続・輪廻の章

 真城は手綱を引いて、ゆっくりと風緑村の手前で止まった。
 村の向こう側には、王城が見える。
 ここが最後の早駆けの場所だ。
 ふぅ……と息を吐き出し、真城は優しく白い馬の首を撫でる。

 青いジャケットに赤いマント。
 さらりと風が吹いて、マントがばふりと膨らむ。
 長い髪も一緒になびいた。
 真城は一度髪を下ろし、素早く丁寧に結わえ直す。

 ドキドキ……と胸が鳴った。
 久しぶりの村には、きっと多くの村人たちが真城の早駆けを楽しみにしている。
 その中には両親がいて、葉歌がいて、龍世がいて……そして、月歌がいる……。

「だいじょうぶ。駆け抜けて、……そのまま、王都へ。それだけだ。今は……何もない」
 真城は自分を落ち着かせるように言い聞かせる。
「琉羽(ルウ)?そろそろ、平気かい?」
 真城は首を撫でてそう尋ねた。
 琉羽が前足で何度か地面を蹴ってみせる。

 ……よし。行くぞ。

 真城は真っ直ぐに村を見据えて、琉羽の腹を思い切り蹴った。

「ハイヤ!行け、琉羽っ!!」
 琉羽はゆっくりと歩き始め、ぐんぐんとスピードを上げてゆく。

 村がどんどん迫ってくる。
 真城は笑顔を浮かべて、村へと入った。
 村の入り口から出口まで、一直線に並んでいる人々。
 村人以外の人間もいることがその人数からすぐに分かった。

「真城様ー!帰ってくるの、お待ちしてました!!」
 一番はじめに声を上げたのは、真城に以前ピアスをプレゼントしてくれたお姉さんだった。
 確か、国境沿いの村に住んでいると言っていた。
 わざわざ、このためだけにここまで見に来てくれたということだ。

 真城はスピードを緩めて、本当は駄目なのだけれど手綱を引いて止め、彼女に笑いかけた。
「お久しぶりです」
「……覚えていてくださったんですか?」
「はい。よく、覚えていますよ」
「……と、とても……。あ、以前からそうでしたけど、とても素敵になられました。お、お美しくなられて……」
「……そんなことないです。お姉さんも、相変わらず綺麗で……」
 真城は笑顔でそう言うと、軽く琉羽の腹を蹴った。
 琉羽がゆっくりと歩き始める。
「もし、しばらく滞在されるのなら、またお食事でも」
「あ、あ……光栄です。ありがとうございます!!」
 お姉さんは深々と真城に対して頭を下げてきた。

 真城は周囲に手を振りながら、また走るスピードを上げた。
 龍世も葉歌もいない……。
 もしかしたら、王都で待っているのだろうか。
 屋敷の前を通ると、そこには武城と朝真、それと青い髪で執事服を纏った少年が立っていた。
 武城は豪快にニッカリと笑い、小さく手を振っている。
 朝真も笑顔を浮かべて、こちらを見つめていた。
 少年は人ごみに圧倒されるような表情をしながらも、こちらを見上げて、すぐに笑った。
 深々と頭を下げてくる。
 その丁寧な礼が、月歌とかぶった。

「ああ……手紙に書いてあった新人の子か……」
 真城は優しく笑みを浮かべて、3人にヒラヒラ……と手を振ってみせた。

 パカラッパカラッと蹄の音が響く。

 琉羽は風を切って先へと進んでいく。

 多くの人に見送られて、真城は村を駆け抜けた。
 風緑の村を出ると、王城がどんどん近づいてくる。
 広がる草原を見渡しながら、真城は琉羽の腹を強く蹴り、更にスピードを上げていく。
 今までの行程がのんびりしすぎだった。
 これ以上遅れると、後で騎士隊長に叱られてしまう。
 琉羽の脚は速い。この脚の速さを見込んで、自分は琉羽を選んだ。
 白馬だから……というのも、確かにあったのだけれど。

「琉羽、もう少し頑張ってね」
 真城は優しい声でそう言った。

 すると、琉羽は更にスピードを上げる。
 とても人懐っこい。これも、選んだ理由の一つだった。

 王都の門をくぐり抜けると、すぐそこに龍世が立っていた。
 横には、可愛らしい笑顔の少女……。

「真城、おかえりー!!」
「お、お帰りなさい、真城さん……!」
 龍世は大きな声で叫び、ブンブンと大手を振ってくる。
 真城は思わず笑いが漏れてしまった。
 真城はにっこりと笑って手を振ると、颯爽とその場を駆け抜けた。

