謎解の章 智歳、16歳。 終戦後、黄黒の国に帰り、国の復興に全力を注ぐ。 傀儡国家説も流れたが、智歳がうまく立ち回り、周囲の国に利用させないようにしている。 戒や緋橙についての裁判が行われた時、間に入ったのは黄黒の国だと言われている。 智歳は王座に不機嫌そうに座って、手紙を見つめていた。 催眠術の影響を受けなくなって4年、背はぐんぐんと伸び、真城には及ばないものの、これからまだまだ自分が伸びることを見越しているため、そんなことは問題としていなかった。 目つきは子供の頃より鋭くなって、切れ者の風体を体現しているかのようだった。 上等な黄色と黒の王族服を身に纏い、はぁ……とため息を吐く。 手紙には可愛らしい文字が並んでいる。 ……姉の文字だ。 緋橙にいた頃、自分が文字を教えていたから良く覚えている。 しかし、読み進めていくうちに、智歳は舌打ちをした。 「……俺より前に、なんで、龍世のとこ行くんだよ、馬鹿」 ボソリと呟き、またもやため息を吐く。 しかも……この文章から、龍世の言葉を香里が文章にしたものであることが容易に想像できるために、余計に腹が立った。 楽しげな光景が目の前に浮かぶ。 昔はふざけてからかいもしたが、実際冷静になって考えてみると……。 「やばい……このままじゃ、アイツが俺の義兄……」 智歳は苦笑混じりでそう呟き、ズーン……と落ち込んだ。 香里が生きていたという喜びよりもはじめに来たのが、そちらの落ち込みだなんて言ったら、姉は膨れるのだろう。 けれど……自分の中で上手く折り合いをつけて、彼女の死を受け入れた自分からすれば、なんとも拍子抜けしてしまうのだ。 生きていた……。 その言葉はどうにもしっくり来ない。 宙をふわふわ漂って、智歳の心にピタリと当てはまらない。 生きているのはなぜだ? 確かに自分は香里の瞳孔が開いているのも、呼吸をしていないのも確認した。 気だって……消えてしまっていたのだ……。 死んでいないはずがなかった。 智歳は手紙をどんどん読み進めていく。 正直龍世の言葉はどうでもいいのだ。 アイツはどうでもいいことしか言わない。 だから、手紙などやり取りする必要があまり湧かないのだが、健気に月に一回手紙をくれるから手すきになった時に自分も手紙を返すようにしていた。 適当に龍世の言葉をあしらい、香里の文章に入る。 『……色々と心配を掛けてしまってごめんなさい。 私も、あの時は死を覚悟していました……。私の心臓も、確かに、あの時一度止まったのです。 けれど、御影様の涙を見た時に、私は息を吹き返したのです。 これを……奇跡と呼ぶのならそうなのでしょう。 璃央様がそれにすぐに気がついて、その上で、私を匿ってくれました。 瀕死の私にオーラを分け与えて、あの塔に……連れて行ってくださったのです。 不思議な結晶が……あの塔にはありました。 それのおかげで、私の傷はなんとか癒えたのです。 少しの間、意識を失ったまま、時は過ぎてしまったけれど……。 私がこうして生きていられるのは、璃央様のおかげです。 だから、あまり璃央様のことを憎まないであげてくださいね。 終わりよければ全て良しだと、思いませんか? あれからすぐに連絡をしなかったのは、璃央様のお体の問題がありました。 黒い風に浸食されてしまった璃央様は、正気を取り戻すのに時間がかかってしまったのです。 ……でも、元より心根の強い方だから……なんとか、助かりました。 あ、はじめにそちらに行かなかったのは、ちーちゃんがすごい勢いで怒ると思ったからです。』 最後の文章を読んだ時に、姉の茶目っ気たっぶりの笑顔が浮かんだ。 ちっと舌打ちをする。 「当然だ……。怒るに決まってる……」 智歳は手紙を乱暴に折り畳んで、バシッと王座に添えられている小机に叩きつけた。 頭を押さえて俯く。 次の瞬間、ポタポタ……と涙が零れた。 「……よかった……。っく……よか……た……」 終わりよければ全て良し……か。 調子のいい言葉だ。 調子のいい言葉だけれど、それを……今、智歳もそう感じている。 まだ、姉が生きているということに実感は湧かない。 きっと、顔を見るまでは得心できない。 それでも……この言葉は、この手紙は、智歳が4年間苛んできた全ての苦しみを解消させてくれるものだった。 あの塔で、自分は……璃央の体に刃を突き立てた。 