陽月の章 月歌、30歳。 村長の屋敷の執事も2人となり、彼は一応執事長を務めている。 朝真に色々なお嬢さんとの縁談を勧められており、それを断るのに四苦八苦する日々を過ごしている。 「お嬢様から手紙が届いています」 夕食後の席で、月歌は深く頭を下げて、武城と朝真にそれぞれ手紙を手渡す。 武城はコクリと頷いて、すぐにそれを皿の脇に置いた。 後で読む……ということらしい。 朝真はすぐに便箋を開いて、読み始める。 その脇で櫂斗が皿をどんどん下げていく。 「ねぇ、つっくん?」 「は、なんでしょうか?」 「また、縁談話見つけてきたのよ」 「……あ、はぁ……」 「相変わらず、反応が鈍いわねぇ……」 ペラ……と一枚ページを捲る朝真。 「せめて、会ってみるとか。それも嫌?」 「会うと……余計に断りづらくなりますので」 「波長が合わない場合は仕方ないもの。はじめから頑なに断るほうが、どうかと思うけれど?」 「…………」 月歌は言葉に窮して、口を噤んだ。 朝真には、どのように言えば、このようなおせっかいをやめてもらえるのだろう、と、わざわざ真面目に考える。 早く告白しなさいという、急かしであることとは、全く思い至らないようだ。 「あーあ……私は早く孫の顔が見たいのよ。こんなことなら、真城さんの他にも子供作っておくんだった」 朝真は静かにぽつりとこぼした。 「は……?」 月歌はそれが聞き取れずに目が点になった。 武城がそれを見てふ……とおかしそうに笑みを浮かべる。 葉巻を取り出し、先っぽを切り取って、口元に運んだのを見て、月歌はすぐにマッチを擦って、武城の口元へと持っていく。 「ああ、ありがとう」 「いえ」 月歌は火がついたのを確認してから素早くマッチの火を消した。 櫂斗が反応良く灰皿を持ってきて、月歌のマッチを受け取る。 「ああ、ありがとう。良く気がつきましたね」 「い、いえぇ……」 櫂斗は月歌に褒められたのが嬉しかったのか、ニコニコと朗らかな笑顔を浮かべて、灰皿を武城の前に置き、食卓を出て行った。 「ちょうど、お前が来たのもあのくらいの年だったな」 「え?ああ、はい、そうです。むしろ、櫂斗はすごいですよ。14からこの仕事ですからね」 「ふ……そんなことを言ったら、虎楼のところの龍世なんぞ、8つからだ」 「そうですねぇ……。みんなすごいですね」 「お前もある意味、大物だがな」 「は?……はぁ」 月歌は武城の言っていることの意味がいまいち分からずにすぐに首を傾げた。 武城はカリカリしている朝真を見つめて、またおかしそうに笑いをこぼす。 「さて、わしは部屋で読むかな。どうせ、元気でやってますぐらいのことしか、あの馬鹿は書いてこんからな」 朝真が手紙を読み終えたのを確認してから、武城はガタンと椅子を下げて立ち上がった。 「え……?」 「ん、どうかしたか?」 「あ、い、いえ……別に」 「そうか。それじゃな」 「はい」 月歌は深く頭を下げて、武城と朝真が出て行くのを見送った。 「執事長、あと、お仕事ありますか?」 「え……?あ、いえ……今日はもう終わりにしていいですよ」 夜なのに、まだまだ元気な声で尋ねてくる櫂斗に月歌はニコリと笑み、 「お疲れ様です」 と言って労う。 櫂斗はいつものように嬉しそうに笑みを浮かべて、深々と頭を下げてきた。 「はい!お疲れ様です!それじゃ、上がらせていただきますです!!」 「ええ」 快活な彼がとても初々しく、可愛らしく見える。 まるで弟が出来たような、そんな気分だ。 ……大体、年下の男の子を相手にするとそう思ってしまうタイプなのであるけれども。 櫂斗が部屋を出て行った後に、すぐに月歌も部屋を出て執務室へと向かった。 仕事も終わって、……あとはのんびりと真城の手紙を読むだけだ。 やはり、手紙を読むのは、こういうのんびりした時がいい。 コキコキ……と首を鳴らし、執務室に戻ると、すぐに部屋のランプに火を灯した。 デスクの上に乗っている手紙に手を伸ばし、たった一枚の紙をペラリと開いた。 仮眠用のベッドに腰掛けて、ゆっくりと文章を読み進めてゆく。 