第6章  風の精霊の恋

 あかりの魂が転生するために塔を飛び出した19年前。
 同じく、『御影』の魂も黒い風に押され、地上へと下りようとしていた。
 それは偶然だったのか、それともあかりの意志だったのか、2つの魂はその魂を体に下ろす前に、雲の上でぶつかり合った。

 あかりが『御影』に語りかける。
「御影……?よかった。あなたの魂、まだ消えていなかったのね」

 けれど、『御影』の魂は黒い風に支配されている。
 あかりの声に応えたのは、『御影』ではなかった。

「忌々しい。またお前と同じ時に生きるか」
「あなた……。まだ、御影の中に?」
 あかりは憎々しげに声を漏らした。

 黒い風がそれに対しておかしそうに哂う。
「ふふ……当たり前。この子はわたしのもの」
「御影は、誰のものでもない!」
「わたしにとって、これほど居心地のいい魂はない。わたしのものよ」
「返しなさい!御影を返して!!」

 あかりは感情に任せて緑色の光を放った。
 それに対して、黒い風も風の弾丸を飛ばしてくる。
 緑と黒の風がぶつかり合い、爆発するように霧散した。

 あかりの魂と『御影』の魂がその爆風により、いくつかに分離し、少しの時間をかけて元に戻る。

「役立たず君がいないにも関わらず、これほどの力とは……やっぱり、お前は邪魔ね」

 『御影』の姿に戻りながら、黒い風は鋭い眼差しであかりを睨みつけてくる。
 あかりは爆風で自分が消えてしまうのかと感じて、カタカタと体を震わせながら、元の形に戻ってゆく自分の手を見つめた。

 黒い風がおかしそうに哂った。

「今ここで消してしまおう。すれば、もう邪魔者もいなくなる」

 『御影』の姿で黒い風は、風を発生させてあかりめがけて飛ばしてきた。
 あかりは目を閉じて必死に念じる。

 『彼』の声がしない。

 ならば、今は他の子に呼びかけるしかない。
 しかし、呼びかけが間に合わず、あかりの胸を思い切り風が貫いていった。

 あかりは胸を押さえて蹲り、中空を漂う『御影』を見据えた。

 黒い風は、あかりの魂から欠け落ちた欠片を風で集めて握り締め、得意そうに哂う。

「反応がおそいな。700年も眠っていて寝惚けているのじゃない?っ……ぐ……」
 得意そうに笑みを浮かべていた表情が、突然苦痛に歪んだ。

 あかりは元に戻らない胸を押さえたまま、『御影』の様子を見上げている。

「 ? 」
「おまえ……まだ……」
 頭を押さえて、黒い風は突然しわがれたような声を出した。

 その後に、『御影』の澄んだ声が戻ってくる。

「あかり」
「み……かげ?」
「ええ」

 『御影』はやんわりと笑みを浮かべ、あかりの胸に握り締めた欠片を戻そうとした。
 けれど、欠片があかりの体に戻るより前に霧散して消えてしまった。
 『御影』が必死に繋ぎとめようと握り締めた欠片は『御影』の魂の中へと融けこむように埋もれていく。

 『御影』は怪訝な表情をして、自分の手を見つめる。
 あかりは胸を押さえたままで、『御影』のことを見据えた。

「あかり……」
「な、なに?」

 突然『御影』は自身の胸に手を突っ込み、かき回すようにして光る欠片を取り出した。

 少しだけ『御影』の顔色が悪くなる。

 しかし、そんなのは構わずにあかりのぽっかり穴の空いた胸にその欠片をはめ込んだ。

 あかりの胸に、その欠片が隙間を作りながらもはまる。

「あなたが……持ってて」
「え?こ、これは?」
「力」
「え?」
「黒い風の、力の一部」

 御影の胸からしゅぅぅぅ……と黒い煙のようなものが音を立てて霧散してゆく。

「御影、胸から……」
「大丈夫」
「そう?」
「ええ」
 あかりの心配そうな目を見つめて、『御影』は安心させるようににっこりと笑った。

 あかりの髪をそっと撫でるような仕種をし、ぽつりと呟く。
「わたし、キミカゲを探すから……」
「え?」
「あなたは、セージ様を探しなさい」
「どう……して?」
「あかりを体張って護ってくれるのが、セージ様だから」
「意味がわからない」
「あなたを救ってくれる人を探しなさい」
「……そんなのどうでもいい」
「どうでもよくない」
 あかりの無思慮な言葉に、『御影』はピシャリと言い返してきた。

