第4章  引き継がれるは、猛き心

「風の……坊やね」
 御影が肩を押さえたまま、戒から足を離した。

 ようやく自由が利くようになって、戒はゆっくりと体を起こす。
 すぐに葉歌の体を支えて起き上がらせた……が、葉歌の目には光がなかった。

 それは、御影の言う『欠片』を失ったからなのか、以前の時と同じように、取り乱しているからなのか……。

「ハウタ?」
「コホッ……真城……真城はどこ?」
 戒の声など聞こえないように、葉歌の言葉はまるでうわごとのようだった。

「ハウタ、しっかりしろ」
 戒は葉歌の意識を手繰り寄せるように、ガクガクと葉歌の肩を掴んで揺らす。

 けれど、葉歌は全く戒のことなど見えていない。

 ぽろりと、涙が零れる。

 戒は舌打ちをして、葉歌の体を優しく抱き寄せた。
 葉歌は先程まで熱があったのに、今は……石のように冷たくなっていた。
 体温が下がっている。異常なほどにだ。

 葉歌の死期が……近いのではないかと、戒は感じ取る。

「大丈夫だ。なんにもない。マシロもすぐそこにいるから!」
 低い声で囁きかける。

 けれど、葉歌は拒絶反応でも示したように、戒の体を突き放そうとした。
 だが、彼女の力は弱く、戒の体はびくともしない。

「いや……」

「僕は何もしないから。だから、落ち着いてくれ。今の状態で取り乱したら、体がもたなくなる……!」

「離して……」

「……何も、しないから……」
 戒の優しい声。

 髪をゆっくりと撫ですかし、安心させるようになだめる。

「すまない」

「真城……」

「護らなくてはいけなかったのに……」

「…………」

「前のように、護らなくてはいけなかった……!」
 戒の声が切なさを帯びる。


『下衆野郎』
 そう凄んで、葉歌の前で野盗を蹴り殺した時のことが思い出された。
 それなのに、今、自分は……相手が『御影』という理由だけで、何の役にも立てなかった。
 このままでは……葉歌が死んでしまう……。
 そう感じた今、心の中に広がる想いは……一体なんだろう……?
 分からない。分からないけれど、彼女に死んで欲しくない……。
 誰かが悲しむからじゃない。……自分が、嫌なのだ……。


『あなたは……生活感が本当にない……。きっと、放っておいたら、何も食べずに過ごしそうな……そんなイメージ……』
 だから、どこか放っておけないのかなぁ……と彼女が小さく呟いたのを、戒は聞こえないふりをした。


『……お前は、なんで僕にだけ、そんなに高圧的なんだ』
 葉歌の言葉に対して、少々怒り混じりの声でそう返した。
 すると、葉歌はにっこりと笑って、戒の顔を見上げる。
 ふわりと風が起こった。
 戒は、葉歌の笑顔が余りに綺麗で戸惑ってしまい、目を泳がせた。
『あなたが、押しに弱いのを知ってるからよ』
 葉歌はそう言って、おかしそうに笑う。
 まるで、戒の反応を楽しんでいるかのような彼女に、……戒は、少しだけ動揺したのだ。本当に、少しだけだけれど……。


 ようやく、そこで葉歌の手の力が弱まった。
「ハウタ……?」

「護って……くれるの……?」

「ん?」

「護ってくれる?」

「……ハウタ……」

「今度は、契約もなんにもなしで……?」
 葉歌の言葉に戒は眉をへの字に歪めた。

 涙が零れそうになった……。
 お前は、どっちなんだと訊きたくなった。
 今のお前は、葉歌なのか、あかりなのかと……。

「……ああ、護るから。だから、頼むから、しっかりしてくれ……!」
 戒はしっかりと葉歌を抱き締めてそう叫んだ。

 葉歌は何も答えなかった。
 ただ、その代わりに……以前渓谷で戒が抱き上げた時にしたように、ゆっくりと体を預けてきた。

 葉歌の消耗は激しい。
 呼吸はずっと荒いままだ。

「……死なないわよ……」

「 ? 」

「死なない。生きるって、真城と約束したんだから……」

「……一人で、大丈夫か?」

「……ええ……」

 戒はボロボロになってしまった上着を素早く脱いで、優しく葉歌の肩に掛けた。
 すぐに抱き上げて、壁にもたれかけると、戒はゆっくりと上を見上げる。

「結晶を持ってくる。そこにいろ」

「…………。ええ」
 葉歌は目を細めて、真城と御影が闘っているほうに視線を動かす。

「……真城……じゃない……」
 葉歌の呟きがぽつりと漏れた。
 葉歌は胸を押さえたまま、ぼんやりしているかのような目の動きで二人を見つめている。

 それを見てから戒は痛みを忘れようとブンブンと頭を振り、重たい扉を押し開けて上の階を目指す。

 どう転んだとしても、結晶なしに終わる闘いでないことは分かりきっている。

 ……今、自分がすべきことは何か?