『つっくん、元気でやっていますか? ボクは元気です。 来年、仕官の儀式を受けられるということを、三ヶ月前の手紙で書きましたが、今回は、もっとビックリなお知らせがあります。 ……葉歌、最初にばらしたりしてないよね? ばらしてたら、ボクが馬鹿みたいだからさ……。 あのね、父上と母上は分からないけど、つっくんは喜んでくれると思ってるんだ。 仕官の儀式の開会を告げるために、新騎士が近隣の村を早駆けするのが通例になっているでしょう? あの早駆けを、ボクがやることになりました!』 真城の笑顔とVサインが目の前に浮かぶような心地がして、月歌は目を細めて、優しく笑む。 カチャリと眼鏡を掛け直し、落ちてきた前髪をそっとかき上げた。 『ボク、あれやってみたかったんだぁ……。 すっごくカッコいいじゃない? それに、あの早駆けをした騎士様はたくさんの人にすぐに顔を覚えてもらえる。 格式高さが壁だと思うからさ、顔を覚えてもらうことによって、みんなの身近にいられれば、多くのことが出来ると思わない?』 彼女の手紙は、いつも生き生きとして、これから先に対する光に満ち溢れている。 その光を、月歌はとても眩しいと感じ、とても……大切なものだといとおしさを覚える。 光を失わない彼女の手が、とても頼もしく、それでも……光を失う時が来てしまったら……と心配もする。 自分は、4年前のあの、真城が落ち込んで立ち直れなくなった時、何も出来なかった。 彼女は自分に光を与えてくれるのに、自分は彼女に光を分けてあげることが出来ない。 月歌が以前真城の剣を称したのと同じで、真城は……みんなの太陽だ。 決して翳ることなく、多くのものを照らす。 けれど、自分はその名と同じように、光を受けて輝く月でしかない。 だから、……自分には想いを告げる資格などないと、そう思うのだ。 ただ、仰ぐだけでいい。見守るだけでいい。 それさえ、許してもらえるのなら……。 『ああ……早くつっくんの料理が食べたいなぁ。 ここには、カレーパンもミートソースもないんだ。 カレーは良く出るけど、とっても辛口で……ボクは食べられないし……。 トマトもね、生でよく出てくるんだ。 好き嫌いがいけないのは分かってるけど、あの酸味、ボクは苦手。 食生活だけは、どうしても馴染めないけど、……まぁ、なんとか上手くやってるから。 それでは、また……三ヵ月後に手紙を出します。 つっくんからのお返事、楽しみにしてます♪』 月歌は丁寧に手紙を折り畳み、バスンと布団の上に上体を倒した。 手紙を握った手を胸の上に置き、天井を見つめる。 彼女の手紙は、いつも元気いっぱいだ。 心配を掛けまいとしているからなのか、本当に何もないからなのかはわからないが、この距離はとても不安になる。 何かあっても、すぐに気がつくことができない。 親バカ……と言われてしまうかもしれないが、武城や朝真があまり心配を表面に出さない分、どうしても心配してしまうのだ。 それが、逆に真城の気分を害してしまうこともあったけれど。 「……カレーパンと冷製パスタを作って、葉歌に持っていってもらいましょうか」 月歌はポツリとそんなことを呟いた。 真城はこの村が大好きだから……。 自分の料理を食べたいと言った時は、ホームシック気味になっているということなのだと、自分は勝手に解釈した。 「今日は葉歌、小屋に帰ってますかねぇ……」 戒の手紙を届ける用件で一度無駄に風跳びをしている。 あまり遠出はせずに戻ってきている可能性が高い。 今日は執務室に泊まらずに、小屋へと帰るか……と心の中で呟き、ゆっくりと体を起こした。 「ああ、そうだ。返事も、急いで書かなくては……」 月歌は優しく目を細めて、ランプの火を消すと、スタスタ……と執務室を後にした。 真城、20歳。 二年前に風緑アカデミー卒業。その後、試験に受かり、騎士見習いとなる。 他国のキャンプを転々として、団体生活や各地の自然環境などを学んでいる。 相変わらず、想い人との距離は互いの鈍感さで進展せず……? 『お嬢様、お元気そうで何よりです。 