 『御影』の目は真剣だった。
 あかりはそれに気圧されながらも、なんとか視線は逸らさなかった。

「……あかり、あなたを護るためなの。だから、絶対に探し出して」
 あかりの肩をしっかり掴んで、『御影』はそう言い切った。

「わたしたちは、いずれ出会う。そういう運命にある」

「御影……?」

「なぜなら、コイツがあなたを求めるから」

「ねぇ、わたしにもわかるように説明して」

「時間がない。……たとえ、敵同士で会ったとしても、わたしは、あなたを大切に思ってるわ。それだけは、もし覚えていたなら、信じて頂戴」

「みか……」

「その欠片をあなたが持っている限り、黒い風は、世界を壊せない」
 『御影』はしてやったとでも言いたげな笑みを浮かべてそう言うと、あかりの魂から離れていった。

「御影!!」

 あかりは必死に手を伸ばして、『御影』の手に触れようとした。
 けれど、届かずに風が通り過ぎてゆくだけ。

 『御影』の魂はゆっくりと、西へ、西へと流れてゆく。
 あかりの魂も次の器に引き付けられているのか、南へ、南へと移動を始めた。
 蒼緑の国よりも南。1つ国を越え、2つ国を越え、……あかりの魂は、緑髪が美しい婦人の腹へとゆっくりと納まった。





「ハウタ……?」
 声のしたほうを見ると、戒が呆然とした表情でそこに立っていた。
 後ろには……龍世と、蘭佳の姿……。

 真城は藁にもすがるような思いで尋ねる。
「結晶は?戒……」
「それが……全然、結晶が出来上がらなかったんだ……。少し、待ってみたんだが……」
「……そんな……」
 呆然と立っている戒の横から、蘭佳が濡れた髪をかき上げながら歩み寄ってくる。

 真城の前に膝をつき、シゲシゲ……と葉歌の顔を覗き込んだ。
「……蘭、大丈夫そうかい?」
「…………」
 脈を診るように首筋に指先を当て、額に手を当て、目蓋を軽く上げて目を見つめる。

「まだ……大丈夫かと。……ただ、……呼吸が止まってしまっています。……脈は微弱ですが、なんとか……」
「そうか……」
「それって、どうすればいいの?!」
 真城は真剣な表情で蘭佳を見つめる。

 蘭佳は真城の目を見つめ返すと、至って冷静に告げてきた。
「人工呼吸を……。とにかく、自分で呼吸が出来なくては、……脳が死んでしまいます」
「……人工……呼吸?」
「口を通して、彼女の肺に空気を送り込みます。それで、なんとか体に呼吸することを思い出させるんです」
「…………。わ、わかった……」
 真城は必死に蘭佳の説明を理解するように目を動かして、コクリと頷く。

 葉歌の体に掛かっていた戒の上着を床に敷いてもらい、横たわらせると、真城はゆっくりと葉歌の顔に顔を近づける。

「鼻は塞いでください。……でないと、空気が逃げてしまうので」
「あ、ああ……」
 そっと鼻をつまんで、今度こそ唇をつけた。

 ……でも、呼吸が出来るようになっても……葉歌の魂の欠片が足りていない……。

 結局、同じことの繰り返しになってしまうのじゃないか?

 そんな不安が真城の心を過ぎった。

 それでも……やらなくては。
 彼女を護ると、それはずっとずっと自分が口にしていた約束だ。
 彼女を護れるのは自分しかいないんだと、いつも心のどこかで思っていた。
 いつの間にか……そう思うようになっていた……。

 死なないで、葉歌……!

 思いを込めて、何度も何度も息を吹き込む。

 葉歌の胸が膨れて、萎む……を繰り返した。

「一度、やめてください」
「え……?」

 蘭佳が耳を澄ますように目を細める……が、すぐにため息を吐く。

「続けてください。……この子の生きたいという気持ちに関わってきます。呼びかけながら、やりましょう。名はなんと?」
「……は、葉歌……」
「葉歌さん。息をしてください。戻ってきて。みんな、ここにいます」
「葉歌、死なせないよ。約束したんだから!」
 真城はそう叫んで、再び人工呼吸を再開した。

