亡霊の章

 御影、22歳。
 塔のあった草原に璃央と香里の墓を作り、弔いを続けている。
 葉歌の影響か、少々口の聞き方が悪くなったようだ。


 御影は、タンタン……と野菜を細かく切り刻む。
 白に蒼のラインの入ったシャツと黒レースのスカート。
 夏になったので、涼しくしようと肩の辺りで切りそろえた髪がさらりと落ちる。
 コンコン……と小屋の戸が叩かれて、御影はすぐに包丁を止めた。
「はい?」
 スタスタと歩いていき、戸を開けるとそこには葉歌が立っていた。
 少々不機嫌そうに俯いていたけれど、御影の顔を見てすぐに顔をほころばせる。
「久しぶり、御影」
「葉歌さん?あら、この前来たばかりなのに……どうしたんですか?」
「うぅん……と、仏頂面から手紙」
 葉歌は困ったように視線を動かして、すぐにバッグから青い封筒の手紙を取り出し渡してきた。
 御影はきょとんとして、その手紙を受け取る。
「え……?あなたに……じゃなくて?」
「聞かないで。すっごくイライラしてるんだから」
「あ、うん、わかりました」
 葉歌の寂しそうな表情を見つめて、御影はほんのり笑みを浮かべ、そう答える。
 それを見て葉歌はすぐにはぁ……とため息を吐く。
 御影がすぐに封筒を器用にピリピリ……と破いていく。
「癒し系……よね、あなたって……」
 葉歌は腰に手を当てて、吐き出すようにそう呟くと、すぐに踵を返した。
「あ、内容、お話しますよ」
「駄目よ」
「え……」
「あの人が手紙を書くなんて、よっぽどのことなの。……ちゃんと、読んであげて」

 葉歌は笑顔でそう言うと、ヒラヒラ……と後ろ手を振った後に、璃央と香里の墓に微笑みかけ、すぐにどこかへと跳んで行ってしまった。
 ……全く、平気そうな顔をしていても不安なのが分かったから、目の前で読もうと思ったのに……。
 きっと、また早とちりでもしているんだろうなぁ……。
 なんだかんだで、二人は似たもの同士だ。

 御影はすぐに椅子に腰掛け、封筒の中身を取り出した。

『……久しぶり……という表現で合っているだろうか?
 分かると思うが、僕は……文章は苦手だ。』

 はじまりから彼らしくて、クスクス……と笑いをこぼす。
 紙面に綴られた文字はとてもまめそうな綺麗な字。

『用件だけになる。……葉歌には情趣に欠けると言われてしまいそうだが……。』

 御影は長い睫毛を伏せて、視線を下へと動かす。

『『御影』のことだ……。
 キミカゲの心に本当は誰がいたのか……。
 それについて』

 口振りも暮らしぶりも適当な人なのに、やっぱり彼はどこかまめな人だ。

『キミカゲの心には、『御影』がいた。』

 ふと御影はその文章に目を留めた。

『……好きだったのだと、思う。
 きっと、子供の頃から。
 近くにいすぎて、気がつけなかったけれど。
 遅すぎるかもしれないが……。』

 手紙はそこで終わっていた。
 とても愛想がなく、全くフォローのない手紙。
 御影は心の中で呟く。
 これじゃ、返事なんて書けないよねぇ……と。
 字はこんなに綺麗だというのに、勿体無いったらない。
 御影はクスクス……と笑いをこぼし、そっと胸に手紙を押し当てた。

 心の中で『御影』がさわさわと音を立てる。

「……よかったね……」

 御影はそう呟いた。


 そして、すぐに思いついたように立ち上がると、外へと出て行く。
 草むらをザカザカと歩き、璃央の墓の前までやってきた。
 空っぽの墓……。
 蘭佳が気を利かして送ってくれた遺品は全て……小屋の一番大切なものを入れる箱に入れてある。
 御影は胸の前で指を組み、笑いながら報告をした。
「初恋の相手に、告白されてしまいましたよ、璃央……」
 草原を風が通り過ぎていき、風車がクルクルと回る。
 御影の髪をさらさらと揺らした。


