輪廻の章

 あの事件解決から約4年の時が経った。  時は全てを忘れるように流れ、人々は戦争の傷跡を癒すように、次の時代を見つめていた。  ある人は口を閉ざすように。ある人は拓けた未来に手を広げて……。


 葉歌、22歳。
 只今遊学中の身。
 体もすっかり良くなり、元から持っていた快活さを存分に発揮する。
 風跳びを使えることをいいことに、今は世界中を跳びまわっている。


 二通の手紙を持って葉歌は屋敷を訪れる。
 それは3ヶ月に1回、必ず繰り返される行動。
 髪は以前より伸び、その髪を緩く編み上げている。
 服の趣味は大して変化がないが、少しばかり薄着になった。
 夏の気候に合う薄手でふわふわと風にそよぐシャツとスカート。
 ゆっくりと扉を開け、葉歌は笑顔でいつもそこに立っている執事見習いの青髪の少年に声を掛ける。
「こんにちは、櫂斗(かいと)くん」
「あ、こんにちは、葉歌さん。お久しぶりです」
 櫂斗は緊張した面持ちではきはきとそう言う。
 もう二年になるというのに、彼からは初々しさというものがなかなか抜けない。
 それがおかしくて、葉歌はクスリ……と笑いをこぼした。
「執事長は部屋にいます!」
 すぐに笑顔でそう言う。
 確か、年は16……だったか。
 なんとも……少年らしい少年と言っておくか。
 龍世と同い年……と思えば、まだこちらのほうが……いや、そうでもないか。
 龍世はあれでいて、考え方だけは3歩先を行っている……。
 そんなことを考えつつ、笑顔を返して月歌の部屋へと向かう。
「やっぱ……綺麗だぁ……」
 そんな声が後ろでした。
 葉歌は丸聞こえなのがおかしくてもう一度クスリと笑う。
 しかし、あの兄が執事長。
 そんなこと言っても、兄と櫂斗しかいないのだけれど。
 何度考えてもおかしいが、今後、生涯この家に兄が仕えるのであれば、きっと、問題はないのだと思う。
 コンコンと一応ドアをノックし、すぐに葉歌は部屋へと入った。
「……葉歌、返事してから入っておいで」
「どうせ、仕事しかしてないでしょ」
 月歌が呆れたようにそう言うので、葉歌はすぐに兄の背中に言葉を返した。
 夏仕様の執事服。
 4年前は目が慣れなかったが、さすがにもう似合っているような気がしてきてしまった。
 月歌はゆっくりと振り返り、困ったように首を傾げた。
 眼鏡は黒縁眼鏡からフレームの細いものへと買い替え、葉歌と同じふわふわの髪は少しだけ短くなっている。
「兄ぃ、寝坊したんでしょう?」
「……ええ。良く分かりましたね」
「髪上げてないから」
「ああ、なるほど」
「まぁ……三十路街道に入ったことだし、少し若ぶったほうがいいかもねぇ」
 葉歌はさらりと嫌味を言って、スタスタと月歌に歩み寄った。
 真城が『男は40からなんだよ』と激しく主張していたことを思い出した。
 あの主張を聞いた時、少々不安を覚えた。
 もう少し待って……という4年前の言葉を思い起こして、真城のもう少しって言うのは何年?と疑問が浮かぶ。
「それで、あの……」
 月歌が落ち着かないように眼鏡をカチャリと掛け直し、何か言いたげに葉歌を見下ろしている。
 葉歌は目を細めて、すぐに月歌に一通の封書を渡した。
「はい、御所望の文です」
「あ……はい。ご苦労様」
 葉歌からそれを受け取り、月歌は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「どうせ、村長様に2枚、おば様に2枚、兄ぃには1枚よ」
「……う、うるさいですよ……」
 葉歌がからかうように言うと、月歌は眉をひそめて困ったように目を細めた。
 葉歌はその1枚の理由が、とてもとても綺麗な想いで出来ていることを知っていたけれど、心の中にその言葉は持ったままでいる。
「……元気でしたか?」
「ええ」
「そうですか」
 葉歌の言葉にほっと胸を撫で下ろし、大事そうにデスクに封書を置いた。
 葉歌がすぐにもう一通の封書を突き出す。
 月歌はそれを慣れたように受け取って、笑顔を浮かべる。
「確かに。送っておきます」
「……返事、ない?」
「……ないですよ。残念でしたね」
 月歌はいつものこと……と言いたげな顔でそう返してきた。
 葉歌はすぐに不機嫌そうに眉をひそめる。
 一通も返してこない……。とてもとても、悔しい。
「あ……と、でも、御影さん宛てには来てるんだった」
「え……?」
「……戒くんから、御影さん宛てに」
 月歌は言い辛そうにそう言って、ゴソゴソ……と手紙の束から一通の青い封筒を取り出してくる。
 葉歌はそれをおずおずと受け取る。
 『御影様』と緋橙の民族文字で、意外と綺麗な字で書かれた手紙を見つめる。
「あの人、……蒼緑寄りの文字読めないのかしら?」
「いいえ、読めるとは思いますよ。字が、とても綺麗です」
「…………。納得いかない」
「戒くんは、葉歌相手だと、わかった。いや。そうなのか?ばかりですからね。しょうがないんじゃないですか?」
「…………。肯定ならいいんだけど、……何か癇に障って返してこないのかと……」
 葉歌は青い封筒をバッグに丁寧に入れると、不安そうに唇を尖らせた。
 それを見て月歌が嬉しそうにニコニコ……と笑みを浮かべる。
「何よ?」
「いえ」
 月歌はすぐにコホンと咳き込んで首を振った。
「それでは、私はそろそろ仕事に戻りますので。葉歌、跳びまわるのはいいですけど、気をつけて行ってきて下さいね」
「……ええ、分かってるわ。真城が心配してたから、その言葉そのまま返しておく」
「ありがとうございます」
「わたしじゃないわよ、真城よ」
「ええ」
 月歌は葉歌の言葉を見透かすようにニコリと微笑んで、すぐにデスクへと向かった。
 なので、葉歌もすぐに部屋を出て、ため息を吐きながら、エントランスへと歩き出した。