 また同じことになったら、再び同じことを繰り返せばいい。
 考えるのは後だ。
 何度でも……葉歌が嫌だって飛び起きるまで、やってやる……。

 真城が真剣に息を吹き込み、蘭佳が懸命に葉歌の名を呼ぶ。

 息を吸って、葉歌の口に息を吹き込む。

 胸が膨らんで、すぐに葉歌の口から息が抜けてくる。

 それを何度も繰り返す。

 蘭佳と視線を合わせて、真城は目を細め、すぐに再開する。

「葉歌……お願いだから、目を開けて……」
 真城の目からポロリと涙が零れ、葉歌の頬にポタポタと落ちた。





『っ……っく……うっ……ここどこぉぉ……?パパ……ママァ……』
 小さい頃、あかりは暗い森の中で迷子になったことがあった。

 どっちに行けば帰れるのか、分からなかった。
 ただ、泣くだけで……解決策など、まだ3歳のあかりの頭には浮かぼうはずもなかった。

『……迷子か?』
 少年の声がして、あかりはすぐに顔をほころばせて顔を上げる。

 誰かに会えれば帰れる。
 それはとても短絡的な発想だったと……思う。

 赤い髪で、背の高い少年が小さなあかりを見下ろすように立っていた。
 手にはウサギの死骸が握られていて、肩から剣を提げている。
 鷹のように鋭い眼差しと血まみれのウサギに気圧されて、あかりはすぐに泣き出した。

『うわぁぁぁぁん……こわいよぉ……』
『え……ちょ……あ、こ、これのせいか……?』
 少年は慌ててウサギの死骸を草むらの中へと投げ捨てる。

『お前、迷子か……?』
『うわぁぁぁん……』
『……なんなんだ、お前……』
『うさぎさんが、かわいそぉぉぉ……うわぁぁぁ……』
『うさぎさ……。……あれは、持って帰っても食うだけだし……』
『たべるのぉ?!』
『食う以外で殺すわけねぇだろ!!』
 少年は勢いよく叫んだ後にしまった……と口を押さえる。

 あかりはその声に驚いて、更に涙が止まらなくなった。

 少年が困ったように眉をひそめ、その後になんとなくあかりの頭を撫でてきた。

『ひっく……ぅぅ……』
『悪かったよ。不安な時にあんなもの見たから、驚いたんだよな……』
『……っ……にーちゃのおてて、あったかい……』
『ああ、さっきまで駆け回ってたからな』
 少年は自分の手を見つめてぽつねんとそんなことを言った。

 すぐにあかりの手を両手で包むように握り締めてくれる。

『冷たいなぁ……長い時間、迷子だったんじゃないか?』
『おひさまおっかけてたら、いつのまにかいないいないになっちゃったの……』
『……お前、馬鹿だろ……?』
『うぅぅ……あーちゃん、ばかじゃないもん〜……』
『…………。とにかく、帰るか。親が心配してるんじゃないか?』
 少年はため息混じりでそう言う。

 すると、あかりはぱっと表情をほころばせた。

『帰れるの?!』
『ああ』
 少年がそこでようやく白い歯を見せて笑った。

 あかりが何も言わずとも、少年はあかりと手をしっかり繋いで歩き始めてくれた。





『うぅぅ……どうして、誰も気がついてくれないんだ……。この世界が、壊れちゃうのに。……っく……神様は……この世界なんてどうでもいいんだ。……だから、気がつかないんだ……』
 丘を御影とキミカゲと歩いていると、あかりの耳にそんな声が聞こえてきた。

 誰かが、泣いている声だった。

 あかりはすぐに振り返る。

『誰……?』
 首を傾げてそう呟いた。

 キミカゲがはじめにそれに気がついて立ち止まり、あかりに声を掛けてくる。
『あかりちゃん?どうしたの?』
『え……あの、誰か泣いて……』
『放っておきなさい』
 御影も立ち止まって、ぴしゃりとそう言う。

 キミカゲが二人を交互に見比べながら、耳を澄ますように耳に手を当てた。
『……誰の声もしないけど……?』
 すぐに小首を傾げて、そう言う。

 あかりはすぐに目を細めた。
『どうしよう……どうすればいいの……誰か、助けて……』

『ほら……誰か、泣いて……』

『あかり!』
 あかりが声のするほうに歩き出そうとすると、御影が不機嫌そうに叫んで、すぐにあかりの腕を掴んだ。

 あかりは御影の顔を見上げる。
『首を突っ込むのはやめて』
 悲しそうな御影の眼差し。

『嫌な……予感がするの……』

『で、でも……あんなに寂しそうに泣いてる。助けてって言ってるじゃない』
『いいから!』
 御影が無理矢理あかりの手を引っ張って先へと行こうとする。
 その迫力に圧されて、キミカゲも驚いたように目を見開いた。


『……迷子か?』
 あかりの頭に、初めてセージに出会ったあの時の言葉が過ぎった。
 彼は……見て見ぬふりをしても良かったのに、あかりにそうやって声を掛けてくれた。
 森は大して深くなくて、両親が探しに来てくれればすぐに見つかるようなそんな場所だったけれど、彼は気がついてすぐに声を掛けてくれたのだ。
 自分は……ああでありたいと……そのことに気がついた時に思った。