「……それは、とても嫉妬深いことですね」
 御影はその声に目を見開く。
 その声を発する人は……もう、この世界のどこにもいないはずの人だった。

「駄目ですよ、彼だけは。……せめて、僕の知らない人にしてください」

 カチャカチャ……と何か鉄のものが微かにぶつかり合う音を立てながら、足音が近づいてくる。

「振り向かないで」

 声がそう言う。

 なので、御影は動かずに前を見つめているだけ。
 草むらに、鉄製のステッキが音を立てて倒れた。
 御影はそれを横目で確認する。
 白と青の……ステッキだった。

 次の瞬間、ふわりと御影の体を後ろから抱き寄せてくれる優しい腕。

 ぬくもりだけで、涙が出てきた。

 ポロポロと……頬を雫が伝う。

「バ……カ……」
「すいません。どうも、僕はしぶといみたいです」
 御影の言葉に、あまり罵られ慣れていない璃央は真面目な声でそう返してきた。

 御影はフルフルと首を横に振った。
 璃央の手が御影の手を包み込む。
 彼の手は昔はとても温かかったのに、今はとても冷たかった。

「……どうして、生きているなら生きていると……連絡をくれなかったのですか」
「申し訳、ありません」
 璃央は静かな声でそれだけ言い、相変わらずフォローの言葉はない。
「ごめんね」
「…………」
「とても長い間一人にしてしまったけれど……」
「…………」
「……間に合ったでしょうか?」
「…………離してください」
「…………。御影……」
 璃央の声が少しだけ不安そうに揺れたが、御影の言葉に従うように、すぐに腕の力が緩んだ。
 御影はすぐにクルリと振り返る。

 そこには、悲しそうな目をして璃央が立っていた。
 少しばかり、背が伸びたような……気がする。
 髪は片側だけ耳にかけるようにあげられており、長い前髪が少しだけ目にかかる。
 服は上等なものではなかったけれど、彼が好んだ白と青を基調とした服だった。

「バカ……」
「申し訳ありません」
 御影の言葉に、璃央の表情が少しばかり萎縮する。
 まるで、叱られるのを怖れる子供のような表情だ。
 御影はすぐにクスクス……と笑い声をこぼした。
「違うんですよ、璃央様」
「え……?」
「このバカは……罵っているわけでも、怒っているわけでもないんです」

 御影はそっと彼の胸に顔を埋めた。

「わたしの世界には、あなただけがいる」

 月歌の素振り、口振りを見て思い出すのはいつも璃央のことだった。

「つくづく、わたしにはあなたしかいないんだと……思い知らされました」

 きゅっと、璃央の腰に手を回して、しっかりと抱きつく。
 璃央はその力に負けるように後ろへとカクリと倒れてしまった。
 璃央が痛みで顔を歪める。
「つつ……」
「璃央?大丈夫?」
「ああ、はい。少し、歩くのが不自由になってしまったので。力が入らずすいません」
「…………」
「大丈夫ですよ。ほとんど問題ないですから。それよりも……」
「 ? 」
「璃央……のほうが、響きが良いような気がしますね」
 璃央は顔を赤らめてそんなことを言うと、ゆっくりと御影の頬に触れてきた。

 すぐに感覚でわかる。
 彼の言葉で言うのなら……肌を寄せるだけで分かる……というやつだ。

 そっと御影は目を閉じる。

 璃央の声が愛しそうに響く。

「愛しています」

 そっと、優しい唇が、御影のそれに触れた。





 龍世、16歳。
 引退した父の跡を継ぎ、れっきとした木こりになる。
 木こり印も10個目が付き、近場の山には敵なし。

 すっかり背の伸びた龍世はふぅ……と息を吐いて、大木を見上げた。
 昔から自慢していた二の腕はさらにたくましさを増し、ふくらはぎも触り甲斐のありそうな締まり具合を強調している。
 胸元に5つ。右腕に5つの赤い木こり印があり、服装は成長に合わせて、サイズだけ大きくしたもの。
 白い歯を見せて、にぃや……と笑みを浮かべる龍世。
 体躯に反して、少しだけ骨ばっただけで童顔の顔立ちは変わっていない。
「今日は、大漁〜!」
 そんなことを叫んで、思い切り大斧を横に振りかぶり、コーン……と大木の幹に刃をめり込ませた。
 森の中をコーンコーン……と木を倒す音が響き渡っていく。