御影に向けようとした刃は、璃央の腹に突き刺さり、そして、彼が衰弱するに至る原因になった。 衰弱さえしなければ、あの結末でない違う結末が……あったのじゃないかと、自分は何度も夢に見た。 嫌いだった……。 二人とも大嫌いだった。 それでも、彼らに何か事情があるのだと……ようやく分かった瞬間、自分自身がとてもちっぽけに見えた。 事情があれば、人を傷つけていいことにはならない。 けれど……それは自分だってそうだった。 香里だってそうだった……。 護る者の為に、人の命を奪うこと、人を傷つけること。 心の中で、必死に智歳は言い聞かせる。必死に香里が言い聞かせる。 だって、そうしなければ、護ることができない。 たったひとつ、この手の中にあるものを護ることができない。 だから、犠牲が出るのは当然なんだ……。 その考え方は筋が通っているようで、歪んでいる……。 その歪みに、二人はどこかで気がついていた。 それでも、止まることは出来なかった。その手の中にあるものが、自分自身を映す鏡のように、大切なものだったから。 倒れて、意識を失った璃央を見た時、智歳はふと気がつく。 自分の中に、璃央に対する愛着のようなものがあるということに。 たったの4年間、それでも、彼は……2人の兄だった。 どうして気がついたのが、あの瞬間だったのだろうと……思った。 どうせ気がつくなら、もっと早く。気がつかないなら、気がつかないでそのままであって欲しかった。 苦しくて、仕方が無くなるから。 生きていた……。香里も……璃央も……。 璃央は言った。真城のような大人になりなさいと。 それは、自分の中の憎しみに対して、いつでも、本当にそれでいいのか?と問いかけられる人間。 自分の道理の尺に合わなければ、……頑固と言われようが首を振る。 必死に歩み寄ろうと努力する。譲り合うことを、まずはじめに考える。 それを子供と呼ぶ人もいるかもしれない。 それでも、純粋な心なしに……平和は訪れない。 賢い頭なしでは……騙されて利用されるだけだ。 真城が持ったのは純粋な心。 璃央は……それを捨てて、知識を選んだ……。 彼は……自分に託したのだ。 本当に持つべきだったものは、1つではなく2つだったから……。 それを、智歳はきちんと理解した。知識を持った智歳に託されたもの。 心と知識は……きっと、この国の為に。この……世界の為に。 ……大切な人たちの為に……。 智歳は涙を拭って、ゆっくりと立ち上がった。 小机に乗せておいたサーベルを握り、腰に吊るすと、王の間を出て行く。 やることは山程ある。 まだ、息づいたばかりのこの国には、多くの可能性が眠っているのだから。 香里、16歳。 死んだと思われていたが、突然姿を現し、周囲を当惑させる。 黄黒の国に一度帰るも、すぐに蒼緑の国に取って帰し、王城で気ままに前王妃の茶飲み友達をしているらしい。 ずぶりと、御影の放ったかまいたちが自分の体を貫く。 周囲に血が飛び散り、香里は自分の意識が失われてゆくのを感じた。 ……ああ、ごめんなさい、璃央様……。 そんな言葉が心を過ぎって、自分ってこんなに心残りがあったんだ……と感心するくらい、色々な人の顔が浮かんだ。 床に落ちて、香里はそのまま天井を瞳に映すことなく、呼吸が止まった。 ……たっくん……。 なんとなく過ぎったのは、彼の顔で……。 やっぱり、会えないのは……会えなくなるのは嫌だな……と、心が騒ぐ。 それでも、もう自分の生命機能は全て止まっていて、……終わりが、自分に天罰が訪れたのだと、そう思った。 香里は自分の体を見つめて、ぼんやりと立ち尽くす。 御影が香里の名を呼ぶ。 けれど、自分がそれに返事をしようとしても、声にならない。御影には自分が見えていない。 どうすれば、……あんな悲しそうな顔をさせずに済むのだろうと、唇を噛み締める。 その時姿を現したのが、璃央だった。 どうやったのか、一瞬で部屋の中に姿を現し、すぐに香里の傍に歩み寄ってくる。 璃央は躊躇うことなく、血まみれの香里の体を抱き上げる。 『いけません、お洋服が汚れます!』 香里はそう叫んだけれど、その声は結局空気に溶けてしまう。 綺麗な白のジャケットに、立派なスカーフに、香里の血液がどんどん幅を利かせていく。 それでも構わずに、璃央は大事なものを抱くように何度も何度も香里の背中をさすり上げている。 