浄化の章 璃央、20歳。 塔の一件により、死んだと思われていたが、奇跡的な生命力で自分の体を取り戻す。 御影を連れ帰って後は、多くの根回しにより、国王を退け、王の座に就いた。 璃央は窓から射し込む日差しで目を覚ました。 窓の外で、チチチ……と鳥たちが囀る声がする。 何か香ばしい香りが、璃央の鼻をくすぐった。 「……御影……?」 ボソリと声を漏らして、すぐに隣に目をやった……が、そこに彼女はいない。 気だるい頭を振りながら、ゆっくりと起き上がった。 タンタンタン……と包丁でまな板を叩く音が聞こえてくる。 璃央はサイドボードに着替えとして置いておいたワイシャツを掴み、すぐに腕を通す。 ベッドに腰掛けたままで、ズボンを履き、ステッキを握り締めて立ち上がる。 ポロリ……とワイシャツのポケットから手紙が落ちた。 「 ? 」 璃央は膝をついて、それを拾い上げる。 綺麗な字で、『璃央様へ』と書かれていた。 ……蘭佳の字だ。 璃央はゆっくりと立ち上がって、ベッドへと戻り、腰掛ける。 丁寧に封を開け、便箋を取り出した。 文章は短いが、彼女の気遣いがよく伝わってくるものだった。 『先を急ぐ必要はありません。 これからは、全てを直していく時期です。 璃央様も、この世界と一緒に、ゆっくり治っていけばよいのではないかと、私は思います。 ……だから、あまり焦らないでくださいね? 璃央様は、お一人で抱え込みすぎる傾向がありますから……。』 璃央は目を通して、すぐに目を細める。 ……見透かされていた。 焦りは当然ある。 自由に動いたはずの体は、もう自分のものではないように鈍い。 そのうえ、3年半以上も自分は黒い風に囚われていた。 その間に流れた多くの時が、璃央にとっては空白だ。 その空白が、とても怖いのだ。 とても怖くて……。だから、早く御影に逢いたかった。 彼女だけは、……待っていてくれるような、そんな気がしたから。 蘭佳の手紙を胸ポケットに戻すと、ちょうど御影がひょっこり顔を見せた。 「璃央?ご飯、できたけど……起きてる?」 昨日璃央が言った後から、彼女は決して『様』をつけることがなくなった。 璃央は御影にすぐに笑顔を返す。 「おはよう」 「ええ、おはよう。……どうしたの?」 「え……?」 「とても、寂しそうな目をしている」 御影はゆっくりとこちらに歩み寄ってきて、璃央の隣に腰掛けた。 お香だろうか? 昨日とは違う……何か、甘い香りがした。 小首を傾げて璃央を見つめてくる御影。 その可愛らしい素振りに、璃央はすぐに柔らかな笑みを浮かべた。 「なんでも」 「なんでもないようには、見えませんでした」 すぐに御影はそう言い返してくる。 ……困ったものだ。こんなに簡単に見透かされるなんて。 「本当になんでもないんです。……ご飯、冷めないうちに食べましょう」 璃央はステッキを持つ手に力を込め、ゆっくりと立ち上がった。 こんな不安は、少しずつ消えていく。 彼女が傍にいさえすれば……、自分は平気なのだ。 「璃央」 それでも、彼女は納得しないような目をしていた。 「……わたしは、そんなに頼りないですか?」 「いいえ」 「ただ、ぬくもりを与えるだけのことしか、できませんか?」 「……そんなつもりは、ありません」 さすがにその問いで、璃央も顔を赤らめる。 自分が言う分にはなんとも思わないが、御影の口から聞くとなんだかとても背徳感を覚える。 ……我慢できなかった自分も、悪いのだけれど……。 「わたしは、あなたの全てを知りたい。……もう、4年前のようなことは、二度と嫌です。あなたが全て抱え込んで、それで終わりなんて、嫌ですよ?」 「御影、少し変わったね」 「ええ。ただ、泣いているだけでは駄目なこと、良く分かりましたから。力がないのではなく、それを得ようとしていなかったのだと、この4年でまざまざと実感しました」 「……うん……。よかった」 「……?」 「世界は、とても広くて、偉大でしょう?」 