 きっちり自分の仕事を終えて、龍世はスキップ混じりで村へと帰った。
 明日はあれを解体して、遠くの村に売りに行くのだ。
 前までは真城の屋敷に納め、父が王都にいくらかの木材や細工物を売りに行くだけだったけれど、二年前に妹が出来たこともあり、龍世はそれはもうしゃかりきに働きまくっていた。
 家では父が細工物を作っている。いずれ、そちらの仕事も龍世が引き継ぐことになるだろう。
「あ、たっちゃん、おかえりなさい」
 いつも飴をくれるお姉さんが笑顔で龍世に会釈をしてきた。
 なので、すぐに龍世はにっこりと笑う。
「うん、お姉ちゃん、ただいま♪」
 答えた瞬間に条件反射で腹の虫が鳴った。
 龍世はすぐに腹をさすって、髪の毛をくしゃくしゃ掻く。
「たはは……」
 お姉さんは分かっているようにバッグから紙に包まれた飴玉を5つ渡してくれる。
「あれ?いっつもより多いね」
「ええ。私ね、来週村を出て行くのよ」
「え……?」
「結婚するの」
「あ、そうなんだ♪おめでと〜!」
「ありがとう。……真城様も村を出て行って、葉歌さんも不在しがちで。……なんだか、この村も学生時代みたいにはいかないなぁ……なんて、少し感慨に耽りながら今週は色々なところを歩いて回ることにするわ」
「…………。うん、そうだね。でも、来年には真城も帰ってくるから、そしたら、お姉ちゃんまたおいでよ」
「ええ。真城様の仕官式には……必ず」
「うん♪」
 龍世はにっかしと笑って見せて、すぐに駆け出す。
 その背中を切なそうにお姉さんが見送っていることを、知ることもなく。

 龍世が家に帰ると、テーブルの上に手紙が置いてあった。
 龍世は斧を下ろして、それを手に取った。
「ねぇ、これ、誰宛て?」
 妹をあやしている母にすぐに尋ねた。
 この家で文字が読めるのは……母しかいない。
「……ちょっと、緋橙寄りの文字だから、あんた宛てじゃないかと思うんだけどね」
「え……母さん、読めない?」
「母さんも、そんなに学があるわけじゃないから。……まだ、外も明るいし、月歌さんに読んでもらっておいで」
「……わかった。じゃ、行ってきまーす」
「はい、行ってらっしゃい」
 龍世はタタタッと山を駆け下りて、すぐに真城の屋敷へと入っていく。
 智歳だったら必ず月歌を通して手紙をくれる。
 ……戒が龍世に手紙を寄越すわけもないし……。
 それでは、……この手紙の差出人は、一体誰だろうか?

 扉を開けると、櫂斗がすぐに笑顔で迎えてくれる。
「かっとん、つぐたんは?」
「…………。あ、し、執事長は……今キッチンに」
 龍世の無邪気な呼び方に困ったように櫂斗は首を傾げて、すぐにハキハキと答えてくれる。
「そっか、ありがと」
「あ、でも、執事長に、龍世さんはキッチンに入れないようにって言われて……ちょ……龍世さん……」
 櫂斗の言葉など全く気にも留めずに、龍世はスタスタとキッチンへ続く扉を開けた。
 開けた途端にいい香りが鼻をくすぐる。
「うわぁ……美味そう……」
 すぐに龍世はよだれが出そうになる感覚に襲われた。
 冷製パスタを皿に盛り付けていた月歌が慌てたように駆けてきて、すぐに龍世を外へと押し出す。
「な、なんだよぉ……」
「たっくんは食べちゃうから入ってはいけません」
「そ、そんなことしないよ……。ガキじゃないんだから」
「そうですか〜?」
 月歌が龍世の顔を見つめておかしそうに笑いながらそう言う。
 龍世はすぐに握り締めていた手紙を差し出した。
 すぐに月歌はそれを受け取って、眼鏡をくいと上げながら見つめる。
「ん?手紙……?」
「なんて書いてあるのか、読んで」
「たっくんのところに?」
「うん」
「……これは、可愛らしい文字ですね。ラブレターでしょうか」
「え……?!」
 龍世はびっくりしたように目を丸くする。
 そんな相手、緋橙の国にはいない。

「……本当に、私が目を通していいんですかぁ?」
 月歌はからかうように笑いながら、胸元からペーパーナイフを取り出して、丁寧に開ける。
「あ、え、や、やっぱだめ……あ、でも、それじゃ、読めないんだ……えと……」
 龍世が珍しく困ったようにあたふたとしているのを見て、月歌はクスクス……と笑う。
「ああ……たっくん」
「なに?」
「急いだほうがいいですよ」
「え?」
「この手紙の差出人は、どこかで待っているようです」
 月歌は手紙を見つめてそう言った。
「消印がないの、気になってはいたんですけど。……たぶん、この手紙、手渡しであなたの家まで届いたんじゃないでしょうか?」
「…………な、なんて書いてあるの?」
 龍世はすぐに月歌を見上げて、拳をぶんぶん振る。
 大きな体格にその素振りは不釣合いだったけれど、月歌は特に何も気にしないように読み上げる。


『あの夏の約束の場所で、あなたを待ちます。ひまわりの花を一振り、持っているのが私です』


 龍世はその言葉を聞いて、眉をひそめる。
 約束……?
 約束なんて、誰としただろう……?
 あの夏の……約束……?