御影が事情を説明しながら、ボロボロ……と涙をこぼす。 違う……。御影には笑って欲しいのに。 自分も、璃央も、御影には笑って欲しいのに……。 香里は自分の体に必死に手を伸ばした。 ゆっくりと自分の体の中に……埋もれてゆく手。 トクン……と微かに心臓が動く。 その微かな動きに璃央はすぐに気がついたようだった。 一瞬何かを考えるように目を細め、その後に冷ややかな眼差しとともに、彼は言い放った。 「香里には悪いけれど、御影様、あなたが無事なら僕はそれでいいですよ」 そう言って、すぐに……彼は部屋を出た。 そこからは……香里の記憶にない……。 まどろみの中で、香里はぼんやりと意識をもたげた。 ゆっくりと目を開ける。 目の前にフィルターが張られたように、目がよく見えなかった。 けれど、花の香りが香里の鼻をくすぐって、すぐに視界も開けた。 部屋いっぱいに黄色い花が飾られていた。 まるで、お花畑にいるようだった。 ゆっくりと起き上がり、花を踏まないように慎重に歩き、用意されていた洋服と革靴に履き替える。 その革靴は石畳の上をコツンコツンと鳴らす。 まるで、蘭佳が履いている革靴のようで、香里は嬉しくなって何度もコツンコツン……と鳴らした。 ふと、壁に吊るされていた鏡に目をやる。 その瞬間、せっかく浮き立った心がすぐに青ざめた。 濃い紫色の髪は、香里の自慢だった。 母譲りのこの色は、唯一の、形見とも言えるものだったから。 けれど、目の前には……白髪にも似た……薄い紫色の髪……。 香里は静かに目を細める。 鏡の中の自分が寂しげに瞳を揺らしていた。 それをしばらく見つめていたが、すぐに気を取り直す。 あんなことがあったのだ、仕方がない。 とにかく、今は……自分が本当に生きているのか、その、確認をしよう。 そう心に言い聞かせて、香里は靴音を鳴らしながら、上の階を目指してゆく。 一つ上の階は、広い部屋になっていた。 色々と訳の分からないガラクタが置かれている。 香里はそれを見回しながら、ゆっくりと部屋を突っ切った。 もう一つ上の階にはおかしな装置が置かれていた。 壊してはまずいと思い、香里は手を触れずにすぐに突っ切る。 重い扉を押し開けて、また階段を上る。 もう一つ重い扉があって、香里は必死にその扉を押した。 すると、そこには、どこまでも空が広がっていた……。 呆気に取られて、その空の青さに見惚れる。 けれど、すぐに璃央の存在に気がついて、香里は良く分からないが、すぐに身を隠した。 璃央はずっと何かを悔やむように言葉を口にしていた。 寂しげな背中が、香里の目に映る。 すると、いきなり璃央は膝をつき、少ししてから石畳に突っ伏してしまった。 慌てて香里は彼に駆け寄り、おずおずと璃央の額に触れる。 ……触れた。自分は生きている。 彼に触れたことでようやくそんなことを実感した。 この体格差では動かすことは無理……。 だから、香里は立ち上がって言った。 「お布団、持ってきます、璃央様」 と。 少しだけ蘭佳になった気分で。 ぼんやりと、香里は街の風景を見つめたまま、街の入り口の門で立ち尽くしていた。 蘭佳に譲ってもらったワンピースは、まだ少し大きかったけれど、にっこりと笑みを浮かべて、何度も風に弄ばれるのを直した。 白の麦藁帽子は、璃央が別れ際にプレゼントしてくれた。 ひまわりを二振り持って、香里は静かに彼を待つ。 ……来て……くれるだろうか……? それとも、もう、誰か好きな人が出来て、来ては……くれないだろうか? ドクンドクン……と胸が鳴った。 なんとなく、こんな4年も経ってから現れる女なんて、もしかして、すごく迷惑なんじゃないかという気にさえなった。 思い出のままで、死んだことにしてしまったほうが、彼の中では綺麗な自分でいられたろうか? そんなことにまで心が動く。 「大丈夫……」 香里は自分に言い聞かせる。 こんな迷惑な女に、気を持たせた彼が悪いのだ。 思い切って開き直ってみる。 太陽が沈み始め、街の景色が暗くなっていく。 ……さすがに、もう、来ないかな。 香里は心の中で呟く。 そんなことを考え始めた時だ。 誰かがすごいスピードで街に駆け込んでくる。 直感が言う。 「たっくん……」 香里はすぐに歩き出した。 真っ直ぐに、迷いはなかった。 背も体格も大人に近づいた彼を見上げて笑顔で言う。 