「ええ……。けど、昨日も言ったけれど、あなたのいない世界では、わたしにとっては色がないのと同じです」 「……ええ。僕も、そうだったんですよ。……だから、あなたの死を、なんとか遠ざけたかった。そのために、多くの罪を犯しました。僕の手は……多くの罪で、多くの人の血で、染まっている」 「…………」 不安げに目を細めた璃央の傍に、すぐに御影は歩み寄ってきた。 白く小さな手で、璃央の手を握り締める。 「……それならば、それはわたしの罪でもありますね」 その声は、とても耳に優しかった。 璃央はポロリと涙をこぼし、すぐに御影をきつく抱き締めた。 ステッキがカランと音を立てる。 「あなたを生かすためなら、何をしてもいいと思った……。でも、今、この時、……その罪が怖い。ずっと空白だった三年という時が怖い。何かに……置いてけぼりにされているようで、とても不安なんです」 御影は璃央の背を優しくさすってくれる。 「大丈夫。……だから、あなたはそれを償うのでしょう?これから……」 「はい……。償いになるのかは分からないけれど……」 「わたしは、ずっとあなたの傍にいます。不安にならないで? たとえ世界が早足で過ぎていっても、わたしだけは、あなたの歩調で歩きます」 「……御影……」 「あなたの弱音、やっと聞けた」 御影がクスクス……と笑う。 璃央はゆっくりと御影を抱き締める力を弱める。 いつもなら、もっと優しく抱きこむのに……うっかりしてしまった……。 「子供みたいで、さっきのほうが年下らしいですよ、璃央」 御影は愛しそうに璃央の胸に顔を埋めてきた。 「……僕は、甘えは嫌いです」 「ええ、分かっています。だから、今の声も表情も、わたしだけに見せてくれるものなのだと、そう思うことにします」 「…………」 「怒った?」 御影はからかうようにそう付け加える。 璃央はくしゃりと髪をかき上げた。 彼女はいつも不思議なことを言う。 璃央の視野を広げる……。 初めて会った時も、今も……自分が駄目なのだと教わってきたものが、本当は色があって素晴らしいものなのだと教えてくれる。 ……ああ、だから、自分は彼女に惹かれたのか……。 今更、そんな答えに至ったと言ったら、御影は笑うだろうか? 御影は、自分が命懸けで護ろうとした人。 けれど、彼女を護るための本当の理由が何なのかを、分かっていなかった自分。 そんな話をしたら、彼女は笑うのだろうか?それとも、怒るのだろうか? 璃央はそんなことを考えながら、御影の耳元で囁く。 「国に帰って、僕が王に即位したら……僕の后になってください」 「ええ、喜んで」 璃央の言葉に、御影は即答してきた。 全く迷いのない声。 璃央のほうが戸惑うくらいに毅然としていた。 「さ、ご飯食べましょう?今日は珍しく上手くいったのよ?」 御影は璃央のステッキを拾い上げて握らせると、ゆっくりと歩き始めた。 璃央のスピードに合わせるようにゆっくりと。 だから、璃央は懸命にスピードを上げる。 本当にゆっくり歩くのは、僕が疲れた時でいい。 疲れるまでは、きちんとしたスピードで歩きましょう。 ……世界は、意外と早足だから。 紫音、23歳。 2年間国境警備隊員を務めた後、剣の腕を買われて騎士の剣術指南役に任じられる。 相変わらず爽やかな性格で、色々な人間と幅広く仲良くしている。 「オキロオキロ。紫音、ネボスケ。ネボスケ」 「……ん……ふぁぁぁぁ!」 抑揚のない早口な声がして、紫音は眠い目をこすって起き上がった。 欠伸がこれでもかというほどに湧き上がってくる。 「……今、どのくらいの時間だ……?」 「ネボウネボウ。モウ、号令ノ時間」 「えぇ?!やば……」 紫音はすぐにベッドを下りて、綺麗にたたんである騎士服に似たタイプの服に袖を通す。 以前は前髪が長かったが、女顔を嫌って、ようやくこの前、髪を短くした。 「あれ?剣、剣がない」 「ココ。鬼月、持ッテル」 「ああ、ありがとう」 バタバタしているところに、鬼月の青い腕が伸びてきて、紫音に剣を手渡してくれた。 