『こーちゃん、明日暇?暇だったら、オレ案内してやるよ、この街』
『え……?』
『だってさ、こーちゃんってあんまり街の中歩きまわらなそうなんだもん。だから、オレがおすすめの店とか案内してあげる』
『ほんとですか?』
『おぉ、任せなさい!』
『じゃ、じゃあ、お願いします』
『うん、約束ね♪ 明日街の入り口で待ってるよ』
『じゃ、私、一生懸命早起きしますね?』
『え、いや、そんなに慌てなくても平気だよぉ?』
 張り切る香里に向かって、龍世は困ったように笑顔を返した……。




 約束なんて、あの時以来していない。
 待って、来なかった時……自分が耐えられないと、そう思うから。

 ……けど、まさか……。
 あの塔で見た……香里の笑顔を思い出す。
 ニコリと、控えめに笑い……口が動いた気がする……。
『ごめんね』
 と。

 そんな……そんな馬鹿な……。
 だって、香里は……死んだはずじゃ……。


「たっくん」
「え?あ……」
 月歌の声で、龍世ははっと我に返った。
「真実は目の前にしかありませんよ」
「…………」
「その目に映らなければ、ごみになって消えてしまいます」
 月歌は優しくそう言うと、手紙を丁寧に折りたたみ、龍世のベストの胸ポケットに入れてくれた。
「……心当たりがあるのなら、行くべきではありませんか?」
 声はいつものように優しいけれど、目をとても真剣だった。
 ……自分は、真城に何も言えないくせに……。

「い、行ってくる!!」
「はい、行ってらっしゃい」
 月歌はにっこりと笑う。
 龍世はすぐに駆け出した。

 エントランスの扉を強引に引き開け、外へと飛び出す。

「執事長……やっぱり、かっこいー……」
 櫂斗が感情を込めてそう呟いたのが、龍世の耳にも届いた。


 龍世はとにかく走った。
 太陽がもう西に傾いている。
 急がないと……いなくなってしまう。
 王都まで、どのくらいで着くだろう?
 全力で走って、どれくらいで着けるだろう?
 ……自分は、待っている人に、不安を、与えていないだろうか……?
 そう、心の中で呟く。


 走って走って、とにかく走って、立ち止まるのも忘れて、龍世は草原を走り続けた。

 太陽が地平線に沈んでいく。

 暗くなっていく中、4年前の自分は膝を抱えて、彼女を待った。

 みんなの言っていることは『嘘』で、あそこにいれば、『本当』が来てくれると思っていた。


 ……でも、『本当』なんて来なかった。


 龍世の欲しい『本当』は来なくて、現実は真実を龍世に知らせた。


 ……でも、龍世の欲しい『本当』がまだ残っているのだとしたら……?


 王都の門がだんだん近づいてきて、龍世はようやく走るスピードを緩めた。
 ゆっくりと、流すようなスピードで街の中へと入っていく。

 暗くなった街の中、門のところに、白いワンピース姿の白い麦藁帽子を被った少女が立っていた。

 胸には……ひまわりの花が……二振り……?

 少女はゆっくりと龍世に向かって真っ直ぐ歩いてくる。

 背も体格も変わってしまったのに、少女は迷わなかった。

「すごい……汗……。慌てなくても、待ってましたよ」
 少しだけ大人っぽくなった彼女の声がした。

 背は龍世の顎くらい……。
 智歳があれからすぐにぐんぐん背が伸びたのと同じで、香里も……忘れていた時を思い出すかのように、成長したのかもしれない。

「あの……あの……」
 龍世は酸素が足りなくて、次の言葉が出てこない。

 香里は微笑んで、ひまわりを二振りかざす。

「一振りのつもりだったんですけど、お店に置いてあるのが二振りだけで……可哀想だったので、買っちゃいました。……わたしと、ちーちゃんみたいでしょう?」

 彼女はそう言った後に、すぐに言葉を繋げた。
 ……とても切ない声で……。

「会いたかった……。ずっと……会いたかったです……」

 風が香里の長い髪をさらう。

 濃い紫色の髪は……すっかり白に近い色になってしまっていて、……彼女の直面した場面が、どんなに壮絶だったのか……智歳の言葉以上に、龍世に教えてくれた。


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