今日は葉歌に頼んでカレーパンと冷製パスタを持って行かせました。 丁度休暇をもらっているはずだと、葉歌が言っていましたので、ゆっくりお召し上がりください。 ああ、そうそう。 真城様の早駆け。凛々しい姿を楽しみにしています。 こんな名誉な役目を主が担ったということを、末代まで私は誇ることが出来ます。 とても喜ばしいことです。』 「……こ、これだけ……?」 真城は月歌の几帳面に整った文字を見つめて、唇を尖らせる。 真城は葉歌の膝の上でコロリと頭を動かして、拗ねたように目を閉じた。 すぐに葉歌の手が真城の頭を優しく撫でる。 風がザザザ……と通り過ぎてゆく。 葉歌の膝枕は、風緑の村の丘でこうしていた頃を思い出させる。 「月兄ぃは筆不精だからね」 「…………」 「だから、もしもっと反応いいのを期待しているなら、兄ぃはやめといたほうがいいわよ」 「……そ、そんなことない……けど」 真城は目を開けて、すぐに葉歌の膝に頬を埋める。 分かっている。 彼は実際はとても喜んでくれている。 それは良く分かるのだ。 ……けれど、どうしても期待してしまうのだから、仕方ないではないか。 「……まぁ、気にせずに食べて?せっかく、兄ぃが仕事出る前に作ってくれたんだから」 「え……?わ、悪いことしちゃったな……」 「大丈夫よ。あなたのための無理なら、兄ぃは喜んでやるから」 葉歌は真城の背をゆっくりと押し上げて、真城の体を起こしてくれた。 真城は長くなって結わえた髪をそっと後ろへ持っていって、クルクルと人差し指で弄ぶ。 葉歌がバスケットを出してきて、パカリと蓋を開けた。 ふわりとカレーの芳ばしい香りが真城の鼻をくすぐり、真城はその香りで頬をほころばせる。 「いい匂い」 とろけてしまうような、そんな香りだった。 彼だけが、真城の味覚に合ったカレーを作ることができる。 真城はすぐにカレーパンに手を伸ばして、パクリとかぶりついた。 サクリと皮は鳴り、中はしっとりとよくカレーと馴染んでいる。 カレーとパン生地のバランスを良く考えて作られているのを感じる。 バクバクとどんどん口に運ばれ、あっという間にカレーパンは形を無くした。 「おいひぃ……」 「それは良かった」 葉歌が真城の顔を見つめて、ふわりと微笑みそう言った。 ……どれだけ自分は幸せな顔をしていることだろう。 そう思うと、顔が思わず赤らんだ。 「そんな顔するから、兄ぃも必死に美味しいもの作ろうとするんでしょうねぇ」 「……ボク、そんなにがっついてるかな……?」 真城はカレーパンを触った手をナプキンで拭きながら、そう呟いた。 葉歌がすぐにフルフルと首を振る。 「違う違う。……可愛いのよ」 「か……」 「うん。すごく可愛い。村の王子様も、わたしたち兄妹にとっては、大切な姫君だもの」 「…………」 その言葉に、真城の顔は更に真っ赤に染まった。 姫君……などという表現は、そんなにされることがないからだ。 「真城、そろそろ、決着着けてね?」 「……う、うん……。もう、決めてるんだ……」 「ん?」 「帰ったら……言うから」 「そう」 「うん、今度こそ……言うから。前は、完全に機会を逸してしまって、葉歌との約束守れなかったけど」 「……あれは仕方ないわよ。あなた、しばらく塞いでたし」 「ごめんなさい」 「あの状況を、あなたが飲み込めるとは思ってなかったから、わたしは別に」 葉歌は長い睫毛を伏せて、ゆっくりと真城の髪を撫でる。 真城は寂しそうに目を伏せている。 まだ、あの時のことは夢に見る。 どうして、あそこでもっと足掻こうとしなかったのかと。 力が足りなくても、気持ちはもっと前に行けたんじゃないかと、ずっとそう思っていた。 葉歌がすぐに話題を戻した。 真城がこの件になると、深く考え込んでしまうことを良く分かっているのだ。 「そっか、今度こそ言うのね」 「……うん。玉砕覚悟で……」 「ライスシャワーをおば様と準備して待ってるわ」 「え……は、母上には言わないで。それに、上手くなんて……」 「はいはぁい。