 戒、20歳。
 終戦後、指名手配の刑を受けるために国へと帰った。
 ただし、カヌイは迫害の対象であったこともあり、刑期はだいぶ考慮された。


 暗い牢獄の中で、戒は蝋燭に火を灯した。
 ぶわりと室内がほの暗く映る。
 少し伸びた前髪を邪魔そうにかき上げ、すぐに葉歌から届いた手紙を丁寧に開ける。
 服は月歌が気を利かせて送ってくれたYシャツとジーンズ。
 適当に椅子の上に胡坐をかいて、ぼんやりと手紙に目を通し始める。
 いつも……彼女の手紙はこう始まる。

『真城の髪がまた伸びました。』

 戒はふっと口元を緩ませて、次の行へと目を運んだ。

『……ああ、ごめん。なんというか、ずっと短かったから、どうにも違和感が……。綺麗になっていくのを見るのが幸せ……とは言ったものの、男所帯のあんなところで、少しずつ女らしくなっていかなくても……と思うわけです。

 そちらの生活はどうですか?
 ……もちろん、快適な訳はないのだけれど、ご飯が出ないとか、守衛にリンチされるとか……そういう問題はありませんか?
 監獄の噂はあまりいいものがないので、無口で不器用なあなたは、何かしら問題が起こっているのではないかと、少しばかり心配です。』

 真城は髪が伸びてもきっとあのままなのだろう……と、戒の心をそんな言葉が掠める。
 文面は顔を付き合わせた時とは全然違っていて、まるで母親か姉のような口振りだ。
 ……どうにも、違和感があって、返事の言葉に困り、いつも何も書けずに終わる。

『刑期も……半分を過ぎましたね。
 ……ただ、あなたの心の傷を考えると、刑期など……本当はあるはずはないと、わたしは思ってしまうのです。
 ……もしかしたら、前にもこんなこと書いたかしら?重複していたらごめんなさい。
 あなたの犯した罪は、決してしてはならないことだったと思います。
 けれど、世界があなたたちにしたことは、それ以上に……重い罪です……。
 二度と、このような悲劇が起こらないように。終戦後から、各地で色々な動きが起こっているようです。』