 あかりは御影の腕をパンと払い、すぐに声のするほうに駆け出した。
『あかり、ちょっと待ちなさい!』
 御影もすぐに追いかけてくる。
 その後に続くのはキミカゲだ。

『誰か、助けて……。不安で、寂しいよ……』

『どうしたの?』
 あかりは声に向かってそう言った。

 たぶん、そこにいるであろう誰かに向かって。

『……きみは、ぼくが見えるの?』
『……見えないけど、声が聞こえるよ?』
 あかりはほんのり笑って、そう言った。

 するとふわりと風が吹いて、あかりの柔らかい髪をゆらゆらと揺らした。





 真城の息が葉歌に吹き込まれる。
 葉歌は流れ込んでくる記憶に身を任せるのと同じように、真城の呼吸を受けて肺が膨らみ、萎むのを繰り返す。

 どうして、こんなにも戻りたいという気持ちが湧き出てこないのだろう。

 胸が痛い。

 そっと胸に手を当てると、そこはぽっかりと穴が空いていた。

「……ああ……取られちゃったのか……」
 葉歌はぼんやりとそう呟いた。

 あの時、『御影』が繋いでくれたあかりの命。
 霧散するはずだった魂は、『彼女』が無理矢理引き出した欠片によって、繋ぎ止められた。

 だから……無くなってしまった今、自分は死ぬ運命にある。
 それを仕方ないと思ってしまうのは……自分の魂がきちんとした形を保っていないからだろうか。

 いつもの自分なら、こんなことで諦めたりしない。

 真城との約束があるから、絶対に諦めないのに……。

「だって……しょうがないじゃない……」

 ぽっかり空いた穴から、エネルギーが抜けていく。
 葉歌の体が徐々に衰弱する体だったのは、このせいだった。

 ……真城、頑張ったって無駄だから、もうやめなよ……。

 そんな言葉が、葉歌の頭を過ぎる。

『ハウタさんらしくないよ』

「え……?」
 葉歌はその声で振り返った。

 そこには、耳の尖った小さな男の子がふわふわと浮かんでいた。
 緑色の髪はくりくりとしていて、表情はやんちゃ盛りの子供そのものだった。

『ハウタさん。約束したでしょう?ぼくが護るって』
「……ええ、取り戻そうと……してくれたね」
『約束はね、守るものなんだ』
「……そうだね……」
『あかりは、ぼくにそう教えてくれたんだよ』
 風歌はにっこりと優しく笑った。

 ふよふよとこちらに近づいてくる風歌。

 小さな手の指先が葉歌の唇に触れる。

『ごめんね。『御影』を救うって約束は守れないけど、きみを護る。……この約束だけは、守るから』

「……ふ……」
 葉歌は風歌の名前を呼ぼうとしたけれど、
 風歌の唇がちょんと葉歌の唇に触れて、次の言葉が出てこなかった。

 ふわりと爽やかな風のようなものが葉歌の口に注ぎ込まれる。

 ゆっくりと、唇を離して、風歌はにっこりと笑った。

『きっとね、マシロが救ってくれるから。それで、約束、守れたことに……してくれないかなぁ?』
 目を細めてそう言うと、風歌の体が風へと形を変えていった。

 さわさわと音がして、葉歌の髪が揺れる。

 まるで、葉歌を抱き締めるように、風は葉歌のことを抱きこむ。

『はじめから、こうすればよかったかなぁ?……でも、あの時のきみじゃ、ぼくの声に気がついてくれなかったから。……うん、間違えてないんだ……きっと』

 葉歌はその声に涙が零れた。
 ……きっと、精霊は……風歌は、魂で恋をした……。
 精霊の感情を恋とは呼ばないなんて……そんなことを考えた自分は、一体どれほど愚かだったのだろうか?

 『彼』に対しての、あかりの好きも、葉歌の好きも……決して恋ではなかった。
 それが……とても、申し訳なくて、悲しくなった。

『泣かないで、ハウタさん。きみは、マシロやカイのためだけに泣いて。ぼくなんかのために……泣かないで……』

「……風歌……」

『大好きです。好きで好きで、仕方ないって言ったでしょう?だから、絶対に幸せにしてあげるって』

「わたしは……あなたに何もしてない。したのは、あかりじゃない……」

『ぼくはあかりもハウタも……同じだと思ってるもの。……ああ……幸せだな……ぼくの1000年は、きみを救うためにあったって思ったら、たまらなく嬉しくなってきた。……………………さようなら……あかり。さようなら……ハウタ……さん……』

 そんな可愛らしい声が耳に残り、葉歌のぽっかり空いた胸に、緑色の光を放つ欠片は、ぴったりと、隙間なく、納まった。


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