紫音が顔を上げると、そこにはこじんまりとした青いからくり人形が立っている。 表情は分からないが、コクンと鬼月が頷いた。 2年前、任務で紫水の国に行った時のことだ。 急にキリィが体に降りてきて、あちらの国でしか手に入らない金属の部品やら何やらを大量に買い込んで、鬼月を造ってしまった。 持って帰ってくるのが本当に大変だった……。 人の形をしているから下手に荷物にもできないし。 かといって、水の秘石の力をコピーされたあの黒い石は蒼緑に置いてきてしまったしで。 結局、必死に抱えて持ってきた訳だが……。 キリィの設計した鬼月は、だいぶ軽量化されており、そのうえエネルギー補給の要らないシンプルなものだった。 核とゼンマイさえあれば動く。 少々、人格に変動があったようだが、そのへんはあまり気にしていない。 「行ってくるよ!」 「アア、イッテコイ」 紫音はクロワッサンを一つ口に放り込むと、すぐに小屋を飛び出した。 規律に厳しい騎士たちの中で、紫音の行動は少々ルーズさが目立つ。 国境警備隊にいたので、寝坊も減ったと思っていたのだが、気を抜くとすぐにこれだ。 口をモグモグしながら、修練所へと駆け込んでいく。 もうそこには騎士見習いの青年たちがずらり……と並んでいた。 その中には真城の姿もあって、思わず紫音は苦笑を漏らした。 真城もおかしそうに目を細めたのが分かった。 そうだった……。 真城も先日こちらのキャンプに移動になってきたのだった。 以前は緋橙の国のキャンプで修練を行っていたという話を聞いた。 知り合いがいるとなると、なかなか気が抜けないと思っていたのだが……。 真城はこの4年でだいぶ髪が伸び、しっかりとしていた面構えが少しだけ女性らしく柔らかくなっていた。 紫音は他の指南役の中年の男たちに礼をしながら、一番端に並んだ。 「それでは、今日はトーナメント方式で勝負をしてもらう。特に、来年には仕官式……という話をもらっている者は、心して当たるように。今回の結果で、仕官式の時の早駆けの儀を任せる者を決めるつもりでいる」 その言葉で、騎士見習いの青年たちの列がざわついた。 真城も驚いたように目を丸くして、その話を聞いている。 当然だ。来年、仕官式を受ける人間の一人が、彼女なのだから。 騎士見習いになるのは簡単でも、騎士見習いから騎士へのクラスチェンジはなかなか難しい。 結局夢叶わずに故郷へ帰っていく者もいるくらいだ。 そんな中で、来年仕官式を受けられる者は3人いた。 真城は実技が優秀で、初の女性騎士にしてしかも最年少になると、指南役の中では専らの噂だ。 ……ただ、学問は不得手なようで、そちらの指南役からはだいぶ色々と言われているようだったが。 「……紫音殿は3人のうち、誰が勝つと思われますか?」 隣にいた弓術指南役がそんなことを尋ねてきた。 彼も結構ルーズな性格なので、たぶんギリギリに駆け込んだのだろうなというのが容易に推測できた。 紫音は少しだけ考えてすぐに答える。 「真城くんですね」 「ほぉ……自信がおありのようですね」 「ええ。彼女の剣には、迷いがありませんから」 「ですが、他の2人もなかなかの手練ですよ?」 「彼らの呪文も、槍術も、素晴らしいものとは思いますが、真城くんの剣には勝てないと……僕は思います」 「真城くん贔屓ですなぁ」 「ええ。同郷ですから」 「ああ、そういえば、そうでしたな。それを考えると、故郷に錦を飾るという意味でも、真城くんが勝つと気持ちいいかもしれませんなぁ」 「はは……そうですね」 紫音はにっこりと微笑んで、すぐに真城に視線をやる。 真城は少しだけ緊張したような眼差しで、どこかを見つめている。 ……緊張もするだろう。 彼女は、仕官式の早駆けをやってみたいのだと、手紙で言っていたことがあったくらいだ。 今回のは、チャンスといってもいい。 「頑張れ、真城くん……」 紫音はポツリと呟いて、すぐに審判の位置へと歩み出た。 