 戒は目を細めて、ゆっくりと天井を見上げた。
 蝋燭の火の揺れに合わせて、影と光が揺れる。

『帰る場所すらなかったあなたたち民は……どこを故郷とするのでしょうか?
 ふと、そんなことを考えることがあります。
 わたしの故郷は……ここ。風緑の村です。
 あなたは……もしも、出所したら……どこに行きますか?
 どこに、帰りますか?
 ……黙って、どこかにふらっと行くようなことだけは、やめてくださいね。』

 静かに戒は目を細めて、ページを捲った。
 彼女はいつも、どんな顔をして、こんなに切ない言葉を書くのだろうか……。
 ふと、そんなことに心が留まった。
 4年前に得た、穏やかな心は、少しずつ戒にそんなことを考えさせるようになった。

『……なんだか、あなたはわたしには何も連絡をくれずに消えてしまうような……そんなイメージがあります。』

 おそらく、前のページに書こうか書くまいか迷った後に書かれた言葉なのだろうと感じた。

『……もう、分かりきっていることだけど、一応書かせてください……。










 好きです。』

 何行かの空白があった後に、その言葉はあった。
 戒は目を細める。
 ただの面倒見のいい女……そんな印象で見ていたと言ったら、きっと叩かれるだろう。
 気持ちは別にある。
 けれど、彼女の視線をそのように単純に受け止められるほど、戒は勘が良くなかった。

『曖昧にしておくと、真城の時みたいになってしまう気がするので、伝えておきます。』

 戒の心が少しだけ温かくなった気がした。
 他の事はあれだけ長ったらしく書いておいて、大事なところはたった一言。
 それが、葉歌らしいと思う。

『それと、これは……追伸……になるのでしょうか?
 真城に、あなたが救世主が最期に願ったことを知りたがっていたということを、ひょんなことから聞きました。

 最期に願ったこと……というのは、あかりが、キミカゲくんに言おうとして、結局届かなかった言葉のことだと、わたしは解釈しました。』

 戒はその言葉を読んで、ふと、息を止めた。
 心の中で、キミカゲがさわさわと騒ぐ。
 ずっと、叶えてあげられなくて悔やんでいた、最期の願い。
 キミカゲが……少しずつ頭をもたげてくる。

『あかりの最期の願いは……。
 何のことはありません。

 キミカゲくんに、傍にいて欲しかったのです。
 息絶える、その瞬間まで……あなたに傍にいて欲しかった。

 たった、それだけのことです。

 それだけのことだけれど、とても悲しいなと……あなたが気にしていることを知った時に、思いました。』

 戒の目からポロポロ……と涙が零れ落ちる。
 いつも丁寧に扱っていた手紙に、今回だけは涙の跡がついた。
「あかりちゃん……ごめん……ごめんなさい……。僕、僕は……死んで欲しくなくて……必死で……」
 戒の声が、可愛く跳ねる。
 苦しげに何度も呼吸を繰り返して、時折グズグズと鼻が鳴る。
「セージ様にそのことを報せに行く時も……怖かった……。けど……あの人は、ただ……そうか……とだけ言って……。誰も、誰も責めてくれなかった……。御影ちゃんを殺した時は……誰かに責められることが怖かったのに、あかりちゃんが死んだ時は、誰も責めてくれなくて悲しかった。彼女は……世界を護るために頑張っていたのに……って」
 戒……いや、キミカゲはこみ上げてくる感情を言葉にしなければ落ち着かないように、戒の口を、戒の体を借りて、自分の感情を必死で表現する。
 あかり様あかり様と崇めておきながら、その存在が消えた後、彼らはすぐにそんな少女の存在など忘れようとした。
 だから、自分は必死に書き綴った。
 狂ったと思われても、叫び続けた。
 ……この国は、救世主によって救われたのだと。
 救世主の美談を取り入れて、蒼緑の国が永世中立国となったのは、……キミカゲが死んで、数年後のことだった……。
 戒は何度も何度も涙を拭う。
 目が痛くなるほど、涙が出てくる。
 キミカゲがようやく落ち着いたように、少しずつ戒の意識の中に埋もれてゆく。
 ……彼が待っていたのは、この……カタルシスの時か……。
 御影にも伝えるべきことを手紙にして送った……。
 きっと、彼の心残りは……もうなくなる……。


 戒はポツリと呟いた。


「真城、……葉歌……ありがとう……」

と。


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