 それを冷静に考えた結果だった。





 真城が御影に向かって、かまいたちをいくつも発生させる。
 御影はそれを黒いかまいたちで相殺して、真城の懐へと飛び込んだ。
 指先に風を集めて、すぱりと真城の体に斬りつける。
 真城もなんとかかわしたが、結構厚手のジャケットが簡単に切れてしまった。

「あなた、結構できるんじゃないの」
 御影は肩から血を流しながらも、そう呟いて、手をクロスさせ、更に風の攻撃を繰り出してくる。
 風歌は真城の動かない右腕を無理矢理動かして、その攻撃を相殺し返した。

 黒い風が御影の体を気に掛けないように、風歌ももう真城の体などどうでも良くなっていた。
 『彼』にとって護らなくてはいけないものは、あかりだけだから。
 葉歌と確かに約束した。
 『御影』もあかりも救うと。

 けれど、今のこの状況で……二人とも救うなんて悠長なことは言っていられない。

 『御影』を巻き込んだのは自分だ……わかっている。

 それでも、自分はあかりを優先する。

 あかりが、風歌の全てだからだ。

 自分が強いのではない。

 最大以上の力を、無理矢理出しているから……自分は今、互角に闘えているだけのこと。

「あまり無理はしないでちょうだい。わたし、その剣士さん、欲しいんだから」

 ユラリと体を揺らし、御影は真城の懐へと飛び込む。
 眼差しの鋭くなっている真城の顔を見て、不機嫌そうに目を細める。

 パンと真城の頬をはたく御影。

「っ……」
「駄目よ、そんな生意気そうな目。剣士さんの綺麗な顔に似合わないわ。剣士さんに似合うのは苦悶の表情と、真っ直ぐな目なの」
 ペロリと舌なめずりをして、御影は両手を振りかざし、範囲を限定したかまいたちを発生させる。

 下から突き上げてくるようなかまいたちに、風歌も防ぎようがなくて、まともに喰らった。

「さぁさぁ、闘うのならきちんとやりなさい。役立たず君」
「ぼくは……役立たずなんかじゃない!!」
 全身から血を流しながら、真城も風を発生させて、御影へとぶつけようと手を振り上げる。

 けれど、その手を御影が無理矢理捻りあげた。

 本当は動かすのも無理になっている右腕に激痛が走る。

「ぐあぁっ……!!」

「剣士さんなら、この程度じゃ怯まないわよ?あなた、力だけで、本当に役立たずね。なんて、心根の弱い役立たずなの」

「はぁ……はぁ……あかりに返せ」

「ん〜?」

「さっきの……あかりに返せ……!!」

「……あれは元々、わたしのものよ。はじめから、あかりの魂は霧散する運命だった。18年生きられただけでも、奇跡だと思うけれど?」

「……そんな……。お前が消えればいいんだ!お前が消えればっ!!」

「まぁ酷い。あなたは、自分さえ良ければ、それでいいのね?700年もあかりを追い続けて、人間に毒されてしまったのではない?」

「お前だって、殺すつもりだったじゃないか。あかりのこと、ハウタさんのこと、殺すつもりだったじゃないか!!」

「永い時を過ごしてきた妖精と人間を秤にかけるの?精霊のくせに」
 なんという無茶苦茶な理屈だろう。

 御影の目が怪しい光を放った。
 ビクリと真城の肩が揺れる。
 たった一瞬で魅入られてしまった。
 怒りによって溢れ出ていた力が……一気に萎縮するのを感じる。

「あなた、わたしに刃向かえると本気で思っていたのかしら?」
 クスクス……と御影はおかしそうに笑う。

 真城の顔が恐怖で青冷めた。

「あなたの愛なんてこんなもの。あなたの700年なんて、わたしにとってはたった一瞬で粉砕できる」

「はぁはぁ……」

「あなた、何年生きて、この程度なの?剣士さんや戒、葉歌のほうがよっぽど強いじゃないの」

「う……うぅぅ……」
 真城の体が膝から崩れ落ちる……けれど、倒れることを御影は許さなかった。

 ガシッとジャケットの襟を掴んで、表情を不気味に歪める御影。

「よかった。剣士さんの体をこれ以上傷つけたくなかったのよ」

 力を失ってしまった風歌の生意気そうな眼差しを見つめて、御影はにぃ……と笑う。

 ゆっくりと真城を愛しそうに抱き締めて、髪を撫でた。

「剣士さん、戻っておいで」
 クスクスクス……と御影は笑みを浮かべて、壁にもたれかかってこちらを見ている葉歌のことを見つめた。

 葉歌は胸を押さえ、ぼんやりと意志のないような目でこちらを見つめているだけだった。





 真城は困ったように上を見上げていた。
 頭がぼんやりする。

 いつも、風歌に体を譲るとこうなってしまう。
 外で何が起こっているのかも、把握しづらい。

 もっと早くに気がつくべきだった。
 『彼』がどれほど危険な存在であるかということを。
 自分や月歌を助けてくれていたから、すっかり忘れてしまっていた。
 ……いや、元々、風歌が持っている気持ちはとても純粋なものだったのだ……。
 精霊である『彼』の心は恐ろしく純度が高い。
 それは人間の子供以上に純粋で、感情に左右されやすいもの。
 正の感情ならいいが……負の感情に囚われた時の爆発力は……真城の意識など容易にかき消してしまう。