 街に入り、大通りを駆け上がる。
 すると、今度は左側に葉歌の顔が見えた。
 真城は思わずスピードを緩める。
 すると、その横には戒の姿があった。

「……あれ……?……監獄じゃ……」
 真城は思わずそんな言葉を漏らすが、止まることはなく、ゆっくりと手を振った。
 葉歌が嬉しそうにふわりと笑みを浮かべ、戒もひょいと手を高く掲げた。

「あとで!話を聞く!!」
 真城は大きな声でそう叫んだ。

 コロセウムへ向かって、真城は更にスピードを上げた。




 駆け抜けていった真城を見送った後、葉歌はほぅっと頬を赤らめて笑った。
「白馬の王子様……ね。あの子らしいわ。みんなに気を遣っちゃって」
「……そんなにアイツはかっこいいのか?」
「え?」
「僕には、はじめから馬鹿にしか見えなかったからな」
「…………。本質しか見ないのね、あなたは」
「……ああ。そうやって生きてきたから、な」
 戒は自嘲気味に笑って俯く。

 たった1週間だけ、真城の仕官式を見るために得た仮釈放期間。
 これは、彼がこの5年間真面目に刑期に服していたことを示す。
 もっと他にも使うことができたはずなのに、このために期間を使った。
 それはとても彼らしい。

「あなたは……」
 葉歌がすぐに言葉を口にしようとした時、人の流れがコロセウムへと向かい始め、葉歌の体がどんと押された。
 葉歌の足がグラリと傾く。
 すると、すぐに戒の手が葉歌の肩を掴んだ。
 大きな手が葉歌の体を支え、そのまま抱き寄せられる。

「ぼーっとするな。はぐれるぞ」
「……ありがと」
 葉歌は近くなった顔に戸惑って、すぐに目を泳がせた。
 戒が人を押しのけながら前へと進む。
 腕は葉歌を護るように優しい……。

『護ってくれるの……?』
 あの時の問いが、ふと心を過ぎった。
 思い出して、自分の顔が熱くなる。
 あんな前の話……今更思い出したところで……。

「……ちっ……人が多いな」
 戒は舌打ちをして、困ったように周囲を見回す。
 背の高い彼は余裕で人ごみを見まわせるけれど、小柄な葉歌には無理だった。
「大丈夫か?」
「あ……う、はい……」
 葉歌は何よりもこの距離に気が集中してしまって、上手く言葉が出てこなかった。
「……どうした?」
 不思議そうに戒が目を細める。
 彼は……どうも……こういうところが朴念仁というか、なんというか……。
 自分の気持ちは彼に伝えたのに、どうしたも何もない。
「おかしな女だ……」
 戒はボソリと呟いて、そっと葉歌から手を離す。

 はぐれるのが嫌で、葉歌はすぐに戒の手の指の間に自分の指を差し込んだ。
 その行動に驚いたように、今度は戒が目を見開く。
「こ、……こっちのほうが、わたしは落ち着くわ」
 葉歌はゆっくりと戒の手を握り締める。
 戒の手は強張って力が全く入らなかった。

 ……嫌なのかと、心の中に不安が過ぎる。

 戒は目を伏せて静かに言う。

「……待っていてくれるなら」

「え……?」

「待っていてくれるなら、僕は、お前がいるところを、帰る場所にしたいと思う」

 そう言って、きゅっと葉歌の手をきちんと握り締めてきた。

「……それって……」

「僕も、お前が、……好きだ……」

 人ごみの中、戒はゆっくりと葉歌に視線を向けてくる。

 言葉を言い切るか言い切らないかの間に、葉歌は戒の胸に飛び込んだ。
 人ごみなんて気にしない。
 それどころじゃないのだ。
 心が、喜んでいる。
 ……あかりが、祝福してくれている。

「……待ってる」
「…………」

 戒は困ったように体を強張らせて動かない。
 ただ、バタバタと通り過ぎてゆく人ごみから葉歌を護るように立ち尽くしているだけ。

「5年でも、10年でも……待ってる」
「そ、そんなにはかからない……」
「ええ。でも、そのくらいの気持ちで、待ってるわ」
 戒の言葉に、葉歌はにっこりと笑みを浮かべる。
 そっと体を離して、戒を見上げた。
「ねぇ……戒、屈んで?」
「……?」
 言われるままに、戒は膝を曲げて、葉歌の目線に合わせてくれた。

