃をまともに受けて吹き飛んだ。
 風がざわざわと騒ぎ、御影が手を振りかざしている。
 ……突風を使ったのか……?
 真城はふるふると頭を振って、すぐに立ち上がった。

「『御影』は知っている」
「 ? 」
「あかりの初恋はセージだった」
「…………」
「あなた、セージでしょう?さっき、魂が溶け合って、おかしな色になるのを感じたわ」
「…………」
「彼を出せば、勝機はあるかもよ?彼、強いものね?」
「馬鹿馬鹿しい」
「へぇ……?」
「無念の思いも、残した感情も、ボクは全てに心を砕くし、同情もする……。けれど、それ以外は関係ない」
「あなたがそんなこと言うなんて、ちょっと意外……」
「そんなことないよ。ボクは昔から、家柄や血筋に縛られてきた人間だからね。魂が誰だから強くて当然とか、あの血筋の方ならば仕方がないとか……、そういうことを言われるのは大嫌いなんだ」

 真城は真っ直ぐな眼差しで御影を見据えた。

 金の瞳が目蓋に隠れ、すぐにつまらなそうな目が真城に向く。
「……あなた、いじめ甲斐なさそうね」
「そりゃどーも」
「…………。そういう子は……」

 ふっと御影の姿が目の前から消え、真城を背中から抱きしめてきた。
 その触り方が気持ち悪くて、真城はまたもや背筋に悪寒を覚える。

「体をいじめてあげるだけよ?」
 その囁きとともに、御影の頭が真城の背中に埋まる。
 次の瞬間、かまいたちが発生して、真城の体をスパスパッと切り刻んだ。
「……っぅああぁぁぁ……ぁっ……」
「……可愛い声……」
 真城が苦しげに声を上げると、恍惚とした声で、彼女はそう言った。

 楽しそうにジャケットの上から真城の体を撫ですかしてくる。

「ああ……あなたなら、わたし、欲しいかも。全部滅ぼしても、あなただけは閉じ込めて持っていたいなぁ。その強気な言い返しとか、閉じ込めておけばいつかできなくなって、わたしに従順になるわ。そんな人間を一人残しておくのも、いいかも♪」
「……何を……」
「あ、あなた、あの子が死んだら、もしかしたら動けなくなったりするのかしら?」
 その言葉で真城は目を見開き、すぐに体を捻って御影を突き放すと蹴り飛ばした。

 御影が少しだけ苦しそうに声を漏らしたが、すぐに真城に近づいてくる。

「来るな!」
「……?どうして?」
「それ以上来ると、斬ってしまう……」
 真城は苦しげにそう言葉を漏らした。
 言った後にすぐにしまったと奥歯を噛み締める。

 御影の表情が楽しげに歪んだ。
「みぃつけた♪」
 ふっと御影の姿が消え、あっという間に真城の懐に入ってくる。
 そっと真城の乾いた唇に指先を当て、にこぉ……と笑う。
「あなたの弱点、みぃつけた」
「っ……」
「どーぞ?ほら、チャンスよ?斬りなさいな」
 御影が余裕を見せるように両腕を広げた。

 真城は剣を持つ手に力を込める……けれど、剣を持ち上げることができなかった。

 斬れば、葉歌は助かる……。助かる助かる助かる…………。
 でも、……御影は……?
 この人は、どうなる……?
 この人もまた、被害者じゃないか……。
 救うって、自分で言ったんじゃないか……。

「可愛い。剣士さん、あなた、思った以上に可愛いのね?」
 斬ることができないと言葉にしてしまってから、真城の剣は動いてはくれなかった。

 御影は可愛らしく笑みを浮かべて、真城の腰をきゅっと抱き寄せる。
「背も璃央と同じくらいだから、丁度いいわね」
 本当に気に入ったように御影が真城の体を抱きしめてくる。

 またもや、真城の周囲だけ気圧が上がったように息苦しさに覆われ、かまいたちが起こった。
「……っ……かは……」
 今度は声が上がらないように奥歯を噛み締めて、それを耐えた。
 御影が少しだけ物足りなそうに息を吐く。

「我慢しなくてもいいのに。もしかして、わたしが可愛い声なんて言ったこと、気にしているの?……本当に可愛い……」

「……あなたは……」

「なぁに?」

「何がしたいんだ?」

「…………。さっきも少し言ったけれど、滅ぼしたいの、人間を」

「なっ……」

「だって、邪魔なんだもの。人間ほど傲慢な存在はないのよ?この大地を、自分たちのもの然として生きているところとか。神でもそんなことはしない」

「…………」

「神は神で執着がなさ過ぎるのだけど。……だから、わたしが取り戻すの」

「嫌いな、人間の体を使ってまで?」

「……嫌な剣士さん。駄目よ、そういうこと言ったら」
 御影の手が真城の腕に伸びた。

 真城は息を整えながら、なんとか御影の束縛から逃れようと体を動かすが、思いの外力が強くて抜け出ることができなかった。
 御影が真城の体から離れ、すぐに片手で真城の腕を締め上げる。
 強引に床に押し倒されて、後ろを取られた。
 ギチギチッ……と腕の筋が騒ぐ。

「……殺したくなっちゃうじゃない」
「っ……ぁ……」
 御影の声は狂気に満ちていた。耳元で囁かれた言葉に、真城は眉を歪める。

 このままだと、折られる……!