「こんなところで何をやっているんだ?」
「……体、取られちゃって……」
 真城はその声に苦笑交じりでそう答えた。

 そして、すぐにはっとして振り返る。

 赤い髪。白い鎧。月歌より高い背。鷹のように鋭い眼差しの青年……。

「だから、オレはアイツが好かんのだ。感情のままに動くくせに、最後には収拾がつかずに、誰かに頼ろうとする。それなのに、その恩義も忘れて先へ先へ、自分の力で行けていると錯覚する」

 真城は彼を見上げて、引きつり笑いを浮かべた。

 微妙に自分もそれに当てはまっているような気がして、なんとも言えない気分だったからだ。

「どうした?」
「え?あ、心が痛いなぁ……と」
「なぜ?」
「ボクも当てはまるかなぁと思って」
「お前は無理矢理収拾をつけるから大丈夫だ」
「それって、だいじょうぶって言うんですか……?」
「お前は、多くのものを救っている。気にすることじゃない」
 そこで青年は目を細めて穏やかに笑った。

 真城はその笑顔に驚いて目を見開いた。
「笑えるんですね……」
「失礼なやつだ」
 真城の言葉に、セージは腕組みをしながら低い声でそう言った。

 真城は慌ててぺこりと頭を下げる。
「あ、すいません。……えっと、セージ様」
「オレは余計な手出しはしないつもりでいるんだ」
「え……?」
「なぜなら、ここから先生きていくのは、お前たちだから」
「ああ」
「だから、この先を切り開くのはお前たちじゃないといかんだろう」
「同感です」
 真城はにっかしと白い歯を見せて笑いかける。

 それを見てセージは少々困ったように眉を歪めた。

「それだけきっぱりと言われてしまうと、これはこれで複雑だな」
「そうですか?」
「……まぁいい。お前がオレ……というのも、今のを聞いて頷けた。お前にとって、オレは邪魔だな」
「邪魔というか……」
「お前の力はお前だけのものだよ」
 セージの見透かすような言葉に真城は目を見開く。

 セージはそれを見ておかしそうにクッと喉を鳴らした。

「けれど、せっかく知り得たことなのだから、お前の魂の中に刻まれている、オレという存在も、時々思い出してもらえると嬉しい」

「…………」

「もう700年経った。物語の中でしか、オレたちは生きていない。……しかも、作られた架空の人物のようなものでだ」

「ボク、救世主を護る剣士様が好きだったんですよ。まるで、お姫様を護る騎士みたいで……。だから、ボクも剣を覚えたんです」

「まだまだ未熟だが、16の時はオレもそんなものだった。精進しろ」

「はい」
 真城は素直にセージの言葉に頷く。

 先程戒を突き貫いたあの瞬間とは全然違う印象。
 寒気がするほどの殺気などどこにもなくて、なんだか不思議な気分だった。

「そろそろ行け。色々揉めているようだぞ」
「え……?!」
「……大丈夫だ……」
「何がだいじょうぶなんですかっ?!」
「なんとなく、オレの勘がそう言っているんだ」
「勘って……」
「ああ、キミカゲに伝言を頼む」
「はい?」
「もう、弱さを理由にすることはないだろうが、もしそんな時が来たら、オレに殺されかけた時のことを思い出せとな」
「…………。あれは強烈過ぎます……」
「弱さが何を招くのか、あれが一番分かりやすいだろ」
 セージが意地悪げににぃ……と笑みを浮かべる。

「なんで、戒があなたを嫌いなのか、分かった気がします」
 そう言った後に、すぐに真城は付け加える。

「……それでも、好きなんだなぁとも。口振りや素振りが、似ています」

「アイツが真似してるんだ」
 セージは素っ気無くそう呟くと、真城の腕をガシリと掴んだ。

 ゆっくりとブンブン回された後に、勢いよく放り投げられる。
「ちょ、ちょ……酷いですよぉぉぉぉ!!」
「筋肉が足りない。もし強くなりたいなら、素振りを倍に増やせ!!」

 セージの叫びが頭の中にビリビリ響く。

 風歌に支配された時のぼんやりする感覚がだんだん薄れてゆく。

 これは……交替かな……?

 そう真城は心の中で呟いた。

「……転生は咎なんかじゃなかった……。今度こそ、護るために……。ああ、……きっとそうなんだな」

 セージは優しく目を細めて、真城の澄んだ心の色を見つめた。


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