 そっと戒の唇に口付ける。

 戒の体がビクリと後ろに下がりかけたので、葉歌はすぐに戒の服の襟を掴む。

「……っ……」

 大丈夫。
 あなたなら、大丈夫だから。
 禁断症状は、あなたなら出ないから……。
 それを伝えるように、長いキスだった。

 そっと唇を離すと、戒がぼんやりとした目で葉歌を見つめてくる。

「……葉歌……」
「……初めて」
「え?」
「初めて、『葉歌』って呼んでくれた」

 葉歌はそっと両手を合わせて、嬉しさをそのまま声にした。
 すると、それを見た戒が今度は口づけてくる。

 ……人がいる……。

 先程はどうでもよかったのに、その瞬間、そんなことが頭を過ぎった。
 やはり、自分は……受身は苦手なのかもしれない。
 葉歌はすぐに戒の体を押す。
 すると、それを拒絶と感じたのか、戒の目が悲しげに揺れた。
 ……そんな目をしなくても……。

「あと、少しだけ」
 戒の声が耳元でして、葉歌の頬に、戒の無骨な手が優しく触れた。




 コロセウムへと入った真城は、白馬に乗ったままで、勢いよく叫んだ。
「風緑村領主、武城が娘、真城!ここに、仕官式開会を宣言する!!」
 ゆっくりと琉羽から下りて、すぐに優しく琉羽の働きを労った。

 コロセウム内は観衆の歓声で賑わい、真城はこみ上げてくる荒い呼吸を整えながら、待っていた2人の騎士の横に、同じように並んだ。
 ゆっくりと見渡すと、王座には前国王の弟君が座している。
 結局、後継者争いは大きく揉めることなく、以前から決められていた通りになったのだ。
 指南役たちの席には紫音の顔があった。
 素早く国王に対して、片膝をつき、地面に手をついて礼をした。
 ここまでは、教えられた通り。

 しかし、王が声を発するよりも前に、爽やかな声を発した者がいた。

「真城君の仕官を、僕は心から祝福する!!」

 ……その声は貴賓席から……。

 真城はゆっくりと顔を上げて、そちらを見た。
 赤と橙の服を纏い、水色の髪をオールバックにした璃央がフラフラしながらも立ち上がって、こちらを見下ろしている。
 その横には御影と蘭佳の姿。
 また、別の貴賓席には智歳と東桜の姿もあった。

「……君は……」
 真城は貴賓席を見上げて、ぽつねんと呟いた。
 フラフラしている璃央に心配そうに駆け寄り、蘭佳が支えようとしたけれど、璃央はそれを手で制した。
「大丈夫だ、蘭。こういう時は、自分の足で立って、声を掛けたいんだ」
「……承知しました……」
「璃央」
「分かっているよ、御影」
 璃央は御影に笑いかけ、すぐにこちらを見下ろしてくる。

「王よりも先に発言することを、お許しいただきたい!そこにいる真城君は、我が友である。どうしても、心からの祝福を伝えたく、参上した次第。彼女たちが仕官した、今この時から、蒼緑に永きに渡る繁栄が約束されることを、僕は確信している!この度は、本当におめでとう!!」
「……無事だったんだ……」
 真城は璃央を見つめて、こみ上げてくる涙を我慢することが出来なかった。
 真城はそれからしばらく俯いたままで、王の言葉を聞いていた。




 夕方になり、式が終了して、真城はゆっくりとコロセウムを後にした。
 月歌の姿を見ていないな……と心の中で呟いて、周囲を見回すが、見慣れない人しかいない。

 ふと、目を向けた方向で、黒髪の小さな男の子がベシャリと躓いて転んだ。
 真城はすぐに気がついて、駆け寄った。
「だいじょうぶ?」
 優しく声を掛けて、男の子の手を取って立ち上がらせ、膝についた土をパンパンと払ってあげた。
「……うん。大丈夫。ありがとう、剣士さん」
 幼い男の子は姿形からは想像できないほど、しっかりとした話し方をしていた。
 真城は元気な男の子に笑いかけて、すぐに頭をよしよしと撫でてあげる。
「泣かないなんて偉いね」
「……ありがとう、剣士さん」
「……?」
「ありがとう」
 まだ言い続ける男の子を不思議に思って、真城は首を傾げる。
 すると、男の子はゆっくりと歩み寄ってきて、ちゅっと真城の頬に口づけてきた。

「……?!」
 真城は驚いて頬を押さえ、男の子を見つめる。

「き、……君、まさか……」
 真城は強張った表情で男の子に手を伸ばそうとしたが、男の子は次の瞬間、ぽかんとした顔をして、真城を見上げてきた。

「そーくん、いらっしゃい。帰るわよぉ」
「あ……はぁい。まって、ママァ……」
 男の子は母親の呼ぶ声に反応してすぐに走り去って行ってしまった。

 真城はそんな男の子の背中をただ見送るだけだった。


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