「……ねぇ、剣士さん、不公平だと思わない?」
「…………何が?」
「人間はこんなに傲慢なのに、大地に愛されているの」
 どうしてか、その時だけ……彼女の声が優しくなったような……そんな気がした。

 真城は腕を締め上げられたままでなんとか彼女に問いかけようとした。
 けれど、腕を絞める強さはどんどん強くなっていって、真城は呼吸をするのも精一杯になってしまった。

 けれど、絞められるギリギリのところで御影の動きが止まった。
「まぁ、怖い」
 御影はおかしそうにそう言った。

 真城は苦しいのを堪えながら顔を上げる。
 すると、そこには、御影の首筋にサーベルをあてがった璃央と、今にも蹴りを入れようとしている戒……そして、葉歌が片手を突き出して御影に向けていた。

「璃央……あなたまで何のつもり?」
「約束を守る時が……来たのかと」
 御影の穏やかな声に璃央も同じくらい穏やかな声を返す。
「あなたにわたしが殺せる?」
「……御影が、そう望むのなら」
 璃央の言葉に迷いはない。

 御影はおかしそうに笑みを浮かべて、すぐに真城から手を離した。

「はじめからやる気ないわよ。この子、殺しちゃったらわたしの玩具がいなくなっちゃうじゃないの」
「あなた……遊びだとでも……」
「遊びよ。わたしにとっては全部遊び。退屈な700年よりはずっと有意義な700年。その程度だもの」
 葉歌の言葉に御影は余裕を持ってそう答えた。

 その瞬間、葉歌の周囲の空気が動く。
「ふざけないで……!!」
 葉歌の叫びとともに突風が発生し、御影の体が真城の上から吹き飛んだ。

 御影の体は壁にぶつかり、葉歌がすぐにその場にへたり込む。
 真城は慌てて起き上がって葉歌の体を支えた。

 同時くらいのスピードで璃央が素早く壁際まで歩いていき、御影の体に異常がないかを確認し始める。
 御影はそんな璃央など気にも留めずに、葉歌を睨みつけてきた。

「葉歌……戻って……?」
 先程までは言葉を口にするのも難しそうな状態だったのに、今の葉歌は完全に葉歌だった。
「あなたが……心配で……」
 葉歌はゼェゼェ……と肩で息をしながら、御影を睨み返す。

 すごい汗だった。

「わたし……真城の言うとおり、救わなくちゃって……思う……。けど、今の言葉……許せない……!」
「葉歌……」
「あなたの遊びの為に、何人の人がっ……!?何人、犠牲になったと思ってるの?!ふざけるのも、体外にしなさい!!……っ……ゴホゴホっっ……」
 葉歌の咳が激しくなっていくので、真城は慌てて葉歌の背中をさすった。
 突風を使っただけでこんなに消耗するなんて……先程の戒への回復が相当堪えているようだ。

「葉歌……やっぱり……」
「手をこまねいて見ていろって、また、あなたは言うの?」
「っ……」
「嫌よ。わたしは嫌。護られるだけも、あなたに苦しみを全部任せるのも、嫌」
 葉歌の顔色は贔屓目に見てもいいと思えるものではなかった。
 それでも、彼女の眼差しは毅然としていて、真城は次の言葉が出てこない。


『……ごめんなさい、セージ様。いつも、いつも……大変なことばかり押し付けて……』
 言葉に悩んでいると、真城の頭の中にそんな言葉が流れ込んできた。

 青い髪の少女が、泣いている……?

 体が透けた状態で……彼女が立っているのは、赤い髪の青年の枕元。
 青年は、全く彼女の存在には気がつかないのか、苦しそうに呼吸を繰り返しながら眠っている。

『わたし、今度生まれてくる時は、……きっと強くなります。あなたに、心配ばかり、掛けないように。……だから、お願いです、セージ様……。あなたは、死なないで……。そして、キミカゲくんに教えてあげてください。悔いばかりで生きないでって。せっかく、生き残ったなら……生きられる限り、人生を楽しんでって。彼は……何も悪くない。悪いのは、わたし。わたしだもの……』
『あかり……』
 青年がぽつりと名を呼ぶと、少女はびくりと体を震わせた。

 けれど、青年は起きる様子がない。
 どうやら……寝言か?

『……すまなかった、あかり。オレは結局……まもれなか……た』
 青年の目から涙がこぼれる。
 少女はそれを見つめて、フルフル……と首を振り続けていた。


「……その言葉、あかりから聞きたかったわねぇ」
 ゆらりと、御影が立ち上がった。
 葉歌も必死に足に力を入れて、立ち上がる。

「わたしとあかりの想いは一緒」

「葉歌?」

「……だから、今の言葉は、あかりが言ったのと同じよ」

「へぇ……溶け合ったって言うの?」

「一時的和解ってところかしら」
 葉歌は御影の問いにそう返すと、すぅ……と息を吸い込む。
 背筋がしゃんとして、葉歌の視線が御影に向いた。


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