「すごい……汗……。慌てなくても、待ってましたよ」 本当に汗だくだった。暑い中、どれだけの距離を走ってきてくれたのだろう。 これくらいの余裕は許して。 待ちくたびれていたなんて、そんなこと、気取られたくない。 龍世は呆然と香里のことを見下ろしている。 狐につままれたような顔をしている。 「あの……あの……」 龍世は言葉を探すように目を動かし、口を動かすが言葉が続かない。 すぐに香里は微笑んで、ひまわりを二振りかざして見せた。 「一振りのつもりだったんですけど、お店に置いてあるのが二振りだけで……可哀想だったので、買っちゃいました。……わたしと、ちーちゃんみたいでしょう?」 そして、すぐに続ける。 ずっと、言いたかった言葉。 「会いたかった……。ずっと……会いたかったです……」 香里はそう呟き、風に弄ばれそうになる帽子を押さえた。 彼の言葉を待つように、香里は上目遣いで彼を見上げる。 龍世がようやく口を動かした。 「……綺麗に、なった……」 「え?」 龍世は恥ずかしがるように顔に大きな手を当てる。 耳が真っ赤なのが、微かな街の街灯で分かった。 ……彼が、恥ずかしがっている……? こんな素振り、……あ、見たことがある。 かっこいいと、香里が言った時、龍世は恥ずかしそうに鼻をこすったことがあった。 「な、なんでもない。えと……飯でも食いに行こうか?オレ、おごるよ」 すぐに龍世は誤魔化すようにそう言って、踵を返す。 ……自分は少しだけ期待していたのに。 昔と同じ笑顔で、こーちゃん!と笑顔で叫んで、抱きついてきてくれることを……。 「たっくん……」 「こーちゃんは……何が好き?」 「猫のバッジ、無くしてしまいました。代わりのもの、作ってください」 「え……?今?」 すぐに龍世が振り返って困ったような表情をする。 香里はたんと地面を蹴った。 ひまわりの花が地面に落ちて跳ねる。 龍世の首に無理矢理絡みつき、きゅっと抱き締めた。 龍世が慌てて香里の体を受け止める。 「私は……たっくんが好きです……」 小声で、彼に告げる。 「こーちゃん……汗、つくよ……」 龍世がすぐにそう返してきた。 香里は昔と変わらない彼の眼差しを見つめた。 龍世もすぐに目を上げて、視線が絡む。 ドクンドクンと心臓が鳴る。 ねぇ、わかるでしょう?どれくらい想っているか。 香里は目を瞑って、必死で唇を寄せた。 どうか、勇気を。あと少しの勇気を。 これで、拒絶されるのなら……それは仕方ないと、私は受け入れます。 ゴツンコと額がぶつかって、唇に感じた感触はなんだかおかしなものだった。 香里はすぐに目を開ける。 自分が口づけたのは、龍世の唇でも頬でもなく、鼻の頭だった。 「……こーちゃん、くすぐったいよ」 龍世が照れるように表情をとろけさせて笑った。 香里は顔が熱くなるのを感じて、思わず、龍世から手を離した。 な、慣れていないとはいえ、頑張ったのに、こんな大失態……。 香里の体が斜めに傾くと、すぐに龍世の手が伸びた。 「危なっかしいなぁ……こーちゃんは」 龍世はすぐにそう言って、白い歯を見せてにっかしと笑った。 それから香里のことをきつく抱き締めて、 「よかった……」 と呟くと、しばらく、そのままで二人はいた。 二人はどちらともなく手を繋ぐと、ゆっくりと街の中へと歩いてゆく。 龍世がボソリ……と最後に言った。 「お、オレも、……こーちゃんのこと、たぶん、……好き」 と。 王城で食事を終えて、香里は智歳から届いた手紙を取り出した。 香里は智歳から来た手紙を眺めて、うんざりといった表情をする。 「お小言ばっかり。……喜んでくれたっていいのにぃ……」 唇を尖らせてそう呟くと、目の前に座っている王妃……いや、前王妃がクスクス……と笑った。 「心配してたのよ、許してあげて」 「わ、わかるけど……こんなにですよ?こんなにビッシリ……。生きてて良かった的な言葉なんて、たった一行!」 香里はどっさりと届いた便箋の束をテーブルに叩きつけた。 なんだか、智歳が舌をベーッと出して、悪戯っぽく笑っているのが目に浮かぶようだった。 香里はむぅ……と頬を膨らまし、目の前にあるシュークリームをすごい勢いで頬張った。 |
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