それはわかりました」 葉歌はこの手の話の時だけ、やたらと後ろ向きな真城の言葉をすぐに遮った。 真城が膝を抱えて拗ねたように唇を尖らせる。 葉歌がしょうがないなぁ……と言いたげな目でこちらを見ているのが分かった。 葉歌の前は落ち着く。 無駄に肩に力を入れなくていいし、変に優等生を気取らなくていい。 彼女が風跳びを容易にこなせるようになってくれたことで、真城は演習中でも、なんとかホームシックにかからずに済んでいた。 「全く……わたしだって、いつまでもあなたの傍にいられるわけじゃないんだから」 「え……?」 「……だから、早く幸せになってほしいのよ」 葉歌は笑顔でそう言うと、真城の頭を撫でる手を止めた。 ゆっくりと立ち上がり、葉歌は遠くを見つめる。 「いい風ね」 「……うん」 真城もすっくと立ち上がり、地面に置いておいた剣を腰に差した。 「なんだか、あなたが剣を肩から提げてないのって、違和感があるわね」 「ああ……。うん、ボクも肩のほうが抜きやすいんだけど、髪伸ばしたら、邪魔で……」 「そう。さってと……わたしはそろそろ行こうかなぁ」 「え、もう?!」 「真城、お姉さん離れ、そろそろして頂戴」 「う……」 葉歌の言葉に、真城は困ったように顔を引きつらせる。 ……やっぱり、自分は子供っぽいのだと思う。 うん、それじゃあねという言葉が、なかなか言えない。 「う、うん、それじゃ、また……」 そう言いながらも、ついつい葉歌の服の袖を無意識に掴んでしまっていた。 「……真城」 「あ、ご、ごめん……」 慌てて真城は袖から手を離した。 「あなたが男の子だったら、わたしは喜んであなたのものになったけれど」 「あはは……」 真城は困ったように笑いをこぼすだけ。 ……もう少しくらい、一緒にいてくれたっていいのに……と、心が言う。 「昔から甘えっこだからねぇ、真城は」 「…………」 真城はその言葉にすっと目を伏せる。 本当は寂しいのだ。 月歌への手紙にだって、本当は逢いたいと書きたかったけれど、……仕事が忙しいかと思って、一度もそれを文にしたことはなかった。 自分はこういう性格だから、父性的で包んでくれる彼が、本当に合っていると自分でも良く分かっている。 葉歌は優しい笑みを浮かべると、そっと真城の手を握った。 「来年からは騎士なんだから、しっかりしないと」 「うん」 「夢が叶うんだものね。真城はすごい」 「……そんなこと……」 「あなたは自分の理想を実現していく。その力は、とてもすごいものなのよ?」 「ありがとう」 「いいえ。兄ぃも手紙に書いていたんじゃないかと思うけれど、あなたはわたしの誇るべき親友よ」 真城の手に葉歌はそっと口づける。 くすぐったくてすぐに真城は身をよじらせた。 葉歌はそんな真城の様子を見て、おかしそうにクスクス……と笑うと、すぐに真城から体を離した。 「それじゃ、わたしも行きたいところがあるから、そろそろね? また、3ヵ月後に手紙を受け取りに来るから」 言い聞かせるようにお茶目に笑うと、葉歌は緑色の光を閃かせて、一瞬にしてどこかに跳んでいってしまった。 風だけが残って、ふわふわと真城の髪を揺らす。 真城は空を見上げて、ニコリと笑った。 風が真城を抱き込むようにふわふわと吹く。 葉歌が残していった風は、とても優しくて、真城はつい目を優しく細めた。 「さって……パスタ食べて、近くの村の見回りにでも行こうかなぁ!」 真城はそう言って、伸びをするとすぐにその場に腰を下ろした。 澄んだ風が広い草原を吹き抜けていく。 風はどこにいても吹き続ける。 ……体持たぬまつろわぬ者かもしれないけど……。 風は、とても、優しいものだと、本当に、心から思う。 ねぇ、黒い風さん。 ボクだけは、あなたの存在を決して忘れないよ。 忘れなかったら、もしかしたら、あなたの孤独な心が、どこかで救われるのじゃないかと、ボクはそう信じているんだ……。 手を翳して空を見上げ、真城は、心の中で、そう、呟いた。 |
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