腰から提げた大剣に手を掛け、ゆっくりと顔を上げる。 「内亜(うちあ)くん、桐衛(とえい)くん、前へ!」 「はい!」 「はっ!」 自分よりも年上の青年2人が前へと出てくる。 「はじめ!」 礼をして、すぐに紫音は手を高々と上げた。 試合は特に問題なく、スムーズに進んでいき、その中を真城も順当に勝ち上がってゆく。 「次、オレ、真城ちゃんだよ……降参しようかなぁ……」 「大丈夫だよ。真城ちゃん、優しいから怪我はしねぇよ」 「そっちの大丈夫かよ……」 「やっぱし、最初から有望視されてた人間に勝てるわけないよなぁ……」 「…………」 真城はそれが聞こえたのか、悲しそうに目を細めて、彼らの後ろを通り過ぎてゆく。 いつも、彼女の周囲にはこういう声がある。 身分というものが、騎士見習いになって関係なくなったけれど、その分、今度は彼女の才能についてだ。 ……彼女の努力がどれほどのものか、見習いとしてここに来ている者ならば分かるはずであるのに。 審判を別の指南役に任せ、紫音は水を飲みに行くフリをして、真城の脇に立った。 「真城くん」 「……あ、え、あ、……紫音先輩……」 「先輩はそろそろ卒業しようね。僕も、一応指南役だから」 「……あ、すいません」 「いや、君に先輩と呼ばれるのは気持ちが良いからいいのだけどね」 慌てて謝る真城に、紫音はすぐに微笑みかける。 真城は落ち着かないように剣の柄を、握っては離す、を繰り返している。 「…………」 「あまり、気にしないように」 「え……?」 「真城くんは、昔から周りの言葉を気にするクセがあるようだから」 「……聞こえたんですね」 「耳は良いからね」 「はは……。気にしないように、とは思っているんですけど……なんていうか……」 「君の努力を知っているのは他にたくさんいる」 「…………」 「葉歌さんも心配しているよ。君のそういう性格はね」 「葉歌が……?」 「ああ。本人には言えないけどってね。……それが君の優しさの源なのも、良く分かっているんだよ、彼女は」 「……はい」 「……ところで」 「 ? 」 「葉歌さん、戒さんとはどうなったのかな?」 「え?」 「あ……いや、なんでもないよ」 紫音は聞いた後にしまったと感じ、すぐに首を振る。 一応、あれからずっとアプローチはしているのだけれど、いささか遅すぎたかな……と自分でも思っている。 だから、結果はあまり恐れていないのだが、真城にそのことを聞いたとて、分かるはずもないのだった。 「なんでもそつなくこなせるのに、タイミングばかり悪い男だ……僕は」 ボソリと一人ごちる。 真城はそれを不思議そうに見上げてくる。 本当に、彼女はこの手のことに疎くて……良いのだか悪いのだか……。 ため息を吐きながらコートを見つめると、丁度勝負が着いたところだった。 真城が剣を握って、前へと出て行く。 「王子様の早駆けを楽しみにしている女の子たちは、村にたくさんいるよ!」 紫音はわざと大きな声でそう言った。 真城が驚いたように振り返る。 紫音はお茶目に真城に笑いかけた。 すると、真城も同じように笑う。 「それじゃ、……きっと、白い馬に乗れば、みんな、もっと喜んでくれるんでしょうね」 真城の声はしっかりとしていた。 ……彼女は周囲の言葉を気にする癖がある。 それは、子供の頃から期待に応えないと……という気持ちが過剰に強かった結果だ。 それを良く分かっていたから、村長や朝真は口うるさく言うことがなかったのだと思う。 けれど、それはどれだけの勇気の源になるだろう。 彼女の頑張らないとという気持ちはとても純粋だ。 ……だから、大丈夫なのだ。 「……葉歌さんも喜ぶよ……」 紫音はクスリと声を漏らしながらそう呟いた。 すると、ふわりと風が吹いて、紫音の髪をすかしていった。 |
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